黒の森と、北の神殿
朝からずっと、雪が降っていた。一行は、陸路をとる。
目の前には、昼前というのに暗い森。
凍り付いた木々の枝は、人の侵入を拒んでいるように見えた。
「この森は、『黒の森』と呼ばれています。この森を越えた山の頂上に、北の神殿があります」
エリアスがキースたちに説明する。
「えっ? この森の先? なんか、すげえ不気味な森なんだけど、そんなとこの近くに神殿があんの?」
思わずキースが尋ねた。そこは、悪天候ではなく快晴の昼間であっても、きっと暗く寂しい雰囲気なのではないか、どこか足を踏み入れるのをためらわせるような不気味な森だった。
「陰と陽のバランスのように、聖地の周りに闇の地帯がある、そういうことはあるものですよ」
ミハイルがエリアスの代わりに答えた。
「へえ、そーゆーこともあるのか。もしかして、ここ、『魔』の気も強い?」
キースは、この森はあの「山の主」のいた山に似ている、そう肌で感じていた。
「はい。おそらく、ここは魔物が多く出没する森ではないかと――」
「ミハイル殿。その通りです。ここは、危険な森です。北の神殿に、我々北の神殿騎士団が配備されているのも、そういった事情があるためです」
ミハイルの言葉にうなずくエリアス。改めて気を引き締める一同だったが、キースは平然としていた。
「へー。エリアス。そーなんだ。『清めの鈴』がいても、ここは完全には清められねーんだな」
「スノウラー山の怪物のときとは話が違いますからね。もともと自然の『気』や『磁場』の関係上、そのような状態になっているので、清めてもすぐに元の状態に戻ってしまうのです」
今度はカイが説明した。エリアスとミハイルもうなずく。
「強い光の下には、色濃い影が生まれる、そういうことか……!」
一同は、「黒の森」に足を踏み入れた。
ガンッ! ザッ! ザザザッ!
森の奥から、激しい音が聞こえる。
硬いものを斬る剣の金属音と、雪の積もった大地を駆ける音。
「! あっちに誰かいるっ!」
ガアアアアッ!
獣の咆哮。
「魔物と、戦っているのか!?」
キースたちは、音の聞こえるほうに向かって走る。
「なかなか斬れん! 硬いな!」
金髪で青い瞳の少年が、剣を振るいながら叫んでいた。
「全身硬いウロコで覆われています! お気をつけて!」
黒髪を無造作に後ろに束ねた背の高い青年も、剣を振るいながら叫ぶ。
二人の剣の使い手に対し、魔物は四頭いた。
魔物は小型の熊のような姿で、全身硬質なウロコで覆われていた。ウロコの表面は、まるで鏡のようだった。ウロコの一つ一つが光を反射し、目をくらませる効果も持っているようだった。
「それぞれのウロコが光りやがる! まったく、やりずらいな!」
少年が叫びながら剣を構える。
「大丈夫かっ!? 俺たちも助太刀するぜっ!」
キースが、二人のもとへ駆けつけた。キースの手には「滅悪の剣」が握られている。
「…………!」
少年と背の高い青年は、一瞬キースを見て驚いた顔をした。
「……それは助かるな! 少々、苦戦していた!」
少年は、快活な笑顔を見せた。
キースも少年に笑顔を返してから、魔物に意識を集中する。
――確かに、剣を阻むウロコだ……! ウロコの間を狙うか……!
動いたとき、きっと重なり合うウロコにも隙間が出来る。一瞬のうちにキースはそう判断した。
キースは、「滅悪の剣」を構え、まっすぐ魔物に突き進む。
ガンッ!
「くそっ! 狙いがずれたか!」
キースは、ウロコとウロコの間を突き刺すつもりだったが、ウロコの光に眩惑され、剣筋がずれていた。
ガンッ! ガンッ!
宗徳、エリアス、レーヴィ、レオ、トーレ、そして背の高い青年と少年、それぞれも魔物に対して剣を振るう。しかし、硬いウロコの前に、剣は弾き返されるばかりだった。
「聖なる山の風の精霊……! 我に力を……!」
ミハイルが、天高く杖を掲げた。
風が、杖の先端に渦巻くように集まってくる。
「竜の風、魔の者どもを吹き払え……!」
ミハイルが、地面に向かって杖の先を打ち付けた。
ゴウウウウウッ!
風が、走る。
木々の間を通り抜け、強い風が魔物にだけ直撃した。四頭の魔物は、激しい風にあおられ、腹を見せるようにして倒れる。魔物の腹部にはウロコはなく、皮膚が露出していた――。
ザッ!
少年が、素早く魔物に剣を突き立てた。
「仕留めたぞ……!」
ミハイルの風の攻撃は、物理的な衝撃だけでなく、確実に魔物の魔力も奪っていた。残り三頭は、弱々しく立ち上がる。
「我は扉を開く! 魔の者よ! 汝の住まう魔の国へ帰れ!」
アーデルハイトが呪文を叫んだ。一頭の魔物が、虚空に吸い込まれるようにして消えた。
ガウウウウウッ!
一頭が、宗徳に向かって牙を向く。大きく裂けた口には、鋭く長い牙が並ぶ。
宗徳の目に、鋭い光が宿る。自分の刃を向けるべき、ただ一点を狙う――。
ガッ!
宗徳は、魔物の口中に刀を突き刺した。
「シダびんたっ!」
妖精のユリエが、宗徳の刀によって貫かれた魔物に平手打ちをくらわせ、とどめを刺した。
とどめ……。「びんた」なんだ……。
一同、なんとなくユリエの強さに感心する。
最後の一頭。一番大きな体躯をした一頭が、キースに突進する。
――ウロコの間……! ここだ……!
