フワフワッ!
一番星が空にまたたくころ、一行は町に降り立った。
「えっ! 満室ですか……!」
どの宿も、すでに予約でいっぱいだった。
「今日は野宿でいいよ」
アーデルハイトが提案した。
「だめだ! アーデルハイト! 病み上がりなんだから、せめて今日明日くらいはちゃんとした宿で休まないと……!」
キースが真剣な顔でアーデルハイトに話す。
「キース……」
アーデルハイトは、自分の体調を気にかけてくれるキースに対し、嬉しいような申し訳ないような気持ちになっていた。
「……私は、大丈夫よ?」
「だーめ! 却下!」
「却下って……」
「妥協してはだめだ! アーデルハイト! 目指せ! ふかふかの布団! 我々は、ふかふかの布団で眠るのだ!」
キースが意味不明に拳を掲げた。
「目指せ! ふかふかの布団―!」
妖精のユリエがキースの言葉を繰り返し、小さな拳を掲げた。
「行くぞ! 我らは誇り高き『ふかふかの布団団』―っ! 安眠を守るため、妥協は一切しないのだーっ!」
「おーっ! 我らは誉れ高き『ふかふかの布団団』―っ!」
キースとユリエは、わけのわからないテンションで叫ぶ。
「……『ふかふかの布団団』……。俺たちは『チーム昼飯』じゃなかったのか……」
宗徳が呟く。
「今、彼の中のブームは『ふかふかの布団』みたいですよ」
ミハイルが微笑む。
「見つかるといいですね。『ふわふわの布団』」
カイが、目の前にちょうどあった布団屋さんの看板を見つめながら呟いた。看板に大きな字で「ふわふわ」と書いてあった。
「……違うよ。カイ。『ふわふわ』じゃなく『ふかふか』だよ。それに、私たちが探しているのは『ふかふかの布団』じゃなくて『普通の宿屋』だよ」
アーデルハイトが念のため丁寧なツッコミを入れておいてあげた。「ふわふわ」と「ふかふか」の違いはどうでもいいのだけど。
「……旅の方々。お困りのようですね」
後ろのほうから、誰かが声をかける。一同、声のするほうを振り返る。
「もしよろしければ、うちの宿に泊まりませんか?」
身なりのきちっとした年配の紳士だった。
「えっ!? 布団は『ふかふか』ですか!?」
思わずキースが食い付いた。
「はい。ふわふわですよ」
「ふかふかじゃないんですか!?」
思わずユリエも食い付いた。
「ふわふわです」
「フワフワッ!」
歌の掛け声のようにユリエが叫ぶ。
「『ふわふわ』でも『ふかふか』でも一緒じゃないっ!」
思わずアーデルハイトがツッコむ。
「どうして……。宿屋の方が今頃町中を……?」
まるで、お客さんの呼び込みみたいだ、ミハイルはそう不思議に思い、年配の紳士に尋ねた。
「……実は最近、キャンセルのお客様が多くて、あなたがたのような宿をお探しの旅人さんを見かけたら声をかけるようにしているんです……。うちはちょっと、特殊な宿なもので……。ところで、あなた様は、その服装からお察ししますと、僧職の方でいらっしゃいますか?」
年配の紳士は、宿屋の主人だった。宿屋の主人は、逆にミハイルに尋ねた。
「いえ。僕は退魔士です」
「退魔士でいらっしゃいましたか……!」
宿屋の主人は少し戸惑った。
「あの……。僕が退魔士であるとなにか……?」
「いえ……」
そう言って、宿屋の主人は少し考え込んだ。でも、すぐに意を決し話し始めた。
「……先ほど、うちの宿は特殊、と申しましたが……。実は……。うちの宿は、主に魔族のかたがたをお客様としているのです」
「えっ! 魔族……!」
思わず一同驚きの声を上げた。魔族を泊める宿、そんな宿は前代未聞だった。
「魔界に住む魔族は、我々人間を見下していて、関りを持ちたがらないと聞きました。それに、この太陽や地上の気候が合わないので、滅多にこちら側には来ないと……。来るとしても、人間を襲う少数の者、なにか企みのある者か、人間を食べる、いわば魔族の中でもゲテモノ食い扱いされるような変わった連中くらいだけだと聞きましたが……?」
ミハイルが宿屋の主人に尋ねる。
「いえ。魔族も我々同様、いろんなかたがいらっしゃいます。この世界が好きで観光にいらっしゃるかたもいれば、人間が好きで人間と密かに交流を持とうとするかたもいらっしゃいます。それから、魔界にはない魔族にとっては貴重な資源を買いつけにいらっしゃる商人のかたもいらっしゃいます。うちは、そういう友好的な魔族のかたがたをお迎えする宿を代々続けてまいりました」
