愛のキューピッド
不気味な雰囲気の山ではあったが、一同は昼食後、そのままのんびり食休みをしていた。
眠い……。
アーデルハイトは、猛烈な眠気に襲われていた。昨晩まったく眠られなかった上に、魔物を退治しようと魔力を使ってしまったのである、無理もない話だった。
こてん。
アーデルハイトは起きていようと努めていたが、ついに隣に座ったキースの肩にもたれかかるようにして眠ってしまった。
「あら。寝ちゃったよ」
――まだ体調が整わないのかな。
キースは心配そうにアーデルハイトの寝顔を見つめた。
――すやすやと、眠ってるなあ。そんなに具合が悪いわけではなさそうだけど……。
突然、ミハイルが立ち上がった。
「この山は魔の空気が強い。僕は、ちょっと辺りを見てきます!」
ミハイルはそう言うと、そそくさと森の奥へ向かった。
「俺も! 俺もちょっと周りを見てこようと思う!」
宗徳もそう言いながら立ち上がり、そそくさと森の奥へ向かう。
「俺は、ちょっと剣の姿で休みます」
カイはいきなりそう言い残し、剣の姿になってしまった。
「私! 私ルークにブラッシングしてあげよーっと!」
妖精のユリエは、少し離れたところで休んでいるペガサスのルークたちの元へ飛んでいった。
「あ、あれ……? みんな……?」
一斉に、キースと熟睡してしまったアーデルハイトを残し、どこかへ行ってしまった。カイだけはすぐ傍にいるが、剣の姿なので、実質キースとアーデルハイトが二人きりのような状況になった。
「ああ。そうか。アーデルハイトが起きないよう、気を遣ったのか」
二人きりになるように気遣った、という点には残念ながらキースは気付かない。
――でも、この姿勢じゃ、疲れは取れないだろうなあ。
キースは、そっとアーデルハイトの肩をつかみ、横たわらせてあげようとした。
「あっ……! キース!」
アーデルハイトは目が覚めてしまった。
「ごめん! 私、もしかしてキースに寄りかかって寝ちゃった!?」
さっと頬を赤らめ、アーデルハイトは姿勢を正そうとした。
「いいよ、いいよ。ごめん、起こしちゃって。そのままじゃ、よく眠れないかなあと思って、横に寝かせてあげようと思ったんだ」
「ご、ごめん!」
「いいよ。疲れてるんだろ? ちょっと休みなよ」
キースは上着を脱ぎだした。
「キ、キース!?」
なぜ上着を!? とアーデルハイトは動揺する。
ま、まさか……!?
休みなよ、休憩、周りを見るとなぜか二人きりになっている、キースは突然上着を脱ぐ、キースは自称「ほんのりエロい」……、アーデルハイトの頭に一瞬桃色の妄想が広がった。
まさか! キースが服を脱いで……! これってまさか……!
