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第十一話 信じること

 春の生ぬるい風が窓から入り込んで、一瞬ぶるりと背中を震わせた。消灯時間はとうに過ぎている。

 眠らずにいるのは今夜作戦が決行されるからだ。「ユグドラシルシステム破壊作戦」と何のひねりも無しに自称ハッカーの男が名付けたそれは、日付を越えた瞬間に開始される。

 作戦はナナシさんを筆頭に相談して立てられた。カミサマから教わった敵の習性を加味し、且つ余計な犠牲者、邪魔が入らないようウィザード社側の人間を抑えながら作戦を決行しなければならない。そこで三つのグループに分かれることとなった。

 まず第一に、調査の為ログインしているウィザード社の人間達を強制的に帰還させる、または身動きを封じる役目をサトウさんとバラさん、オズワルドさんの三人に任せた。サトウさんとバラさの二人はウィザード社の現役・元社員ということで内部システムにも詳しいし、オズワルドさんはプログラムの書き換え専門なハッカーだけに、いざとなったら全ての社員のアバター情報を書き換えてフリーズ、強制シャットダウンさせると意気込んでいた。普段穏やかな人だけにその言葉は意外で、案外ナナシさんよりも恐ろしい能力を持っているかもしれないと思った。

 第二に必要なのはユグドラシルの目を奪うための囮だ。

 いくら何でも、ユグドラシルの目を回避出来る私が真正面から敵地へ突っ込むことは危険だ。私のことは見えないのではなく、ユグドラシルが意識的に見ようとしない限り〝見えにくい〟だけなのだ。

 教室にたくさんの生徒がいる中で、教師が全員の行動を把握することが難しいのと同じように、私の存在はユグドラシルに認知されない。そこを突いて奴に近づくことがこの作戦では重要なのだが、ほぼ壊滅状態のセントラルシティには奴が標的にする建物や道路などの構成データが殆ど残されていない。アバターがちょろりと現れただけで、そいつのデータを標的にしてしまう。それを逆手に取り、ハッキングを駆使してユグドラシルの気を引くナナシさんと、海神隊を率いて奴を翻弄するナンバーイレブンさんがコンビを組んだ。二人はお互い不服そうだったけれど、私はあの二人が組めば最強だと思ってる。多分、どこか二人は似たもの同士なんだよね。

 そして、最後。第三部隊。部隊といっても一人きりだ。私が、ユグドラシルに近づきシステムを破壊する。いわばこのチームの刃だ。考えただけで足が震えて、自分なんかに務まるのかと頭を抱えたくなるが、もう逃げないと決めた。決めたんだ。

 窓の向こうに見える桜の木が、街頭に照らされてぼんやりと桃色の花びらを散らしている。幹に彫られた文字を思い出して、私は顔を上げた。

行かなくては。もうそれは使命にすら思えた。私は一介の高校生に過ぎないのに、電脳世界に入れば仮想空間の命運を握った戦士の一人だなんて。家族に言っても、学校の子に言ってもきっと笑われる。

(笑われたっていいじゃない。漂うだけの人生なんてつまらないわ)

 それを教えてくれたのは、あなただ。私を私にしてくれた。きっと漂うだけじゃなくて、私はこの海で泳いでいける。だから見ていて、私らしくぶつかっていくところを。

 開け放たれた窓に向かってベッドの上に座り、ディスプレイグラスをかけた。透明のレンズ越しに桜の木を見て、思わずふっと笑みが零れる。誰かのことを考えるなんてちょっと前の自分では有り得なかった。そんな自分の変化をくすぐったく思いながら、今から向かう戦場に私の顔はキリリと締まる。

ディスプレイグラスのつるを持ち、起動させた。ブブッと、まだ三回目であるのに聞き慣れてしまった小さな音が耳を掠める。画面がゆっくり暗転していって、脳みそが麻痺したみたいに感覚をおかしくさせていく。ゆっくりと、自分の身体が水の張った水槽に浸かっていくような。心地良い浮遊感に似たそれをしみじみと感じながら、私は目を閉じて、沈んでいく自分の先にいるもう一人の自分に触れた。


「作戦はこの間の通りだ。何か質問は」

 人を見下すような言い方しか出来ないあの男が、妙にリーダーシップを発揮している。それが何だかおかしくて笑ってしまいたかった。そんなことをすれば問答無用でゲンコツがくるだろうから耐えるけれど。

