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旅男!  作者: 吉岡果音
第六章 未来へと続く過去
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青の心

 クラウスは、青い杯を見つめていた。


「長年、夢見ていた『青い杯』、それが現実にわが手中にある――」


 青い杯はただ静かに日の光を受け、柔らかな輝きをその身に宿す。


「遠いあの日、初めて見たそのときから、ずっと欲しいと思っていた――」


 クラウスは、まだ子どもだったあの日を思い出した。




「明日、息子のハンスの誕生日なんですよねえ」


 どんな話の流れで、フレデリク先生が授業中にそんな一言をもらしたのか、クラウスも覚えていない。

 フレデリク先生が、プライベートに関わることを生徒の前で話したのは初めてだった。

 生徒たちは皆、自分たちより二学年下に、フレデリクの息子のハンスがいたことを知っていたが、先生自らハンスの話をしたのは初めてだった。


「せんせーっ! それじゃ明日、皆でお祝いに行くよーっ!」


 明日はちょうど休日だった。クラスのお調子者の一人が手を上げて叫んだ。


「ちょっと! 明日はハンス君のお友達が大勢遊びに行くんじゃないの? だめよ! そんなこと言っても!」


 隣に座る真面目な女の子が、お調子者の少年を手でつつきながらたしなめる。

 とはいえ、皆フレデリク先生のプライベートや家庭には内心興味があった。子どもの目から見ても、フレデリク先生が他の大人とは違う、一風変わった人物であることは充分感じられた。いったい、どんな家に住み、先生の奥さんはどんな人で、先生は家ではどんなふうに振舞っているのか、そしてハンス君はどんな少年なのか、皆おおいに関心を持ったようだ。


「……別に、いいと思いますよ? 彼も、上級生の子たちが遊びに来たら喜ぶと思いますがねえ」


 わっ! とクラス中が湧いた。皆、珍しくて楽しそうなことはいつでも大歓迎なのである。しかも、クラス全員とまではいかないだろうけど、男女問わずクラスの皆が校外で集まるということは、非常にわくわくするイベントである。


「ただし、他のクラスの子たちには内緒ですよ。あまりにも大人数ですと、さすがに私の奥様に怒られてしまいますからねえ」


「はーい!」


 フレデリクは担任のクラスを持っていない。だから、これは本当に異例で特別なことだった。


「ああ。それから、プレゼントは禁止です」


「ええっ!?」


 クラス中がどよめく。誕生日といえばプレゼント。子どもたちにとって誕生日にプレゼントをもらうこと、あげることは重要事項である。


「私が教師であるということで、ハンスが皆さんからプレゼントをもらうと、あとあと問題が発生しそうですからね。皆さんはいいとしても、おそらく保護者の方々からいろんなご指摘があるでしょう。私は、面倒くさい大人の問題は嫌いです」


 プレゼント禁止の理由は、あとで保護者からどうこう言われるのが面倒くさい、ただただ、その一点だった。そして、そのことをはっきりと、まだ子供である生徒たちに話してしまうあたり、先生が他の大人と変わっていることのひとつのあらわれだった。


「その代わり、家に来てくださる皆さんにひとつお願いがあります」


 なんだろう、またクラスがざわつく。


「ハンスのために、ひとつだけ魔法の披露を願います」


「えっ!?」


「プレゼントの代わりに、皆さんが一番好きな魔法、得意とする魔法をおのおのひとつだけ、ハンスのために披露してやってください。これは、授業や成績とは無関係です。ハンスは、上級生である皆さんの素晴らしい技を見たら、とても喜ぶと思います。ハンスだけではなく、ハンスを祝いに当日来てくれるハンスのお友だちにも、大変いい勉強になると思います」


 えーっ、とクラス中から声が上がる。


「ハンスのためによろしくお願いします。でも、皆さん、どうか自由に楽しんでください」


「自由に楽しむ……?」


 ざわざわざわ。


 生徒たちは、それぞれ自分の前後や隣の席の子たちと顔を見合わせる。


「……楽しいのが一番です!」


 フレデリク先生はにっこりと微笑んだ。

 最初、皆は「魔法の披露」と聞いて授業の一環と思い顔をしかめたが、自由に楽しむという言葉を聞き、本当に授業や成績とは関係ないんだ、とわかり、じょじょに戸惑いはわくわくする気持ちに取って代わっていった。嫌だなあ、のざわめきが、面白いかも、のざわめきに変化していた。


