第二話 ミスターノーネーム
浮遊感で少し気持ち悪い。無重力とはこんな感じなのかな。水を張ったプールにぷかぷか浮いている感覚に似ていて、力を入れても思うように動かない。だんだん水の中に沈んでいっているようで、息が苦しくなる。
いけない、目を開けなければ。息をしなければ。
「……う」
呻き声が出る。小さく息を吸うと、夢のような感覚から一気に現実に引き寄せられた。体を少し揺すると、もすもす、からからという音がする。一体何なの。
目をゆっくりと開け、もすもすと音がしていたものを台にして立ち上がる。改めて見れば、それらは古い文書データの塊だったらしい。袋に入れられて置かれているところを見て、ここはゴミ捨て場なのかと納得した。
服にくっ付く文書データの欠片や文字の粒を払っていると、ふと背後に視線を感じた。振り返ろうと体を捻ったと同時、低めの声でそいつは言った。
「ヘンな名前」
何のことだ、と頭の中でぐるりと考えていると、目の前の縁に座る男は手に持っていたペロペロキャンディ(と言ってもただのデータのはずだが)を口に含む。そうして空いた手の指先を器用にパチンッと鳴らすと、男の右目が赤く光る。
男はしれっと言った。
「ほら、ソレ」
「は……? あ、な、名前っ。アバター名が表示されてる!?」
私のアバター名『aaaa』が頭の上に表示されている。さっきまでは無かったのに!
「普段は非表示設定がデフォルトだけどな。アバター情報覗いたらヘンな名前だったんで、オモシロついでに表示設定変えといたぜ。折角の初ログインだし、みんなに名前覚えてもらえば?」
「や、止めてください! この名前は、ちょっとした事故で……」
「事故にしてもマンガみたいなことするな。ひょっとしてアホ?」
「アホじゃないです! それより、どうして私が初ログインだって分かったんですか。あなたは何者です?」
「何者って……。ここはドルフィンだぜ。いたるところにアバターがいる。ドルフィンにログインしているのはお前だけじゃないんだぜ」
「そ、それでも、初対面の人間にこうやって嫌がらせしてくる不審者は、普通いませんよね?」
私が諦めずに対抗すると、男はくくっと喉を鳴らして、分かったと観念したかのように両手を上げた。
「俺の名前はノーネームだ」
「……からかってます?」
「いいや。俺には名前がねーのさ。アバター情報の見方は流石に分かるよな」
「……えーと、相手を視界に入れる、と」
視界に男の姿を捉え、数度瞬きをすると画面上左端に男のアバター情報が表示される。名前の欄には、男の言ったとおりノーネームと表示されていた。その他、男の個人情報はでたらめなことばかり書かれている。出身地は月です、なんて誰が信じるか!
(まあ、その辺の個人情報は伏せる人が多いし、怪しくはないけど)
アバター名の入力は、ドルフィンでアカウントを取得する際必須項目なはずなのに、どうしてこの男は無いのだろう。よく見れば、男の様相で気になる点がある。白くて襟足が少し伸びた髪、一八〇センチは越えているだろう身長までは一見普通だけれど、赤い両目の右は、瞳孔部分に黒い文字のような、何かが見えた。
刺青オプションは有料らしいし、そもそも目の中に刺青なんてするかしら。
「どうかした?」
「なんでもありません。というか、あなたを調べてますます怪しくなりました」
「まあ、ノーネームだからなぁ。当然だろうよ。さて、俺もあんたに聞きたいことがあってね。答えてくれよ」
私に、と首を傾げると、男はにやりと口角を上げて一歩近づいてきた。長身のそいつに見下ろされると、なんだか気分が悪い。アバター作るときにもう少し身長を高くするんだったな。
俯く私に、男の手が伸びる。指で顎を持ち上げ、私の顔を上へ向けさせると、瞬きしない瞳で男は言った。
「あんた、ネットダイブに失敗してるだろ」
無意識のうちに目を見開いていた。
なんで知っているの……。
「なんで知っているのか、って顔してるな。ビンゴだろ」
「うっ」
「説明してやろう。第一に、あんたが〝ココ〟へ、つまりこのゴミ捨て場に落ちてきたばかりのところを見たからだ。その時のお前のアバターはドルフィンに繋がっているのが精一杯の状態だった。アバターの損傷は通常の回線異常で起こるエラーとは違っていたしな。自分の腕、見てみな」
「腕……? ぎゃっ、モザイクみたいに変になってる!」
「アバターを構成してるプログラムがおかしくなったせいだな。そんなことが起こるのは、一般ユーザーじゃネットダイブに失敗した奴くらいなんだよ」