彼の言葉に私をはじめその場にいる仲間達はみんな首を縦に振った。準備は出来ている。今更質問なんてない。

地下壁外(アンダーウォール)にあるカミサマの領域に集まっていたのはナナシさん、オズワルドさん、サトウさん、バラさん、ナンバーイレブンさん、そして私。地下壁外(アンダーウォール)に来ることが出来ない海神隊のメンバーは、共有チャットでリーダーのナナシさんの言葉を聞いていた。今説明を聞き終え、皆思い思いにこれからのことを話している。

 ナナシさんは真剣な表情のまま椅子から立ち上がると、円形ホールの壁に巨大な画面を作り出す。どうやら彼はカミサマの部屋の仕組みを全て頭に叩き込んだらしかった。画面に映し出されたのはセントラルシティ。これからこの場が戦場になる。その街の中央に位置するウィザード社本部ビルの屋上に、禍々しい光を放ってデータを吸い込み続けるユグドラシルの姿が映った。

 がぱりと開かれた本は牙を剥いた獣のように見え、そこに吸い込まれていくデータは元の形から崩れ星屑のように細かい光の粒になって消えていった。その光が最後の瞬間きらりと瞬く様を見て、私は静かに息を呑む。

「改めて見ると、すごいシステム、ですね」

「だよなあ。貪り食ってるとこ見ちまうと、こえーって思う」

 私とナナシさんがしみじみ言うと、その隣で猫耳を震わせながらサトウさんが呟く。

「……掃除機みたいです」

「そ、う、じ、き! 吸引力の変わらないただ一つのソフトってことかいな!」

「バカにしてるわけじゃないのよ。情報を収集保存、しかもそれをリアルタイムに高速でやってのけるシステムなんてどんな大企業も持っていないから」

 慌ててフォローするサトウさんを豪快に笑うバラさん。掃除機が相当面白かったらしい、腹筋が崩壊している。

「それ程、神ちゃまが作ったユグドラシルシステムがスゴイってことだっち!」

「ねえ、今更なんだけどどうしてウサギがいるのかしら……」

 ウサギは神ちゃまの部屋を守る番人でっち、と二人に自己紹介するイカレウサギ。カミサマが消えた後でも、自分はこの部屋を守るのだといって勝手に私達の仲間になったのだった。そのウサギを胡散臭そうな目で見やる二人は同時に溜息を吐く。

「確かにそんなシステム聞いたことなかったな。しかも人工知能っておまけがついてる。こりゃあウィザード社も隠したくなるよ」

 オズワルドさんが関心して言う。そして一つ間を置いて、ナナシさんの方を気にした。

「こいつが原因だったんだな」

「……ああ」ナナシさんが低い声で頷いた。

 憎き敵を前に怒りで震え上がっているのか。それとも妹さんのことを考えて憂いているのか。アバター越しには分からないリーダーの表情。

 私は無くなってしまった自分の右手を見てから、皆から少し距離をとって一人佇むナナシさんの隣に立つ。背の高い彼は私を見下ろすと、どうした、と声をかけた。

 言葉がすぐ出てこない。しかし、言わねば、と思っていた。ドルフィンに戻ってきてから。ナナシさんの過去を聞いてから。私も、抱えていたことを話したいと。

「ちょっとだけ、昔話してもいいです?」

 すきにしろ。そう彼が言うので、私は続ける。遠い、あの夏の日のことを目を閉じて思い出す。

「プールに行ったんです。当時仲が良かった友達四人で。私はその友達のことをだいすきだったし、向こうもそうだと思ってたんです」

 そう思っていた。何の疑いもなく。しかし、真実は突然手のひらを返す。

 友達の一人が水に呑み込まれた。所謂吸い込まれ事故。吸水口の蓋が開いていて、その近くにいた為に吸い込まれてしまったのだ。

 必死で水を掻いて、吸い込まれるあの子に手を伸ばした。水泡が邪魔で見えにくい。それでも、必死に。

「おい、そいつは……」

「死んじゃいました。窒息死じゃなくて、吸い込まれた時に中で頭をぶつけて、即死。事故だったんです。不幸な事故」

 ただ、頭の中にこびりつくその記憶には、人の死を指差して笑う人間の影が鮮明に残っていた。皆知っていたのだ。そのプールの吸水口が開いていた事件が前にもあったこと。それは回覧板でも注意喚起されていて、私の親でもそれは知っていた。知らなかったのは、私と、死んでしまったあの子の家族。

「ほら、回覧板とかって近所で回すでしょう? 後から聞いた話なんですけど、あの子の家には、そういうの全くなかったらしくて。ハブ、っていうんですかね。大人のそういうのはよく分からないけど。親のそういうところが子どもにも伝染(うつ)ったのかなあ」


