魔法では作れないもの
海原を進む蒸気船。煙突から吐き出された黒の煙が、空を侵食していく。
クラウスは、船の甲板から客室に戻る。
ビネイアが、魔界に帰ったときだった。
「……クラウス様」
クラウスの背後に、ひざまずく大きな影。
「……ギルダウスか」
ギルダウスが、クラウスのもとを訪れるのは、とても珍しいことだった。
「珍しいな。なにか、僕に用でもあるのか?」
ギルダウスは、ひざまずいた姿勢のままクラウスに深く頭を下げる。
「……クラウス様に、お尋ねしたいことがございます」
クラウスは、氷のような光をたたえる瞳で、ギルダウスを見つめる。
「……よほど、僕に訊きたいことがあるのだな」
「はい」
ギルダウスは、船室の床を見つめたまま微動だにしない。
「なんだ。なにを知りたいと思っているのだ?」
ギルダウスは、ゆっくりと口を開いた。
「……クラウス様の、お心です」
「僕の、心……?」
クラウスは、自分の手のひらを握りしめた。それは、無意識の行動だった。まるで、自分の心の柔らかな部分、それを誰かに覗かれることを恐れているかのように――。
ギルダウスは初めて顔を上げ、クラウスの瞳を見つめた。ほんの少し、クラウスの瞳が揺れたことを、ギルダウスは見逃さなかった。
「クラウス様。あなた様は、ご自分の同胞である人間について、どのようにお考えですか?」
「なに……?」
クラウスにとって、それは意外な質問だった。魔族の中でも、類まれな力を秘めるギルダウス、その男が自分に対し、改まって質問しようとしていた。しかも、自分の本音を聞き出そうとしている。どんな答えに窮する質問内容なのかと思えば、他の人間に対する考えかたとは――。肩透かしをくらったような気さえした。
「なぜそのような質問をする……?」
「クラウス様。あなた様は、ビネイア様と共に新しい王国を地上に造ろうとなさっている。しかし、ビネイア様も私も魔族――。クラウス様は、人の身でありながら強大な魔力をお持ちですが、他の地上界の人間は皆、魔力もなく我々魔族に比べ寿命も短く身体構造も精神構造も脆く――、とてもか弱い存在です」
「それが、どうした……?」
「ご存知の通り、ビネイア様は地上の王国を起点にし、ゆくゆくは魔界の奪われた祖国を取り戻すおつもりです。そのような流れとなれば、自然とクラウス様の築く新王国は、人間より力の強い魔族優先の世界となることでしょう」
「…………」
「クラウス様は、どのように同胞たちを守るおつもりなのでしょうか?」
クラウスは、黙ってギルダウスを睨みつけた。拳は、握りしめられたままだった。
「……ビネイア様のしもべに過ぎない私が、そのようなことをお尋ねするのは無礼であると充分承知です。武人である私は、まつりごとに関わるつもりは毛頭ございません。しかし――」
「同胞……? 誰が、同胞だって……!?」
吐き捨てるように叫んだクラウスの美しい顔が、醜く歪んでいた。
「ふふふ! 勘違いするな! ギルダウス!」
空気が震えた。クラウスの魔力が、叫び声と共に放出されていた。
「…………」
ギルダウスは、ただクラウスの瞳を見つめ続けていた。
「僕は……! もう人間などではない……! あんな、無力で無能な生き物と僕を一緒にしないでもらいたい!」
クラウスの右手は、大きく空を斬る。なにかを、振り払うかのように。
「僕は、もはや人間を超えた存在なのだ……!」
バンッ!
