あなたが悲しい思いをする前に
一行は、ノースカンザーランド入国の手続きを済ませた。
「キースさん……! ノースカンザーランドへ、ようこそいらっしゃいました……!」
立派な体格、凛々しい顔立ちをした赤茶色の髪、紫がかった瞳の青年が握手を求めてきた。
「私の名は、エリアスです!」
白い歯を見せ爽やかに笑いかける青年――、エリアスは、分厚い手でしっかりと握手をする。宗徳に。
「『キース』は、俺なんだけど……」
宗徳の後ろで、自分の顔をぼんやりと指差しながら名乗るキース。
「えっ!?」
宗徳と握手をしたまま、驚いてキースの顔を二度見するエリアス。
「……エリアス殿。俺の名は宗徳という」
「えっ……! これは失礼! 宗徳さん、ようこそノースカンザーランドへ!」
慌てて言い直すエリアス。間違えた失礼を埋め合わすように、両手で宗徳の右手を握り、歓迎の意を示した。
「あはははは! エリアス兄さん! なにやってんの!」
たまらず笑いだす、赤く長い髪、唇に真っ赤なルージュを引いた青年――、レーヴィ。
「もしかして、あなたがたはお迎えのかたですか?」
カイが、エリアスとレーヴィに一礼し、一歩前に出て尋ねた。エリアスとレーヴィの後ろには、たくましい体つきの二人の男性も立っていた。
「はい……! 北の巫女様より命ぜられました! 私は北の神殿騎士団副団長エリアス、こちらが北の神殿騎士団レオ、そして北の神殿騎士団トーレ、それから、隣にいるのは私の弟のレーヴィと申します」
エリアス、レオ、トーレ、そしてレーヴィは改めて皆に深々と一礼した。
「ありがとうございます! よろしくお願いいたします。エリアスさん! レオさん! トーレさん! レーヴィさん! 俺の名は、カイです」
カイは、ずっとレーヴィの絡みつくような鋭い視線を感じていた。それは、エリアスが宗徳に声をかける前から感じていた。誰かが、ずっと自分を凝視している。港に着いてからずっと、そんな感覚があった。
自分を見るレーヴィの瞳。なんだろう――? とカイは怪訝に思う。そして、吐息。レーヴィは、カイが話しているとき、ため息を漏らしていた。レーヴィの鋭い視線は熱を帯び、頬は上気し、赤い唇はうっとりとした様子で半ば開かれている。それは、まるで――。カイの心の中で、ある考えが導き出された。
俺は、もしかして美術品として鑑賞されている……?
シルクに包まれた展示台の上に乗せられた剣。それをガラス越しに嘗め回すように見つめる鑑賞者。そんな情景が、思い浮かんだ。
魅入られたように見つめる鑑賞者の恍惚とした表情の奥にあるのは、賞賛と、憧れと、愛と、欲と――、
激しい憎悪……?
カイは思わず首を左右に振った。今、自分は剣の姿ではなく、人の姿をしている。それになにより、エリアスたちは北の巫女より派遣された迎えの者たち。自分の空想は、ばかげている、そうカイは思い直した。
「ああ! カイ殿! 失礼!」
エリアスは、レーヴィの頭に手を置き、強引にレーヴィに頭を下げさせ、それからカイに向かって微笑んだ。
「弟レーヴィは、子どものころからずっと『滅悪の剣』の話に憧れていたのです。不躾な視線、大変申し訳ありませんでした。本当に、お目にかかる日を楽しみにしていたもので――」
「俺に……、憧れ……?」
「はい! 実は、レーヴィは北の巫女様のご命令でこちらに参ったのではないのです。私の勝手な一存で……。レーヴィは北の神殿騎士団ではなく、この港町で働いている者です。しかし、レーヴィの剣術の腕は確かなもの。ぜひ弟も今回の北の神殿行きに同行させていただきたいと思うのですが、お許しいただけますか?」
エリアスは、キースとカイ、それから皆の目を一人ずつ見つめ、許しを請うた。
「……アタシとエリアス兄さんのふるさとは、北の神殿近くの村です。久しぶりの帰郷も兼ねて、皆さんの警護にあたりたいと思ったのです。アタシは北の巫女様のお墨付きをもらってないけれど、アタシも憧れのキースさんやカイさんたちとご一緒したいなあって……」
エリアスの大きくてあたたかな手のひらの下、上目遣いでレーヴィはもじもじと話す。
「なんだ! レーヴィ! 借りてきた猫みたいだな! いつもの調子はどうした!」
「だってえ! ずっと憧れてたカイさんの前で、そんな……!」
キースとカイは顔を見合わせた。さっきまでのレーヴィの強烈な強い視線とうって変わった様子に、カイは違和感を覚えた。
「もちろん! こちらこそ案内よろしくお願いします! いやあー! 大昔から活躍してたカイはともかく、『憧れのキースさん』だなんて、照れるなあ!」
キースは、頭をかきながら豪快に笑う。
「……最初、思いっきり間違われたけどな」
ぼそっと小声でキースにツッコむ宗徳。
「あのう……、カイさん……」
レーヴィがおずおずとカイに話しかける。
「握手……、してもらっても……。いいですか……?」
レーヴィはカイに右手を伸ばし、握手を求めた。
「カイ! お前、なんだかスターみたいだな!」