「そうだったんですか……!」
ミハイルも知らなかった。人間の住む世界に来る魔族自体が少ないので、魔族について詳しくは知られていなかった。
「退魔士のミハイルも知らなかったんだ」
キースが思わず呟く。
「はい。僕が退治するのはほとんどが魔物ですからね。魔物は人間を食べ物と思ってやってきますから、数も多いですし、遭遇する機会も多いです」
「……どうして、急にキャンセルが多くなったんですか?」
アーデルハイトが宿屋の主人に尋ねる。
「実は、魔族のお客様のお話では、数年前から魔界のある一国が、近隣の小国を襲い始め、領土を拡大しつつあるとのことでした。自分の国もいつ争いに巻き込まれるかわからない、そんな不穏な情勢のようで、旅行どころではなくなってしまったのでしょう」
「そんなことが……!」
「そんなわけでして……。まあ、うちの宿は魔族のかたを主に対象としているので、宿の造りも一般のお客様に好まれないような暗い雰囲気で、あまり人間のお客様がいらっしゃらないのです。退魔士のかたに、喜んでいただける宿かどうか、胸を張っておすすめは出来ないのですが……」
宿屋の主人は申し訳なさそうにそう話した。
「いえ! 大丈夫です! よろしければ、僕たちを宿泊させてください! キース、みんなもいいですよね?」
ミハイルが笑顔で皆に確認した。皆も笑顔でうなづいた。
「宿がなくて、本当に困っていたんです。声をかけていただいて、とても助かりました! よろしくお願いします!」
皆、宿屋の主人に一礼した。
「フワフワッ!」
ユリエが掛け声のように言った。なにか気に入ってしまったらしい。
石造りの、暗い雰囲気の不気味な宿だった。ひんやりとした空間のところどころにゆらめくキャンドルの明かりが、幻想的な雰囲気を醸し出す。
「よろしければ、お夕飯も準備できますが……?」
部屋を案内しながら宿屋の主人が尋ねた。
「はいっ! お願いします!」
キース、カイ、ミハイル、宗徳は、案内された黒と紫を基調としたインテリアの部屋で一息つく。ちなみに、アーデルハイトとユリエの部屋も同じような雰囲気である。
「ミハイル」
キースがミハイルに声をかける。
「あの、俺たちを襲ってきた魔の者は、なんだと思う? 魔物なのか?」
「いえ……。あれから僕も考えたのですが……。あの強さ……。魔族なのかもしれません」
「魔族!」
「はい。確かに、魔物でも人の形をとれるものもいます。幻影を操るものもいます。強力な力を持つものもいます。でも……。今まで僕が戦ってきたものと、あれはなにか違う……。もしかしたら、あれが魔族だったのかも……」
「なぜだ!? なぜ魔族のやつがクラウスの配下に!?」
「それは僕にもわかりません。でも、宿屋のご主人がお話しくださったように、魔族にもいろいろな者、いろいろな事情があるのかもしれません」
「あの、魔界の不穏な情勢とやらも関係してるんだろうか――」
「もしかしたらそうかもしれません……。でも、その魔界の強国が、この世界を狙ってくるということは考えにくいです」
「え? どうして? 領土を拡大してるんだろう?」
「やはり、基本的に魔族はこの世界を好んではいないのです。居心地の悪いこちらに攻め入るよりも、住みよい魔界の中で広大な領土を保ったほうがいいはずです。こちらの世界を狙って襲ってくるとしたら、むしろ……」
「むしろ……?」
「国を奪われ、魔界に住む場所を奪われた小国……」
「その強大な国に襲われた小国の連中のほうが、可能性が高いということか」
「まあ……。僕の憶測ですが」
「ふうん……」
キースはベッドに腰掛けた。
「あっ……!」
キースが驚きの声を上げた。
「えっ!? キース! どうしました!?」
「フワフワッ!」
ベッドが、予想以上にふわふわだった。
深夜。そこは、キース達のいる場所よりも北の町。ある宿屋の一室。
フレデリクの息子、ハンスはベッドの中で目を覚ましていた。
また、父さんがいない――。
ハンスは、毎晩深夜になるとフレデリクがベッドにいないことに気が付いていた。
いつからそうだったかはわからない。「知恵の杯」のラーシュを盗んだクラウスを追って旅に出て、しばらくしてから気が付いた。
父さん。深夜にいったいどこに行ってるんだろう。
ハンスも、そっとベッドを抜け出した。
ふと、廊下の窓から中庭を見る。
あっ……! 父さん!