クラウスの魔力によって、天井の照明が弾け飛んでいた。そうしようとしてそうしたのではなく、クラウスから放出されるすさまじい波動が伝わった結果だった。
降り注ぐ、ガラスの雨。しかし、クラウスもギルダウスも、まったく動じることはなかった。
クラウスは、ひとつため息をついた。
「……ギルダウス。お前は、なにも案ずることはない。お前は、僕が後悔しないか心配してくれていたのだろうが、僕にそんな気遣いは不要だ」
「…………」
「……僕は、正しい世界を造りたいんだ」
クラウスは、そっと呟いた。まるで自分に言い聞かせているようだった。
「力のある者が、君臨する世界。強いものが、評価されるべき世界。まがいものではなく、本物が優遇される世界を……!」
ふっと、クラウスの脳裏に顔のない女が現れた。
赤いドレスの女。
男に媚を売る女。
若さと色香で父をたぶらかし、自分の母親の座に勝手に居座った女。
なんの力もなく、無能なくせに図々しく居座り続けた女。
父親が、クラウスに笑顔を向けることはなかった。
どんなに優秀な成績をおさめても、どんなに人から褒められても――。
クラウスは、激しく首を振った。
「なぜだ! なぜ僕は忘れない……!?」
あんなつまらない女を、なぜ今だに思い出すことがあるのか、クラウスにはわからなかった。クラウスは、自分の唇を噛みしめていた。血がにじむほどに。
「どうなさいました……? クラウス様」
ギルダウスの低く響く声に、クラウスは我に返る。
「……いや。なんでもない……」
ギルダウスは、再び頭を深く下げた。
「……出過ぎた真似をして、申し訳ございませんでした……。クラウス様は、長旅でお疲れなのでしょう。船が着くまでまだ時間がかかるとみえます。どうぞ、ゆっくりお休みください。それでは、私は失礼いたします」
ギルダウスの周りに、冷気が集まる。渦を巻くような煙に包まれると、ギルダウスの姿は消えた。
クラウスは、額に手を当て再びため息をつく。
チャリ……。
照明の破片を踏んだ微かな音がした。
クラウスは、知らない。
壊すのは簡単でも、再び構築するのは難しいということを。魔法で破壊するのはいとも簡単である。部品があって、作りかたを知っていて、組み立てることなら魔法でも出来る。しかし、一度粉砕されたものを、新品同様に復元することは出来なかった。いくら強力な魔力を有するクラウスでも、照明ひとつ元通りにすることは出来ない。
コンコン!
ドアをノックする音。
「大丈夫ですかっ!? なにか、大きな物音がしたようですが!?」
船員だった。
「ああ。大丈夫だよ……。照明が、なにかの衝撃で割れてしまったようだ」
「申し訳ございません! お怪我はございませんでしたか? 代わりに別の船室へご案内致しますので……!」
割れた照明。もう二度と直ることはない。どんな魔法を使っても。クラウスが、そこに考え至ることはない。
キースたち一行は、スノウラー山観測所付近にたどり着いた。
「みんな……!」
目の前に、横断幕。キースたちは思わず目を見張った。
「皆さん、お帰りなさーい!」
小鉢イチオシ、観測所の職員たち、そしてゲオルクたちが迎えに出ていたのだ。
『祝・無事帰還! 歓迎・コンラード! あったかご飯が待ってるよ!』
横断幕には、大きな文字が躍っていた。
「ありがとーっ! わざわざ横断幕を作って待っててくれたんだーっ!」
キースが職員たちに向かって、大きく手を振って叫ぶ。
「こんなもの作って気を紛らわせてもいないと、心配で仕事も手につきませんから……!」
白衣かつ眼鏡の、どう見ても男性の職員が、声を震わせて叫び返した。その笑顔には、涙も光っていた。
皆の無事を祈って作られた横断幕。魔法では生み出せない、一文字一文字皆で書き連ねた、世界でたった一つのもの――。
わっ……!
小鉢イチオシ、職員たち、ゲオルクたちは、キースたちのもとへ駆け寄り、抱き合って再会を喜び合った。
「やあ、皆さん初めまして! 私が、コンラードです!」
コンラードが、人の姿になった。ちょんまげのかつらを被り、服の上にビキニを着けて。
「コンラード兄さん……!」
ちょんまげセットとビキニを、コンラードはいたく気に入ったらしい。ちゃっかりミハイルの荷物に入れ持ち帰っていた。裸ではなくビキニを服の上に着けていたのは、カイの教育の効果の表れである。カイの長年のツッコミは、徒労ではなく密かに息づいていた。
「さあ、皆さん! あったかご飯とあったかお風呂が待ってますよ……!」
輝く笑顔に囲まれ、キースは心から安堵した。
――みんなで、無事に帰ってきた……!
オッドに支えられ、足を引きずりながら観測所へ向かうキース。
捻挫はしたけれど、怪我をしたのが自分で本当によかったとキースは思う。
誰一人、傷付くことなく、誰一人、欠けることなく――。
雪上に落ちる、オレンジ色の光。
あたたかな夕日に向かい、キースは感謝していた。
観測所から、美味しそうな夕餉の香りが漂っていた。




