第四話 カミサマの都市伝説
頭がぼんやりする。アバターはただのデータであるはずなのに、調子の悪さがネットの器にも影響している。
少しおかしな感覚だった。まるで溶けていくような、じわじわと私を殺す恐怖がそこにある。
数々の文献、情報やデータ回路を販売するショッピングモールに来た私は、なだらかに襲う自身の中の変化に耐え兼ねて、レストルームに足を運んだ。
レストルームに入るやいなやテーブルに突っ伏すと、ガラス板の冷たさに顔が緩む。熱っぽい自身の体には少しでも冷たくなるものが必要だった。
(財布……の中には、お金はゼロ。当たり前だよね)
メニュー画面から所持金ゼロの表示を確認して溜息が出る。
少しでもアバター異常問題が解決出来るよう、売っているそれっぽい情報は買ってみた。図書館に行くという手もあったけれど、そこにはあの女騎士が連れていた鎧と黒頭巾達が見張っていて入れそうになく断念した。
泣く泣く叩いたお金で購入した情報も、頭の悪い自分ではよく理解出来ない。ドルフィンのネット構成など小難しい言葉でつらつら書かれた文書群は、折角テーブルの冷たさで落ち着いている私の頭を再びジクジクと刺激し始めるのだった。
「どうしよう、こんなことになるならドルフィンなんて来なければよかった」
ひとりごちる。周りにいる他のユーザーは私の独り言など気にも止めない様子で、ある者は新聞を読んだり、ゲームをしたりと自分の世界を楽しんでいた。それでまた気が重くなる。
本当であれば、こんな世界一生関わりになることなんか無かったのに。〝学校で使うから、仕方なく導入しただけ〟だったのに。
本当にパソコンなんて、ネットなんて嫌い。みんな紙媒体で調べ物も、情報も共有すればいいのよ。メールだって、手紙を書けば一緒じゃない。
「それは少々異論を唱えたいな」
急に話しかけられて顔を上げる。向かいの席に、白いスーツを着た金髪のアバターがテーブルに肘をついていた。私と目が合うと、タレ目がちの色男はにっこりと笑って缶ジュースをこちらに渡してきた。
「やあ、レディ。君が独り言を言っているものだから、つい聞きいってしまったんだ」
「は、はあ」
私は警戒しながら返事をする。レディ、だって。笑っちゃう。
こちらの内心など知る由もない男は缶ジュースをテーブルの上に置いて言った。
「これは僕からの差し入れだよ。調子が悪そうだったからね」
色男はそんな私に気付いているのかいないのか、耳下まである髪をくるりと指に巻きつけながら喋る。その姿は、言っては悪いが気持ち悪い。
「君にどんな理由があれ、電子媒体より紙媒体の方が良いというのは聞き捨てならない。そりゃあ紙にも良いところはあるだろうが、今の電子、そう、ドルフィンには良いところがたくさんあるんだよ」
丁寧な物言いで得意げに語る男。名前をハロルドと言うらしい。高級そうなスーツといい、金髪碧眼といい、ホストを思わせる様相で胡散臭い。早くこの人から逃げてオズワルドさんの店に戻りたかったが、男の話はとてつもなく長く逃げ出せない。
「ドルフィンの良いところは、五感を活用出来るところにあると僕は思うんだよ。紙媒体で例えば手紙のやり取りを恋人たちがしたとする。そこで話題は共有されるが、距離は縮まらないだろう? しかしドルフィンで恋人たちが会い談笑する。アバターを借りこのネット空間で出会う二人の距離は手紙では成し得ない、遠距離恋愛の困難な部分を取り払うだろう!」
「まあ、手とか繋げますもんね。この世界だと」
「そうだろうそうだろう。手紙では出来ない、バーチャル空間での逢瀬が可能。これはドルフィンだけが成功させた、新たなネット社会なんだよ」
男は満足げに頷く。いいからさっさと話が終わらないかなと考えながら私は苦笑いする。そうしてテーブルに手をついた時、バサリと広げていた資料が落ちてしまった。
「あっ、すみません……!」
「構わないよ。ほら、どうぞ」
男が拾った文献を受け取り、自分の手持ちフォルダにしまう。すると男が興味深げに一枚の文献を読み上げた。
「『ドルフィンの都市伝説、ネットの神様とは』ね。レディはこういう伝説に興味がお有りなのかな?」
