第39話 あたたかな、湯気の中
しとしとと、夕刻も雨に染まる。
「いっただっきまーす!」
宿屋の食堂、湯気の立つ料理の前で、キースが元気よく食事の挨拶をしていた。
「キース。いつにもましてご機嫌ですね」
隣に座ったカイが、キースに話し掛ける。
「そっ! そうかあっ!?」
動揺するキースの反応を見るまでもなく、カイにはすっかりわかっていた。
アーデルハイトさんが、元気になったからですね。
カイは声には出さず、ただ柔らかな微笑みを浮かべた。ちなみに、そんな穏やかな空気を身にまとうカイの前には、一升瓶が一本、どん、と置かれていた。柔和な笑顔の、小柄で華奢な美しい容貌の青年の前に、一升瓶が一本のみ。なんとなくシュールな光景である。
飲むのだ。カイは。酒を。
宗徳は、あたたかなスープをスプーンですくう。大きめに切られた具材が、口の中で柔らかくほどけた。
「みんな。ごめんね。すっかり心配掛けちゃって。出発も遅れちゃったし……」
アーデルハイトの申し訳なさそうな声に、宗徳は顔を上げる。
「そんな! 謝ることないですよ! アーデルハイトさんが元気になって、本当によかったです!」
ミハイルが、はつらつとした声で応えていた。
「本当に、よかった。でも無理はいけない」
宗徳も、穏やかな口調でミハイルの言葉に続ける。
「明日の朝、出発しようと思うんだけど……」
アーデルハイトが、おずおずと切り出した。自分のせいで足止めさせているのが本当に申し訳ない、という言葉も添えて。
「大丈夫なのか?」
キースも食事の手を止め、尋ねる。
「私、もう一晩くらいゆっくりしたほうがいいと思うー。天気もよくないみたいだし!」
妖精のユリエが、心配そうにアーデルハイトの横に飛んできた。
「そうですよ。ゆっくりしていったほうがいいと思いますよ」
ユリエの言葉に同意を示したのは、料理をテーブルに運んできた宿屋の奥さんだった。
「明日も一日雨だと思いますよ。お気に召したかどうかわかりませんが、この宿でよろしければ、何日でもどうぞご滞在くださいね」
「色々本当にありがとうございます! 料理もめっちゃ美味いです! なんか、懐かしい味、故郷を思い出すなあ」
宿屋の奥さんのご厚意に礼を述べつつ、キースが料理の感想を述べていた。素朴で味わい豊かな手料理は、心にも体にも染み渡るようだった。
「誠に……、美味しいな……」
宗徳の口から、心からの言葉がこぼれ出る。
「こんなに美味しい料理は、食べたことがない――」
家庭料理――。宗徳にはおよそ縁のない食べ物――。
窓を静かに打つ雨。少し肌寒くなってきた。
宗徳は、スプーンを持つ手を休め、心のこもったあたたかい一皿をぼんやりと見つめていた。
物心つくころ、宗徳は自分が他の子どもとは違うことに気が付いた。
身寄りのない子どもを預かる施設に、宗徳はいた。
子どもは皆、そういう場所で生きるものかと思っていた。でも、どうやら違うらしいと気が付いた。
普通、多くの子どもは、父親や母親、家族という単位の中で育つものらしい、と宗徳は知る。
周りの大人や子どもたちの会話の中で、だんだん、そういうことがわかってきた。
子どもとは、見知らぬもの同士、集団で暮らすものではないのか。
宗徳の次の疑問は、「ではいったい、家族とはなんだろう」というものだった。
父親と母親がいて、子どもが生まれるらしい。通常は、多くの場合は、子どもは父母が育てるものらしい。そして、父、母、子ども以外にも、祖父や祖母、場合によっては叔父や叔母や曽祖父、曾祖母――、血縁関係の者が一緒に暮らすものらしい。
そこまで考え、ふと思考が止まる。
けつえんかんけい。血のつながりって、なんなのだろう。
はっきりとわかる、自分の仲間ってことか?