「はい」
キースは、草の上に上着を広げた。
「草の上で眠るよりはいいだろ?」
キースは爽やかな笑顔。
「あ、あああ、ありがとう……」
アーデルハイトは勝手に大人の妄想をしてしまった自分を恥ずかしく思い、うつむいた。
「遠慮しないで横になりなよ! ここは暗い雰囲気の山だけど、俺が近くにいるから大丈夫だよ! 出発前に、ちょっとだけでも眠っておいたほうがいい」
「……ありがとう」
「さっき、魔力を使ったせいもあるんだろう。遠慮せず休みな」
「……キース。上着脱いで寒くない……? 野宿用の寝袋、荷物から出そうかな……」
「はは。今そんな寒くないだろう? ちょっとの間だし、わざわざ出さなくてもいいよ」
「でも、なんだかキースに悪い……」
「あまり動いたりしゃべったりしてると目が冴えちゃうぞー。さあ、早く寝な寝な!」
キースは、アーデルハイトの頭をぽんぽんと軽くたたいた。
「あっ! そーだ! 子守唄でも歌ってあげよ―か!」
「それだけはやめて」
アーデルハイトは、キースの破壊力満点の歌声を知っている。
アーデルハイトは、申し訳ないと思いつつ本当のところは嬉しいので、キースの上着の上にころんと横になった。
あ、キースの匂い。
アーデルハイトは、上着にそっと頬を寄せた。
「……襲ったりしないから、安心して眠りな」
キースはそう言って笑った。
いいよ。襲っても。
アーデルハイトは心の中で呟く。
いいよ。キースなら。
はしたない、とアーデルハイトは自分で思った。そんなこと考えてると知ったら、キースは私のことをどう思うんだろう、とアーデルハイトは思った。
しょうがないじゃない。キースのこと、好きなんだもん。
大人って、ややこしいね。ただ一緒にいる、ただ仲良し、ただ笑い合う、それだけじゃ、物足りなくなってくるんだもんね。
触れ合いたい、抱きしめて欲しい、自分のことを愛してほしい――。
大人って、だんだん、欲張りになってくるんだね――。
アーデルハイトは、キースの残り香を胸いっぱい吸い込んだ。
そしてほどなく、眠りについた。
キースは、あの「新しい感覚」について考えていた。
――この、なにやら不気味な山でも、あの深い感覚を掴めるのだろうか。
自分自身を自然の一部として、自我を解き放ち自然に溶け込み、そして自らの命を、真の力を深く感じ取る――。「魔の磁場が強い」とミハイルが言っていたこの山で、それを行うのは危険なのではないか、とキースは思った。もしかしたら、「魔」の波動に引っ張られるのではないか、とキースは思った。
――でも、この山は生きている。木や草や、たくさんの命がある。「魔」の部分ではないところ――、表層ではない、もっと奥深くにある、たとえば「愛」の部分があるのではないか。そこに意識を合わせたら、きっと、ここでもあの感覚が掴めるのではないか――。
やってみよう、とキースは思った。
――たぶん、霊感や特殊能力などない、鈍感な俺なら逆に出来るかもしれない――!
目をつむり呼吸を整え、山の中に自分という「個」を解き放つ。
禍々しい気配ではなく、もっと深淵なる山の「核」となるものに意識を向ける。
大いなる自然。純粋なエネルギー。
その中の、ひとつの命としての自分を感じ取る――。
すると、ビリビリとした、あの感覚が蘇ってきた。
――強い、エネルギー! やはり、同じだ! やりかたを工夫し、強い精神力と集中力を持てば、出来る! どんな場所でも、感覚は掴める……!
もっと、鍛錬し、極めれば集中の時間も短縮できるはず、そうキースは感じた。
『人の子よ』
突然、キースの頭の中に男性の声がした。
「誰だっ!?」
『声を上げるな。ご婦人が起きてしまうだろう?』
声は、穏やかな声だった。殺気や敵意は感じられない。
『私は、お前の意識に語りかけている。お前も、心の中で語りかけるだけでいい。それで私には通じる』
――心の中で語りかけるだけ……?
何者かわからないが、キースも心の中で相手に語りかけてみることにした。
『あんた、いったい何者だ?』
『私は……。そうだな。いうなれば、この山の主ってところだな』
『この山の主……! どうして、この山の主が俺に……?』
『さっき、お前は私に意識を向けた』
『ああ……! さっき新しい感覚を試したからか……!』
『お前は、面白いな』
『なんか……、すみません。迷惑なこと、しちゃったかな?』
『いやいや。お前のような人間は初めてだ。面白かった。大抵の人間は、この山を恐れ近づきもしない。人間はいつかず、魔物が住みつく一方だ』
『そうですか。迷惑じゃなかったらよかった』
『人の子よ。お前にひとつ、お願いしたいことがある』
『俺に、お願い……?』
キースは首をかしげた。いったい、山の主のお願いとはなんだろう、と思った。
すうっ。
『わ!』
いきなり、キースの目の前に深い緑色の髪をした、美しい青年が現れた。
『私だ。人間の姿をとってみた。サイズも人間サイズにしてみたぞ』
山の主は穏やかな笑みを浮かべた。しかし、そうはいってもやはり「魔の気の強い山」の主である、底知れぬ恐ろしさと迫力が感じられた。
『俺にお願いって、なんだ?』
キースはここで気おされてはならないと、対等の姿勢を心がけた。
――敵意はないようだが、アーデルハイトに危険が及んではならない!