「ま、まあそれなりに……(また話が長くなりそうだ)」
本当はそこまで興味がある訳ではなかった。ただ、神様と聞いてあの少年を思い浮かべたのだ。私が出会った、不思議な本を持つ少年。彼の力を思いだし、何となく読んでみようと思ったのだ。
少年を頼るわけにはいかないが、また会えたら、と思う。……いや、これは甘えだ。
これ以上他人を巻き込む訳にはいかない。いつまた、トリトンに襲われるか分からないんだから。
「すごい偶然だね。実は僕、ドルフィンのこういった都市伝説を調べるのが好きなんだ。確かこの文献も読んだことがあるよ。何でも、このドルフィンには全ての情報を束ねる神様がいて、そいつは『イリーガルデータ』……つまり廃棄されたゴミデータのことだが、それを統括してこの世界のどこかにいるというんだ。こんなにロマン溢れた都市伝説はほかに聞いたことがないね」
「マシンガントークが素晴らしいですね」
「ははは、好きなモノを語るときは誰だってそうなるだろう!」
男の話をふんふんと流しつつ、テーブルに置かれた缶ジュースに手を伸ばす。プシュ、とプルタブを開けて中身を飲む。なんてことのないオレンジジュースだ。
男の声色は大きくなり、熱は益々ヒートアップしていく。
「その神様はまさに全知全能! どんな願いも叶えてくれるらしい。いや、僕の見解としては、願いを叶えるのではなく、この世のどんな疑問も答えられる情報を保持している、あるいはそういった機能を持っているのではないかと考えているわけさ」
「はあ」
全知全能の神様。インターネットの中にまでそんな胡散臭いものの仮説が流れているのか。その内宗教なんてものも出来ちゃいそうだ。
缶ジュースを口元で傾けながら、ふと周りを見やると別の席にいた新聞の男も、ゲームをしていた人もいない。
私と白スーツの男、二人だけになったレストルームにはゆったりとしたリラックスソングが流れているだけ。パッヘルベルのカノン。よくカフェとかでも流れている有名なやつだ。クラシックに特別詳しくはないけど、私でも分かる。その曲と、この二人きりの空間――――それがやけに不気味に思えた。
自販機はバチリと音を立て電気が付いたり消えたりしている。それに気がつくと、この部屋の照明自体が薄暗くなっていることにはっとした。体が硬直する。何だかよくないことが起こるような。
「すみません、私もう……」
「おお、もう行くのかね? それならば一つ質問にお答え願いたい」
席を立とうとした私の手をがしりと掴んで、男は私を見上げた。唐突のボディタッチ。リアルであれば悲鳴を上げて痴漢扱いされても文句は言えないだろうが、ネットでそれは有効なのか? いや、今はそれどころじゃない。
タレ目の色男はほんのり微笑んでいるが、その瞳は微塵も笑っていなかった。
ビリビリと私の体中に危険信号が流れる。早く、こいつから離れないと。頭では分かっているのに、私は手首に巻き付く男の手を振りほどけずにいる。
「神に会ったことはあるかね?」
色男は真面目な顔でそう言い放った。
「……は?」
「いいや、言葉を変えよう。君は神に会う為の重要な手順の内、一つをクリアしている。君が奇跡的に彼を見ていようが見ていまいが関係はないが」
グチュ、という液体音がした。冷や汗が頬を伝う中、恐る恐る私は足元を見て目を疑う。白いアクリルの床だったはずのそこに、黒いスライムのような何かが気色悪い音を立てながら私の足元で整形をはじめていた。
悲鳴を上げながら無我夢中で色男の腕を振りほどき距離を取る。飲みかけの缶ジュースは小さく弧を描いて床に転がった。
緊張で息が上がる私とは反対に、男はゆっくり椅子から腰を上げる。笑い声の混じる男の様子に、私は再び込み上がる悲鳴すら飲み込んで立ちすくんだ。
「僕は神に会いたいのだよ。その為に、レディ。君が必要だ。神に会う為の要素を持つ君がね」
グチュグチュと床から染み上がってくる黒い物体は部屋全体を取り囲んでいた。一つ一つが色のついた目のようなものを持っていて、私に視線を泳がしている。
(う、動かないと。逃げないと!)
