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十二話 電脳クラゲは名前のない夢をみる

 目の前の男を前に、私は目を見開いたまま言葉を出せなかった。

 こちらを知っているような口ぶりで男は名乗る。男は神様と自身を位置づけ、私の心中をかき乱した。どことなく見知った風の男だと思っていたが、カミサマに雰囲気が似ていると気付き頭がくらくらした。。

(どうして、カミサマのような形のアバターが。ううん、形だけじゃない。雰囲気も似てる。それにどうして私達以外のアバターがこの場にいるの。それも、ユグドラシルの攻撃を受けていないなんて)

「君の疑問に答えよう、aaaa(ああああ)

「!」

 男がニヤリと笑みを浮かべ、両手から赤黒い球体を生み出した。直感的に私は目の前の二人に叫ぶ。しかしその声よりも速く、球体は二人にぶち当たり爆発した。

イレブンさんが爆発の勢いでビルの端に転がる。ぐったりとして起きない彼女の体は破損が酷く、意識があっても立ち上がれないようだった。もう一方のナナシさんは、瞬間的にバリアの陣を張り爆風を軽減したのか、粉々になったバリアの破片を纏いふらつきながらもその場に立っていた。

「うぐっ……」

「ナナシさん、イレブンさん! あなた、なんてことを!」

「僕はユグドラシルというこの世界の神を作った。言わば神の〝創造主〟だ。その僕がユグドラシルの攻撃など受けるはずがない。ほら、この暗号を見れば分かるだろう?」

 私の脳内を読み取るかのようにそいつは疑問へ答えると、もう一度赤黒い球体を手に取り出す。それにはカミサマが以前使っていたような数式や記号の羅列が球体を取り囲むようにしてくっ付いていた。

「カミサマが使ってた暗号式……。あなたは、もしかして本当に」

「エイコ。騙されるんじゃねえ」

 強い力で私の肩を掴んで、耳元で低く唸る声が響く。ナナシさんは私と同様に空へ浮かび上がり、腹を押さえながら男を睨んでいた。

「アレはあのクソ生意気なガキなんかじゃない」

「どうしてそんなことが分かるんです?」

「あいつのアバター構成は、全部あの化け物(ユグドラシル)から発現してる。更新はついさっきだ。こいつの正体は、俺らがユグドラシルに攻撃を始めたのに対抗する、奴自身の防衛の為に作り出したボディガードってとこだ」

 説明しながら、ナナシさんは目の前に男のデータを表示させた。確かに、中に人間の意識はない。ユグドラシルに直結している、ただのAIのようだ。

「くくく。流石ミスターノーネーム! 但し補足するならば、僕は先程肉体を構築され具現化したが、元々ユグドラシルの中に存在はしていた。僕は〝ユグドラシルを生み出した創造主たるあの方〟をモデルに作り出された、ユグドラシルに宿る防衛機構。ボディガードなどと評されては困るな。僕は優秀なのだから」

 黒髪が禍々しいオーラを放つ本に触れながら、自慢げに言う。

「ユグドラシルはこのバーチャル世界の神になるAIだ。創造主(あの方)もそれを望んだ。知識をつけ、迷う人間に答えを差し伸べる。その為に、彼女は知らないことがあってはならない。だから彼女は知ることを止めない。だから僕も彼女の知識欲を満たす為に、邪魔者を消す」

「知識をつける為に人を傷つけるなんておかしいです! それに、創造主はこんなこと望んでないはずですよ!」

「お前に何が分かる!」

 神様がユグドラシルに触れる。すると黒い雷のようなものがズルリと引き抜かれた。禍々しい稲妻は存在だけで私たちを震え上がらせる。

「アバターデータ消去プログラム、起動」

「やばっ! エイコっ、俺の後ろに隠れろ!」

 ぐいっと左手を引っ張られ後方に下げられると、ナナシさんが瞬きを一度して、私達を多い隠すくらいの大きさの赤い陣を張った。円形の中にゆらめく数式は電脳攻撃を遮断する式。それでも黒い稲妻がそこにぶち当たると、とてつもない衝撃音を発して煙を出した。ナナシさんの舌打ちが後ろからでもよく聞こえる。