第二に、と男は指を折って示す。
「あんたが気絶してる間、アバターを調べさせてもらったんだ。そしたら案の定、あんたは通常決められたルートでこの場所…セントラルシティにログインしていないことが分かった。アバターがどういうルートでどんなサーバーを移動しているかはちょっと調べれば分かるが、悪意のあるユーザーならそれくらい隠す。そこでお前の〝おかしな〟外見と変な名前から見て、ネット初心者が初ネットダイブに失敗しちまったと判断したってワケ」
「ど、どうしてそういうルートなんて分かるんですか」
「うーん。……ま、そういう職業、ってヤツだな」
俺にかかればお前のリアルの所在地まで割り出せるぜ、と得意げに胸を張る男。やっぱり変な人だ。
早くこの人から離れよう、と踵を返して通りの向こうにある大通りに歩いていくと、後ろ手を引っ張られる。男が私の腕を掴んでにんまりとしていた。
「何ですか。気絶していた間介抱して頂いていたのかわかりませんが、素性の知れない人と一緒にはいれません」
「おいおい、あんまりだな。ネットの世界じゃどこもかしこも素性の知れない人ばっかだぜえ? それに、俺には感謝してほしいところなんだがな」
「え? あ、腕が治ってる……」
男に掴まれた腕の部分は、先程までモザイクで表示がぐしゃぐしゃになっていたのに、今はもうすっかり落ち着いていた。少しだけ画像の乱れがあるくらいで、それも指摘しなければ気がつかない程度になっていた。
もしやと男の顔を見上げると、男は変わらずのにんまり顔をしていた。
まるで魔法みたいだ。ただ腕を掴まれただけなのに、腕が治ってしまうだなんて。
「あなた、もしかして神様じゃないですよね?」
念の為訊いてみる。もしあの少年の仲間だとしたら、ドルフィン内に彼のような不思議っ子集団がいることになる。
しかし、予想した答えは違った。
「神様? あんた宗教の勧誘者だったのか」
「違いますっ。何となく聞いてみただけです。それより手を放してもらえませんか。腕を治してもらったのは感謝してますが、これ以上は」
「いんや。それはできねーな。それに腕は治したわけじゃない。プログラムが書き換えられておかしくなってるところを、とりあえず補修しただけだぜ。プログラム自体がイカレてるみたいだから、完全な修復は無理だろうな」
「なに、それ。それって、」
「一時的に修復しても、元がブッ壊れてるからまた綻びが出てくるってこと」
そんな、と私は力なくその場に崩れた。男が腕を引っ張って私を無理やり立たせると、前を向けと命令口調で言う。
「俺はな、マイナス思考の奴が大嫌いなんだ」
「……あなたの趣味嗜好は興味ないですけれど」
「だああっ、あんた本当にアホなのか! 前向きになれって言ってんだよ」
「でもこのアバター壊れちゃうんですよね? はあ、やっぱり私にはドルフィンなんて最新ツール向いてなかったんだわ。どうせ機械音痴だし。これを機にアナログ一筋になろう」
「あんたなー。このでっけえネット世界でアバターが少しイカレたからって落ち込むなよ。前向け、ほら、誰がいる?」
顔を上げて男の顔を見る。にんまり顔が不快だが、仕方なく答えてやる。
「……ええと、名前のない人」
「そうそう名前のない……ってうるせー!」
面倒だな、このヒト。
「とにかくだ! 俺様がいる。あんたはラッキーなんだぜ。この俺が第一発見者なんだからな」
ぽんぽん、と肩を軽く叩いて励まそうとする男に、不本意ではあるが心の重石を取り払われた気がした。小さくうん、と返事をすると、満足げに男は頷く。
「よし、そうとなったら動こうか。あんまりこんなゴミ捨て場に長居したってイイことねえしな」
「いえ、とりあえず自分で何とかするので大丈夫です」
「ハイィッ!?」
素っ頓狂な声が上がるけれど無視し、私は自分の耳たぶを摘む。アバターの耳たぶにはTEL機能が備わっていて、登録したフレンドやネットで開店しているお店などに連絡することが出来るが、フレンドのいない私が連絡する先など一つに決まっていた。
プルルルル、プルルルル、……ガチャン。
呼び出し音の後に受話器を取るような音がする。実際には受話器でなく耳たぶだが。
「はい、こちらインターネットドルフィン、カスタマーサポートセンターで御座います」
女性の柔らかい声色が耳に届く。
初めからこうすれば良かったんだ。困ったことがあったらカスタマーサポートセンター。
旧型パソコンで問題があった時もしょっちゅう電話をしていたものだ。サポートセンターはパソコン初心者の味方。これに気付かなかったなんて、不覚!