私はすくんでいる足をバチンと手で叩く。痛みが走ると同時、私の足は動き出し後方にある出入り口に向かって全力で走っていた。
「逃がすものか! 君は生贄になる運命なのだよ!」
「きゃあっ!」
男はテーブルと椅子を蹴飛ばしながら私のところまで走りよると、ぐんっと強い力で私の腕を引っ張る。勢いで後ろに倒れた私に馬乗りになると、男はニヤリと微笑みながら見下ろした。
「さぁ、おとなしく神降ろしの生贄になれ」
「神、降ろし……?」
君は知らなくていいことだと男は吐き捨てて、ハロルドは指先をパチンと弾く。すると指先に光が灯り、そこに数列が円形にぐるぐると回りながら出現した。その数列を私の足に埋め込んでいくと、みるみるうちに足の感覚が無くなり立てなくなった。
非常にまずい。ピンチ以上のピンチかもしれない。だって私には対抗手段がない。
そうこうしている間に、再び男が謎の数列を指先で宙に書いていく。今度はアレで私を仕留める気なんだ。恐怖で唇が乾き、私は無意識にポケットに入れていたあの紙切れを握っていた。
ああ、もうだめかもしれない。
(かみさま)
覚悟を決めてぎゅっと目を閉じた。男がクツクツと笑う声が響いて背筋に悪寒が走る。しかしいつになっても、痛みも感覚が奪われることもなかった。そっと目を開けると、先程まで部屋で蠢いていた黒いスライム達が一斉に男に向かって飛びかかっている。
ポカンとしてその様子を見ていると、ふっと足の感覚が戻って驚いた。
「これで足のアバタープログラムは治っただろう。立てるかい?」
そう言って私に手を差し伸べたのは、あの自称『カミサマ』の少年だった。
あんぐりと口を開けて驚くこちらを気にも止めず、少年は黒い髪をかきあげ、開いていた分厚い本をパタンと閉じる。風貌は少年だというのに、どこかやはり大人びている。じっと見つめていると、いつまで座っているんだい、と呆れられてしまった。
「ゴミデータ達がこいつを足止めしている。君は僕と一緒に逃げるのだよ。さあ」
カミサマが指を指す方向には、黒い物体もといゴミデータ達がハロルドに群がっている光景が広がっている。どうやらすぐには追ってこれなさそうだ。
「う、うん」
男がゴミデータ達を一つ一つ消しているようで、金色の髪がじたばたしている。それを尻目に、私はカミサマの手を取ってレストルームを飛び出した。
走る。走る。走る。
どこを通っているのか、私にはそれすら考えている余裕はなかった。出来る限り遠くへ。あの男から離れた所へ行かなければ。捕まったらそれでおしまい。
あの男の繰り出していた謎の数列は、きっとアバターを内部から破壊するようなプログラムなんだろう。あんなものをモロに受けてしまったら、私のアバターは壊れてしまう。
(ログアウトも出来ないこの状態で、アバターが壊れたりしたら)
私の意識は、正常にリアルへ戻れるのかしら。
そんなことを考えては、頭を横に思い切り振る。どろりと溶ける感覚を頭の中に残しながら、洪水のように迫る恐怖を振り切り走り続けた。
私達は気付けばセントラルシティの中心部に近い高架下まで来ていた。頭上では名物の無人モノレールが動いている。
「移動用のクリスタルがあるのに、こんなものを作るなんてね。本当に人間はおかしな生き物であるな」
カミサマは息一つ乱していない様子で言った。逆に荒い呼吸を整えながら私は答える。
「ほんとね。車も自転車もあるなんてヘン。そんなものリアルで乗れるのにね」
「思うに、このドルフィンに人間は情報ではなく生活を求めているのではないかと考えるんだ。リアルと異なる己の体で、別の生活を」
人間は不思議だ。
カミサマは空を眩しそうに見上げて呟いた。
「ところで、もうあの人は追ってこないかしら」
私がそう尋ねると、カミサマは難しい顔をした。
「どうだろう。彼はしつこいからね。それに、君は今ログアウト出来ないようだし、逃げ道がなければどこまでも追ってくるだろう」
「彼……。知ってる人なんです?」
「まあね。所謂、ストーカーさ。直接姿を見たのははじめてだけどね。僕のことを調べているらしい。それにしても、礼のひとつくらい言えないのかね、君は」