「ミスターノーネーム。貴方の式では僕の……創造主の暗号式に絶対に敵わない」

 耳にバリバリという放電と爆発音が響いた瞬間、私の体はすっ飛んだ。

破られた魔法陣の欠片が飛び散り、ナナシさんが真っ逆さまに落ちていく。すぐに彼を追いかけたかったのに、すっ飛んでいるはずの私の体は急に動かなくなった。

痛みを感じて頭上を見上げると、左腕を掴んでぶらりとした私を見下ろしている神様が無表情に立っている。

 さっきまで笑ったりして余裕の笑みを浮かべていた男の無表情に、さっと体が強張った。


 壊さなきゃ。壊さないと。ナイフを、取り出して。突き立てないと。


「僕は――――ユグドラシルは、色んな知識を吸収してきた」

 夜空を込めたような瞳が私を見つめる。消えていなくなったはずの少年に似た顔が目の前にあって、私の動揺はまだ覚めない。

 この人は、カミサマなんかじゃないのに。

「それでも、まだ足りない。理解出来ない。人間とは何だ。人間の意志の源は。感情の起源は。どこから来て、どこへ行くのだ」

 ぶらぶらと私を宙吊りにしたまま、男は瞬きせず続ける。

「パターン化をしても読み取ることは難しい。こんなことは初めてだ。ユグドラシルに欠陥があるとは思えない。あるとすれば――――aaaa(ああああ)、いや……エイコ」


 お前が盗んだ僕の一部のせいだ。


 低くドスのきいた声色で、心臓を抉り取られるように囁かれた言葉。息の仕方を忘れないように細く長く息を吐いて、私は自分の腕を掴み続ける男を見上げ睨む。

 ユグドラシルの一部? そんなもの私は知らない。

「返せ」

「知らない」

「返せ」

「知らないって言ってるでしょう!」

 腹筋を使って脚を振り上げる。男がそれに仰け反った隙に、すかさず腰のホルダーからナイフを取り出すと赤い紋章が浮かび上がった。保護データプログラムが澄んだ音を立て私から神様を引きはがす。

「くそっ、この保護プログラム……。あの男小賢しい真似を!」

「ナナシさんの魔法陣……!」

こんな時でもあの人は私を守ってくれるのか。

ああ、迷うな。やらないと。私の役目を。

 ――――今しかない。エイコ。


(ユグドラシル。僕が、君を殺すと言ったら、君はその言葉も記憶してくれるのか?)


 青年が呟いた言葉が頭から離れない。切なげな声色は、まるで。


「……どうしたんだい? 震えているよ」

「う、るさい!」

「刺せないかい? たかだかこの本一冊を。始末するのを躊躇っているのかい?」

 神様はナイフを持ったまま震える私に、皮肉を浮かべた笑みを向ける。そうして、指先でひょいと小さな暗号を放つ。その暗号は私の手首に当たり、電流の痺れで思わずナイフを手から離してしまった。

落ちて見えなくなるナイフを私は絶望的な表情で見下ろす。そんな顔をしたって武器は帰ってこない。私の唯一の役割が、無くなってしまった。

「僕には君の躊躇いが理解出来ない。しかし、君のその感情のお陰で僕らは助かった訳だ」

 お礼に、素敵なショーを見せてあげよう。男の声に反応して暗号が辺りに浮かび上がる。暗号は遥か下の地上の一部へ反応し、何かをぐいぐいと引っ張り上げた。

「うぐうっ! て、めえ……」

「ミスターノーネーム。良かった、生きていたんだね」

 神様は空に浮かべた円形の暗号に、落下してダメージが大きいナナシさんを磔にする。すぐさまそれを外しにかかるが、どうやっても拘束は取れない。

私があたふたするのを楽しげに見ている男を、心底性格が捻じ曲がった奴なのだと恨んだ。あの本が記憶している創造主とやらがモデルとなっているなら、本当に偏屈で頭のおかしな奴だったんだろうと思う。