「すみません。私、今日からドルフィンのアカウント取得してネットダイブした者なのですが、どうやらネットダイブに失敗してしまったらしくて。アバターの破損がはじまって困っているんです」
包み隠さず今の現状を伝えると、女性は少々お待ちくださいと言って電話を保留にした。耳に流れてくる軽快な保留音。隣で名無しの男がむすっとした表情で腕組みし、怖くなったので男に背中を向ける。どうなっても知らねーからな、と男がやいのやいの煩く喚く中、やっと保留音が止んだ。
「お客様、お待たせ致しました」
先程より機械的な声色。チュートリアルでも読んでいるのだろうか。
「それでは、今からお客様宛に弊社のスタッフを派遣致しますので、スタッフの指示に従って一旦ドルフィンよりログアウトをお願い致します。つきましてはお客様のアバター名と、現在地のコード名をお願い致します」
「えーと、名前は……aaaa」
「ぶはっ」
男が背後で吹き出すのが分かった。腹が立ったのでそっと足を後ろに立つ男に忍ばせ、思いっきりそいつの足先を踏みつけた。ぎゃっと叫び声が上がったが、ここは路地裏、私以外は誰も気がつかないし聞こえもしない。
「アバター名『aaaa』様ですね。それでは現在地コードをどうぞ」
現在地コード。何のことやら分からない。後ろを振り返り、未だに足の痛みと戦っている男に尋ねた。
「すみません、ここの現在地コードってどうやって調べるんですか」
「あんた、人の足踏んどいてよくそんなこと訊けるな……。自分のアバターに地図が内蔵されてるだろ。それだ。まァ、それも破損してたら意味ないけどな」
「地図……これか。開けましたよ」
「チッ」
聞こえるように舌打ちされたので、もう一度足を踏む。今度は声にならなかったらしく、その場に蹲ってしまった。少しやりすぎたかな。
改めて開いた地図に目を通す。青白い四角の中にこの周辺の建物や道路が紺色で示されている。その中に一点だけ赤い丸があった。指を押すと、自分の現在地が英語で表示され、瞬きした瞬間に文字が日本語に変換されていた。言語自動変換機能があるらしい。やはりドルフィンは便利だ。使い方を覚えられれば、の話だけれど。
「現在地は、セントラルシティE地区路地です」
「かしこまりました。それでは、スタッフがただちに向かいますのでお待ち下さい」
――――プツン。
電話は切れた。知らない人と話すのは非常に緊張する。大きく息をついて、ゴミ捨て場の縁に腰掛けた。後はドルフィンのスタッフさんにお任せして、このアバターを治して貰えれば、ようやく普通のドルフィン生活に入れるというわけだ。
ふふ、と思わず笑みを零すと同時、ぬっと頭上に影が降った。
「おい、あんた。正気なのか」
名無しの男が高い身長を使って私に覆い被さる。目つきの悪い彼に睨まれ、私は竦み上がってしまった。さっきあんな風に足を踏まなきゃ良かったかも!