「うちの奥さんは、料理上手ですからね」


 このフレデリク先生の最後のダメ押しの一言で、皆の心は一気に参加の方向へ傾いた。


「クラウスも行くんでしょ?」


 アーデルハイトが、エメラルドグリーンの瞳を輝かせた。


「うん。行こうかと思う」


 クラウスは、クラスの皆で集まるということには関心がなかったが、魔法使いとしてのフレデリク先生、そして先生の家にある魔法書や魔法道具に興味があった。


「やったあ! 一緒に行こっ!」


 アーデルハイトが満面の笑顔になった。クラウスと一緒という嬉しさで、頬がばら色に染まる。


「約束だよっ! クラウス! 一緒に行こうね!」


「うん」


 クラウスは、うなづいた。

 クラウスは、たとえたった一人でも、行くつもりだった。




 当日都合のつかない一部の生徒を除いて、ほぼ全員がフレデリク先生の家に集まった。


「わあ……! こんなにたくさん来てくれたんだ……!」


 家にお祝いに来てくれた友だちや、上級生たちを見てハンスは満面の笑顔になった。友だちは、純粋にハンス少年の友だちなので、それぞれ手にプレゼントや花束やお菓子を持参している。


「本当にありがとうございます!」


 ハンスは、ぺこんとお辞儀をした。


「皆さん、ようこそいらっしゃいました。さあ、遠慮なく召し上がってくださいね」


 フレデリク先生の奥さんが微笑む。笑顔の似合う優しそうな女性だった。 

 大きな庭にはテーブルが並べられ、その上には所狭しと料理が並ぶ。


「わーい! 美味しそー!」


 先生の奥さんのあたたかい手料理を皆で食べながら、順番に披露される魔法を楽しんだ。魔法と言っても、子どもたちの行う魔法である、魔法というより、まるで頑張って練習した素人の手品のようだった。中には失敗してしまう子もいたが、それもまたご愛敬、皆、あたたかい拍手で応えてあげた。

 下級生であるハンスもハンスの友だちも、先輩たちの一生懸命繰り出す魔法に瞳を輝かせた。


 クラウスの番になった。

 

 フレデリク先生の眼鏡の奥、ブラウンの瞳が、鋭い光を宿す。


「お父さん……?」


 急に父親が真剣な表情になったことを、ハンスは敏感に感じ取った。


「……ハンス。よく見ておきなさい。彼は……、特別な子です」


 フレデリクが低くささやく。


「特別……?」


「世の中には、生まれながらに人とは違うなにかを持っている、そういう人間もいるのです」


「…………」


 ハンスは、庭に設置された壇上に立つ、美しいアイスブルーの瞳を持つ少年――、クラウスを、その声、その手の動き、そして動かす空気、彼の醸し出すすべてを、まるで全身で感じ取ろうとするかのように見つめた。


「……ハンス君。お誕生日おめでとう。僕の今一番好きな魔法、火の魔法のひとつを披露します」


 クラウスは、深く息を吸い込み、そして――、


「青き炎、美しき姿を持ち我の前へと現れよ!」


 呪文を叫んだ。


 ゴウッ!


