冷たい風
「ギルダウス……!」
闇が、一層濃く見えた。巨大な、影。鋭い漆黒の目が、キースを睨み付ける。だが、圧倒するような強い光を宿すギルダウスの瞳には、意外にも当惑の色が浮かんでいた。
「キース……! お前、なぜその剣を……!?」
ギルダウスは、キースの腰にさした剣を凝視していた。
「……これか? これは、シーグルトっちの剣だよ!」
キースはギルダウスをまっすぐ見つめ返し、叫んだ。
「どうしてお前がシーグルトの剣を持っている!」
大気を震わし、腹の底に響くような低いギルダウスの怒声。
カイは「滅悪の剣」の姿となり、キースはそれを掴んだ。
「……シーグルトの現在地がわかるよう、その剣の鞘には目印となる特殊な石の飾りを付けさせていたのだ……! 今までシーグルトは、毎日私に連絡をよこしてきていた。それなのに、船に乗るとの報告以来、連絡が途絶えていた――。気になったので石の反応のあるほうへと来てみたのだが、目の前にいるのはシーグルトではなくキース、お前とその魔剣のみ……!」
キースの全身に、ビリビリと突き刺さるような感覚が走る。キースは深く息を吸い込み、「滅悪の剣」を強く握りしめた。
「……ああ。なるほど。ギルダウス、あんたは俺に会いに来たのではなく、シーグルトっちに会いに来た、そういうわけか……」
「キース! 答えろ! なぜ貴様がその剣を持っている!?」
まるで、暴風が真正面から襲ってきたようだった。強い魔力の放出。キースは重心を落とし、雪の積もった大地を強く踏みしめた。
「……シーグルトっちは、死んだよ!」
キースは、ありったけの声で叫んだ。夜明け前の公園の静寂を、切り裂くようなキースの絶叫。
キースの魂からの悲鳴のような声は、まっすぐギルダウスの胸に突き刺さった。
「なに……!?」
ギルダウスは、改めてキースの顔を見つめた。
「シーグルトっちは、死んだ! 海の怪物と戦って! 俺は、その怪物の襲撃があんたのお仲間の中の誰かの仕業だったって、思ってるけどね……!」
「なんだと……!?」
ギルダウスは目を大きく見開き、声を震わせた。
「やっぱり、ギルダウス……、あんたはなにも知らなかったのか――」
「まさか……!」
ギルダウスは、愕然として色を失った。
「まさか、じゃねえ! そんなちょうどよく俺の乗船した船を怪物が襲うわけがねえ! それに、俺のマブダチの分析出来るやつが、その怪物は『地上の怪物に魔力が加わったもの』だって言ってたからな! 地上の怪物に魔力を加える、そんなことが出来るのは人間じゃねえ、魔族だけだ! つまり、あんたの仲間がやった可能性が高いってことだよ!」
『マブダチ』とはミハイルのことだった。ギルダウスに、こちら側の情報を極力与えないようキースは用心していた。言葉にしてみると少々照れくさいものがあったが、自分で言ってみて場違いにも嬉しさがこみ上がる。
――そーだよ! ミハイルも宗徳もカイもユリエも、みんなみんな俺の「マブダチ」だっ!
ギルダウスは、ゆっくりと口を開いた。
「『まぶだち』とはなんだ……」
「えっ!? そこ、聞く!?」
肩透かしを食らうキース。
「心からの友だち、親友のことだよ!」
「ああ。なるほど」
「なるほど、じゃねえ!」
改めて説明して、なんだかちょっと赤面するキース。
「……シーグルトが……。そうか……」
ギルダウスは、うめくように呟いた。混乱と動揺、全身からあふれ出るような強い威圧感は薄れていた。
「シーグルトっちの生きた証であるこの剣は、俺が受け継ぐことにしたんだ! シーグルトっちは……! 俺の大切な師匠だ!」
キースは、胸に渦巻くすべての感情をギルダウスにぶつけた。魔族から放出される魔力が魔族の魂のエネルギーが解放されたものだとすれば、人間の魂のエネルギーの放出は、高ぶる熱い感情だった――。
「…………」
ギルダウスの口は固く結ばれ、虚空を見つめるような瞳はかすかに揺れていた。
「ギルダウス! 勝負だ!」
キースは「滅悪の剣」を構えた。そして――、凍てついた大地を蹴り、そのままギルダウスに向かって突進する。
キースの筋肉が躍動する。剣が風を斬る。ギルダウスの喉元まで、あと少し――。
ガンッ!