「うっ。……アリガトウゴザイマス」
「よろしい。言った通りだろう? 君が必要とした時、僕は君の前に現れるって」
ポケットに仕舞いこんでいた切れ端のことを思い出した。確かにあの時、咄嗟に紙切れを握った。それでカミサマが来てくれたなんてにわかには信じられないけれど、本人が目の前にいることがこのことを本当のことだと証明している。
きっとあの紙切れに何かタネでも仕込んでいて、呼び鈴プログラムに変化していたのだ。勝手にそう想像して、ごちゃごちゃの頭を無理やり整理する。
「さて、とりあえず君を少しでも安全なところまで送り届けねば」
少年は白いパーカーの襟元を正すと、当然のように言った。
「え?」
「彼らが欲しているのは、元を辿れば僕なのだよ。君はそれに巻き込まれたに過ぎない」
ガタンゴトン。モノレールが頭上を通り過ぎる。車体の影がカミサマに降り、車窓から漏れた光が彼の体に映し出された。彼の心臓部分に映る窓は、開け放たれて揺らぐ。
色男が言っていた都市伝説が頭の中をすっと横切った。
『神様の伝説』。何でも知っている。何でも叶えてくれる。
ドルフィンの神様は、本当にいるというのか。
私は自分より少し身長の低い彼を見下ろした。見上げる少年の表情は大人びてはいるが、パーツひとつひとつはあどけない、幼さの残るそれだ。だからこそ、信じられなかった。
「あなた、本当に……神様、なんです?」
「君は僕のことを心底信用していないのだね」
カミサマは近くにあった柱を背にして座り込む。どこからか寄ってきたゴミデータ達に触れると、指先で地面に押し込む。まるで水みたいに地面の中へ飲み込まれていくゴミデータは、嬉しそうに声を上げて沈んでいった。
「だって、信じられるわけないじゃない。神様だなんて。非現実的です」
呆然と立ち尽くして訴えると、問題ないと笑い飛ばしてカミサマは言う。
「普通のユーザーはそうだろう。だから君がおかしい訳ではない。神だなんて僕は自分を呼称するが、そう最初に言い始めたのはどこかのろくでなしさ」
カミサマが地面をもう一度触れると、水面のように波打った地面はぴたりと固まった。
「神だなんて所詮人間の作り出した偶像に過ぎないのだよ。単純に神と呼ばれる存在がここに有るのは、システムで言うところのバグと同じ。それが今沈んだゴミデータよりも優れた能力を持っていた。だからあの男は神を欲しがっているのさ」
「……私には難しい話です」
「いや。物事は単純なことの組み合わせで出来ている。嘘や、悪意。そういったもので見えにくくなっているだけで、本質は単純なのさ」
君がこの世界に来たのだって、簡単な理由だろう。
カミサマは見透かしたような瞳をする。アバターの向こうにいる私の心を透かされている気がして、私は目を背けた。それすら見抜いているのか、ははっと笑うと、優しい声でカミサマは問いかけた。
「どこまでが現実でどこからが非現実か、その線引きは難しい。ここで起きた、得た情報は全てリアルの君に内包される。それが全て非現実だと言うには、君が見たもの全てを無かったことにしなければならないし、現実だとするなら存在の証明をしなくてはならない。が、電脳空間のモノは現実で具象することが出来ない。どちらか一方に決めるのは難しいだろう?」
確かに。ここで起きたことを、私はこの目で見ている。無かったことになんて出来ない。だけれど、ここで起きたと証明することは、私のこの目でしか語れないことだ。
「世の中は案外単純なのさ。僕からすれば、人間社会はそう。相反するものがはびこって、その存在を巡って対立しているが、結局のところその証明は各個人の想いなんだよ。僕がいることも、いないことも。それすら、君達の中の問題だ」
少年は顔を上げる。前髪から覗く漆黒の瞳が、瞬きもなしに私を射抜いた。
「何が本当で、何が偽物なのか。君には分かるかい?」
「……私が。私が本当だと感じたものが、本当だと。そう思います」
これは私のプライドだった。私は誰かに操られたり、誰かに踊らされるなんて嫌だ。
(自分が自分であることに、そうやって執着して。ねぇ、楽しい?)