 空中に、巨大な青い炎が現れた。

 炎はぐるぐると渦を巻く。炎は勢いよく燃え上がりながら、美しいバラの花のような形となった。


「すごい……!」


 ごうごうと、揺れ動く巨大な青い炎のバラ。圧倒的な迫力、美しさだった。


「こんな綺麗な魔法、見たことない……!」


 ハンスをはじめ、一同息をのんだ。


「おめでとう。ハンス君」


 クラウスは、一礼した。


 わっ、と歓声が沸き起こり、一同思わず立ち上がる。そして、盛大な拍手。


「これは……」


 興奮に頬を染め、大きな拍手を送るハンスの隣で、フレデリクは小さく呟く。


「とんでもない才能……、怪物……、ですね」


 フレデリクは、観衆の称賛を受け光輝くように見えるクラウスの姿を見つめる。


「……私が彼に教えることは、なにもないのかもしれませんね」


 これが、不幸な誤りであった。

 フレデリクは気付かない。こんなたぐいまれな才能を持つ人間こそ、よき指導者、正しい師が必要なのだ。

 フレデリクは、魔法使いとしても教師としても、自分にはもともと才がないと思い込み、無意識に自分で限界の枠を設けていた。


「なんで教師をやっているかって? 食べていくため、家族を養うためですよ。なんで魔法使いかって? そういう家柄に生まれたからですよ」


 フレデリクは自分に対し、自嘲気味にそっと呟いた。

 フレデリクは気付かない。そして見つめようともしない。だから、気付かない。

 大切なもの。それは、才能や家柄などより、心だということを――。

 たとえ、フレデリクや担任の教師、他の教師たちが今後、クラウスの指導に熱心に関わっていったとしても、彼の闇の要素は消し去れなかったかもしれない。しかし、なにかを変えることはできただろう。もしかしたら、運命の歯車を、変えることさえできたかもしれない――。

 運命の輪は、そのままゆっくりと回り続ける。




「なあ! ちょっと探検しようぜ!」


 クラスのお調子者の男の子がいたずらっぽく笑った。

 フレデリク先生の屋敷は、広大だった。

 他の皆は、ハンスを囲んで食事を楽しみながら話に花を咲かせていた。

 探検するなら、今がチャンスだった。


「いいね。探検、してみよう」


 クラウスが笑った。他の男の子数人も笑顔でうなづく。


「珍しいな。クラウスは真面目人間かと思ったのに!」


「クラウス、アーデルハイトに見つかったら怒られるぞ」


 男の子たちはクラウスをからかう。


「僕も、先生の秘密を見てみたい」


 クラウスは、フレデリク先生の家に着いてからずっと、実はなにかを感じていた。クラウスだけ、密かに感じていた。


 なにか、この屋敷には強い力を放つなにかがある――!


 トイレを借りるふりをして、屋敷の中を見て回る。いろいろな部屋の扉をこっそり開けて入ってみる。


「泥棒じゃないもん。見るだけだもん。いいよね」


 いいわけがない。子どもたちはさすがに良心がとがめるのか、自分で自分に言い訳をしながら歩く。

 いつの間にか、クラウスがいなくなっていたが、誰もそれには気付かない。


「先生の家って、金持ちだなあ!」


「俺も将来先生になろうっと!」


 子どもたちは、教師だからではなく、家柄のために金持ち、という点には残念ながら気付かなかった。


「あれっ? クラウスは?」


「戻ったんじゃない? やっぱアーデルハイト、怒ると怖いからなあ!」


 無邪気に子どもたちは笑った。




 クラウスはまっすぐ廊下を進む。強い力を感じる方へ、導かれるようにまっすぐ歩く。

 一つの扉の前へ出た。


「この中だ――!」


 扉には鍵がかかっていた。


「お前は、誰だ」


 扉が声を出した。


「……魔法の扉か。なるほど」


 クラウスはさほど驚きもしない。


「小僧。去るがよい」


「よほど大切な物があるんだな」


「小僧。お前には私を開けることは――」


 クラウスが手をかざす。


「我は命ずる! 扉よ! 開け!」


 クラウスは強く念じた。美しく整った顔が醜く歪み、輝く長い金髪が逆立った。


「……小僧! 貴様……!」


 ガチャ。


 扉が開いた。扉は、扉に意識があればの話だが――、気を失ったらしい。


「いったい、なにがあるのだろう――」


 クラウスが部屋の中へ入る。強い力を感じるほうへ歩く。すぐ近くに感じる。場所は手に取るようにわかった。迷うことも辺りをひっくり返して探す必要もなかった。


「ここか――!」


 装飾が美しい戸棚の扉を開ける。


「青い――、杯――!」


 青い杯に、意識があるのがクラウスにはすぐにわかった。あの扉のような、魔法仕掛けのものではない、生物のような、まるで人間のようなしっかりとした意識、自我が、この青い杯にはある――!