キースは、無邪気に笑ってカイの背を押した。
「……レーヴィさん。よろしくお願いします」
レーヴィは、ぎゅっとカイの手を握った。
「エリアス兄さん! カイさんが、アタシの名を呼んで握手してくれたっ!」
レーヴィは、エリアスのほうを振り返り、瞳を輝かせながら嬉しそうに笑った。
「なんだかすみません。カイさん。本当に、こいつったら、女の子みたいにすっかりはしゃいでしまって……」
エリアスは、申し訳なさそうに謝罪する。
「いえ……。そんなふうに喜んでいただけて、光栄です」
カイの中に消えることなく残る違和感。ざわざわとした得体の知れない不安感が心の片隅に湧いてくる。
「あ! セシーリア経由で皆の名前はもう知ってると思うけど、一応皆の紹介をするよ! 彼女がアーデルハイトで、さっきもう名乗っちゃったけど、彼の名は宗徳、それから、こっちがミハイルで、この妖精ちゃんがユリエ……」
キースは、北の神殿騎士団とレーヴィに皆の紹介をした。
「皆さん、本当にようこそノースカンザーランドへ……!」
エリアスたちは、主君に対する挨拶のように、改まった形式で深く頭を下げた。
夕刻。港町からそう離れていない近くの町で、エリアスたちを含めた一行は夕食と宿をとることにした。
「あの宿屋、夕食も美味しいって、超有名なのよね!」
レーヴィの勧める宿屋に泊まることにした。
「皆さん、今晩はゆっくりくつろいでくださいね! ちょっと、アタシは野暮用で……!」
レーヴィはそう言い残すと、急に踵を返し、夕闇の町の人込みに紛れてどこかへ行ってしまった。
「……レーヴィさんは、とても個性的なかたですね」
アーデルハイトがエリアスに微笑みかける。
「すごーく美人さんだしね! それにレーヴィさん、とってもいい匂いするー!」
妖精のユリエも、にこにこと付け加える。
「まったく……! 困ったやつです。子どものころから自由奔放で――。でも、とても心の綺麗なやつなんですよ――」
「…………」
カイは、優しい眼差しで弟の歩み去った方向を眺めるエリアスを、黙って見つめた。
キースたちから離れた路地裏。レンガ造りの壁に寄りかかり、レーヴィは自分の手のひらを見つめる。
「『滅悪の剣』……。カイ……」
レーヴィは、カイの手のぬくもりを思い返していた。あたたかな、血の通った人間と同じ、手の感触――。
レーヴィは、自分の手のひらにそっと口づけをした。
ずっと、ずっと想像していた――。カイの姿、声、話しかた、眼差し――。アタシの空想の中のカイより、はるかに素敵だった――。一瞬で、心を射抜かれた……。心が、体が震えた……。
花びらがひとひら舞い降りるように、レーヴィの唇から、ため息が漏れる。
レーヴィは、手のひらを握りしめた。真っ赤に塗った長い爪が、自らの柔らかな肉に鋭く食い込む。
カイ……! だからこそ、あなたを崇拝し、心から欲しいと思うからこそ、アタシがあなたを滅ぼす……! あなたが悲しい思いをする前に……! あなたの刃が誰かを傷つけてしまう前に……! あなたの力がこの世界を傷つけてしまう前に……! アタシがあなたを殺してあげる……!
かすかに手のひらに残る、ぬくもりの感覚。
人と同じ、生きた感覚……! 人の姿のときなら、殺せる――!
レーヴィは、腰に下げた自分の剣を握りしめた。
急ごう、とレーヴィは自分に言い聞かせるように呟く。
自分の決意が揺らぐ前に。カイの人柄を知ってしまう前に。
心まで愛してしまうその前に、殺してしまおう……!
「カイ殿は、お酒がお好きなのですな……!」
カイに酒を注ぐエリアス。
「はい……。俺は、食べ物を必要としませんが、酒だけはエネルギーになります」
「しかも、大酒豪なんだよなー」
キースが、カイの肩に肘をもたらせながら笑う。
「まったく、頼もしいですな!」
一同は、酒をたしなみながら、楽しく飲食していた。
「それにしても、レーヴィさん、来ないですね……?」
カイがエリアスに尋ねる。
「夕食時には顔を出すと思ったのですが……。レーヴィは、港町の店で歌手として働いているのですが、この町にも友人や知人が多いようです。しばらく店を休むことになるので、挨拶回りをしてるんでしょう。そのうち来ると思いますが……」
「ふうん! 人気者なんだろうねえ! あ、ちょっと失礼」
トイレに立つキース。カイも席を立つ。
「カイ。今は、シーグルトっちの剣があるから、常に傍にいなくても大丈夫だよ」
「いえ……。キース。少し話しておきたいことがあります」
「ん? 話しておきたいこと……?」
「……レーヴィさんについてです」
「レーヴィさんについて?」
「気付きませんでしたか……? レーヴィさんの俺を見る目……」
宿屋のトイレは、長い廊下の突き当りにあった。
背後に、異様な雰囲気を感じた。鋭い殺気。
「誰だっ……!?」
キースは素早く腰の剣を抜き、背後の暗闇に向かって構えた。
真紅の、燃えるような瞳。
「あんたは……! レーヴィ!?」