「あ、足を踏んだことで怒ってるんですか」
「は? ちげえよ。カスタマーサポートなんぞに頼み込むなんて正気かって聞いてんだ」
顔つきが先程までと打って変わり、真剣な表情になる。アバターとは言え、こんなに感情を露わに出来るなんて、素晴らしいグラフィックだ。……じゃなくて。
「だって、困ったことがあったらサポートセンターに連絡する。これは初心者にとって当たり前のことですよ」
「俺様が助けてやるって言ってるのにか?」
「……はい?」
その目、可愛げがねぇな、と男が口元を不愉快そうに歪ませて言う。
「さっき、目の前に誰がいるって言った?」
「……名前のない人」
「だろ? 俺様がいる。こんなに心強いことはないんだぜ、嬢ちゃん」
主張している意味が分からない。そう言おうとした時、近くでザワザワッと何かの集団が動く音がした。葉っぱが揺れるような、風が擦れ合うような、気味の悪い音だ。思わず縁から立ち上がり、先程傷ついていた腕を庇うようにぎゅっと抱いた。
覆い被さっていた名無しの男もこの音に気付いているのか、視線を私から周囲に向けた。
私達以外通行人も誰もいない、人気のない路地裏。少し走ればセントラルシティの大通りに出られるけれど、音に囲まれている――そんな気がして体が動かない。
「何なの……一体」
私の呟きに、男が小さな声で、「やっぱ信用なんねーな」と呟いたのが聞こえる。
「何が信用ならないんですか? もしかしてコンピュータウィルス?」
「いいや、ウィルスなら俺がもっと早くに気付けてたはずだ。最も、最新のウィルスなら話は別だが、これは違うだろう」
「ウィルスじゃないって、それじゃ何がいるの」
「いいかい嬢ちゃん。初心者のあんたに教えといてやる」
名無しの男はおもむろに私の左手を取って繋いだ。ただの仮想現実。伝わる熱も偽物なはずなのに、その温かさがやけに脳を痺れさせる。きつく繋がれたそれからは、絶対に放すなと無言で示されている気がした。
「ドルフィンで危険なものその一、〝インターネットウィルス〟」
ザワザワ、と唸る音が次第に近くなり、大きく響く。
「その二、〝悪徳ハッカー及び詐欺サイト〟」
音が近づいてきていることを悟り、男はにんまりと笑みを浮かべたまま小声で何か呪文のようなものを呟き始めた。高速で詠唱する男の右目がぼんやりと赤い光を帯び、瞳の奥の紋章が浮かび上がる。その不思議な光景を私は息を呑みながら見つめていた。
「その三――――〝ネットを利用する人間全て〟。全てを疑え。そして認めろ、真実を」
顔を上げる。右目を光らせる男は、ちらりとこちらに視線を寄越すと、くすりと笑った。
その瞬間、不気味な音の根源が大きな波のようになって路地裏の隙間や頭上から次々と降ってくる。忍者のような黒い頭巾を被った人型のアバターだ。そいつらが両手を大きく広げ、手にしている手裏剣をぶんぶんと投げる。
(まずい、避けないと)
目をぎゅっと閉じしゃがみこもうとすると、ぐいっと腕をひっぱられて立たされる。名無しの男が私を引き上げ、代わりに右足で地面を思い切り蹴った。
バシュッ!
