花冠の少女
早朝、キースとカイはベッドを抜け出す。
真っ暗な北の神殿の廊下を、二人は並んで歩く。空気は冷たく清らかで、息をするたび体中すべての細胞が新しく生まれ変わるような、新鮮な気分になった。
「カイは、まだ寝ててもいいのになあ」
「大丈夫です。というか、俺も立ち会わせてください」
キースは、北の神殿騎士団長オッドと、手合わせの約束をしていた。
オッドはキースの都合のよいときいつでもいい、と申し出ていたが、キースはオッドと話した翌日の早朝を希望した。
キースの心は、密かに踊っていた。北の神殿騎士団の頂点に立つオッドは、少なくとも副団長のエリアス相当、もしくはエリアスよりも腕の立つ人物だろうと容易に想像出来た。もっとも、そんな肩書きを聞いていなくても、キースにはわかった。オッドの力強く鋭い眼差し、無駄のない所作、普通にしていても伝わってくる内面からにじみ出る気迫のようなもの、百戦錬磨のつわものであることは一目瞭然だった。
「キース。なんだか嬉しそうですね」
「うん――! やっぱ、強い男との勝負というのは楽しみだね!」
キースの瞳は生き生きと輝く。笑顔にも、気合いと力強さが宿る。
「あっ……!」
神殿から外に出ると、薄闇の中数人の人影が見えた。
「ヘリヤ女王陛下! サンデール! エリアス! レーヴィ!」
ヘリヤと従者サンデール、エリアスとレーヴィ兄弟だった。皆、それぞれのドラゴンに乗ろうとしているところだった。
「キース! 早いな! もう起きていたのか」
ヘリヤは、キースとカイに微笑みかけた。
「おはようございます、ヘリヤ女王陛下。もう城にお帰りなのですか?」
キースが尋ねた。ヘリヤはうなずく。
「うむ。朝のほうが、魔物の出現が少なく安全だからな。エリアスとレーヴィには、念のため森を抜けるまで付き添ってもらうことにしたのだ。皆には別れの挨拶もせず、すまぬが――。どうかよろしく伝えておいてくれ」
小さなヘリヤは、サンデールの手を借りドラゴンの背にまたがる。
大きなドラゴンに乗ったヘリヤは、よりいっそう小さく、はかなげに見えた――。
「ヘリヤ女王陛下……!」
キースは叫んでいた。
「いつか……! いつの日か、ぜひ俺の国にお越しください……!」
「キース……!」
「陛下に、贈り物があります!」
「贈り物……?」
ヘリヤは小首をかしげた。
「はい! もし陛下がいらっしゃいましたら、家の近くにある花畑にご案内します!」
「花畑……」
そこは、キースの国で有名な場所なのか、皆はそう考えた。
「なんでもない、ただ広いだけの花畑です。でもそこは、季節ごとに、黄色や桃色、白や紫や青といった、様々な色合いの野の花が咲き、それは見事なのです!」
ヘリヤは、昨日キースが語ってくれた、青空のもとで風に揺れる野の花の美しい情景を想像した。濃厚な、花の香りも心に思い浮かべた。
「そこでどうか、なにもせずただお過ごしください!」
「え……? なにも、せず……?」
ヘリヤも皆も、きょとんとした。わざわざ遠い異国でなにもせず、花畑にただいてくださいとは、どういう意図だろう、と思った。そして、キースの言う贈り物とは……?