『ふふ。案ずるな。お前やご婦人に危害を与えるつもりはない』
『あ! 俺の考えを読んだな! ずるいぞ!』
『ふふふ。すまない。ご婦人は、お前にとってとても大切な人のようだな』
『……そうだ! 俺にとって、大切な人だ!』
キースは頬を染めながら、きっぱりとそう山の主に伝えた。
『……頼みというのは、他でもない。私の大切な存在に、これを渡して欲しいのだ』
山の主は、美しく輝く緑色の宝石の原石をキースに手渡した。
『あなたの、大切な存在……?』
『人間でいうと、大切な人、だ』
『あなたの、大切な人――』
『私の北側の隣の、山の主だ』
『ええっ! そうなの!?』
『彼女とは……。北の山の主とは、満月の夜に語り合っている。そして一年に一度の特別な満月の夜は、互いに会うことも出来る』
『そうなんだ……』
『会うことは出来るのだが、お互い短い時間山を離れるのが精いっぱい、物を持ち歩くことまで出来ない』
『渡すことが出来ないでいたんだ……』
『ずっと、彼女にこれをプレゼントしたいと思っていた。これがあれば、会えない間も彼女はきっと寂しくないだろう』
『そっか……』
『頼まれてくれるか……?』
『もちろん!』
キースは大きくうなづいた。
『そうか! ありがとう! お前に会えて、本当によかった……!』
『お安い御用だよ! 次に彼女に会えるのが楽しみだね!』
『ああ! ありがとう! お前たちも、幸せにな……!』
『俺は、あなたがたのようにお互い想い合ってはいないけど……』
山の主は思った。
鈍感め。
しかし、あえて黙っていることにした。
『では、頼んだぞ……!』
『山の主さん、お元気で!』
山の主は、嬉しそうに笑うと消えていった。
「なあ。みんな。ここの北側に面した山に立ち寄ってもいいか?」
「え? もちろんいいけど、どうして?」
皆、不思議そうな顔をした。
「大切なお使い、頼まれちゃった!」
一同、北の山に降り立った。
「ん? でもどうやって渡せばいいんだ?」
キースは少し考えた。
――あ! そうだ! さっきのように、山に深く意識を合わせればいいんだ!
キースは目を閉じ集中し、意識を深いところに合わせてから、山に語りかけた。
『山の主さん。隣の山の主さんからプレゼントを預かりましたよー! 渡したいので出てきてください!』
目の前に、若く美しい薄紫の髪の女性が現れた。
「わっ!」
なにも説明を受けていないキース以外の一同は驚く。
『これ、隣の山の主さんからです。これがあれば、会えないときもあなたは寂しくないだろうって言ってました。これを隣の山の主さんだと思って、大切になさってください』
『まあ……! ありがとう……!』
北の山の主は、目に涙を浮かべて喜んだ。
『それじゃ、俺たちは失礼します。どうか、お元気でお過ごしください! 隣の山の主さんと末永くお幸せに……!』
『人の子よ……! 本当に、ありがとう……!』
「そいじゃ、さよならっ!」
キースは元気に手を振った。
「えええっ!? なんのことかさっぱりわかんないんだけど!?」
皆口々に叫ぶ。北の山の主は、喜びの涙で頬を濡らし手を振りながら消えていった。
「任務完了! じゃあ、みんな、出発しますか!」
「なになになにーっ!? 説明してよ! キース!」
「後で話すよ! 愛って、いいねえ!」
ぽかあん。
一同、顔を見合わす。
「俺は、愛のキューピッドなのだ!」
キースは胸を張った。
「あ、愛のキューピッド……? キースが……?」
カイ、ミハイル、宗徳、ユリエは思った。
キースが愛のキューピッドって!? それはそれでいいけど……。
それより自分のほう、なんとかしなさい!
周りの苦労は絶えそうもない。




