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旅男!  作者: 吉岡果音
第六章 未来へと続く過去
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第37話 未熟者オプション、フライングキス

 これは妖精のユリエが、キースの曽祖父のエースに出会うだいぶ前、ユリエが小さな子どもだったころのこと。静かな緑深い森にて。


「ユリエ。わしが、『シダ植物妖精』に伝わる、スペシャルな回復の魔法を掛けようぞ」


 白く長いひげをはやした、シダ植物妖精の長老が、熱を出して寝込んでいる幼いユリエの枕元に立ち、そう告げた。


「……長老様!」


 ちなみに、長老がユリエの枕元に立ったのは、長老が死霊になったからではない。長老は、白い衣服を身にまとい、まったくもってそれらしい雰囲気は醸し出していたが。

 普通に生きている長老が、普通に寝込むユリエを治療するために来てくれたのだ。


「長老様。スペシャルな回復の魔法って……?」


「ユリエ。高熱など、たちどころに治るぞ!」


 かたわらで、ユリエの両親が固唾をのんで見守る。静まり返った小さな部屋――そこは、葉っぱや木の枝で編んだ小さな家だった――の中、長老が、ユリエに手をかざした。そして長老は、低い声でおごそかに呪文を唱え始めた――。


「ゲンキイッパイ、アバレンボウノネコナミニーッ!」


 ん?


 ユリエとその両親の間に、ちょっとした変な空気が流れる。あまりにも、ヘンテコな呪文。


 元気いっぱい、暴れん坊の猫並みに……?


 パアアッ!


 辺りが、まばゆい光に包まれた。


「……どうじゃ? ユリエ」


 光が消えたあと、ユリエの瞳には笑顔の長老が映っていた。


「あっ……! なんか、体が楽かも……?」


 頭の中がすっきりし、体のだるさ、気持ち悪さが消えていた。


「それはよかった!」


 ユリエの顔色がすっかりよくなったのを見て、長老は安堵したようだ。両親の口からも、歓喜と安堵のため息が漏れる。


「ありがとうございます! 長老様! 私、暴れん坊の猫並みに、元気になりました!」


 ユリエは、通常猫よりそれ以上の、元気コンディションになった。


「この魔法は、即効性があるんじゃ。スペシャルだろー?」


「はい! 超スペシャルでした! スペクタクルです!」

 

 ユリエが、はつらつとした声で答える。


「……ただ、この魔法には欠点があってのう」


 長老は、なにか意味深に声を潜めた。


「欠点……?」


「未熟な術者が掛けると、時折、魔法を掛けられた者が、本当に猫みたいになってしまうんじゃ」


 予想外でちょっと意味がわからない、長老の答え。


「猫みたいに……?」


 ユリエも両親も、首をかしげる。長老の魔法は完璧で、特に猫みたいにはなっていないようだった。

 長老は、真剣な面持ちで告げる。


「未熟な術では、術を受けた者の身に、猫の耳と尻尾がついてしまう場合があるんじゃ」


「ええっ! かわいい!」


 猫耳に、猫尻尾。王道のかわいらしさだ、とユリエは思った。


「そ、そのかわいらしさ、なにかよくないことでもあるんですか……?」


 おそるおそる尋ねる。かわいいなら別にいいのでは、そんな思いが幼いユリエにはあった。


「かわいいけど、すでにわしらの背には虫の羽がついておる」


「はい。ついております」


 妖精のユリエたちの背には、虫の羽がついていた。


「虫の羽。そのうえ、猫耳と尻尾では、ちょっとばかり、くどすぎるだろう?」


「うん! それは、くどいねえ!」


 あはははははは!


 長老とユリエ、それからユリエの両親は、弾けるような笑い声を上げた。

 その魔法の問題点は、失敗したときのビジュアル面のくどさだけだった。




「うーん」


 今、ユリエは、寝込むアーデルハイトを前に悩んでいた。


 寝込んでいるときには、あの「猫の魔法」が効くんだけどなあー。


 あれはあくまで「スペシャルな回復の魔法」であって、「猫の魔法」ではない。


 でも、長老は、未熟な者がかけると、猫耳と猫尻尾のオプションが付く場合があると言っていた――。


 ユリエは、アーデルハイトに回復の魔法を掛けてあげるかどうか、悩んだ。


 お医者様からお薬ももらったし、今はだいぶ回復してるみたいだし――。


 ユリエは、そっとアーデルハイトの額の汗を拭いてあげた。


「ん……。ユリエちゃん……?」


 アーデルハイトが目を覚ます。


「アーデルハイト……。大丈夫……?」


「うん……。ありがとう。ユリエちゃん。本当にだいぶ楽になったよ」


 ベッドに横になったまま、アーデルハイトが答えた。


「アーデルハイト……」


「なあに? ユリエちゃん」


「実は、とってもいい回復の魔法があるんだけど……」


「え……。でも、大丈夫よ」


 アーデルハイトは優しく微笑んだ。


「術を使ったら、ユリエちゃんが疲れちゃうでしょ?」


「そんなことないよ!」


「もう微熱になってるだろうし」


「うーん」

 

 ユリエは少し考え込んでいた。でも心の中でなにかを決めたように顔を上げた。


 そうだね! 回復の魔法はいらないね! 私、失敗するかもだし!