「いえ! 逆に、なにをしても構いません! 花畑の中を走り回っても、寝転がっても、花冠を作っても、歌を歌っても踊っても、なにをしても構いません!」
「キース……?」
キースの青い瞳は、初夏の広がる空を連想させた。
「俺は、陛下に『時間』をお贈りしたいのです! ヘリヤ女王陛下が、『女王陛下』ではなく、ヘリヤという一人の女の子に戻れる時間を……!」
王冠ではなく、花冠を乗せ、自由に踊り、歌う女の子。そんな時間を持って欲しい、キースはそう強く願っていた。
そしてキースは、ヘリヤに向かってひざまずき、深く頭を下げた。
「大変なご無礼を申し上げて、申し訳ないとは思います! ですが、ですが……!」
キースは顔を上げ、ただまっすぐヘリヤを見つめた。
「いつか、陛下が俺の贈り物を受け取りにいらっしゃること、俺は心からお待ちしております……!」
風が吹いた。ヘリヤの前髪が、優しく揺れた。どこからか、花の香りが漂ってきたような気がした。実際は、雪の世界でどこにも花は咲いていないのだけれど。
「キース……!」
「……実際に、そんな日が来ることはないかもしれません。それでも、遠い異国の地で、そんなふうに思っている人間がいること、どうか覚えていてください……! 俺は、陛下が心からの笑顔で日々過ごされていることを、切に願っております……!」
「キース……!」
ヘリヤも、まっすぐキースの瞳を見つめていた。
「ありがとう……! キース……! いつか、いつか案内してくれ……! サンデールと共に、参ろうぞ……!」
「はい……! 陛下! たくさん最新のダジャレをご用意して、お待ちしております……!」
ヘリヤもサンデールも顔を見合わせ、心からの笑顔を浮かべた。
「キース……! では、また会おうぞ……!」
ヘリヤとサンデールはキースに手を振る。普通なら、頭を下げるべきなのだろうが、キースは思いっきり笑顔で大きく手を振り返した。
ヘリヤとサンデールを乗せたドラゴンがそれぞれ飛び立つと、エリアスとレーヴィを乗せたドラゴンも後を追うように飛んで行った。
「ヘリヤ女王陛下……! どうか、あなたがあなたでいられますように……!」
空に向かって呟くキース。
キースの心の中で、明るい陽光に包まれた、花冠の少女が笑っていた。
北の神殿ほど近く、いくつもの建物があった。
北の神殿騎士団の関連施設である。
一番大きな体育館のような場所に、キースとカイは足を運ぶ。
オッドとの待ち合わせ場所、北の神殿騎士団訓練場である。
「おはようございます! キース様、カイ様……!」
訓練場の扉を開けると、オッドの人懐っこいような笑顔が出迎えてくれた。
「おはよー」
キースは軽快な挨拶の言葉と裏腹に、神妙な顔つきをし、改めて気を引き締めた。一見、普通の人間なら友好的で温和な人物に見えるかもしれないオッドの微笑み。しかし、キースはオッドのその笑顔の奥の、計り知れない野性的で好戦的な、ほとばしるような力強いエネルギーを、密かに嗅ぎとっていた。
「おはようございます、オッドさん。キースとオッドさんの、二人だけの手合わせということでしたが、どうか俺も立ち会わせてください」
カイが、オッドに一礼した。
「カイ様。もちろんですよ! と申しますより、むしろ私は貴殿にぜひ参加していただきたいと思っておりました」
オッドの声は、無邪気な少年のように弾んでいた。
「俺に、参加……?」
「はい……!」
オッドは金色の瞳に強い光を宿し、笑った。そして、自分の腰に差した剣に手を当てた。
「実は、私の持っているこの剣、これは、名匠オースムンの技を受け継いだ弟子たちが創った剣に、力のある魔法使いが魔力を込めたという名品です。カイ様ほどの強力な力はありませんが、大変優れた魔剣です」
「オースムン様のお弟子さんたちが創った剣……!」
感慨深そうに、カイは呟き、オッドの腰に差された剣を見つめた。自分の意思を持ったり人の姿になったりすることはないだろうが、自分と似たような造りをした剣。そして、自分の生みの親の一人であるオースムンの技が、しっかり弟子たちに受け継がれているというのも嬉しかった。
「はい。言わばこの剣は、カイ様のご親戚にあたる感じでしょうかな?」
オッドは、いたずらっぽく笑った。
「オッド。真剣試合をするつもりなのか?」
キースがオッドに問いかける。まあ、想像していたことではあったが――。
「はい! キース様、カイ様、ぜひよろしくお願いいたします!」
キースは、シーグルトとの手合わせを思い出していた。キースは、腰に差したシーグルトの剣を外し、壁に立てかけた。少しでも身軽にしておき、本来の実力を出せるようにするためである。オッドとの真剣試合は、万全の状態で臨むべきだ、そうキースの本能が告げていた。
カイはキースの瞳を見つめたが、キースの望む選択肢が試合をすることしかないということを悟り、なにも言わずただうなずいた。
カイは、剣の姿になった。
「ほほう……! カイ様は、そのように瞬時に変身なさるのですね! 実に興味深い……!」
オッドの感嘆の声が、訓練場内に響き渡る。
シーグルトの剣の脇に、密かに畳まれた衣服が揃えられていた。カイの瞬間脱衣。さすがのオッドも、残念ながらそこには気が付かない。
「オッド! よろしくお願いします!」
「キース様……! こちらこそ、よろしくお願いいたします……!」
それぞれの魔剣を構えたキースとオッド。
日の出前のしんとした訓練場の空間に、静かな、しかし激しい火花が散っていた。




