心に決めていること
あの日。
フレデリクは、まるで昨日のことのように思い出す。
初等科の生徒たちが下校した後の、がらんとした廊下をフレデリクは歩いていた。
つい先ほどまで、子どもたちの無邪気な笑い声であふれていた空間。今は、無機質な静けさに包まれていた。
キーン!
フレデリクの頭の奥に、切り裂くような衝撃が走った。
まさか……!
額に、冷や汗が吹き出す。倒れそうになり、壁に手をついた。抱えていた授業用の資料が、音を立てて床に散乱する。
めまいを覚えるフレデリクの眼前に、青い色の、ゆるやかに波打つような髪の青年が現れた。
「ラーシュ君……!」
フレデリクにはわかっていた。これが、実際のラーシュではなく、ラーシュが送ってきた幻影であることが。
『フレデリクさん……。すみません……。私はたった今、クラウスの手に落ちました』
ラーシュの声が、フレデリクの頭の中に入ってきた。
「! クラウス!?」
『間違いありません。あのときの少年、彼です。彼が予言の魔法使いだったのです』
「そんな……!」
フレデリクの声はかすれていた。喉がからからで、思うように声が出ない。
「クラウス君が……! 予言の魔法使い……!」
フレデリクは、無意識に自分の心臓の辺りを手で強く抑えていた。めまいがひどくなり、吐き気もこみ上げてくる。頭が、痺れてしまったようになっていて、うまく言葉が出てこない。
『予言について、喋らされました。とっさに意識を閉ざそうとしましたが、間に合わなかったのです。これからは、さらに深く意識を閉ざします』
「ラーシュ君! 君は、無事ですか!? 大丈夫ですか!?」
『はい。無事です。ですが――』
「ラーシュ君!?」
『……今まで、本当にありがとうございました』
「そんな――! お別れみたいな言葉を……! 必ず君を助けます! 絶対に君を助け出します!」
ラーシュは、ただ微笑んでいた。
「ラーシュ君!」
現れたときと同様、唐突に、ラーシュの幻影は消えた――。
「ラーシュ君ーっ!」
フレデリクは窓から飛び降りた。そこは、三階だった。しかし、フレデリクは躊躇しなかった。魔法を駆使しながら着地し、身体能力をはるかに超越した速度で駆け出していた。
家は、留守だった。
学生のハンスはまだ講義を受講中だったし、フレデリクの妻は、夕食の買い出しで外出中だった。それは、不幸中の幸いだった。もし、屋敷にいたら無事では済まなかったに違いない。
人気のない屋敷は、一見なにも変化はないように見えた。少なくとも、魔法使いではない普通の人間にとっては、そう見えたであろう。
だが、家のあちこちに仕掛けてあった魔法のガードは、ことごとく破られていた。施錠されていた鍵はすべて、開けられたあとご丁寧に魔法によって外からふたたび施錠されていた。魔法の扉も、あの少年クラウスの一件以来、何倍も強化し、さらに仕掛けも何重にもしたはずだった。しかし、それも難なく解かれていた。
叔父のベルトルドとフレデリクが力を合わせて練った、強力な魔法によって創られた、動く人形の門番も衛兵も、すべて魔法を解かれ、ただの置物になっていた。
当然ながら――、ラーシュの姿はない。
フレデリクは、呼吸を整えた。焦る心を無理やりにも静め、意識を集中させる。
ラーシュのいたところに、手をかざす。魔法の痕跡をたぐる。
なにも、感じない――。
しかし、北の巫女の予言を知る者には、わかりきったことだった。
予言の魔法使い――クラウス――は、ノースカンザーランドへまっすぐ向かっている。次に『退魔の杖』を手にするために。そしてそれはおそらく、世界を掌握するために――!
フレデリク邸の魔法がすべて破られたとき、受講中のハンス、それから離れたところに住むベルトルド、それからイデオンとアンネも同時に異変を感じ取っていた。
「ラーシュ君が、連れ去られました……!」
フレデリクからの連絡が伝わる前に、皆旅支度を始めていた。
「北の巫女様の予言では、強大な力を持つ魔法使いに対抗する救世主が、エースさんの血族の『滅悪の剣』を扱う者、とだけ語られています。それは、どうしてなのでしょう」
宿屋「スノードロップ」の食堂で、開口一番フレデリクが疑問を呈した。
「え……?」
夕食をとっていた一同だが、思わず皆食事をする手を止めた。
「なんで、そんなこと訊くのー?」
妖精のユリエだけが、もぐもぐ口を動かしながら聞き返す。ユリエは、頬一杯にチーズオムレツを詰め込み、首をかしげながらフレデリクを見つめた。
「ずっと、疑問だったのです。キース君は、剣士でした。いくら強大な力を持つ魔法使いとはいえ、対抗するには同じく魔法を使える者のほうが戦いにふさわしいのではないかと」
「……予言の魔法使いが強すぎるから、逆に違う戦力で対抗するほうがいいってことじゃね?」
キースもチーズオムレツを頬張った。口いっぱい広がる濃厚な味わいに、ユリエと顔を見合わせ満足そうにうなずき合う。「チーズオムレツを頼んで正解だった、よかったね同盟」が結ばれていた。
「私には、他の意味があるような気がするのです」
フレデリクは、筑前煮を頼んでいた。なかなかに渋いチョイスである。
「他の意味、とはなんでしょうか?」
エリアスが尋ねた。エリアスの手元には、熱々のチキンソテー。なぜか、それぞれ「ち」で始まるおかずをオーダーしていた。しかし、彼らはその偶然に気付いていない。もし気付いていたら、「料理名『ち』でスタート、だって好きなんだもん同盟」が結ばれていたに違いない。