 ほら。てんばつがくだったのよ。

 なにもしらないのがいけないんだから。


 水面から聞こえた、残酷なまでに楽しそうな子供の笑い声は、今も私を水底へ沈める。

 あれは、無知を指差して見せしめにしていたのだ。つまり、殺したも同然。

(ううん、あの子を殺したのは、私なのかもしれない)

 私が、プールに行こうなんてあの子を誘わなければ。危険を知っていれば。

 あの夏の日が、ずっと心に重たくのしかかっている。他人の目が酷く恐ろしいものに思えて仕方なかった。だからずっと、心を閉ざして、ただ意志もなく、漂うだけのクラゲになって。

 ずっと後悔してきた。自分を諦めてきた――――。

「でも、ナナシさんが生き返らせてくれました」

「俺?」

 隣の白髪男を見上げる。男を視界に入れ、数度瞬きをすると、そのアバター情報が表示される。名前の欄にはノーネーム。出身は月なんてでたらめが記載された情報に口元が緩んだ。

「私、エイコって名前をもらえたこと、ほんとはすごく嬉しかったんですよ」

「は、あ!?」

 ありがとうございます。

 丁寧にお辞儀すると、ナナシさんは照れたように顔を赤くさせながら、口をきゅっと結んだ。

「ナナシさん。大丈夫です。私がいます。私がアバターと融合しても意識不明にならずに戻れたんですから、きっとユキさんを救う方法もどこかにあります」

「お前……。言うようになったな、エイコ。頼もしいぜ!」

 バシン!

「いっ! 背中、叩かないで下さいよぉ!」

 景気づけって奴だ、と悪びれもせず豪快に笑う男は、ふっきれたように顔を上げる。

「作戦なんて言っても、基本的に各部隊が自己判断でその場を動いてもらってかまわねえ。目的だけ果たせばそれでいい。第一部隊は邪魔な奴らの排除。第二部隊は何としてでもあの化け物の注意をひきつける。そんでもって、エイコ。お前はこいつで目標を叩け」

 ナナシさんから手渡されたのは刀身がピカピカに磨かれたナイフだった。柄の部分は木製になっていて、刃渡りは十五センチ以上はある小刀だ。刀身に映る自分の姿がやけに怯えた表情をしていて、頬をマッサージしてみる。

「私に、出来るんでしょうか」

 思わず吐いた弱音に、海神隊の隊長が苛立ちを込めた声でぴしゃりと雷を落とした。

「何を今更、甘えたことを」

「おいおい、隊長さんよぉ、そうピリピリしなさんな。顔の皺増えるぜ?」

「緋の目、貴様っ! これはドルフィンの命運がかかっているのだぞ!」

「わーってるよ。ほれ、エイコ。見てろよ?」

 大きな手のひらがナイフにかざされると、彼の赤い瞳がチリッと火花を散らした。美しい、緋色の瞳が煌めく。

「保護データプログラム、起動。CODE〇〇二五、展開準備」

 彼の言葉が鍵になり、ナイフが赤い魔法陣の球体に包まれる。球体はすぐにパッと光を放ち、魔法陣がナイフに染み込んでいった。

「ユキを探してた時俺はいつだって一人でがむしゃらになって、周りなんか見ちゃいなかった。一人で戦って、一人で怖い思いしてるんだと思ってた。でも今は違う。こいつらが俺についてきてくれるし、お前もいる。変な話だが、それに気付いたから前に進める」

「ナナシさん……。うん、そうですね。一人じゃ、ない」

「大丈夫だ。この俺様特製のお守りを付けといてやったからな! 何が来ても守ってやる」

 お互いの目を見つめ、どちらからともなくふひっと笑った。それを見て、オズワルドさんが呆れたように溜息をついて、

「おい、ナナシ。勝手にラブコメ始められても困るんだが!」

 指摘されて、お互い奇声を発し否定する。

「はあっ!? 誰がこのネット初心者とンなもん始めなきゃならねーんだ!」

「それはこっちのセリフです! あっ、サトウさん笑わないで下さい!」

 ああもう! 作戦開始だコラァ!

