白の怪物
「あ! 小鉢イチオシさん、ルークたちを観測所で預かっていてもらえないかなあ?」
キースは、スノウラー山の特殊な猛吹雪が、「スノウモンスター」に変化するとはいえ、ペガサスやドラゴンたちに乗って移動するのは困難であると考えていた。
「そうですね。いくら膨大な吹雪のエネルギーが『スノウモンスター』に代わるとはいえ、吹雪が完全に止むことはありません。それに、ドラゴンたちは白和えを食べておりませんしね。彼らは、観測所で預かりましょう」
「きゅー」
ドラゴンのゲオルクが、心配そうにアーデルハイトの顔を覗き込む。置いて行かれることへの不安ではなく、危険の中を進むことになるアーデルハイトの身が心配だった。
「大丈夫よ。ゲオルク。大人しく待っていてね」
「あ……! とても大切なことを忘れていました」
通称「小鉢イチオシ」が、ぽんと手を打ち、急に思い出したように叫んだ。
「これから登山というのは、危険すぎます。出発は明日の早朝にしてください」
え! それ、今言う!?
一同、目が点になった。今まさにスノウラー山に登ろうとしていたのに、である。
「確かに、これから徒歩での登山では、すぐ日が暮れてしまいますね」
ミハイルが、冷静さを取り戻していた。スノウラー山は、標高が低かったが、ドラゴンたちを使わない、しかも雪山という条件を考えるとあまりに無謀な計画だった。
「そうか。それじゃあ……」
キースは、顎に手を当て考える。しかし、どう考えても一度出直したほうがいいことは明白である。
「……もしかして、観測所に全員泊まらせてもらったりなんか……、出来る?」
恐る恐るキースが尋ねる。
「もちろん、いいと思いまよ! 私は観測所の職員ではありませんが、もう職員のノリで生きてますので。すっかり観測所職員気分の私が許可します。食事と毛布くらいしかご用意出来ませんが、どうぞ気兼ねなく宿泊していってください」
「小鉢イチオシ」は、他の職員たちの意見を聞くまでもなく快諾した。もちろん、あのデータ追及一筋、他のことには無関心のあの三人の職員が反対するわけがなかった。
職員のノリで、生きてるんだ……。「観測所職員気分」って……。
一同の心の中では、すっかり人間生活になじみきっている「小鉢イチオシ」の言葉がなんとなくリフレインされていた。
「それでは、私たちは、この辺で失礼します。『小鉢イチオシ』さん、キースさんたちをどうぞよろしくお願いいたします」
吹雪男、初雪男は揃って「小鉢イチオシ」に頭を下げると、あっという間にどこかへ消えてしまった。「小鉢イチオシ」は微笑んでうなずく。
あのひとたちまで「小鉢イチオシ」呼ばわりを……!
キースと「小鉢イチオシ」以外の一同は、吹雪男、初雪男の立っていた辺りをぼんやり見つめつつ、果たして吹雪を司る彼をそんな呼び名で統一してしまっていいものだろうか、とそれぞれ自分の胸に問うていた。
観測所に戻ると、職員たちが歓迎してくれた。「小鉢イチオシ」同様、皆、観測所での宿泊を快く了承してくれた。
皆が職員と「小鉢イチオシ」と話し込んでいる輪を抜け、カイは一人観測所の廊下に向かった。
『コンラード兄さん……!』
カイが、スノウラー山にいるコンラードに呼びかけた。
『カイ。元気でいるか? 北の神殿には到着したそうだな』
カイの瞳には、目の前にいるようにはっきりとコンラードの姿が見えた。
『はい! 実は今、スノウラー山観測所まで来ています……!』
『え……? スノウラー山観測所に? なぜ、今……!』
コンラードは驚く。まさか、吹雪の止む『緋色の月』の十三日から三日間以外のときに、カイたちが来るとは思っていなかったのだ。
『吹雪の結界が、クラウスによって破られる可能性は決して低いものではないようです。それならば、クラウスたちより先にスノウラー山に行って、一刻も早くコンラード兄さんを連れ戻そうということになりました』
『しかし、それは……!』
『小鉢イチオ……、いえいえ、この地帯の吹雪を司るかたが、危険は伴いますが、なんとかスノウラー山に登れるようにしてくださいました』
カイは、つい「小鉢イチオシ」と言いかけて言い直す。それは、キースが勝手に付けた呼びかただからだ。しかし、「小鉢イチオ」と言葉を切ったことで、図らずもごく自然な人名のようになってしまった。
『明日の早朝、出発することになりました』
『本当に、大丈夫なのか……? どうか、気を付けてくれ。お前たちに苦労をかけないよう下山したいが、残念ながら私の力ではこの吹雪には太刀打ち出来ない……』
『兄さん、待っていてください』
『ところで、カイ……』
『なんでしょう? コンラード兄さん』
コンラードは、額に手を当てなにかを探ろうとしているようだった。
『今、お前と交信していて、気になった点がある』
『え?』
『お前の近くから、魔族に関するような微弱のエネルギーを感じる』