「すごい……!」


 クラウスは、思わず触ろうとした。


『……少年よ。帰りなさい』


 青い杯が、クラウスの心に語りかけた。その声は、クラウスにはわかった。


『ここは、あなたの来るところではない』


「……青い杯よ。あなたは、何者なのです?」


『帰りなさい』


「あなたは、凡人の先生などより、僕にこそふさわしい――」


『少年よ。あなたはなにもわかっていない』


「……僕の名は、クラウス」


『クラウス。もうここへ来てはいけない』


「青い杯。あなたの名は……?」


 そこで、クラウスの意識がいったん途絶えた。


 あれ……?


 全身に感じるあたたかな日差し。


 ここは……? 外……?

 

 気が付くと、クラウスは庭に戻っていた。


「あっ! クラウス! どこに行ってたの? 探したのよ!」


 アーデルハイトだった。


「…………」


 クラウスは気付いた。あの青い杯の力で、自分は飛ばされたのだ。


「強い力……、だな……」


 クラウスは心の中で誓った。


 いつか、僕はもっと強い力を持つ! そして、あの青い杯を僕が手にするんだ――!




 青い杯――、ラーシュは、フレデリクにクラウスが来たことを告げた。


「先ほど、一人の少年が来ました。名前は、クラウスです」


 ラーシュは、少しくせ毛の青い色の髪の、美しい青年だった。カイより疲労は少なく、常にではないが人間の姿になることが出来た。


「そうでしたか。彼が……。意外ですねえ」


「……彼には、気を付けた方がいいと思います」


「成績優秀で、いい子ですよ? 他のいたずらっ子たちの誘いに、なんとなく乗ってしまって冒険してみたのでしょう」


「フレデリクさん。彼に対し、しっかりと注意深い教育をすべきです」


「男の子ですからねえ。こんな広い屋敷、探検したくなる気持ちはわかります。そんなに心配することはないと思いますよ」


「彼は、特別な子です」


「……なんだか、うらやましいですねえ」


 天才か。自分も、偉大な魔法使いアントンの家系の名に恥じない、豊かな才能があったら、どんなに周りが喜んだことか――。


「フレデリクさん……!」


「大丈夫です。この件に関しては、明日しっかりと彼に注意しておきます」


「……フレデリクさん……。私は、フレデリクさんに仕えることができて、心から嬉しいと思っているんですよ」


「……ラーシュ君。なんだか気を遣わせてしまってすみませんねえ」


「いや、気遣いなどではなく、本当に――」


「私はこれからも全力でラーシュ君を守っていきますからね。私も、ラーシュ君が大好きですから」


 フレデリクは、優しく微笑んでラーシュの柔らかな髪をそっとなでた。

 ラーシュは思う。どうしたら、フレデリクは自分で自分のことをもっと認め、愛することができるのだろう。いつも、フレデリクは自分自身を諦めている、そしてそれはフレデリクの子どもの頃からずっとそう――、ラーシュにはそう見えていた。


「『知恵の杯』と言いながら、心に関しては案外無力なものですね――」

 

「それはそうでしょう。心はその人自身のもの、他人が思い通り変えられるものではないですから――。知識があっても教育できることなんてほんのわずかです。変わり者と呼ばれる私が教師なんて、本当はおこがましいことです」


「フレデリクさん。あなたは立派な教師ですよ」


「そう言ってくれるのは、ラーシュ君、あなたくらいですよ」


 ラーシュの言葉は、心からのものだった。

 しかし、クラウス少年に関し、ラーシュは不安と危機感を覚えていた。

 そしてその不安は将来的中することとなる――。




 クラウスの手の中で、静かに輝く青い杯。ラーシュ。


「ラーシュ。少しは僕に愛想をよくしてくれてもいいんじゃないのか?」


 青い杯は、固く心を閉ざしていた。


『心はその人自身のもの』


 ラーシュは深く眠るような意識の底で、愛する主人、フレデリクの穏やかな声だけを、ただしっかりと抱きしめていた。


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