ヴァルデマーの嫌いなもの
遠い昔。
大魔法使いヴァルデマーがまだ年若かったころ。
彼は、たった一人でスノウラー山のふもと近くに来ていた。
そこは、辺り一面白銀の世界。
視界が遮られ、息が出来なくなるのではないかと思われるほどの猛吹雪。
ヴァルデマーは、大きな杖を吹雪で見えないスノウラー山へ向け、叫んだ。
「雪よ、嵐よ、静まれ! 一筋の道を開けよ!」
激しい雪が全身を吹き付ける。
吹雪が弱まる気配はなかった。
「たった一人で、スノウラー山へ向かうおつもりですか」
背後から、声がした。狂ったような風雪の中なのに、まったく静かな声だった。
人あらざる者か。
ヴァルデマーは驚きもせず、ただそう理解した。
「あなたは、人とは思えないほどの強い魔力をお持ちですね」
「人あらざる者」の穏やかな声音には敵意は感じられず、その代わりたぐいまれな能力を有する人間に対する好奇心が表れているようだった。
「……私の魔法は、まったく通用しないようだがな」
相手に敵意がないのを察し、ヴァルデマーはわざと大げさに肩をすくめ、相手を油断させるような仕草をした。
魔法の効かない強烈な悪天候というただでさえ厳しい状況、相手の意図はわからないが、正体不明の存在を必要以上に刺激するのは避けたかったのだ。
「スノウラー山の怪物退治を、たった一人で行おうとしているのですか」
「…………」
「無謀です」
ヴァルデマーは、この「人あらざる者」が何者なのか、なにを伝えようとしているのか、なぜ自分のもとへ現れたのかわからず、ただその姿を眺めていた。
それは、美しかった。
それは、澄んだ瞳をしていた。
スノウラー山の恐ろしい怪物どもとはまったく異質の存在である、ということは明白だった。
そして、この不思議な存在が自分に害を及ぼす気はないということも、ヴァルデマーの本能が、魔力が察していた。
一人で怪物退治に来た無力な若者を、ただ好奇の目で観察しているのか。
しかし、その推測もなにか違う気がした。
この者は、私に力を貸そうとしてくれているのか。
澄んだ瞳の奥に、深い慈愛が感じられた。
「……どうしてあなたは、私に……?」
「人あらざる者」は、ゆっくりと口を開いた。
「私も、あの邪悪な怪物どもが、スノウラー山に巣くっていることを許せないのです。しかしながら、私にはどうすることも出来ない。愛すべき人間たちがあの怪物どもに苦しめられていることも、私は知っています。私は、嘆きながらもどうすることも出来ずに、永いときを過ごしておりました」
「この吹雪さえ超えられれば、きっと私が怪物どもを……!」
ヴァルデマーは、強く杖を握りしめた。
「人あらざる者」は、悲しそうに首を左右に振る。
「いくらあなたが素晴らしい魔力をお持ちでも、あの怪物どもを退治することは不可能です」
「……近づくことさえも出来ないからか」
吹き荒れる風雪。山の輪郭さえ見えない。
「いえ……。あの怪物どもをせん滅するには、たくさんの、様々な人間の力が必要なのです」
「たくさんの力――?」
「そうです。単体の、単一の力ではなく、多くの人間の思いやエネルギーが必要なのです」
「多くの人間の思いとエネルギー……」
今まで、多くの兵士や魔法使いたちが、怪物どもと戦ってきた。それでも、人間側が勝利することはなかった。血が流れ続け、犠牲者が増え続けることにしかならなかった。
「大勢の優秀な兵士や魔法使いたちが、殺されてきました」
ヴァルデマーは、怪物たちがスノウラー山一か所に潜んでいる今こそ、怪物退治の好機であると思っていた。大勢の命を失うくらいなら、自分一人の命で終わらせてしまおう、そう思っていた。
「あなたなら、怪物たちに対抗する魔法の道具を生み出し、人々を率いることが出来ると思いますよ」
「! 魔法の……道具……!」
「人は弱いものです。しかし、人は道具を生み出します。魂が切望する思いを具現化し、高く遠くへ飛躍することさえ可能とする宝を、生み出すことが出来るのです――」
「私が、道具を……!」
「人あらざる者」は、にっこりと微笑んだ。
「ええ。きっと。それは、武器かもしれません。護りとなるものかもしれません。しかし、人々を幸せへと導くことが出来る、大切な宝となるでしょう」