 ナナシさんの上ずった掛け声で、その場にいた全員が同時に気合の入った声を上げた。


 イカレウサギが各部隊を担当領域まで空間転移させる。そこからは部隊ごとのミッションを個人の判断で遂行していくことになる。ただし導きたい結果は決まっている。あのユグドラシルを破壊する――どんな判断をどの部隊が下そうが、この結果だけは絶対に変えられない。

 私の空間転移先は見覚えのあるゴミ捨て場だった。セントラルシティのE地区。今はもう都市という風景も、路地裏のゴミ捨て場という景色も言葉だけになってしまっていた。

 殺風景な瓦礫の街を一人眺め、立ち尽くす。私が以前希望と、少しの不安を抱いて降り立った世界は変わってしまった。色の無いただのデータ屑ばかりが溢れかえるかつての都市に言い知れない悔しさを抱く。同時に、胸の奥が変にざわついた。悲しい、切ない、そんな類のもの。

 私は腰のホルダーに下げていたナイフの柄に触れて、きゅっと口を結ぶ。

(今、第一部隊はどうしてる?)

 瞬きをしてアバターに組み込まれたフレンド情報を開く。

「必殺★お好み焼き手裏剣!」

 和服姿の女の両手からお好み焼きの形の手裏剣武器(ウェポンスキル)が飛んでいく。ふざけた形の攻撃に圧倒されたウィザード社の社員達は皆頭を抱えて伏せたり、運悪く攻撃に当たり強制的にログアウトさせられた者もいた。

 彼女の攻撃を興味深そうに眺めていたオズワルドさんはふむ、と丸眼鏡を指先で上げる。

「おお、バラちゃん案外やるんだねぇ。負けてられないな!」

「へへん、自分で作ったソフトなんやで! ほれ、当たりたくなかったら自分でログアウトしぃ!」

「ちょっと二人とも! 穏便にことを済ませましょうよぉ」

 私の右目に映像として映し出されたのは、ドルフィン内に構えられたウィザード社の緊急対策施設だ。先日ユグドラシルからの攻撃でほぼ壊滅に近かったというその施設はもう建て直されており、中の社員達はユグドラシルの動向を恐怖と怨恨で光る瞳で見つめていた。そんな彼らに退去を訴える三人のアバター。第一部隊の三人は着々と自分達の任務を進めているようだ。

 サトウさんが周囲のウィザード社社員に向かって叫ぶ。

「お願いします! 私達の言う通りにして下さい! ここは危険です、一旦リアルへ退避して下さい!」

「何を言っている! 貴様、何の権限があってこの場を取り仕切ろうとしているのだ!」

「きゃっ」

「おわっ、シュガー!? あんた、何するんや!」

「うるさい! そもそも貴様は随分前にウチから出て行った奴じゃないか。裏切り者が! おい、こいつらを取り押さえろ!」

「取り押さえられるのはあなただ」

 ひゅんっと風を切ってこの場の指揮官であろう男のアバターの後ろをとったキャスケットのシルエットは、男の首根っこを掴み上げると手の甲に記された紋章を光らせた。光った手から陣をアバターに組み込まれた男はジュワッと蒸発するようにその場から消える。強制シャットダウンというものだ。

「あ、ありがとうございます。オズワルド、さん」

「いいって。ほら、もし言うことを聞かないやつがこの中にいるなら出ておいで? 一人ずつ、僕がリアルに強制送還してあげるよ」

 オズワルドさんの含んだ笑顔にその場にいる全員が後ずさる。

「……よし。シュガー、他の部隊に連絡するんや」

「はい! こちら第一部隊。社員の身柄拘束しました。これからログアウトに入ります」

 私は見ていた映像を別の画面へ移す。今度は屋内ではなく屋外だ。ユグドラシルがいるセントラルビルの次に高い、かろうじて残っているウィザード社所有の自社ビル。その屋上に黒頭巾と騎士の分隊が少数並ぶ。そして分隊の一番前には、真紅の髪をなびかせた女騎士と中途半端な髪を大雑把に結った白髪の青年が前を見据えていた。