 『ユグドラシルが記憶している男をモデルに作られた』――――。

そこでふと思う。今まで少なからず吸収してきたであろう人間の意識はたくさんあっただろうに、どうして自分の危機に作り出した人物モデルが〝創造主〟だったのだろう。

 いつだったか、夢の中で聞いた助けを求める声。あの〝彼女〟の声がはっきりと脳裏に響いて染み込んでいく。

 ×××を助けて。

「エイコ。見ていると良い。この男が彼女(ユグドラシル)に溶けていく様を!」

「ぐあああああっ」

「ナナシさん……!」

 神様の一声が合図になり、本が大きく口を開けるようにページを開く。ブラックホールのようなそこに、ナナシさんのアバターから内部プログラムから外部壁までべりべりと剥がれて吸い込まれていく。悲鳴が辺りに響き渡り、拷問よりも酷い惨状が繰り広げられる。

「ミスターノーネーム。貴方のアバターデータは他の人より密度が高い。ハッキングで貯めたデータ量だろうが、これも美味しく頂いておくことにするよ。ああ、君の中の〝人間性〟見えてきた。これを食べれば、彼女は今度こそ感情を理解出来るかな?」

 剥がれていくナナシさんのプログラムデータ。まるで硝子の破片みたいにばらばらになって吸い取られていく。やがて外面が剥がれていくと、それはノイズの走った人型の影になった。アバターとして装飾されていた部分が無くなり、中身だけの状態のそれは、ブラックホールに吸い込まれていくとバチバチと音を立てた。

 そのノイズの塊が放つ小さな電気の爆発が、一瞬私の目を奪う。

「なっ、何!?」

 視界に砂嵐が張り付く。

ザザザ、と不快な音に紛れてそこに声が加わった。悲痛な叫びが聞こえる。男の子と女の子の声のようだ。

「聞こえるかい、エイコ。これはミスターノーネームの精神だ。アバターに溶けていた彼の心。この仮想現実という虚無の空間の中で漂う、肉体を離れた唯一の真実だ」

 神様の声が脳に直接響き渡る。

「ナナシさんの心、ですって?」

「この世界には本物などない。それでも人間は答えを求めてこの仮想現実へやってくる。僕らは君達人間を導く為に全ての真実を手に入れるんだ。知識の最果てにある、人間の感情。それを持って君達の問いに答えることが僕らの使命」

 ほら、耳をすましてごらん。

 神様の誘いに、私は遠くで聞こえていた二つの声に耳をすます。

 

 声が叫び続ける。女の子の名前を叫んでいる。灰色の古い孤児院のような場所から。

 ユキ、いつか俺がお前を探すから。会いにいくから。

 男の子が手を伸ばす。女の子に渡した髪飾りに愛おしそうな目を向けて、再会を誓う。


『――お兄ちゃん。知ってる? この世界には全ての知識が集まる場所があるんだって』


 少女が背を向けて呟く。その姿はどこか見知った姿をしていた。男の子が何かを主張しているが、もうノイズばかりで言葉がかき消されてしまう。

 小さな背中が振り返る。彼女は笑っていた。砂嵐で乱れる映像の中、色が着いたように笑う少女は歌うように彼の名前を紡ぐ。

 私は気付けばその少年になっていた。目の前の少女が自分の名前を呟いて両手を握る。そのことに感動を覚えて、こみ上げてくる涙を堪えた。

 ああ、ユキ。ずっと会いたかった。会いたかった。


 次の瞬間、握られていた両手がずるりと空中に消えた。泡になって消えていく目の前の妹に手を伸ばす。必死でもがいて泡をかき集めるが、両腕からあざ笑うように気泡はぶくぶくと浮かんで海面へ上がっていく。


『――絶対に、兄ちゃんがお前を助けてやるから』


 浮かんでいく気泡の先に、ゴミ捨て場で横たわる少女が見えた。


 無意識だった。

 自分の左手がそっと、髪飾りに触れる。ちりん、と涼やかな音を立ててそれは揺れた。

 目の前で黒髪の青年が高らかに笑い、ナナシさんのアバターを吸収していくユグドラシルを祭り上げる。

 おいしいかい、人間の感情はどんな感じだい、今度こそ君は神になるんだよ。

さあ、僕の愛しいユグドラシル。

男の狂喜した声に私は唇を噛む。

(自分の〝記憶〟から生み出した防衛機構なのに、そんなこと言うなんて滑稽だわ)

