スノウラー山観測所
冷えた空気が、忍び込むようにしてやってくる。
いつの間にか、窓の外は雪が降り始めていた。
「魔界は、雪が降らないといいます」
北の巫女が、ゆっくりと口を開いた。
「ああ。確かに。魔界には全然雪がなかったな」
キースは、北の巫女の言葉にうなずく。
キースは、魔界でギルダウスと戦ったときのことを思い出していた。
「魔族は、雪について詳しいことを知らないはずです。ですが、きっともう――」
北の巫女は、美しい眉根を寄せた。
「人間であるクラウスもおりますし、雪についてはすでに研究済みでしょうね……」
北の巫女の言葉を受け、今まで黙っていたミハイルが発言した。
「大魔法使いヴァルデマー様の魔力さえ跳ね返すほどの自然の結界ですが、魔族の強力な魔力が束になり、そしてそこに雪に対する知識や経験が加わると考えると――、猛吹雪の結界を破るのは、もしかしたら不可能ではないのかもしれません」
「そんな可能性があるならば、やはり俺たちが先にコンラードを見つけなければならない」
キースは、まっすぐ北の巫女を見つめた。
「しかし、私たちの力では、スノウラー山に近づくことさえ……」
「スノウラー山に行ける可能性が、ほんのわずかにあるかもしれない」
「え……?」
一同、キースの顔を見つめた。
「俺に、少し考えがあるんだ」
「考え……とは、なんでしょう……?」
戸惑う北の巫女に向かい、キースは、ニッと笑う。
「俺は、スノウラー山に行く!」
キースは、強い口調で言い切った。
北の神殿よりさらに北にあるスノウラー山。その山を目指し、キース、カイ、アーデルハイト、ミハイル、宗徳、ユリエ、エリアス、レーヴィ、それから北の神殿騎士団長オッドは出発することにした。
「レーヴィ。お前も付いてきてくれるのか……?」
キースは、レーヴィの深紅の瞳を見つめ、尋ねた。
「とーぜんよ! アタシの力、あてにしてるって、キース、あんたも言ってたじゃない」
レーヴィは、赤く長い髪をさっと後方に流し、なにを今更、といった面持ちで笑う。
「ありがとう……! てゆーか……」
キースは、一人一人皆の顔を見渡す。
「スノウラー山付近は、危険な地域だ。行くのは、俺だけでいいと思うんだが……。皆、北の神殿で帰りを待ってて……」
「危険だったら、なおさら一人でなんか行かせられないわよ! それに、魔法の力だって必要だと思うし、私も行く!」
アーデルハイトがキースの両手を取り、叫んだ。
「もう絶対に、この手を離したりしないんだから……!」
エメラルドグリーンの瞳は、涙に濡れていた。
「そうですよ。僕やアーデルハイトさんの魔力も、どうぞあてにしてくださいね!」
少し首を傾け、いたずらっぽく微笑むミハイル。
「あー! ミハイル! 私のことも忘れないで!」
妖精のユリエが、自分の名前を出してもらえなかったことに不服を申し立てる。
「そうだな。ユリエ殿の力も必要だと思うぞ。当然ながら、俺も付いていく所存だ」
宗徳が笑う。
「ねーっ。宗徳! みんなで一緒に行くんだもん、ねーっ!」
ユリエは、ぱたぱたと羽ばたいて宗徳とミハイルの間に入り、小さな手で二人の袖を掴み、今更仲間外れはなしだよ、とウインクした。
「俺に行くなって言わないでくださいよ? コンラード兄さんに会いたいですから……!」
カイが嬉しそうに笑った。その後に、コンラード兄さんは、強烈なキャラクターですから仲介者が必要でもありますからね、と付け足した。
「北の巫女様のご命令がなくとも、私エリアスは、今後もキースさんに付き従います!」
エリアスが自分の右手の拳で左胸を叩き、答えた。
「キース様。北の神殿騎士団長、オッドもあなた様と共に参ります」
オッドは、キースに向かって微笑むと、右足を引いて右手を腹部に添え、一礼した。
「みんな……、ありがとう……!」
頬に、肩に、髪に、冷たい雪。しかし、ペガサスやドラゴン、翼鹿たちが飛べないほどの悪天候ではなかった。そして、胸には熱い思いが宿っていた。
「それじゃあ、いちかばちか、行ってみよう……! コンラードの待つ、スノウラー山へ……!」
一行は、空へと飛び立った。
雪がひどくなっていた。
飛行での移動が難しくなってきて、そろそろ地上に降りようかと一同が思い始めたとき、眼下に建物が見えた。
「キース様! あの建物が、『スノウラー山観測所』です!」
オッドが叫ぶ。そこは、ノースカンザーランド国営の観測所だった。スノウラー山の天候や状態を常時観測する施設である。
「いったん、あの建物に立ち寄りましょう! なにか最新の情報を教えてもらえるかもしれません」
キースたちは、「スノウラー山観測所」に立ち寄ることにした。
「ええっ!? 無理です! 無茶ですよ!」
キースの話を聞くやいなや、白衣を着た眼鏡の男性が、叫んだ。
「これ以上スノウラー山への接近は危険です!」
白衣を着た眼鏡の女性も叫んだ。
「いくら北の巫女様の予言の者といえど、無謀な話です!」