 ユリエは、アーデルハイトに向かって明るく両手を振りながら、


「そうだよね! お薬も飲んでるし、すぐに治るよね! ゲンキイッパイ、アバレンボウノネコナミニーッ、なんて呪文、唱えるまでもないよね!」


 と、言ってしまっていた。


「あ」


 短く呟くアーデルハイト。


「あ」


 短く呟くユリエ。


 思わず、言っちゃった……!


 ぱああああっ!


 アーデルハイトは輝く光に包まれた。


「アーデルハイトッ!」


 ユリエは、自身の大きな目をさらに大きく広げてしまっていた。

 アーデルハイトの頭には、しっかりと猫の耳、お尻には猫の尻尾まではえていたのだ。


「あああ、アーデルハイト……!」


「ユリエちゃん……。こ、これは、いったい……」


「あ、アーデルハイト。具合……、どう……?」


「具合はいいみたいだけど……。なんか、頭とお尻が……、変な感じ、するんだけど……」


 魔法使いであるアーデルハイトは、当然ながら一般人より呪文に対する感覚が鋭い。呪文の発動の瞬間、すでになにかしらの変化が起きることを察していた。

 アーデルハイトは、戸惑いつつ自分の頭とお尻に手をあてる。


「!」


「ごめんなさいーっ! アーデルハイト! 回復の魔法の副作用なのーっ!」

 

「ユ、ユリエちゃん……」


「……アーデルハイト、かわいいよ?」


 とりあえずユリエは、猫耳と猫尻尾がはえて愛らしい姿のアーデルハイトをほめてみる。アーデルハイトの背には羽がないので、心配するくどさはなかった。


「か、かわいいって、これ……」


 アーデルハイトは、呆然と体に突然はえた尻尾を見つめた。色と模様から察するに、茶トラのようだ。


「ど、どうやったらこれ……、元に戻るの……?」


 茶トラ尻尾。ふわふわしていた。確かにかわいい、かわいいけど……、と脱力しつつアーデルハイトは呟く。

 アーデルハイトの魔法で、正常な状態に戻すことも出来るだろうが、解析に少し時間が掛かるし労力もいる。できるなら、ユリエに魔法を解いてほしいところだった。


「あのね。元に戻る方法はね……」


 ユリエが、慎重に元に戻る方法を語りだす。


「元に戻るには、その……、王子様のキス、が必要なの……」


「お、王子様のキス!?」


「うん……」

 

 やはり、魔法の変身には、王子キスが定番である。恐るべし、王子キス。


「わ、私、王族に知り合いなんていないわよ!?」


 思わずアーデルハイトは叫んでいた。「リアル王子様」を想定していた。


「違うよ! アーデルハイト! たとえだよ!」


「たとえ……?」


「うん。アーデルハイトが心から憧れる人か、好きな人。それが、王子様だよ!」


「えええっ!?」


 驚きのあまり思わず、尻尾の毛が逆立った。


「えーと。うちらのメンバーの男子は、キース、カイ、宗徳、ミハイル。でも、カイを入れていいなら、ゲオルクたちも候補かな?」


「なっ……! なにを言ってるの!? ユリエちゃん!」


「私、呼んでくる!」


「ユリエちゃん! 誰を、呼んでくるの!?」


「まかせて! 王子様を連れてくる!」


「ユッ……! ユリエちゃん……!」


 ばたん。


 ユリエは勢いよく部屋を飛び出した。

 

 アーデルハイトには、とぼけてああ言ったけど、大丈夫! 私、ちゃんとわかってる……! アーデルハイトの王子様……!


 ユリエの心には、ただ一人、アーデルハイトの王子様が見えていた。




「大丈夫かっ!? アーデルハイト!」


 ユリエに連れられ、部屋に飛び込んできたのは、


「キース!」


 キースだった。


「あ! かわいいな!」


 アーデルハイトを見るなり、率直な感想を述べるキース。


「か、かわいいって……。そーゆー問題では……」


 そう言いながら、アーデルハイトは頬を染め、下を向いた。


 こ、困ったな……。ユリエちゃん。キースを連れてくるなんて――。


 そう思いながら、キース以外だったら本当に困るアーデルハイトだった。ドラゴンのゲオルクたちを除いてだが。


 それに、この姿、超恥ずかしいんだけど……。


「アーデルハイト……」


「キース……」


 二人の様子を見守る、ユリエ。

 

「……ユリエに聞いたよ」


「えっ!? なにを、どこまで!?」


「あの……。その……。キスしてもらうと、治るって……」


「…………」


 キースが、そっとアーデルハイトの肩をつかんだ。


 マジで!?


 マジか!?


 ユリエもアーデルハイトもキースも、全員同じことを思っている、そんな空気。


 すんのかい!? キスを!?


 三人とも、心の中でツッコミを入れていた。キースは自分で自分にツッコんでいた。


 すんのかい!? せんのかい!? すんのかい!?