親とは、施設の大人たちみたいなものかなあ、と宗徳は思う。
施設の大人たちは、とても優しい。面倒を見てくれる。ときには叱ってくれる。「親」もきっと、そういう感じなのだろう。
施設の大人たちは、他にも大勢子どもたちがいて忙しいので、宗徳ばかりに付き添えるわけではない。
子ども一人に、一組の「親」、もしくはそれに相当する「家族」。ということは、「家庭」で暮らす子どもは、常に優しい手に守られているのか――。
「家庭」というものは、どんなに素敵なものだろう。宗徳はそっと思いを馳せた。
しだいに、宗徳も周りの会話などから、自分にもいたらしい「家族」のことが、少しずつわかってきた。
俺には、「姉」がいたらしい。やはり、同じこの施設にいたらしい――。
俺の「姉」は、俺が物心つく前に、どこかの「家庭」に引き取られたらしい。
俺の「両親」は、どうも誰かに殺されたらしい――。
ころされた……。死んだ、ではなく、殺された……。
宗徳は、様々な本を読んだ。「家庭」のことだけではなく、世の中のことを少しずつ学んでいった。
殺す、とはやはり異常なことだ。
殺されたせいで、自分には「親」がない。
殺されたせいで、「姉」ともはぐれてしまった。
誰が、なんのために。どうして人が人を殺すんだろう。どうして、それが俺の「両親」だったのだろう。
なぜ?
なんのために……?
宗徳は、注意深く情報を集めた。周りは、宗徳のことを気遣い、宗徳の家族や事件については口を閉ざす。それでも、宗徳はさりげないふうを装い、必死で調べた。
どうやら、宗徳の両親は、幼い姉と赤子である宗徳が就寝中、家に押し入った強盗に殺されてしまったらしい。
宗徳の生きる目的は、「復讐」になった。
俺が、犯人を、殺す――!
人を殺めるために、密かに剣術を始めた。
施設を出て働きながら、剣の腕を磨き、犯人を捜した。
宗徳が二十五歳になったとき、宗徳の両親を殺害した犯人がようやくわかった。
だが、犯人は、すでに病死していた。
自堕落な生活を続けた結果、病にかかり、道端で発作を起こして死んだとのことだった。その死を悲しむ人は、誰もいなかった。事件後は逃亡し続け、窃盗や恐喝を重ねることで食いつないでいたという。愛することも愛されることもない、孤独な生涯だった。
宗徳は、事実を知って愕然とした。
復讐を果たすべき犯人は、もうこの世にいない。では、俺は、なにを目標とすればいい……?
しかし、心の中で密かに安堵している自分に気付いた。
俺は「人殺し」をしないで済んだ――。
宗徳は、両親の墓に詫びた。両親の無念を晴らせなかったこと、犯人が死んでいたことに喜んだ自分がいたこと、そしてそれは、犯人が死んでざまあみろ、という気持ちではなく、自分の手を汚さずに済んだことにただ安堵した気持ちだったことを――。
俺は、自分勝手だ。
宗徳は、自分を責めた。犯人が死んで、なにか解放された気さえした。
父さん。母さん。ごめん……。
宗徳の固く握られた拳に涙が落ちる。
俺は、どう生きたらいい……?
両親の墓に問いかける。
結局俺は、両親の無念より、自分のことしか考えられないのだろうか――。
しばらく墓の前から動けなかった。
風が吹いた。柔らかな、優しい風だった。
宗徳は、改めて両親の墓石を見る。
姉さん……。姉さんはどうしているのだろう……?