ヴァルデマーの心の中で、なにか小さな希望の種が芽吹いたような気がした。
「……私の名は、ヴァルデマー。あなたは、いったい何者なのでしょう……?」
雪も風も吹き荒れ続ける。しかし、不思議とヴァルデマーと「人あらざる者」の間には、なにも遮るものがなかった。
「私は――。この地帯の吹雪を司る者です」
「なんと……! では、あなたがこの吹雪を生み出して――」
「いえ、この吹雪は、自然の全体のバランスによって生じるもの。司るのは私ですが、自在にコントロール出来るというものでもありません」
「この吹雪を、人が越えることは不可能なのでしょうか?」
「不可能、というわけではありません」
吹雪を司る者は、まっすぐヴァルデマーを見つめた。
「これを――」
「え……!」
吹雪を司る者は、あるものを差し出した。
「これは……!」
「私のエネルギーの込められたこれを用いれば、強い力、高い能力を持つ人間なら不可能を可能に出来ます。それでもまあ、大変危険な方法ではありますが――」
「私には、無理だ……!」
ヴァルデマーは、差し出されたものを手にすることもせず、ただ首を振った。
「あなたほどの能力者が、なぜです……?」
吹雪を司る者は、不思議そうに首を傾げた。
「私には……! 私には、無理なのだ……!」
ヴァルデマーは、吹雪が止む『緋色の月』の十三日から三日間を怪物退治の決行の日にしようと心に決めた。
それから、ヴァルデマーの研究の日々が続く。
魔法の道具を創り出すまで、三十余年の歳月が流れた。しかし、それは同時に、「滅悪の剣」を扱える勇者、エースの到着を待つための必要な時間でもあった。
激しく打ち付けるような風雪。
キースは、口の中に吹き込む暴雪もいとわず声を張り上げた。
「なあ! いるんだろ!?」
皆、キースが誰に向かってどこに向かって叫んでいるのかわからなかった。
「俺は、あんたが来るって信じてるんだ……!」
「キース……。北の巫女様に、考えがあるって言ってたけど、いったい……?」
アーデルハイトが尋ねる。激しい風のため、アーデルハイトも声を張り上げて質問していた。
ゴウッ!
風が、渦を巻くように吹いた。
次の瞬間。
「……私のことでしょうか?」
純白の長い髪、淡いブルーの瞳の美しい姿の青年が現れた。
「吹雪男……!」
キースは嬉しそうに叫ぶ。
「吹雪男!?」
ババニラの家に滞在したアーデルハイトたちは、声を弾ませて叫んだ。エリアスとレーヴィ、オッドは、奇妙な呼び名に仰天した声を上げた。
「よかった! やっぱり、来てくれると思ったんだ……!」
「キース! 考えって、吹雪男さんのこと……!」
「ああ。そうだよ! 吹雪には、やっぱ吹雪男だろうってね!」
キースが雪に難儀しないよう便宜してくれる、吹雪男。吹雪に困ったときは、きっと彼が助けてくれるだろうとキースは信じていた。
「キースさん……。残念ながら、この吹雪は私の管轄外です」
吹雪男は、申し訳なさそうに呟いた。
「えっ!? 管轄外!?」
「はい。この吹雪は、特殊なんです」
そのとき、もう一人青年が現れた。
それは、長い黒髪で着物を着た、端正な顔立ちの青年だった。
「初雪男……!」
「初雪男!?」
直接会ったことのあるキースとアーデルハイトとカイ以外の面々は、すっとんきょうな声を上げていた。
「初雪男、地上界に来るのって、初雪のときだけじゃなかったのか……!?」
「はい。キースさんが、とんでもない吹雪に見舞われているのを感じて、駆け付けました」
「ありがとう……! 吹雪男、初雪男……!」
「でも、私たちにはこの吹雪は止められません。特殊なのです」
吹雪男、初雪男は揃って首を振る。
「そうか……。でも、わざわざ駆け付けてくれて、本当にありがとう……!」
キースは、懐かしい二人を見て、顔をほころばせた。
「お前らとまた話せただけでも、元気出たよ! うん! じゃあ、ごめんな! ありがとう! 気を付けて、行ってみるよ!」
キースは雪の嵐の中へ一歩踏み出そうとした。
「私なら、ここにいますよ」
え……。
一同、振り返った。
猛吹雪の中なのに、辺りに響き渡るような不思議な声がした。
「私が、この地帯の吹雪を管轄する者です」
あっ……!