「…………」


「…………」


 アーデルハイトは、エメラルドグリーンの瞳を閉じた。


 どきん。どきん。どきん……。


 二人の胸の鼓動が高鳴る。同じリズムを刻む――。

 キースは、アーデルハイトの唇にゆっくりと顔を近づけ――。


「あっ! そーだ! キスは、口じゃなくてもいいんだよ?」


 ユリエは、嘘がつけない子だった。


 今それを言うんかい!


 アーデルハイトとキースは同時にそう思ったに違いない。まったく同じような表情で振り返る。


「あ、そ、そうなのか?」


「そ、そうだったの?」


 アーデルハイトもキースも、目が泳いでいる。


「う、うん。そーだよ」

 

 言わなければよかったかな、ユリエは小さく呟いた。


「そ、そうか。ははは。じゃ、じゃあ、アーデルハイト、おでこに……」


 キースの笑い声が、乾いていた。


「う、うん。ありがとう。キース」


 アーデルハイトの言葉は、棒読みだった。

 改めて、アーデルハイトは瞳を閉じた。


 どきん。どきん。どきん。


 キース……!


「……アーデルハイトが、治りますように」


 キースは、アーデルハイトの前髪をすくい上げ――、おでこに優しく口づけをした。

 その瞬間。

 アーデルハイトが、光に包まれる。

 ゆっくりと、魔法はほどけ、猫の耳と尻尾は消えていった。


「……よかった。治ったな」


「ありがとう。キース」


 はにかみながら、アーデルハイトはお礼を言った。

 二人とも、頬が真っ赤だ。二人の視線はぎこちなく、二人ともやたらまばたきが多い。なにかをごまかすのに、必死のようだった。

 それは、密やかな心の動きが、うっかり漏れ出てしまわないように――。


「よかったあ! アーデルハイトの具合もよくなったし、『未熟者オプション』も消えたし!」


 ユリエが歓喜のあまりか、「後方伸身宙返り四回」をした。アーデルハイトとキースは、ブラボー、とよくわからないテンションでユリエの妙技に拍手を送った。ユリエに注目することで、アーデルハイトとキース、現実逃避をしているよう。


「じゃ、じゃあな。アーデルハイト。治ったからといって油断しちゃだめであるぞ。夕ごはんまで休むがよい。これにて余は、部屋に戻るとする」


 キースが謎の言い回しをし、ぎこちなくドアに向かう。


「であるぞ」、「休むがよい」、「これにて余は」、「戻るとする」?


 アーデルハイトが首をかしげる。

 

 どたっ。


 キースが、こけた。なにもないところで、盛大に。


「大丈夫!? キース!?」


「ははは。大丈夫、大丈夫! では、さらばである!」


「さらばである」……?


 部屋を出るキースの背中を見送ってから、アーデルハイトはユリエにこわごわ訊いてみることにした。


「……ユリエちゃん。いったい、キースになんて言ったの……?」


「んとね! アーデルハイトが私の魔法の『未熟者オプション』のせいで、猫の耳と尻尾がはえちゃったのって説明して、それを解くには王子様のキスをしてもらうしかないの、と言ったの」


「王子様のキス……!」


「そしたら、キースが、俺は王族の血はひいてないって言ってた。だから、それは比喩だよ、王子様になったつもりでキスをしてあげてって言ったの」


 キースはアーデルハイトと似たようなことを言っていた。


「だから、あの変な口調……」


 しかも、謎の王子様口調はキスが終わった後である。意味が、ない。


「あ! それから、キースを廊下に連れ出してから言ったから、他のみんなはこのことを全然知らないよ。大丈夫だよ!」


 ユリエは自分の口に人差し指をあて、ウインクした。


「よ、よかった……」


 アーデルハイトは傍にあった枕を胸に抱き、枕に顔をうずめた。


 どさっ。


 枕を抱きしめながら、ベッドに倒れ込む。


 キースと、キス……!


 アーデルハイト、顔がにやけてるよ、とユリエが指摘したが、アーデルハイトの耳には届いていなかった。


 キースと、キス……! キスキース!


 呪文のように意味不明な言葉を心の中で繰り返しながら、アーデルハイトはベッドに顔をうずめ、両足をばたばたさせた。

 顔は、にやけたままで。




 キースは廊下を歩きながら、一人呟く。


「フライングで、もー、キスしちゃえばよかったなー」


 アーデルハイトの長い睫毛、柔らかそうなみずみずしい唇――。


 惜しい! 惜しすぎる!


 しかし、キースは急いで首を左右に振った。


「だめだめっ! 王子様は、卑怯な真似はしないのでありますっ!」


 乙女の唇は、乙女が心を寄せる者にのみ許されるのであります――!


 キースは、王族さながら胸を張って堂々と歩く。

 しかし、顔はにやけていた。




 ユリエは、忘れていた。


「副作用の解除には王子様のキスが有効だが、時間が経てばもとに戻る。だからまったく心配はいらんのだがな」


 あのとき聞いた、長老の言葉を。


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