幻聴が自分の耳元で囁く。しかしそれはすぐにカミサマの笑い声でかき消された。
「ふはっ! これはまた本当に面白い! 君、今自分が言ったことをよく覚えておくんだね。ああ本当におかしい!」
カミサマは笑い転げながら私を指差す。その姿は見た目通り子どもっぽくて、それまで緊張していた自分がアホらしく思えて口元が緩んだ。
とにかく、カミサマの言うとおり少しでも安全なところへ。オズワルドさんの店に戻って……ナナシさんと合流しなくちゃ。
そこまで考えてはっとする。あの人達をまた頼りにしてしまえば、今度こそ危険な目に合わせてしまう。もう私には、逃げる場所なんてないのではないか。
一人考え込んでいる時、また頭上でモノレールが酷い音を立てて滑っていった。私に降る四角い影。リズミカルな音と一緒に四角は横へ流れていき、やがて通り過ぎる。もう地面には車体の影なんてないはずなのに、ふと見た地面にはポツリとアスファルトに染み込む黒い影が目の前にあった。
「走れ!」そうカミサマが叫んだ時、既に私は喉元には槍の穂の部分が突きつけられていた。悲鳴も萎縮してしまい、私は槍の主である赤い髪の騎士にされるがまま拘束された。
女騎士は片手でこちらを拘束しつつ、手のひらから青白く光る球体を出現させる。青く光る玉は、何かの数式を浮かび上がらせるとヴンと鈍い音を立てて私に巻き付いた。拘束・捕縛系のプログラムのようだ。どれだけ暴れても、その数式を解くことは出来ない。
目の前にいたカミサマが素早く腰に下げていた本を取り出した時、第三の人物が楽しそうに割って入った。
高架下の闇から現れたのは、あのスーツの男だ。私はそいつに出来る限り侮蔑の意味を込めた視線を送るが、全く気にする様子もなく自身の服の襟をピンと正す。
「ご苦労、ナンバーイレブン。流石海神隊の隊長であるな。いや、こんな娘捕らえることなど造作もないことだったか」
「いえ、緋の目のハッカーの妨害がなければもっと早くに拘束出来ていたはずです。申し訳ございません」
「良い。あの男が絡んでくるなど微塵も思わなかったからな。まぁ、そのお陰でこの私直々に迎えに行くことになったのだが、これはこれで楽しませてもらった」
男――――ハロルドは体を仰け反らせて笑う。気味悪く響き渡る嘲笑は、私だけでなくカミサマまでも表情を濁らせた。
「レディ。もう鬼ごっこはおしまいだよ。そして……お初にお目にかかります、神よ」
ハロルドはカミサマに向き直ると、偉そうな態度を一変させ丁寧にお辞儀した。敵意を向けたまま、カミサマは黙る。
「僕の名前はプリンス・ハロルド。さて、この世界の頭脳であるあなたであれば、この先僕が要求することに当然イエスで答えて下さるはずですよね?」
「カミサマである僕が、貴様なんぞの言いなりになると思うか?」
「いいえ、全く! しかしこうしたらどうでしょう」
ハロルドが狂った指揮者のように空中に指先を走らせる。そこから発する微かな光は数列と文字記号を描き、びゅんと飛んできて私の周りをくるくる回り始めた。先刻自分の足に書かれた式を思いだし、即座にまずいものだと理解する。
「あなたが何者だか知らないけど、こんなことしたって何にもならないわよ!」
「レディ、口を慎みなさい。神の前なのですよ!」
「く、う……!」
「このプログラムはアバター活動を一時的に麻痺、凍結させるものだ。はは、よくある時代劇で言う、〝安心しろみね打ちだ〟ってやつだねぇ。そう恐れる心配はない」
頼みのカミサマは本を開いて構えたままハロルドを見据える。喉元に槍と、宙に謎の数式が浮遊している私をチラリと見て、悔しそうに唇を噛んだのを私は見逃さなかった。
「……彼女は無関係だ。離せ」
「無関係かどうか決めるのはあなたではなく、この僕だ。さぁ、一緒に来てもらいましょうか。僕の目的を果たす為に」
「カミサマ、返事しちゃ、ダメです……!」
「神よ。ご返答は?」
あの魔法のような本があれば、こんな悪人達ひとひねりでどうにか出来そうなのに。なんでそうしないの。
カミサマはその本から手を離し、決意した目つきでハロルドに返事した。
「……イエス」
「カミサマ!」
私が叫ぶと同時、宙に浮いていた数列が私の体に張り付く。皮膚に焼け付く数列は数字を変えて、やがて私の意識を闇へと導いていった。
to be cotinue...