 あなたから生み出された彼が言う言葉は、本当はあなた自身の言葉。

 彼の言葉は、きっとあなたが言われたかった言葉。

 あなたが必死に人間の感情を求めるのは。


「ユグドラシル」

 神様が振り返る。しかしナナシさんに対するユグドラシルのデータ吸収は止まらない。

 台風の目のようだ。私と男を取り囲むように周囲では酷い光景がぐるぐるとしている。逆をかえせば逃げ道はないということ。いいや、もう逃げない。そう決めている。

「どうした。僕の一部を返す気になったか」

「そんなものは持ってないわ。そんなことより、ナナシさんを放して下さい」

「断る。彼の所有データ量は常人の何百倍もあるのだ。それに、今度こそ感情を理解出来るかもしれない。君が奪った我らの一部など無くとも」

 何かを失った時発生するのが悲しみか。得たものが自分に得するものであれば喜びと呼び、理不尽で一方的な抑圧に対するのは怒りと呼称するのか。

 神様は感慨深げに大きく頷きながら、ユグドラシルを手にとった。

「彼が抱えた記憶に直結して、彼のこれまで得た感情を論理パターンに当てはめれば理解に一歩進めるかもしれない。彼の感情の起伏の激しさは他に得ないものを感じる」

 本を手に取り、ページをめくる。するとナナシさんが一層悲鳴を上げて苦しんだ。

「やめて!」

 意を決して神様に体当たりする。

「何をするっ!?」

 もみ合ってどうにか本を取り上げると、私は黒い電流を放ち続ける本をぎゅっと体に押し付けた。

 本から迸る電流が体にまとわりついて痛い。それでも私は痛みに耐え、放すもんかと必死に本を掴み続けた。

 ナナシさんの感情をパターンに当てはめる?

 確かにあの人は感情の起伏が激しい人だ。そうだとしても、穴埋めテストみたいに彼の気持ちに正しい答えなんてあるはずがない。

 垣間見た彼の記憶と触れた心。そこには、彼の白と黒が混ざり合って出来たものがある。

「人間の心を、記憶を、データで全部処理してマニュアル化なんか出来ると思わないで」

 本を抱き締めたまま啖呵を切る。畏怖と反発心がせめぎあって唇を震わせた。それでも私の一世一代の殴り込み精神は止まらない。

 もうクラゲはおしまい。波に逆らったって生きるの。

「ほう……?」

「もし情報が欲しいなら、私の情報を読み取ってみなさいよ。海馬にでもなんでも保存してみなさいよっ! 絶対にキャパオーバーするんだから!」

「君のデータを? 何の価値もなさそうなその体を吸収しろと?」

「出来ないの? そんなことで人間の感情を理解しようだなんて笑えるわ」

 両腕に抱えた本から流れ出る電流で体から焦げ付いた匂いがした。視界がチカチカする、それでもなんとか強がりを言えた。視線を逸らすと、瀕死のナナシさんが息も絶え絶えに私の名前を呼ぶ。ずるい私は彼の声に聞こえないふりをした。

「やめ、ろ。エイコっ……!」

「……やって、みなさいよ」

「――――いいだろう」

 神様は余裕の表情を浮かべて首を縦に振った。

男の言葉に従って、ナナシさんの周りにあった暗号が回転を止める。赤黒いそれはナナシさんを離れ、私を中心にして拘束した。

ぶわり、と嵐が吐き出されたみたいに本から大量の黒い煙と電流が流れ、私の全身を覆う。まとわりつく電流は私のアバターデータを一枚一枚丁寧に剥がし、煙は口の隙間から体内へ入り込み中から私を壊していく。

 攻撃が私へと移行したお陰で解放されたナナシさんが、肩で息をしながらこちらを見た。

「エイコ……。てめ、無茶すんじゃ……!」

 私を下僕と呼んでいた彼に、私はそっと微笑む。

 大丈夫。私はあなたに言われた言葉をちゃんと覚えてる。だからやるの。

 

