第41話 出発しちゃうのね!
爽やかな朝風、濡れた緑が目にも鮮やかだ。
キースたちは、宿屋を出発することにした。
「本当にお世話になりました。いろいろご心配をお掛けしました。心尽くしのあたたかいご対応、本当にありがとうございました……!」
アーデルハイトは、宿屋の夫婦に深く一礼した。
「いえいえ。なにも大したことは出来なかったけど、あなたがお元気になって本当によかった! どうか道中気を付けてね。無理はだめよ。それから、帰り道でもなんでも、近くに来たときはいつでもうちに寄ってね。泊まらなくともいいのよう! なんかあなたたちは、息子や娘みたいに思えてねえ。出発しちゃうのがなんだか寂しいわあ!」
宿屋の玄関の前でのお見送り、宿屋の奥さんが名残惜しそうにアーデルハイトの両手を取る。
「こらこら。旅人さんを引き留めてはいけないよ。本当に、皆さん体には気を付けてね。どうか、よい旅を続けてくださいね。あなたがたに神様のご加護がありますように! ぜひまた遊びにいらしてください!」
宿屋の主人は奥さんを軽くたしなめ、皆の旅の幸運を祈ってくれた。
「本当に……! ありがとうございました!」
一同、深々とお辞儀をした。
「おかみさんの料理、また食いに来るよーっ!」
キースは振り返り、大きく手を振った。
「美味しいものたくさん作るから、またおいでーっ!」
宿屋の夫婦も、明るく手を振り返してくれた。
「さあ……! 出発だ!」
それぞれ、ペガサス、ドラゴン、翼鹿に乗って空を駆ける。
おかみさんとご主人、俺たちが見えなくなるまで手を振ってくれてる! 本当に、親切であたたかい宿屋さんだったなあ――!
キースも、見えなくなるまで手を振り返した。
次は、どんな出会いが待っているんだろう……?
これが、ただの旅ならいいのに、とキースは思った。ただの、人やできごと、動物や不思議な存在たちとの出会いを純粋に楽しむ旅だったらいいのに、と思う。
ペガサスのルークの背の上、キースの後ろには、カイが乗っている。カイは、人の姿のままだ。宿屋の夫婦に挨拶するために人の姿になっていたため、剣に変わるタイミングを逸していたのだ。
背中に感じるカイのぬくもりで、キースは我に返る。
違う。そんなのん気なことを考えてはいられない。カイの兄さん、ラーシュを一刻も早く助けてあげなければ! カイの気持ちを考えたら、そんな悠長なことを考えている場合ではない……!
それから、キースは、あの幻影のことを思い出す。
あれに、あれを生み出した本体に勝たなければ……! でも、きっと、次はもっと戦えるはずだ!
退魔士のミハイルは、実践で磨かれていく、とも語っていた。
俺は、もっと強くなる……! 無益な戦いは絶対にしないが、俺は、これからもっと強くならねばならない……!
キースの青い瞳は強い光を宿し、青空のはるか彼方を見つめていた。
太陽が真上に昇るころ、眼下に見える森に降り立つ。森の中に、大きな川があった。
「おー! 綺麗な川だねえ!」
日の光を受け、魚の影がキラリと輝いた。魚もたくさんいるようだ。
「魚でも捕って食うか!」
そう言いながら服を脱ぎそうなキースを、慌ててカイが止める。
「あなたはもう! また全裸になる気ですかっ!」
「あ。そうだった」
今回は、カイが人の姿になることが出来たので、無事暴挙を阻止することに成功した。
「……キース。魚を捕るには、釣りという方法もあるのよ」
アーデルハイトが静かに諭す。ただし、顔は真っ赤だった。
「それから、僕らには魔法という手段もあります!」
ミハイルがにっこりと笑っていた。
「捕ったぞ」
そうこう言ってるうちに、川の中から顔を出している岩々を渡り、宗徳が刀で大きな魚を突き刺している。やたら早い、というか速い。
「キエアアアーッ!」
唐突な、叫び声。ドラゴンのオレグだった。
「ど、どうした。オレグ」
驚いてオレグのほうを見ると、オレグはいつの間に魚を捕まえたのか、口いっぱいにくわえており、そしてくわえていた魚をすべて地面に落としていた。叫び声は、魚をたくさん捕らえた喜びからだったのかもしれない。