『え……?』
『たとえばなにか、魔界にゆかりのある物質を所持している者がいるのではないか?』
『…………』
「退魔の杖」のコンラードは、魔族や魔物の気配を察知する能力に長けていた。
『あ……!』
カイは思い出した。
『キースが、魔族のオルダさんにもらったお守りのネックレスと、魔族ギルダウスが目印として飾り石をつけたシーグルトさんの剣を持っています……!』
『そうか! この場合、それは好都合だ! それは、私にとってもお前たちの位置確認の目印となるな!』
『あ……! なるほど……! 兄さんに俺たちの現在地がわかる、そして兄さんと交信出来る! それでは、迷うことなくコンラード兄さんのもとへまっすぐ行けますね……!』
シーグルトの剣の飾り石は、ギルダウスに常時正確な居場所を教える危険なものではあった。それでも、キースはその石をそのままつけていた。どのみち、ギルダウスが自分を容易に探し出せるであろうことをキースは知っている。だが、キースが飾り石を外そうとしないのは、シーグルトの剣をそのままの状態で持っていたいという強い思いと、勝手に石を外すことは、敵ではあるがギルダウスへの礼節と信頼に反するような気がしていたためであった。
しかし、それがかえって今はキースたちを助けるものの一つとなっていた。
『……本当に、気を付けてくれ』
『はい……!』
『ところで、お前は、いいと思わないか?』
突然コンラードが話題を変えた。
『え? なにがです?』
カイは、コンラードがなにを訊こうとしているのかわからず、きょとんとした。
『私の美しい腹筋が見えるように、上着の丈を大胆につめてみたのだ』
コンラードは、無益な「へそ出し」をしていた。無益極まりなかった。
『……おなか、冷えますよ』
カイは、そう絞り出すのがやっとだった。
『ああ! そうか!』
コンラードはある重要なことに気が付いた。
『それでなんとなく調子が悪かったのか……!』
コンラードは、服の丈を直すことにした。
今まで見えなかったスノウラー山の輪郭が見える。雪や風が弱まっている証拠だった。
それでも、冷たい風が、雪が、容赦なく一同の頬を打つ。
「みんな! なにかあったらすぐ声をかけてくれ! 一人でなんとかしようとせず、互いに助け合おう!」
キースが大声で叫ぶ。皆、キースの言葉にうなずいた。
ゴウウウウウ……!
スノウラー山を登り始めてすぐ、異様な音がした。
目の前で風が渦を巻き、雪を巻き上げる。そして、それは次第に大きくなり、なにかを形作ろうとしていた――。
「スノウモンスターだ!」
巨大な雪の塊が、怪物となって目の前に現れた。
それは、白い巨人だった。人のような形をしているが、頭部も首もなく、がっしりとした胴には太い手足のようなものがついている。
「行くぜっ!」
「滅悪の剣」を構え、キースが駆け出す。とはいえ、積雪の山道、走るというより前に進むのがやっとだった。
「キース様! 私は右から攻めます! キース様は、左を!」
オッドが叫んだ。
木々の間をくぐり抜け、キースとオッドは右と左に分かれてスノウモンスターへ向かっていく。
「みんなっ! 危ないっ!」
ズズーン!
スノウモンスターが巨大な腕で木をなぎ倒していた。白煙を上げ、大木が雪原に沈む。
「皆、無事かっ!?」
「ええ! 大丈夫よ!」
アーデルハイトの声を聞き、キースは安堵し視線をスノウモンスターに移す。
――こいつは、生き物じゃない。吹雪のエネルギーの集合体だ。意思を持たず、目的も目標もなにもない。俺たちを狙っているわけではないんだ。ただエネルギーの爆発するままに暴れまわるだけか……!
怪物に頭部がないのは、その象徴なのだろうと思った。
「それじゃあ、こっちも遠慮なく暴れさせてもらう!」
キースの剣が走る。
ドンッ……!
「滅悪の剣」がスノウモンスターの腰の辺りを切り裂く。重い雪の感触がキースの手に伝わる。
スノウモンスターはバランスを崩し、左側に重心が傾いた。
ザッ……!
大きく身をかがめたスノウモンスターの胸の辺りを、オッドの剣が貫いた。
「やったか……!?」
ドドドドド……!
スノウモンスターは、その輪郭を崩した。崩れ落ちる雪の塊を避け、キースとオッドはその場を飛び下がる。他の皆も、雪崩となったスノウモンスターに巻き込まれないように素早く離れた。
「こいつは倒したようです! しかし……!」
オッドが叫ぶ。
ゴウウウウウ……!
その場所より少し先で、再び風が巻き上がっていた。雪が、人の姿を形作っていく……!
「あっ! あっちにも!」
ユリエが右前方を指差した。
ヒュウウウウ……!
ユリエの指差した方角にも、新たなスノウモンスターが誕生しようとしていた。それも、二体だった――!
「この繰り返しか……!」
冷たい雪が、吹き付ける。
キースは、「滅悪の剣」を握りしめた。