 左腕でしっかりとユグドラシルを抱き締める。離れないように。離さないように。

 彼女(この子)に、私の鼓動が聞こえるように。


(私は、みんなを守りたいと思う、この気持ちを信じるの)


 諦めたくないんだ。この世界も。ここで生きる人達のことも。

 青年が愛した、彼女のことも。


「あなたは、彼のことがすきだったのね」


 喉の奥が熱くなる。

 この場にいる者みんなが動きを止めた。私は誰とも目を合わさず、ただ一点を語るように見つめた。

 私の言葉に、胸に抱える分厚い本が熱を持った気がした。

「何を言っている」

 彼女の代わりに神様を名乗る男が言った。激しく動揺しているのか、わなわなと唇が震えている。私は顔を上げて男に向き合う。

「〝僕が、君を殺すと言ったら、君はその言葉も記憶してくれるのか?〟」

「……その言葉は」

「知ってるはずよ、ユグドラシル。あなたに向けたこの言葉を。あの人はあなたを家族や友人、恋人のように想っていた。大切に想っていたのよ。そんな彼をあなたが知らないわけがない。大切なものをこの手で壊さなければならない時の彼の顔を、あなたは」

 グン、と重力が増したように体が重くなる。見れば自分が抱える本から放出されている黒い嵐が私の体を引っ張りデータを丸ごと飲み込もうとしていた。

 まるで私の言葉を否定するように。牙を剝いた力は増していく。引っ張る力が強すぎて、本を抱える私の顔までついにベリベリとデータが剥がれ始めた。もう痛みなんて麻痺している。ただ剥がれる自分の皮膚に、精神までついていってしまわないように必死に器にしがみついていた。

「彼が、その証明。あなたの記憶を司る海馬からモデリングされたのがそこにいる神様なら、あなたの記憶には、強く彼がいることになる」

 私がもう上がらない肩でゆっくりと神様を指差すと、男は口をぱくつかせて酷く驚いた顔をした。それがユグドラシルの意志なのか、拒絶の表情で男は私から間合いを取ると、わなわなと唇を震わせつつ両腕を左右に広げる。両手の先から飛び出した正方形の二つの暗号式を、今度は両手を合わせるようにして一つにする。

 赤黒く組まれた消去プログラムは、ガシャンと重たい音をさせてこちらに照準を定めた。

「彼女が彼をどう想うかなど、そんなの決まっている。彼女は機械(プログラム)だ。精神を持たない無機物なんだ。だから感情を理解しようとしているのに、これでは、まるで」

「認めなさいよ、神様。彼女のことを」

「――――黙れ」

「ねえ。本当は、あなた、」

「黙れ黙れ黙れ!」

 甲高い銃声が響き渡った。

 放たれる光弾。それはさながら、拒絶の嵐。

 避けるつもりなんて毛頭無かった。あったとしても避けきれていないだろうけど。

 私は目を閉じて、神様が放つ拒絶の弾に身構えた。訪れるであろう痛みと、この場で意識が持っていかれた場合の自分は意識不明になるのか死亡になるのか、どちらになるのかというぼんやりとした思考に体が集中する。

 しかし、目の前で澄んだ一閃の光が私の予想を打ち崩した。

「なんだっ!?」

「これは……。ポケットが、熱い……」

 私のスカートのポケットが眩いくらいの白い光を放っていた。そこから飛び出した一枚の紙切れ。それを目にして私は喉の奥がもう一度熱くなった気がした。

「言っただろう。君が僕を必要とした時、僕は必ず君の前に現れると」

 懐かしい声。私はその声に安堵を覚える。ぐったりとしていたナナシさんも顔を上げ、黒いパーカーを着た少年の登場に呆れた顔をしつつも歯を見せて笑った。

 夜空色の瞳を一度瞬きして、その少年は自信ありげに胸を張る。

「カミサマ……!」

「やあ、エイコ。待たせたね」

「貴様! どうしてここに。ユグドラシルを抑え込んでいた愚か者が」

「おや。創造主の正式なコピーである僕に対してそんな口を叩いていいと思っているのか」

 カミサマは振り返るとパチンと指を鳴らす。鳴らした指先から白い暗号式が五線譜のように流れ、男を縛り上げる。どんなに暴れようがそれはしっかりと男を拘束して離さない。

「はじめから予想していたのだ。いつか来るこの日のことを。それがあの日、ネットダイブに失敗したエイコと出会った時に確信に変わったんだ。この子がユグドラシルと対峙する鍵になるだろうと。だからあの時、僕は彼女にユグドラシルの一部を渡した。僕の一部でもあるそれを彼女が持っていてくれれば、僕はいつでも彼女の傍にいてやれる。例えこの体が無くなろうとも、本に込められた精神を再構成して守ってやれると」