「すごいな!」
感心している間に、ドラゴンのオレグが地面に並べた魚を、なぜか横から来たドラゴンのゲオルクが、ちゃっかり食べていた。
「あ」
ゲオルク、オレグの捕った魚、食べちゃったよ! とキースは固まる。
「キエアアアアーッ!」
オレグが、また叫ぶ。魚を横取りされた怒りか、と思ったが、
どさっ。
またオレグが魚をくわえ、置く。
「きゅー!」
それをドラゴンのゲオルクが食べる。
「キエアアアアアーッ!」
どさっ。
またドラゴンのオレグが魚を捕まえ、置く。
「きゅー!」
それをドラゴンのゲオルクが食べる。
置く。食べる。置く。食べる。
「……お前ら親子か」
鳥の親が雛に餌を与えてるみたいだ、とキースは思った。
ドラゴンのオレグ的には、ご主人や他の人間たちの食べるぶんと思って捕っている様子なのだが、すべてゲオルクが美味しく召し上がっていた。
釈然としない、とオレグは思いながら、ゲオルクが喜んで美味しそうに食べているので、まあいいか、とそのうち自分も食べ始めた。なんだか少し妙だ、とオレグは首をかしげながら。平和な光景だった。
ペガサスのルークと翼鹿の吉助は、完全に草食なので、完全に平和にその辺の草を黙々と食べていた。黙々と、もぐもぐと食べていた。もぐもぐ。
「私、ユリエちゃんと木の実を探してくるわ」
アーデルハイトと、妖精のユリエが森の奥へ向かう。
「じゃあ、俺らは魚を」
言いかけたキースの言葉を、宗徳がさえぎる。
「キースは、アーデルハイト殿と共に行った方がいい。森の奥は危険が潜んでいるかもしれない」
「そうですね。キース。俺たちも一緒に森の奥へ行きましょう」
カイも、宗徳と同意見だった。
「そうだな。じゃあ、俺とカイもアーデルハイトたちのほうへ行く」
キースとカイは、アーデルハイトとユリエを追い掛けることにした。
「お魚、焼いときますからねー! ちゃあんと塩焼きですよー!」
ミハイルは、「マイ塩」を持っていた。しかもこだわりの逸品である。塩だけではない。カバンの中には砂糖、胡椒など調味料各種取り揃えてあった。
森の奥へと歩くキースの背に、
「塩加減は、僕に任せてください」
ミハイルの自信に満ちた声が届く。遅れて、こやつ、鍋をやったら「鍋奉行」であるな! という宗徳の感想が響いていた。
改めてお礼、ちゃんと言ってないな。
緑の下草を踏みしめながら、アーデルハイトは思う。
あの、例の「未熟者オプション」事件についてである。
背後から、足音。キースだ、と気付く。
「キース」
アーデルハイトは、金の長い髪をなびかせ振り返る。
「あのう……」
今言おう、と思って振り返ったが、いざ面と向かうと言葉が出ない。
「なに?」
キースの屈託のない笑顔。
「あの……」
妖精のユリエは、ふわふわと少し先を飛んでいた。カイも、心なしかキースのあとをゆっくり歩いている。なんとなく、キースとアーデルハイト、二人きりな空間になっていた。もしかしたら、ユリエもカイも、なにかを察しているのかもしれない。
「おとといは……、本当にありがとう」
緑の香りを含んだ風が吹き抜けるほどのわずかな時間のあと、ああ、あのこと……! と明るい声でキースは笑う。
「いやあ! そんな、気にすんなよ! アーデルハイトが元気になって本当によかったよ! うん! ほんとよかった、よかった! 改めて礼を言うことはねーよ! でも……」
「でも……?」
「絶対に無理はするなよ。なにか具合が悪いときは、すぐに言ってくれ。俺たちに言いづらいことは、ユリエに話してみな? 一人で黙っていてはだめだぞ」
「うん……。ありがとう」
アーデルハイトは素直にうなずいた。そして、密かに思う。
よかった……! 私の気持ち、「王子様」の意味、全然キースは気付いてない!
柔らかな草を踏み分け、歩く。きらきらと木漏れ日が躍る。
歩いているうち、またアーデルハイトは考える。
キース。気にすんなって……。キースは、全然気にしてないのかな……?