ギルダウスは、手に持っていた銃剣で「滅悪の剣」を受け止め、そして勢いよく振り払った。
「くっ!」
キースは「滅悪の剣」を手にしたまま後方に弾き飛ばされていた。なんとか尻もちはつかず、足を広げて膝を曲げた姿勢で着地する。衝撃で積雪が宙を舞う。
「ギルダウス! まだまだだっ!」
ギルダウスは、首を左右に振った。
ふたたび剣を構え直すキースを、ギルダウスは手で制する仕草をした。
「……ギルダウス……?」
ギルダウスから、闘志は感じられなかった。
「……私は今日、シーグルトに会いに来た、それだけだ。お前とやり合うつもりはない。では……、キース。また会おう――」
吸い込まれるように冷気がギルダウスへ向かって集まっていく。ギルダウスの全身は、渦巻く煙のようなものに包まれ始めた。
「なっ……!? なにを言っている!? ギルダウス! 勝負はこれからだ!」
「今は、そんな気になれん――」
キースは、ギルダウスの瞳に悲しみの光を認めた。
ギルダウスの姿は、霧の中にいるように薄れていく。
「ギルダウス……!」
「……シーグルトの報告通り、お前の回復はまだまだのようだ――。勢いも、剣技も鋭いようだが、肝心の肉体の回復がまだだ。人間相手なら余裕で勝利するだろうが、お前はまだ私と戦える状態ではないはずだ。無理をするな。お前まで失うことになったら、私は――」
「ギルダウス!」
ギルダウスの姿は、もう黒い影しか見えない。
「キース。次に会うときを楽しみにしているぞ――」
どこか遠くから響くような声。結ばれた冷気の渦巻きが、今度は次第にほどけていく。
「ギルダウス! 俺は……!」
一陣の風。そこに、ギルダウスはいなかった。目の前にあるのは、眠りから覚める前のごくありふれた公園の光景。キースの言葉は、取り残される形となった。
ゆっくりと、朝日が照らし始めた。
立ち尽くすキース。キースは、唇を噛みしめた。
「くそっ……!」
キースは、嵐のような感情に巻き込まれていた。ギルダウスに軽くいなされた結果となった自分に対するもどかしさ、ギルダウスとの戦いが先送りとなったことに安堵している自分自身への怒り、そして――、シーグルトを失い、そのうえその死の引き金を引いたのが魔族だったと知ったギルダウスの複雑な胸中に対する哀憐――。それから、ギルダウスが自分やシーグルトに対して並々ならぬ思いを抱いてくれている様子を感じ、そこに強い喜びさえ生まれていた。様々な感情がキースをさいなむ。
「キース」
カイは、人の姿に戻っていた。
「これでよかったんですよ。今はまだ、対決のときじゃなかったんです――。いずれ来るそのときに向け、静かに力を蓄えましょう」
「カイ……」
「戻りましょう。皆さんが心配します」
「うん――」
カイは、キースの背にそっと手を当てた。キースに去来する様々な感情を、抱きしめ、なだめるように。
キースは、振り返ってカイを見た。カイは黙って微笑んでいた。
「…………」
ゆっくりと朝の金色が、空に広がる。
キースもカイに向かって、少し笑ってみせた。そんな気分ではなかったけれど、あえてそうしてみた。ちゃんと、笑顔になった。
なにも言わずに並んで歩く。雪の上、二人の足元にも、広がる金色。
それだけで、充分だった。
魔界の森。ギルダウスは一人佇む。
「地上の怪物に魔力を――、そんなことが出来るのは、確かに魔族だけ――」
ギルダウスは考える。それは、普通の魔族でも出来ないことである。ましてや強大な魔力を秘めていたとしても、人間、クラウスにはそこまでのことは出来ないはず――。
わざわざ、そこまでして人間を襲う魔族といえば――。
「ビネイア様か……」
風が木々を揺らす。ざわざわと、心を乱す音。
クラウスとビネイア。
寄り添うように並ぶ二人の姿が脳裏に浮かぶ。
ギルダウスは、大きなため息をついた。
ギルダウスは、一歩を踏み出す。思いのほか、足が重い。
「……シーグルト……。キース……」
なんとなく、思い浮かんだ名を呼んでみる。当然ながら応えはない。
ギルダウスは、力なく首を振った。冷たい風が、胸を貫き通り抜ける。シーグルトに会うことはもうない。そして、キースに次に会うときは――。いたずらに声に出してしまったことを、激しく後悔した。
ビネイアは、クラウスと共に、地上界で光の帝国を築こうとしている。しかし、仮に成し遂げたとしても、亡くなった者は戻らない。奪われた故国を取り返すことが出来るという保証もない。
その道は、どこに続いているのか。本当に、それは道なのか。
自分は、どこに歩もうとしているのか。
そして、なぜ自分の心はこんなにもかき乱されているのか。
ドンッ!
ギルダウスは、巨木に手をついた。巨木は、かすかに震えた。ギルダウスの心の波紋が伝わったかのように、揺れていた。
「…………」
片手を幹に付けたまま、ギルダウスはうなだれていた――。