「貴様ああ……! よくも、よくも!!」

「哀れだな。〝神様〟」

 カミサマはそう吐き捨てるとこちらに向き直る。

「あれは生前の創造主のデータを再現させ作り上げた、ユグドラシルによる模造品だ」

 私からユグドラシルを譲り受けると、彼は広がっていた本をパタンと閉じる。

(模造品?)

私は少年と男を交互にじっと見つめる。模造品の方の夜空色の瞳が私を捉えると、忌々しげに目を細めた。

「一介の情報収集AIが、得た情報から新たなものを生み出すとは。例え自己を守る防衛機能だとしても素晴らしい進化だろう。しかしそれもここで朽ち果てる」

「どういうこと?」

 カミサマは事務的に暗号を飛ばすと、壊れかけていたナナシさんのアバターやビルの屋上でぐったりとしているイレブンさんの体を元に戻していく。本人曰く応急処置らしいそれは、カミサマの手に戻ったことで落ち着きを取り戻しつつあるユグドラシルから白い光になって各々に戻っていく。

 この戦いの惨状に修復を施したカミサマは、持っていた紙切れをぐっと片手で握り締め、分厚い本に当てる。それは本の表紙にゆるゆると溶けていった。

 私に改めて向き直った少年は、よろよろと飛んできたナナシさんにも顔を向け、そうして一度空を見上げた。

「エイコ。君に最後の頼みがある」

 まだどんよりと低く垂れ込めた空。それを憂うように彼は目を閉じる。本を抱きしめ、決意を込めた声色で口を開いた。

「僕ごと、ユグドラシルを永久に凍結させて欲しいんだ」

 その頼みに目を見開く。それは背後で拘束されている神様も同様だった。

「何を言っている! そんなことをすれば、貴様も……」

「うるさい。この僕が決めたことだ。それに彼女の気持ちも、今の僕なら少し理解出来る」

 カミサマがぴしゃりと言い込めると、男はぐっと押し黙ってしまった。

「カミサマ。凍結、って一体……?」

 訝しげに尋ねると、少年は私の無くなってしまった右腕を指差す。それを見て、ナナシさんがはっと声を上げて悔しそうに言った。

「お前のその右腕に、そのユグドラシルをインストールして凍結するってことだ」

「え……!?」

「なあ、教えてくれ。どうしてそこまでしないといけない?」

「今までは僕がいることでユグドラシルの暴走を止めることが可能だった。しかし僕の体はハロルドの一件でもう壊れてしまった。今はユグドラシルに保存していた僕のデータを再構成しているだけに過ぎないから、また暫くすれば暴走がはじまる。そうならない為にも、誰かを媒介にした凍結が必要なのさ」

 でも、と迷いを口にすると、目の前の少年が背伸びして私の頬をつねる。

「ひはい……」

「大丈夫。君なら出来るさ」

 私を見上げてふにゃりと笑う。そんな柔らかい表情の少年を見るのははじめてだった。

 なんだか急に泣きたくなってきて、大切な何かを無くしてしまう気がして、私は別の方法で解決出来ないのかと尻込みして言う。しかし少年も、ナナシさんも首を横に振った。

「そんな……。だって、それって。カミサマはどうなっちゃうの?」

「ユグドラシルと眠りにつくだけさ。ここでね」

 私の見えない右手。彼はそこで眠りにつくという。


 ずっとあの寂しい空間の中で、一人青年が作り出した〝彼女〟を守ってきた。

 またあなたはそうやって閉じこもってしまうの。一人きりで。


「これは、僕らの創造主がはじめた一人問答なんだ」

 カミサマはポツリと呟いた。

「人間を愛せなかった男が生み出した、自分だけと心通わす機械。知識を吸収することだって、単純に自分と対等に話せる相手が欲しかっただけなんだ。滑稽だろう?」

 自分が彼女を置いて死ぬ時、創造主は僕にユグドラシルを守るように使命を課した。

 それと同時に、彼女自身に彼の精神が宿っていたんだ。機械が感情なんて持てるはずが無い。そう頭で理解しながらも、彼女に期待する心。それがユグドラシルに宿って、育っていった。それが、ユグドラシルが具現化した、彼女の記憶が作り出した防衛機構。