ほっとする反面、心の中もやもやとするものが広がってきた。
もしかして……。キースは、なんとも思ってないの……?
鋭く、鳥の声が響いた。なんでもない、鳥の声。でも、なぜか、ほんの少し胸の奥が痛んだ。
一歩ごとに、思考が流れていく。
私、キース、カイ、ユリエちゃん、宗徳さん、ミハイルさん――。
一人で始めた旅だったはずが、いつの間にかにぎやかになった。
もしかして――。キースとあんなに距離が近くなる瞬間は、あまりないんじゃ――。
皆でする旅が、嫌なわけではなかった。むしろ、心強く楽しい。でも――。
あんなチャンス、もうないのでは――。
クラウスを止めるための旅。それなのに、自分の気持ちばかり考える自分は、恥ずかしく情けないと思う。
だけど――!
胸が苦しかった。
なぜか、アーデルハイト、黙ってるな。
あまり人が通らない草の伸びた道、キースはアーデルハイトの斜めうしろを歩き続けていた。
怒ってる……、わけじゃないよな?
もしかして、一人で黙っていてはだめだ、という言葉が高圧的に感じられたのでは、とキースは推測してみる。
一人で黙っていては、だめだ、か。今は、ユリエ、アーデルハイト、俺、カイで黙っているな。
四にんで黙っている、そう思うとなにか変な感じがした。
四にんは、いいのか?
一人で黙っていてはだめ、四にんで黙ってるのはいい、キースの中で見当はずれの疑問がわいた。
宗徳やミハイルが加わり、さらに黙るやつ。これはどうだ……?
集団による沈黙の是非、などとさらにあさっての方向のテーマをキースが心の中で追求し始めたとき、奇妙な光景が飛び込んできた。
「わあ、なんじゃこりゃ!」
目の前に、一本のド派手な木があったのだ。
木でド派手、というのも奇妙だが、実際どう見繕ってもド派手だった。
「なんだ!? この木! 一本の木に、赤い実と青い実がなってる!」
その木は、細い幹で細い枝なのに、大きな赤い実と青い実がたわわに実っていた。その木の細さと実の大きさのバランス、そして、赤色の実と青色の実の対照的な色彩のため、派手な印象に見えた。
「こんな木、初めて見たあ!」
森や自然に詳しそうな妖精のユリエさえも、珍しさに驚き叫んでいた。
「いやあ! こんにちは! 僕はこの木の精だよ!」
いきなり、ド派手な見た目の青年が現れた。この木の精霊らしいが、人間の青年の姿をしていた。長い紫色の髪で、赤いシャツに青いズボンという強烈な服装をしている。瞳の色も右が赤で左が青、まるで木の実と同じ配色だった。
「気のせい?」
なんとなく、キースは気のせいにしたかった。
「ノンノンノン! 僕は木の精!」
「……木の精さん、実を採らないで欲しいからわざわざ出てきたのか? 安心してくれ。俺たちはその実は採らない」
まずそうだから、とキースは心の中で呟く。
「違うよ! その逆だよ! 僕は、実を採って欲しいんだよ!」
木の精は両手を大きく振りながら叫んだ。言動も、派手だった。
「実を採って欲しい……? どういうことだ?」
キースもアーデルハイトもカイもユリエも、思わず首をかしげる。
「僕は、ジュドー」
「ジュドー?」
「『受動の木』、と呼ばれているよ」
いったい、どういうことだろう、一同顔を見合わせる。
「僕は、実が熟したら旅立てるんだ」
「旅立つ?」
「実が熟し、熟した赤い実を誰かに多く採ってもらうと、東に。青い実を多く採ってもらうと西に。半々採ってもらえると南に飛んでいけるんだ。誰にも採ってもらえないと、制限時間を過ぎた瞬間、北に飛ばされてしまう」
「飛ぶ!?」
「うん。空を飛んで、新しい環境に移り住むのさ。そして新天地で新たに生まれ変わるんだ」
「へえええ! 変わってるねえ! ジュドー!」
「行き先は、誰かに決めてもらう、もしくは運任せ。だから僕は『受動』って言われるんだ」
「どこか、行きたい方角はあるのか?」
「ないよ。どこでもいい。好きな実を採ってね。まあ、採らないってパターンもアリだけど。でも、せっかくなら美味しく食べて欲しいな。せっかく実ってるんだから。飛び立った後は、残った実を僕自身が栄養とするから、誰にもあげられなくなっちゃうんだ」