白衣を着た眼鏡の、男性か女性かよくわからない人物も、叫んだ。
「『緋色の月』の十三日から三日間以外は、絶対に行けません!」
白衣も眼鏡も付けていない、男性か女性かもよくわからない、中性的な美貌、もしかしたら――、人間でもない、そんな神秘的な印象を与える者も、叫んでいた。
彼らは、「スノウラー山観測所」に勤務する職員たちだった。ただし、最後に叫んだ者は、職員でもないかもしれない。
「でも、行かなくちゃいけないんだ」
キースは職員たちと職員ではないかもしれない者の瞳を一人一人見つめ、そう告げた。
「この先、どんどん吹雪は激しくなります。雪で視界は悪くなり、気温も激しく下がります。生き物が生きていけない、存在出来ない大変過酷な場所です」
白衣かつ眼鏡の、どう見ても女性の職員が、一同にあたたかいお茶を勧めた。
「私達も、その三日間以外は足を踏み入れたことがありません。スノウラー山のあらゆるデータを取っておりますが、計測機器は吹雪が止む三日間の間に設置回収するようにしており、それ以外は近寄りません。ところで、皆さん、ここでお昼を召し上がってはいかがですか?」
白衣かつ眼鏡の、どう見ても男性の職員が、一同に昼食をとるよう勧めた。
「安全なこの施設でゆっくりなさり、そしてお帰りくださることを強くお勧めします」
白衣かつ眼鏡かつ、性別がどちらとも取れる人物が、観測所滞在の後、すぐに帰るよう勧めた。
「この白和え、お勧めです」
白衣なし眼鏡なし、もしかしたら人間でもなし、職員でもなし、の不思議な美しい容貌の者は、皆の分の昼食を運んできて、その中でも白和えの小鉢を勧めた。
「いただきます。でも、俺たちは危険を承知で、それでも行かなければならないんだ」
キースは、白衣なし眼鏡なし人間でもなし、職員でもない美しいなにかの、小鉢の勧めをありがたく受け入れ、他の職員たちの言う帰ったほうがいいという勧めをやんわりと拒否した。
キースは、小鉢イチオシの謎の美貌の主を、改めて見つめる。
「あのう……。皆さんは観測所の職員さんですよね。で、あなたは……?」
キースは、その者がなに者かを聞かずにはおれなかった。
「秘密です」
「秘密かあ」
よくわからない美しい者は、白くほっそりとした指を自分の唇に当て、キースの質問には答えなかった。
よくわからないが、職員でないことだけは確かだ、皆そう心の中で呟いていた。
「実は、私たちもわかりません」
眼鏡職員二人組と、眼鏡なし職員一人が衝撃の告白をした。
えっ……。
一同、絶句した。この「確実に職員」の三名は、よくわからない者と一緒に、雪の降りしきる閉鎖的な建物の中、謎を謎のまま顔を突き合わせつつずっと仕事をしているのか、あまりにも不自然すぎた。
「だって、彼、いえ、彼女かもしれませんが――、このかたは、私たちより前からこの建物にいる古株ですから」
眼鏡男性職員が、打ち明けた。
「だって、私たちの研究対象は、スノウラー山であり、彼、いえ彼女かもしれませんが――、このかたではありませんから」
眼鏡女性職員が、打ち明けた。
「だって、このかたの作るお食事は、とても美味しいですから」
眼鏡なし性別不詳職員が、打ち明けた。
美味しければ、疑問に思わないのか――。
一同、驚きを禁じ得ない。
「確かに、美味しいねえ! この白和え、確かにすごく美味しいねえ!」
キースとユリエは、謎すぎる状況の中でも食事を満喫していた。
「ご馳走様でした! 美味しいお茶とご馳走、本当にありがとうございました! では、俺たちは行ってみます!」
キースが席を立つ。
「お帰りになるのですね?」
職員たちは、声を揃えた。
「いや。予定通りスノウラー山に行くよ!」
お腹もいっぱいになり、キースは元気いっぱいの笑顔で答える。
「少しでも危険を感じたら、この観測所にすぐお戻りください」
職員たちは、声を揃えた。
「本当にありがとう……! 皆さん! 帰りには、寄らせてもらうよ!」
「どうか、ご無事で……!」
職員たちは、声を揃えた。
「……困った人たちですね」
謎の美しい者が、呟く。
「さしずめ、あなたは職員じゃなくて『料理人』さん、かな? ご心配、ありがとう!」
キースが、謎の美しい者に笑いかけた。
「……自然の力を、甘くみてはいけませんよ」
謎の美しい者は、長い白銀の髪に輝く銀色の瞳をしていた。
「甘くみているわけじゃない。皆を危険に巻き込むようなことはしたくないと思うし、自分を過信しないよう気を付けたいと思う。ただ――」
「ただ……?」
美しい者は、赤い唇をうっすらと開け、キースの言葉を繰り返す。
「やらなければならない。そして、信じたいものたちがいるんだ――!」
「信じたいものたち……?」
美しい者は、キースを見つめた。キースは、観測所の扉を開ける。強い風と共に白い雪が飛び込んできた。明るい白が辺りに満ちる。
美しい者には、キースの姿が輝いて見えた。
「うん! じゃあ、行ってきます……!」
たちまち、キースたちの姿は吹雪に包まれ見えなくなった。