時間が、止まったようだった。ウロコのない腹部でなくとも、キースには見えた。ウロコとウロコの間。魔物の、弱い部分。
ザッ!
「滅悪の剣」は狙った一点を貫いた。
――やった……!
「シダ往復びんたっ!」
ぱんぱんっ!
森の中にびんたの音がこだまする。しかも往復。
「ちゃんと、とどめ刺したよ!」
ガッツポーズのユリエ。
なんか、シュールだな……。
一同、なんとなく微妙な気持ちになる。
魔物はすべて、光りながら消滅した。
森に、静寂が帰ってきた。
「へ……!」
背の高い青年が、少年のもとに叫びながら駆け寄ろうとした。しかし、少年は急いで首を振った。
青年は、少年の様子に気が付き、口ごもった。
へ……?
青年は、「へ」と言いかけてやめた。
キースたちは、「へ」の言葉の続きはなんだろう、と思う。
まさか、「屁」じゃ、ないよな……、別に臭くないし、そう考えたのはキースだけだが。
「え、ええと……。ヘンリク様。お怪我などなさいませんでしたか……?」
「案ずるな。サンデール。わしは無事じゃ。それより……、皆さん、本当にありがとうございました」
ヘンリクと呼ばれた少年は、皆に向かって頭を下げた。
「いやいや! そんな、俺たちに頭を下げなくても! ここは、危険な森らしーからねえ! みんな無事でよかった、よかった!」
キースは、ヘンリクとサンデールに向かって、屈託のない笑顔を向けた。
「ところで……、皆さんは、もしかして、北の神殿に向かっていらっしゃるのですか?」
青の瞳を輝かせ、ヘンリクが尋ねた。
「ああ、そうだよ! この先にあるっていうからねえ、もしかして、ヘンリクちゃんたちも?」
キースの「ヘンリクちゃん」という言葉に、少しサンデールが眉をひそめたように見えた。一瞬の反応だったが、感覚の鋭いレーヴィとアーデルハイトは少し引っかかるものを感じた。それは女性的な観察眼、とでもいうのだろうか。
「ヘンリクちゃんも一緒なのー?」
にこにこと明るい笑顔のユリエ。ちなみにユリエも女性だが、彼女の観察眼は恋愛方面にのみ働くようで、サンデールの表情についてはなにも疑問に思わなかった。
「はい! そうです! わしもサンデールも、北の神殿に行くところだったのです」
「ヘンリクちゃん、自分のこと『わし』って言うんだねえ! 面白ーい! なんだかいいねえ! 私も、自分のこと『たか』って呼ぼうかなあ?」
ユリエ、その「鷲」じゃない!
一同、そこにはしっかり反応した。
「また手強い魔物が出るかもしれないし、どうせなら、一緒に行こう!」
キースが明るい声で、ヘンリクとサンデールに提案する。
「それは誠にありがたい! ぜひご一緒させてください!」
ヘンリクが笑顔でうなずき、サンデールがヘンリクの反応を待ってから、皆にお辞儀をした。
「行こうー! 『わし』と『たか』と『とんび』と『ふくろう』と『チョウゲンボウ』、ええと、それからなんにしよう、まあ、なんでもいっか! みんな、みんなで一緒に行こうー!」
楽し気に鳥の名前を叫び、拳を上げるユリエ。
誰が「とんび」で誰が「ふくろう」なんだ……。そして、「チョウゲンボウ」ってなんなんだ――。
その鷲じゃないんだけど、と思いつつ、一同は鳥類にしばし思いを馳せる。
「チョウゲンボウ」とは、小型の猛禽類である。
そこは、特別な山だった。
先ほどの森とは正反対の清浄な空気。辺りは開けていて、明るい光に満たされていた。自然と背筋が伸びるような不思議な感覚。人々から、神域と呼ばれるところだった。
見上げたその先に、白い壮麗な建物があった。
「あそこが、北の神殿……!」
踏みしめる雪が、柔らかな音を立てる。
ペガサスやドラゴン、翼鹿を引き連れ、キースたちは、神殿の階段を昇って行く。
キースは、白く輝く大きな門をくぐった。
「カイ兄さん! ユリエちゃん! ルーク!」
美しい銀の瞳を輝かせ、銀の髪の乙女が叫んだ。「清めの鈴」のセシーリアだった。
「セシーリア!」
妖精のユリエが、セシーリアのもとへまっすぐ飛んでいき、抱きついた。ペガサスのルークも駆け寄り、セシーリアに頬をすり寄せた。セシーリアは、ユリエとルークに輝く笑顔を返してから、皆のほうへ視線を戻す。
「へ……!」
一同を見たセシーリアが叫んだ。
へ……?
セシーリアは、「へ」と叫んでいた。
また、「へ」……?
ヘンリクとサンデール以外の一同が首をかしげた。
きっと、セシーリアはヘンリクを知っていて、それでヘンリクの名前を呼ぼうとしたのだろう、一同はすぐにそう理解した。が、セシーリアの驚きで満たされた大きな瞳を見ていると、なんとなく違和感を覚えた。それほどまでに意外な来訪なのか、と疑問に思う。
まさか、本当に「屁」じゃないだろうなあ、そうキースが考えたときだった。
「陛下……!」
セシーリアは、そう叫ぶとひれ伏した。
え……? 陛下……!?
キースたちは、振り返る。
少年ヘンリクは、微笑んでいた。