一同、思わず目を見張った。
「あんたは……!」
白衣も眼鏡も付けていない、男性か女性かもよくわからない――、人でもないかもしれない、そんな存在――!
「さっき、スノウラー山観測所にいた、謎の小鉢イチオシさん……!」
名前がわからないので、キースは仮に「小鉢イチオシ」と呼ぶことにした。
「そうですよ」
「小鉢イチオシ」は、にっこりと微笑む。
「あんたが、この地帯の『吹雪男』だったんだ……!」
「はい……。まあ、つまりそういうことでしょうね。本当は、あなたがたには安全にお帰りいただきたかったのですが――」
「『小鉢イチオシ』さん! それじゃあ、この吹雪、なんとかしてもらえないでしょうか!? 多少の吹雪なら構いません、しかし、今この吹雪は、前に進むことを阻まれ、立ち止まっていれば命が奪われていくような恐ろしいもの! どうか、もう少しだけでも抑えていただけないでしょうかっ!?」
キースは、頭を下げ必死に懇願した。自分だけならいざ知らず、皆の命の脅威となる吹雪を、どうしてもなんとかしたかった。
「俺たち、スノウラー山にいるコンラードを連れて帰りたいのです……!」
「……コンラード……。ヴァルデマーの創った魔法の道具の一つですね」
「! コンラードも、ヴァルデマーもご存知なのですか!」
「ええ。ヴァルデマーとは、彼が若いころ話したことがあります」
「小鉢イチオシ」は懐かしそうに笑った――。「小鉢イチオシ」、彼こそ、「吹雪を司る者」だった。
「それでは、なんとか吹雪を……!」
「残念ながら、自然のバランスを崩すことは出来ません。しかし――」
「『しかし』?」
キースは、一縷の望みに賭けるように、「吹雪を司る者」の次の言葉を待った。
「あなたがたは、不可能を可能にする力をすでに得ています」
「え……!?」
「吹雪を司る者」は、優しい微笑みを浮かべた。
「これです」
「吹雪を司る者」は、なにかを差し出した。
「これは……!」
一同、叫んでいた。
「小鉢……!」
小鉢の中には、白和え。
「さっきいただいた、白和えじゃないですかーっ!」
思わず、叫んでいた。「吹雪を司る者」の手には、さっき皆にご馳走した「白和え」の小鉢があった。
「ええ。これは、私のエネルギーが込められたものです。私にも、吹雪を弱めることは出来ません。この地域の場合、それはバランスを崩してしまうことを意味しますから。しかし、この白和えを食べた者は、吹雪のエネルギーを可視化し、直接戦うことが出来るのです」
「可視化して戦う!?」
吹雪のエネルギーを、目に見えるようにし、戦えるようになる、そう「吹雪を司る者」は告げた。
「白和え美味しくいただいただけで、そんなこと、出来んの!?」
キースは、目を丸くした。
「ええ。可視化した吹雪のエネルギーは、『スノウモンスター』となります」
「『スノウモンスター』!? つまり、それを倒せばいいってこと!?」
「はい。吹雪のエネルギーを『スノウモンスター』に変換することによって、極度の低温や強すぎる風雪を緩和することになり、そのうえそのモンスターを倒すことによって、構造上限界のある人間の身でも、前に進むことが可能になるのです」
「へえええ! そんなことが……!」
「しかし、もともとは吹雪のエネルギーを変換しているだけですから、倒してもしばらくすると無限に『スノウモンスター』は現れ続けます。あなたがたは、戦い続けることによってのみ、前に進めるのです。とても、危険なことには変わりありません」
「吹雪を司る者」は、一人一人皆の顔を見渡した。勢いあまって、「吹雪男」「初雪男」の顔も見渡した。「吹雪男」たちとはほぼ同類の存在なので、なんとなくバツが悪かった。「吹雪男」と「初雪男」はもともと知り合いでもあり、別に鉢合わせてもどうということもないが、「雪」関連三人組は、互いに微妙な愛想笑いを浮かべていた。
「それでも、行きますか……?」
「吹雪を司る者」は、静かに尋ねた。
「当たり前だよ! ありがとう! 『小鉢イチオシ』さん!」
キースを筆頭に、一同、笑顔でうなずいた。
皆の心は、訊かれる前から決まっていた。
遠い昔。
「吹雪を司る者」との出会いの後、ヴァルデマーは一人呟いていた。
「白和え。あれだけは、絶対に食えん……」
伝説となる、大魔法使いヴァルデマー。
ヴァルデマーは、白和えが大嫌いだった。