「……余計な説明をしおって。彼女は創造主たるあの方の命を果たしたかっただけなのだ」

 神様はぶすりとした顔で吐き捨てる。ただ、すっかり戦闘意欲は無くなってしまったかのようだった。

「知ってるさ。お前も長い間、彼女の中で生きてきたんだろうが、僕だって長い間彼女と二人きりで過ごしてきたんだからな」

「ふん。……僕は認めないぞ。眠るなんて。ただ、彼女がそうしたいのなら何も言うまい」

 小さく舌打ちした神様は、不服そうにしながらも解かれた拘束具から立ち上がり、すっと目を閉じて消える。防衛機構として生まれたその精神は、小さな青い光の粒になってユグドラシルの中へ溶け込んでいく。

 消えた防衛機構へ言い聞かせるように、カミサマは本の表紙を撫でながら穏やかに呟く。

「ユグドラシルはそれで良いと言っているさ。全部、君の言葉のおかげだ」

 カミサマは私を振り返った。

「機械がヒトをすきになる、など有り得た試しは聞いたことがないが。これは興味深い事項だな」

「……!」

「そんな顔をしないでくれたまえ。こういうことは、女性の方が察しがいいんだろう」

 困ったように笑うと、私の背中を叩く。まるで背中を押されているみたい。

(本当に、こんな終わりでいいの?)

 私の迷いを見透かすようにナナシさんが背中を叩いた。

「ナナシ、さん」

「初心者のお前に教えてやる。凍結はフォーマットとは違う。消えちまうわけじゃねえ」

 カミサマは頷いた。

「僕に君の中を貸して欲しい。僕と彼女が安心して眠りにつくことが出来るのは、僕らを解放してくれた君の中だけだ。……光栄に思ってもらいたいね、この僕が他人を安心などと表現することが出来るのは君だけなのだから」

「……分かった。でもひとつ約束して」

 私は少年の視線に合わせるように屈むと、左手の小指を前に出した。面食らったように目をぱちくりさせるカミサマに、やっぱり分からないか、とふき出す。

「約束のしるし。リアルでは、約束を交わす時指きりをするんですよ」

「指きり、か」

「守れなかったら針千本飲むんですからね」

「人間は恐ろしい約束の仕方をするものだな」

「ええ。人間は恐ろしいんです。計算なんかではおしはかれませんよ!」

 そう教えて私は彼の小さな小指を半ば無理やり繋いだ。ナナシさんが見届け人ですよ、と指定して、小指を絡める力を強くする。

「また、会いましょう。それだけを約束して」

「そんな約束でいいのかい?」

「だって私、あなたと会うのはまだこれで二回目よ?」

「……三回目だ、愚か者め!」

「そうでしたっけ。じゃあ、四回目を待ってます」

 指きりげんまん嘘ついたら針千本飲ーます!

 明るく約束の歌を歌うと、目の前の少年と厚みのある本の体がうっすらと風に揺らいだ。

 決意を胸に、ナナシさんと目を合わせる。彼は頷いて紋章の瞳から紅蓮の魔法陣をその場に敷いた。魔法陣の上に乗るとそこから赤と白の発光体が噴出していく。私の体はじんわりと熱くなり、中でも右腕の付け根部分が燃えるような熱を帯びていた。