「キース君が剣士で、宗徳君も北の神殿の皆さんも剣士。アーデルハイト君や私や私の親族が魔法使い。ミハイル君が退魔士。そして、妖精のユリエ君。さまざまな能力を持つ者が集結しました」
フレデリクは、一人一人皆の顔を見渡した。勢いあまって、店員さんの顔まで見渡した。なんだか一人か二人くらい多いな、とフレデリクは感じたが、それは関係ない人の顔まで見渡したせいである。
「え……? まあ、様々な連中が集まったけど。それがなにか関係あんの?」
キースは、フォークでオムレツをすくう手を止めた。ちなみに、ユリエは止めない。彼女は完食に向かって前進あるのみ、である。
「もし、キース君が剣士ではなく魔法使いだったら、我々は魔法使い主導、魔法使い中心の集団になったと思います」
「そうかなあ? 先生、意味を考え過ぎじゃね? それに、『滅悪の剣』が『知恵の杯』や『退魔の杖』のきょうだいだから、なんじゃねえの? 『滅悪の剣』を使えるやつっていったら、剣士だろうし」
「確かに、『滅悪の剣』のカイ君という特殊な存在があるから、カイ君を扱える者が世界を救うキーマンであるというのはわかります。予言の魔法使いが『退魔の杖』を手にしてしまったら、その魔力に対抗できる物質は『滅悪の剣』しかない、だから剣士なのだろう、とも思います。でも、魔法使いでも『滅悪の剣』をふるうことは可能です。魔法使い相手であれば、剣術に秀でる必要はありません。『滅悪の剣』の力が勝利へと導こうとするでしょうし、勝敗は魔力の問題となることでしょう」
「え。『滅悪の剣』を扱えるのって、剣士だからじゃねえの?」
「私の偉大なる祖父、アントンが話してくれました。剣術に優れている者がすなわち『滅悪の剣』を扱える者ではない、と」
「え? もしかしてそれって、魔法使いでも退魔士でも、もしくはなんでもない普通の人でも、カイを扱う資質があるかもしれないってこと?」
レーヴィが尋ねた。レーヴィの前にはチョリソーの盛り合わせ。またしても「ち」で始まる至極の一品。
「あるいは、そうかもしれません」
「そうなのっ? カイッ?」
思わずキースとレーヴィは、カイを見つめる。
「……自分でもよくわかりませんが……。たぶん、そうかもしれません」
問い詰められたような気分になって、なんとなく下を向くカイ。正直、なにが主人となるかどうかの決め手かは、よくわからない。たぶん、「心」なのだろうとカイは思う。
「まあっ! それじゃあカイって、ストライクゾーンが広いのね!? 気が合えば、誰でもいいのね!? 誰とでも寝るのね!? そうなのね!? この浮気者っ!」
「なんでそうなるんだ」
わけのわからない発想の飛躍をするレーヴィを、キースとカイが同時にどついていた。
「……まあー、アタシも、フレデリク先生素敵って思っちゃったから、浮気者ということに関してはあまり責められないけどお?」
レーヴィが頬を染め、テーブルに「のの字」を書く。皆、全力でスルーすることにした。急に皆、中断していた食事を始めた。突然名前を出されたフレデリクは、なんの話かわからず眼鏡の位置を上げてみた。話が見えなければ、眼鏡を合わせればいい、どうやらそう信じているようだった。
「……予言の救世主が剣士であるというのは、予言の魔法使いを倒すためには、魔法使いだけではなく様々な能力を持つ者が力を合わせなければならないから……。私はそんな隠れた意味があるような気がするのです――」
気を取り直し、フレデリクが皆の目を見てそう締めくくった。
「様々な能力の者が力を合わせる――」
キースはゆっくりとフレデリクの言葉を呟き、それから、笑顔でうなずく。
「そうだな! フレデリク先生の言葉に賛成! 皆が集まるから大きな力になるんだよな! 皆、よろしくーっ!」
皆、笑顔でうなずいた。
それからは、楽しい歓談になった。話し合う作戦も、戦術も、特別なかった。相手の動向がわからないだけに思いつかないというのもあったが、皆、今はどんな作戦や戦術より、他愛のない会話を楽しむほうが、よほど有意義な気がしていた。
フレデリクは一人小さな声で呟いた。
「……キース君の言う通り、話し合うこと、ありましたね」
フレデリクは、皆と時間を共有できたことに、心から感謝していた。
翌早朝、予定通りフレデリクとフレデリクに同行していた北の神殿騎士団の者は港へと向かい、キースたちは北の神殿へ向かうことにした。
「先生。くれぐれもお気をつけください――」
「アーデルハイト君、キース君、そして皆さんもどうぞお気をつけて。きっとふたたび集まることがあると思います。皆、元気な姿でまたお会いしましょう――!」
フレデリクは皆に笑顔で挨拶をした。そして皆に背を向けた。
皆にかけた言葉とは裏腹に、フレデリクは、心に決めていることがあった。
もし、クラウスに出会ったら自分が命をかけて彼を足止めしてみせる、と。
皆と力を合わせて、ではなく、自分は自分だけのやれることをしよう、と。
自分の命の限りを尽くそう、と――!
残念ながら私には、そんなに才能も運もありませんからね。予言の魔法使いを倒す、そんな大それたことは考えません。
ただ――、ただ、私の命でできることをやり尽くします――!
フレデリクは、自分は皆ともう二度と会うことはないだろう、そう腹をくくっていた。
フレデリクは眼鏡の位置を直し、ドラゴンの背にまたがった。