「……え?」
水が蒸発したかのような音がして、閉じていた目を開けてみる。真っ先に映ったのは地面が光っているところだった。魔法陣のような文様が男を中心に描かれていて、その円の中の私達を包むように薄い赤色のベールが貼られていた。飛んできた手裏剣はそのベールに当たると蒸発してしまうらしく、私達は奇跡的に無事だった。
無事だったのは良いとして、この魔法陣は名無しの男がしでかしたことなのか。男はへらへらと笑いながら、手裏剣が効かず辺りをうろうろする黒頭巾相手に手を振っている。
「ねえ、ちょっと! これはどういうことなんですか!」
男の襟首をむんずと掴んで問い正す。
「やめろよ。まだ危ないってことには変わりないんだぜ」
「でもこんな魔法陣……ネットの空間データに干渉してるとしか思えない。教科書でみたことがあるわ。魔法陣はプログラムに干渉してる証だって。それって、つまりあなたは」
「ほれ、奴さんは待ってくれねえみたいだぜ」
シャッと音がしたと思えば、黒頭巾達は次々と腰から長い日本刀を鞘から抜き始めた。あれでこのシールドを突破するつもりらしい。つう、と冷や汗が頬を伝うのが分かった。
「俺のこたあどうでもいいだろ。とりあえず助かれば」
男は余裕そうににやりと笑みを浮かべる。その余裕はどこからくるんだ、と訴えたかったが、この男の言うことに頷けてしまうこともまた事実。
首を縦に振るのを確認した男は、わしゃ、と私の髪の毛を乱暴に撫で上げた。
「正直な奴ぁスキだぜ! んじゃ、俺の手を絶対放すなよ」
男は私の手をもう一度強い力で握ると、再び意味不明な詠唱を始める。
「空間データ干渉プログラム、起動。CODE〇〇一七、アンロック。展開スタート」
「ふえ? ぎゃっ!」
男が何かを解除した瞬間、地面に穴が空いて真っ逆さまに落ちていく。地面データに穴を空けたら、果たしてゴールの地面ってあるのかしら。考えたら恐ろしくなって、とにかく絶叫マシンよろしく腹の底から叫ぶ。穴の中ではとても声が良く反響して、私の甲高い悲鳴がギャンギャンと響き渡る。
「おい、うるせーな! ちったあ静かにしろやメス豚!」
男が悪態を吐く。
「こんな状況で叫ばない方がおかしいですよ! っていうかメス豚とは心外です!」
「じゃあaaaaって呼べばいいのか!」
「それも嫌!」
落下し続ける中、男が面倒くさそうに私を見つめる。その時、ふっと頭上から銀色の光が降ってきた。私は咄嗟に叫ぶ。
「ナナシさん避けて!」
「ぐっ!?」
シャンッと光が男の頭上スレスレを掠める。それは銀色に光る日本刀だった。はっとして見上げると、遥か頭上、私達が落ちてきた路地裏の穴から次々と黒頭巾達が飛び込んできていた。結構しつこいのね!
男を仕留めそこなった黒頭巾は、刀を握り直すと切っ先を今度はこちらに向ける。地面はまだ到底先らしく、着地する気配はない。もしゴールが無いのであれば逃げ場もない。ゴールがあったとしても逃げ果せるかも怪しい。もはやここまでか。
諦めから名無しの男の手を握る力が少し弱まったところで、男から手を力強く握り返された。見れば男の目はちっとも諦めていなかった。
「まだ諦めんなよ。諦めたら成せるものも成せねえ」
男が言うと同時、日本刀がぶんと振り下ろされる。しかし刀より速く、私と男の体がバネみたいにぐいんと上部へ引っ張られる。落ちてくる何人もの黒頭巾を跳ね飛ばし、さながら逆バンジージャンプのように落ちてきた穴から飛び出した。
「ふー! 地面データの一部を伸びる性質に変えといて良かったぜ」
男は満足げに腕から灰色の紐を取り外す。紐は地面に落ちると瞬時に地面と同化した。
唖然とする私を差し置いて、男はるんるんと鼻歌を歌いながら穴へ手を翳す。右目がふっと赤く光を灯すと、穴は塞がっていき、元通りの地面に変化した。
「はい、これでオッケーな。さて、これからあの黒忍者の増員が来るだろうが、あんたはどうするよ」