「えー……。どうしよう。どっちの実を採ったらジュドーは嬉しいんだ?」
「任せるよ」
「受動だなあ」
「ちなみに、赤と青、二種類の実は味が違うんだ」
「えっ!? どんな味?」
「僕もどっちがどっちかはわからない。でも、片方はコーンポタージュ味、片方は明太子味だよ」
「奇抜だなあ!」
「どっちが食べたい? 半々でもいいよ」
一同、顔を見合わせた。
「ジュドー。ちょっと作戦会議を開かせてくれ」
「うん! 待ってる! 早く決めてね!」
キースとアーデルハイトとユリエは話し合った。カイは、食べないので傍観することにした。
「ミハイルと宗徳はどっちが喜ぶと思う? ああ、でもどっちがどっちの味かわからないのか」
キースが、うーんと悩む。
「どっちも食べられるように、半々がいいんじゃない?」
アーデルハイトが提案する。
「私、両方食べたーい!」
ユリエが笑顔で叫ぶ。
「そうだな! 半々でいこう!」
キースがうなずく。
「ジュドー。決まったよ。半々もらうよ。あんたは、南に旅立つことになるけど、本当にそれでいい……?」
ぼこっ!
キースがジュドーのほうを見ると、大きな音をたてて木が地面から持ち上がった。みるみるうちに、木の根が引っこ抜かれたようにむき出しになり、木は天に向かって上昇を始めた。
「ごめーん! いつの間にか、制限時間が来ちゃったみたい! 思ったより、早かったーっ! 僕、北へ向かっちゃうみたいーっ!」
「ええーっ! ジュドー! 行っちゃうのかーっ!」
「さよーならー! 皆さん、お元気でーっ!」
あっという間に、木は北の方角へ飛んで行った。後に残されたのは、大きな穴。
「……一個も、食べられんかった……」
呆然とする一同。
「コーンポタージュ味も、明太子味も、食べてみたかったな……」
キースは少しがっかりしていた。
「北って、言ってましたね。俺たちも北へ向かうから、またどこかで会えるかもしれませんよ」
「でも、たとえまた会えたとしても、もう実はもらえないんだな……。チャンスは一度逃してしまうと、それきりなんだな……」
コーンポタージュ味、明太子味……、と残念そうにキースが呟いた。
チャンスは一度逃すとそれきり……、キースの言葉がアーデルハイトの揺れる心に突き刺さる。
あの、キースとの急接近のチャンスも、一度きり……?
そんなことを考えたとたん、アーデルハイトはつい、声を張り上げてしまった。
「違うよ! キース! チャンスは一度だけってことはないと思う!」
「ん? なんでそう思うんだ?」
「えっ……! ああ! ええと、たぶん、だけどね! 私はそう思ってる!」
慌てて、ごまかす。
「……まー、しょーがないか。ジュドーが新天地で幸せであることを祈ろう! それから、俺たちは気を取り直して他の食えそうなもんを探そー!」
「そうですね。森にはいろんな植物がありますからね」
カイがそう言って歩き出した、その目の前に――。
「こんにちは! 皆さん! 僕はジュドー!」
たわわに赤と青の実をつけた、ジュドーの木がもう一本あった。
この森は、「受動の木」の群生地だった。
「ちなみに、この木の実の味は二種類あって、抹茶小豆味とバーベキュー味なんだよ!」
抹茶小豆味とバーベキュー味……!
また新たな選択に迫られていた。人生は選択の連続であり、選択しないのもまた選択の一つであり、選択できなかったことさえも運に任せた選択の一つと言えるのかもしれない。
やっぱり、チャンスは一度じゃなかった……! チャンスが過ぎたあとには、新しいチャンスが来るものなんだ……!
アーデルハイトの心の中、陽の光が差したよう。思わず笑みがこぼれる。
「アーデルハイト……?」
キースとカイとユリエは、ちょっと首をかしげつつ、
「めっちゃ喜んでる。アーデルハイトは『抹茶小豆味とバーベキュー味』のほうが好きなのかあ」
などと述べ、勝手に納得していた。
人生は、誤解の連続でもある。