中庭の木々の影に、父の姿を見つけた。
ハンスは、父に気付かれないようそっと中庭に出た。
フレデリクの背中が震えていた
父さん……? もしかして……。泣いているの……?
フレデリクは、人の気配に気付き振り返る。
「ハンス……!」
フレデリクは、泣いていた。月明かりに照らされ、頬が涙で濡れているのがわかる。
「父さん……!」
父のそんな姿を見るのは初めてだった。
「はは……。どうしても……。ラーシュ君のことを思うとねえ……」
ハンスは驚いた。皆の前では、いつも平静で冷たい印象すら受ける父さんが……!
「……ハンス。お前にとって、ラーシュ君は、小さい頃から優しい兄のような存在でしたでしょうが、私にとってもラーシュ君は……」
涙で言葉が詰まる
「……私にとってもラーシュ君は、師であり友であり親のようであり兄のようでもあり、本当にかけがえのない大切な存在……」
「父さん……!」
「本当に……。日が経てば経つほど……。胸が苦しくなる。昼間は平静を装えますが、夜になると、どうしても……。人間って、弱いものですねえ」
「父さん……!」
思わずハンスは父を抱きしめていた。
父さんも、父さんも辛かったんだ……! 父さんも苦しかったんだ……!
「ハンス。すまないね……。君は、先輩であるクラウス君のことを憧れていたから、私より苦しみは倍以上だろうね……」
「そんな、そんなこと……!」
ハンスは首を振った。教え子に裏切られた気持ち、大切なラーシュを奪われた気持ち……。父さんの苦しみも僕と同じだ、そうハンスは思った。
「すまない……。本当に……。でも、私は冷静でいようと思っている。そのときそのとき出来ることを私なりに精一杯やろうと思っている。泣いたところで、ラーシュ君は帰ってこないですからね」
「父さん……」
「大丈夫。明日の朝からは、いつも通りの私ですよ。ハンス。心配かけてすまなかったね」
幼い頃からずっと、ハンスにとって父は謎の存在だった。笑っているときも、怒っているときも、どこか本心からではないような気がしていた。本当の心は、どこにあるのかよくわからなかった。ハンスは子どもの頃一度、母親に尋ねたことがある。
「母さんは、父さんのどこが好きになったの……?」
「さあねえ……?」
母は優しい顔で笑った。
「私は、父さんのすべてが好きよ。いろんな心のすべてが合わさって、父さんなのよ。だから、父さんのここが好きっていう部分はないわ。父さんのことまるごと好きじゃなければ、とても父さんの奥さんは務まらないわ」
ハンスはよくわからず、きょとんとした。
「いやあね! 大人になに言わせるのよ!」
母はそう笑いながら、ハンスの頭を撫でた。逆にハンスのほうが、子どもになにを言ってるんだ、と思った。
「父さん……」
やっと、父の心に触れられた気がした。ハンスは父を強く抱きしめた。
「おやおや。そんなに私のこと心配しなくて大丈夫ですよ」
違う、心配してるんじゃないよ、とハンスは思った。
父さんのこと、まるごと抱きしめたいからこうしてるんだ――。
朝が来たら、また飄々とした父に戻る。また叔父さんに怒られるんだろう。変わり者と人から言われるフレデリク。一方向から光を当てただけではわからない、繊細で複雑な心。
母さんも、ラーシュさんも、父さんをまるごと受け止めていたんだね――。
「……父さんは、変わり者なんかじゃないよ」
「おや。突然なにを言うんです?」
「……あまり無理しないでね」
「急に変なことを言いますね……?」
「父さんは、そのままでいいんだからね」
優しい月明かり。どこからか、虫の声が聞こえる。
「ハンス……?」
ハンスは黙って父を抱きしめ続ける。
「……なんだかこれじゃ、まるでハンスのほうが父親みたいですね……。んん? まさか、ハンス! 私のこと老いて涙もろくなったって思ってるんじゃあないでしょうね!?」
「違うよ! 父さんは若いよ!」
「年寄扱いしないでくださいよ!? 叔父さんとは違うんですから!」
叔父さんは、「リアル年寄」である。フレデリクとハンスはいつの間にか笑っていた。
「もう、休みましょう。明日も早いですから」
「はい……! 父さん……!」
空高く、静かに星がきらめいていた。