「どうするって言っても……これをどうにかしないと」
右腕を見せる。この男が言っていた通り、治った訳ではなく一時的なものだったらしい。少しずつ右腕の画像がボロボロに変化しはじめていた。
男はそれをまじまじと見つめ、苦々しげな表情を浮かべる。
「こりゃ、俺の専門外だな」
「……もう一度サポートセンターに電話して」
「バカ」
ポカンと頭をチョップされる。地味に痛い。
「さっきの黒忍者いたろ? あいつらサポートセンターの駒だぜ」
「駒? でもあれは完全に襲ってきていたじゃないですか。そんなはずないわ」
「あんたを襲った理由は分からんが、あいつらはそういう奴なんだよ。表の顔はへらへらと利用者の言いなりでも、裏の顔はどんな悪どいことしてるかしれねぇ」
「何かあったんですか。その、管理側と」
男ははっと我に返ると、何でもないと取り繕う。それより場所を移動しないといけねえ、と路地裏から大通りへ歩き出す。
暫く歩いていく男の背中を見つめていると、男が振り返った。
「何してんだ。行くぞ」
「でも、私……」
「行くところねーんだろ? じゃあ一つしかねえじゃんか。俺様を頼れ。知り合いに専門家がいる」
親指を自分自身に向け、自信たっぷりに胸を張る。そのアホらしくも何処か頼りたくなるそいつの姿を見て、呆れる以上におかしくなって笑えた。
「エイコ」
不意に、男が私を指差してそう呼ぶ。一応辺りを見回すが、すっかり伸びた黒頭巾しかいないので、やっぱり私のことをそう言ったのだろう。
「なんで?」
男はつかつかと大通りに向かいながら答える。それは簡単であり、少し皮肉が混じった理由だった。
「あんたの名前、aばっかだろ。だから、〝a子〟。ぴったりじゃねーか。それにあんただって、俺に名前を付けたろ」
咄嗟に叫んだ言葉を思い出す。あまりにも反射的なことで、何も考えていなかった。
「ナナシ、なんて安易にも程があるな。馬鹿が見え見えだぜ」
「い、いいじゃない、分かりやすいでしょう! 分かりやすさ大事!」
「くくっ、ちげーねぇ。行くぜ、エイコ」
男――――ナナシさんは大通りに出ると、人ゴミに紛れるように消えていく。その姿をどうにか見失わないように、私はドルフィンの中央都市の中を走った。
***
情報は商品である。いつだかは知らないが、どこかの学者だか高官だか偉い人がそう言ったそうだ。
昔は情報といえば誰でも知ることが出来るものだったのに、今ではその偉い人が言った通り、人間の生活必需品の一つとして、商品棚に収められている。旧型パソコンでは、通販みたいにインターネットからボタン一つで情報を買う方法が取られていたが、ここドルフィンではアバターシステムがあるので、リアルのようにドルフィン内に数々の店舗が並び、そこへ行ってデータを試して買うことが主になる。特にドルフィンではメガネがあるおかげで、情報の販売はおろか物品販売も便利になっている。
例えば食べ物を購入する時には味覚に刺激を与えてどんな味がするのか試食出来るようになっているし、アバターを自分と同じ体格にすれば服だって試着出来る。この利便性が、ドルフィンが急速に普及した要因なのだ。
そんなドルフィンの中でも、セントラルシティという名前の都市は様々な国の店が集まっている。日本で言えば東京の様な……東京で表現すると少し小さいかもしれないけれど、まぁドルフィンの首都のような場所なのだ。
流石首都とあっては、人の数も計り知れない。今日が日曜日なせいもあるだろうが、人がひしめいている。人型のアバターもあれば、耳が猫になっている異色のもの、完全に怪獣みたいなアバターの人。肌の露出が多すぎる素敵なお姉さん等など。見てるだけでも楽しい。
「おい、よそ見すんなよ」
「びゃっ」
ぼすん、と音を立てて目の前の男にぶつかった。ほれみろ、と言いながら、ナナシさんは大通りを抜けて細道に入っていった。人波をかき分けナナシさんの背中を追うと、彼は小さな店にするりと入っていった。