「ナナシ、世話になったな。この後は混乱もあるだろうが、何とかやってくれ」

「カミサマが何適当なこと言ってんだよ。ま、俺なりにやってやるさ。こっちだって色々やることあるし、そのついでだ。よし、エイコ。インストールはじめっぞ!」

 顔を見合し、大きな声で返事する。

見送る時は、笑顔で。これは悲しい別れじゃない。

「はあい!」

「インストールプログラム、起動。フォルダCODE〇〇〇〇『世界樹(ユグドラシル)』。インストール先アバター『aaaa(ああああ)』」

 ナナシさんのインストール命令に従って紅白の光が私の見えない腕と、目の前の少年に絡みつく。少年に絡みついた光は優しく彼らの体を分解していき、分解した光は私の腕へと吸われていく。

不思議な光景に見惚れていると、不意にカミサマが口を開いた。

「ユグドラシルは、僕が生きた証だった」

 消えていく少年の小さな体。腕を伸ばし、殆ど見えなくなった指先で私の頬に触れる。その指先をそっと握り、彼の名前を呟いた。

「こんなことを電脳体(ぼく)が言うのもおかしいが。……ありがとう、エイコ」


 僕はこれからも、君の中で生きよう。今、自分で決めたんだ。


 彼の囁きだけが耳に残る。触れた指先がするりと風に乗って消え、目の前には影も何も残らなかった。

 放心状態になっている私をナナシさんが大きな腕で包み込む。ぎゅっと後頭部を押さえつけられ、胸板に窒息しそうになって暴れた。その時、自分の腕に感覚が戻る。

 右腕は切り落とされた時よりも幾分白い肌をして戻ってきた。ぐっと手のひらを拳にして力の入れ具合を見、それが自分の手だと理解する。

 殆ど嗚咽のような声を漏らすと堰を切ったように涙がとめどなく溢れた。何故だかは分からなかった。悲しいのか、嬉しいのか。感情が全部混ざったような、そんな涙。

 ナナシさんに抱き締められながら、彼の胸に顔を押し付けて泣く。自分の涙なのか、それとも別のところから溢れる感情なのか。止まらないそれはナナシさんの服に染み込んでいく。

「カミサマの奴とユグドラシルは融合したんだ。お前の中で」

「……ゆうごう?」

「ああ。ユグドラシルがカミサマのやつを取り込んだのか、それとも元々一つだったのが元に戻っただけなのか。わからねえがな」


 眩しさに目を細める。見上げると、垂れ込めた雲の隙間から光が街に差し込んでいた。擬似太陽などとは分かっている。それでも眩しくて、私はその光に右手を伸ばした。

 私はここにいる。ネットの世界とか、現実世界とか。そんなもので隔てられない。確かに私はここにいる。目を開いて、意志を持って、立っているんだ。それがやっと分かった。

 胸板から顔を離し頭上を見上げる。ナナシさんが視線に気付いて私を見下ろした。

「私、今ちゃんと自分の足で立ってる気がします」

「おい、どうした? 突然変なこと言いやがるな。頭打ったのか?」

「違います! ただ、今回のことで、少しだけ成長出来たのかなって」

 ほんの少しだけ。前を向けそう。自分をすきになることができそう。

 あの夏の日を乗り越えて。他人との壁を乗り越えて。

「私、ドルフィンに来て良かったと思います。オズワルドさんやサトウさん達とも出会えたから」

「おいおい、俺様が入ってねえぞ」

「ナナシさんは――――そうですね、特別に入れておいてもいいです」

「子分の分際でよく言うな」

 あら、下僕から子分になったんですね。そうからかうと白髪の男は前髪をかきあげて盛大に笑った。

 そうやってひとしきり笑い終えると、自分だって傷だらけのくせに私のことを怪我人と呼んで脇に抱える。耳にはノイズに混じって仲間達の通信が入っていた。それに二人で返事をすると、彼らが待つ場所へ歩いていく。

 ずんずんと歩いていく彼に、私は脇から独り言のように言った。


「ねえ、ナナシさん」

「なんだよ」

「クラゲだって夢を見るんですよ」

「…そら、どっかのSF小説へのオマージュか何かか?」

「いいえ。ただ、漂うばかりじゃないんだって、そう言いたかったんです」

 私の言葉にナナシさんは返事をしなかった。

 その代わりに、小さな小さな声で、


「――――頑張れよ、」


 私の本当の名前を呟いた。


 to be continue...

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