顔も名前もわからない姉。宗徳は姉のことを考えた。
そうだ。俺には、姉さんがいる――。
吹き抜ける風が宗徳の頬をそっと撫でた。涙は、いつの間にか乾いていた。
両親の墓は、日差しの中輝いて見えた。
父さん。母さん。姉さんは、たぶん、俺とは違って幸せに暮らしているよ――。
宗徳が墓に手向けた花。風にそっと揺れる。顔も知らない両親。
宗徳には、両親が微笑んでいるように思えた。
父さん、母さん、どうか姉さんのこと、見守っていてください――。
通常、施設を出て引き取られた子どもの情報は、きょうだいや近親者であっても厳重に秘密とされていた。
宗徳は、姉のことを地道に調べた。
数年後、ようやく宗徳は、姉がノースカンザーランド出身の、子どものいない夫婦に引き取られたらしい、そして、夫婦と姉はノースカンザーランドに帰っていったらしい、ということを知った。
姉さんは、幸せでいるだろうか――。
姉さんが幸せかどうか、知りたいと思った。ただ、それだけを知りたいと思った。
姉さんが幸せであれば、それでいい――。
自分には、もうなにもない。でも、ただ一つ、姉さんが幸せであるかどうか、それだけが知りたい、そう思った。そしてそれを知ることは、両親にとってもきっと供養になるはず――、そう宗徳は信じた。
行こう。ノースカンザーランドへ。
姉さんが笑顔なら、それでいい――。
宗徳のその思いは、今も変わらない。
宗徳は、スープを口に運んだ。
母さん。きっと、母さんの手料理というものはこういう感じなのだろうな――。
姉さん。姉さんはもう自分の家庭を持っているのかもしれない。幼い子どももいるのかもしれない。
宗徳は、あたたかい料理を家族に取り分ける姉の姿を想像した。湯気の中の、笑顔あふれる家族だんらんの光景を、そっと夢見た。
姉さんがいつも笑顔でいられるのなら、それでいい――。
姉さんが笑顔に囲まれているのなら、それでいい――。
「なあ! 宗徳!」
突然、宗徳の名を呼ぶ声。宗徳は、思わずハッとした。キースだった。
「宗徳は、嫌いな食いもんとか、ある?」
唐突な質問。宗徳はきょとんとした。キースは構わず話し続ける。
「俺は、嫌いな食いもんって、ないんだよねー!」
だろうね。
一同そう思った。キースは食べものならなんでもいけそうだ。
「俺の嫌いな、食べもの……?」
どうして急にそんなことを訊くのだろう、と宗徳は思った。自分は好き嫌いがないのに、どうして俺の嫌いな食べものを突然聞く……? 宗徳は不思議に思う。
「……特に、ないな……」
「マジで!? 俺と一緒じゃん!」
キースは宗徳と握手した。そして、握手した宗徳の手を大げさに振り回す。
「?」
「なかーま! 仲間っ!」
満面の笑顔のキース。そして宗徳は気付いた。
もしかして……。不器用ながら、必死で俺を励まそうとしてる……?
きっと、自分は寂しそうな顔をしていたのだろう、と思う。キースはきっと、そんな顔を見て声を掛けずにいられなかったのだろう、そう宗徳は思った。
俺にもし、嫌いな食べものがあったら、キースはいったい、なんと言うつもりだったんだろう……?
宗徳は首をかしげる。
いや。この男なら、無理やりにでも会話を続けるに違いない。
宗徳は、ちょっと吹き出してしまった。
「……そうだな。俺とキースは『なんでも食い』の仲間だな」
「食いものならなんでも来い、だっ! でも、俺、さすがに虫は、だめだなあ!」
キースが愉快そうに笑う。
「……俺は、食えるぞ。虫」
ぼそっと呟く宗徳。
「マージでーっ!?」
キースが大げさに驚く。そして笑う。
キースの笑顔を見て、宗徳はいつしか胸が熱くなっていた。
湯気の向こうの笑顔――。他愛ない会話。俺の、家族ではない。でも、でも、笑顔の、仲間――!
皆、笑顔だった。宗徳は、笑顔の中にいた。
父さん。母さん。姉さん。俺は今、一人じゃない――。
宗徳も、自然と笑顔になっていた。
外は相変わらずの雨。でも、もう肌寒さは感じない。
「……僕も、虫は食べられます」
ミハイルが意外な告白をした。
マジか!
一同、ちょっと引いた。