店は本当に言葉通り小さな店で、看板のようなものは何もなかったが、似つかわしくない大きな窓の傍に英語で『OPEN』という板が吊るされていた。窓から中を覗くとどうやら本屋らしい。私はナナシさんの後を追って店へ入る。
(なんだろ、埃臭い……)
古そうな本棚が小さな店内にぎゅうぎゅうと並べられていたが、本自体はまばらだ。古本屋なのか、どれも古めかしい装丁の本ばかり。一冊手にとって眺めようと本棚に手を伸ばした時、店の奥からお嬢ちゃん、と優しく声をかけられた。
「うちの本データはね、結構値が張るものばかりなんだが、買うつもりかい?」
「い、いえ。中身がどんなものか、気になって」
声をかけてきたのは、店にこれまた似つかわしくない若い男のアバターだった。黒っぽいキャスケットを被り、丸眼鏡をかけた店主と思わしきその人は、優しい声でダメだよと諭す。
「古い本ばかりだからね、扱いを雑にされるとデータが破損しかねるんだ。その上希少なものだから、出来れば買う気がないなら触れないで欲しい」
「……はあ。ごめんなさい」
「おい! エイコ、いつまで道草くってんだよ!」
怒鳴り声が店の奥から響く。ナナシさんだ。
「おっと、お嬢ちゃんはあいつの知り合い?」
帽子の鍔つばをくい、と上げて店主が驚き気味に尋ねた。
「あいつ? ああ、ナナシさんですね。知り合いっていうか、知り合ったばかりというか」
「ナナシ! ぶはっ」
店主は思い切り腹を抱えて笑い出す。笑うんじゃねーよ、とナナシさんの怒鳴り声が響くが、一切動じずに店主は私に店の奥に案内する。
店の奥にあるドアのノブを、店主はくるりと回す。開いたドアをくぐると、そこは何の変哲もない、レンガ造りの部屋が広がっている。どこにもナナシさんの姿はなく、私は首を傾げた。
「ナナシさん? どこ?」
「ああ、すまない。あんまりにも面白かったから、ドアの開け方を間違えてしまったよ」
店主はあっはっはと笑いながら私を部屋から退かして仕切りなおす。今度はノブを二回捻った。不思議だな、と思いながらぼんやりその行動を見ていると、見覚えのある紋章が店主の手の甲にもあることに気がついた。
「さ、開いた。今度は大丈夫。どうぞ」
ドアが開くと、小さな店の中にあるとは思えないほど広い部屋が広がる。まるで宇宙船のような、機械ばかりが壁に埋まっている部屋だ。その機械も、どうやら部屋の四方に描かれている紋章を核にして動いているようだ。
ナナシさんの瞳にも紋章があるが、ドルフィン内ではあの紋章が何か意味を成しているらしい。魔法使いみたいでかっこいいなあ、なんて思ったけど絶対に言ってやらない。こんな俺様男を少しでも付け上がらせるようなことは、今はしたくない。
「おせーよエイコ! つーか、オズワルドてめぇまだ笑ってやがるのか!」
部屋に入るやいなや、ナナシさんの怒声が飛び交った。
「だって、お前に名前がようやく付いたと思うと。それも間抜けな」
「間抜け……」
「ああ、お嬢ちゃんのネーミングセンスをバカにしたわけじゃないんだ。寧ろその分かりやすい名前に感動してるくらいだ」
オズワルドと呼ばれた店主が目に涙を浮かべながら笑う。舌打ちしながらも、これ以上名前については何も言わず、座っていた椅子をくるりと回転させて私を見た。
「エイコ。紹介する。こいつはオズワルド。俺の仲間だ、信用していい」
店主は気がついて、こみ上げてくる笑いを押し殺しながらお辞儀した。
「僕はオズワルド。この古本屋の店主兼こいつの仲間ってトコ」
「仲間?」
「あれ、君気が付いてないの? あいつが右目の防護壁を解除してるから、てっきり僕らがハッカーだって知っているかと」
「……ハッカー!?」
大声を上げると、うるせえとナナシさんが一喝。すみません。というか、防護壁?
「ハッカーは特殊なプログラムをアバターに組み込んでるんだよ。それがこの紋章」
オズワルドさんが袖を捲くると、先程チラ見えしていた両腕の紋章が露になった。
「こういうのは見つかるとまずいからね。僕みたいに隠すか、あいつのようにアバター自身に防護壁を張って見えないように細工するんだ。けど、今日はどういう風の吹き回しか、防護壁を解除してる」
驚いてナナシさんを振り返ると、先程まで赤い瞳をしていた彼の右目が手のひらで隠され、次に露になった時には黒い瞳に変化していた。
あくまで物腰柔らかく、オズワルドさんはどうしてだい、と白髪の男に首を傾げてみせる。返ってきた何度目かの舌打ちに、ふうんと察したように頷いた店主は「こいつも大概気分屋だからね」と明るく笑って私に椅子を引いてくれた。小さく会釈した後おずおずと椅子に座りながら、自称ハッカーを名乗る二人組みを交互に眺め、その紋章を確かめる。
確かに、ある。黒い切り傷みたいに浮かんでいる紋章。鮮明なデータの塊に自ら傷をつけているかのようなそれに思わず息を呑んだ。
「……さっきの魔法陣も、空間データに干渉したのもこれで納得が出来ました」
「お前、納得ってなあ。俺様がやらなかったら捕まってたんだぜ?」
「空間データに干渉? おい、お前トリトンとまたやりあったのか?」
オズワルドさんがナナシさんを睨むと、彼は面倒そうに肩をすくめる。
「こいつがシステム側に騙されやがったから、助けたまでだ」
「とりとん?」
「お前ほんと、何も知らないのな」
きょとんとしていると、ナナシさんがジト目でこちらを睨みながらも説明しはじめた。悪かったですね、何も知らなくて。こちとら初心者なんです。
「海神隊、通称トリトン、あの黒頭巾たちAIを使ってる奴らのこと。要はネット警察だな。ドルフィンの管理側が、ドルフィンで悪行が流行らないように組んだ組織だ」
「へえ。そんな組織が何で」
一体どういうことだとオズワルドさんが難しい顔をするので、これまでの経緯をナナシさんがかいつまんで説明する。見た目は穏やかな青年風である彼は、特にこちらに敵意があるようでもなく、寧ろ仲間が連れてきた私に対しての興味でいっぱいなようだった。
私は右腕を見せて自分のアバターの破損を示すと、眼鏡の奥にある目が少しだけ大きく開いた。
「これは……すごいな。ログアウトしても治らなかったのかい?」
腕を見ながらオズワルドさんは尋ねた。思わぬ見落としに感嘆の声と共に立ち上がる。
「ログアウト! そういえばしてないです。ちょっとやってみますね」
「待て! ログアウトはするな」
早速ログアウトを、と動き始めた矢先、偉そうに座っていた白髪男が机を叩いて怒鳴った。怒声に驚いて小さく飛び上がり、不可抗力でログアウトボタンを押してしまった。
「どうして?」
「いいから、ログアウトはするな」
「あの、今ログアウトボタン押しちゃいましたけど」
なんだと、と焦った口調になるが、二人の目の前で私は数分経ってもログアウトせずに立ち尽くしていた。あれ。なんで。これじゃ、何だかマヌケじゃない?
疑問に思う中、オズワルドさんが唸る。
「多分、アバターだけじゃなくてログオフ機能とかそういうもの全般的にやられちゃってるのかもね。とりあえず腕の修復は応急処置としてやっておく。あと、トリトンにも見つからないように、君のアバターの内部を書き換えておくよ」
「か、書き換え? それ、大丈夫なんですか? 体調悪くなったりします?」
「ンなわけねーだろ。アホう」
すかさずオズワルドさんの手刀がナナシさんの脳天に振り下ろされる。んぐぎっ、なんてアホっぽい呻き声が聴こえて、私は隠れて笑った。
「トリトン達はウィザード社が持っているドルフィンのアカウントデータを元に追ってきているはずだから、君のアカウント、即ちアバターの内部構造をちょこっとダミーでコーティングしておけば見つかりにくくなるはずなんだ。サポセンに連絡した時、現在地と自分のアバター名を聞かれたろ?」
思い出してみれば、そんなことも確かにあった。そうこうしている間に、オズワルドさんはてきぱきと私のアバターの『書き換え』を済ませ、椅子の上で頭を摩りながらふんぞり返る男を振り返った。
「……で。これからどうするんだよ、ナナシ」
「こいつのアバターを治す方法を探すに決まってるだろ」
当然、とあっさり言い放った白髪男に対し、キャスケットの男は苦々しげな表情を浮かべる。何か言いたげに口を開くも、言葉を飲み込むようにそれはすぐに閉じられてしまった。代わりに私へと向き直り、肩をぽんぽんと叩いた。エイコちゃん、だっけ、と尋ねられ、どぎまぎしながらも頷く。
「こいつ、ちょっと性格が俺様だけど、根はいい奴だから。よろしく頼むよ。ほんと、根はいい奴だから」
「なんで二回言ったんだよ!」
よろしく頼むよ、と言ったオズワルドさんは、眼鏡の奥の目を細めてふふ、と笑った。つられて私もふふ、と笑い、胸を張って答える。
「はい、性格に難アリな雰囲気は出会った時から感じていたので、大丈夫です!」
「お前も否定しろよ、エイコ!」