「了解した。こちら第二部隊、これから敵と交戦に入る。遅くとも三分後には全員ログアウトさせておけ」

「さっ、三分ですかあ!? ちょっと、それは無理ですよぉ、イレブンさあん!」

「やれと言ったらやれ! あと貴様の喋り方、もう少しどうにかならんのか、猫め!」

「ねっ、猫ですけど! 猫をバカにしないで下さい! もうっ見てなさいよー!」

 シュガーさんとイレブンさんの通信に、白髪の男がケタケタ腹を抱えて笑う。肩が揺れる度、彼の闇色のコートがハタハタとはためいた。

 笑いすぎだ、と女騎士は言った。それで奴をしとめ損ねたらどうする、とも。

 彼女の指摘に、まだ笑い足りない男は涙目になりながら答える。

「勘違いしてんじゃねえ。しとめるのは俺らじゃなく、エイコだ」

「分かっている。しかし、あの娘が本当にやれるのか」

「隊長さんよ。あいつをあんまりなめない方がいいぜ? なんてったって、〝ネット初心者〟だからな。無知でビビリなくせに、変なところで度胸がある。あいつはやるよ」

 そう言うと、ナナシさんは右手で自分の右目を覆った。緋色の魔法陣が周りで構成され、瞳の中に吸収される。ゆっくりと目を開けた彼は、緋色の紋章を燃え上がらせていた。

「エイコ。見てるんだろ?」

 私がフレンドコードを通じてやり取りを見ているのを見透かして、ナナシさんが言った。

「ごめんなさい。盗み聞きするつもりはなかったんです」

「別にかまわねえ。アホなお前に何か企むなんてこと出来ないって分かってるからな」

「アホアホうるさいです。失礼ですよ」

「ははっ。自分の下僕に何を言おうがいいだろ」

「下僕になった覚えもありません!」

 耳に響く男の笑い声。ひとしきり笑うと、ナナシさんはふうと長く息を吐いた。直感的に身体が強張る。もう作戦は始まっているのだ。次は、第二部隊の出番。

「……エイコ」

「はい?」

「さっき俺はあんたに守ってやるとか言ったが、正直に言う。それは信用するな」

 突然の言葉に、一瞬裏切られた気持ちが過ぎる。しかし彼の言葉は続いていた。

「はじめて会った時、俺が言った三つのこと、覚えてるか?」

「ネットでの注意事項?」

「そうだ。インターネットウィルス、悪徳ハッカー及び詐欺サイト、それと」

 〝ネットを利用する人間全て〟。

 あの時、ナナシさんはそう私に警告した。あの後に起こった彼の空間干渉と一緒に鮮明に覚えている。

 手のひらに陣を張り、そこから出現したチャクラムのような武器を試すかのように数度握り、男は表情を変え前を向いた。掻きあげた前髪から細い毛がハラハラと落ちていく。

「顔の見えねーこんな世界で、おいそれと他人の言うことを信じてやるな。それが嘘かもしれねえし、あんたを陥れる罠だって有り得る」

「でも、ナナシさんは、」

 言いかけて、喉の奥に言葉を押し留めた。

 何の確証も無いのだ。ただ自分の名前を呼んでくれただけで、あれが彼だったと決め付けてはいけない。脳裏に浮かんだ桜の木を消し去って、私はコクリと頷いた。

「私は私が正しいと思うことだけを信じますよ」

「――――オーケー。それだけ覚えてれば、俺様の弟子として十分だ」

「弟子でもありませんっ!」

 ふはは、とふき出す。そして隣に立っていた女騎士に目で合図した。

「さあ、第二部隊、そろそろいくぜ。エイコ。俺らはお前の盾だ。しっかりやれよ」

 返事をする前に。男はニヤリと口元を吊り上げると通信をぶちりと切断した。強制的にはじき出された私は、目の前の真っ暗になった画面を取り下げる。その場で空を見上げれば、低く垂れ込めた曇り空に赤と青の閃光が筋になって嵐を起こす本の元へ飛んでいった。

「私も行かなきゃ」

 目の前に展開した自分のアバターメニューから、バラさんとオズワルドさんが作った空間干渉ソフトを起動させた。自分の身体に蛍光水色の光が膜を張り浸透する。

 このソフトはナナシさん達ハッカーが行う空間干渉を簡易的に出来るようにするソフトらしい。オズワルドさんの知識と、空間転移や空間プログラムに詳しいバラさんの技術が生み出した結晶だ。

 起動させたソフトが全身に染み渡るのを感じる。私はぐっと足に力を込めて全力でダッシュした。路地裏を駆け抜けた瞬間高く高く跳躍する。すると溶けて透明になっていた蛍光水色の膜が一瞬だけ光りを放ち、私の身体をふわりと持ち上げて浮かばせた。

「うわ、浮いてる! 自分の周りの空間に干渉するって本当だったんだ」

 仮想空間とはいえ宙に浮いている自分に喜ぶのも束の間、私はところどころで浮かび上がっては弾き消える魔法陣と衝撃波の戦闘空域を見上げる。

 あそこで、トリトンの皆さんやナナシさんが戦ってる。それは辺りで起こっていたデータ吸収の力が弱まったことから歴然としていた。

今ユグドラシルは接近しているデータの塊である彼らに標的を移している。私の盾となっている彼らのためにも、このナイフでユグドラシルを破壊しなければ。

 覚束ない飛び方でビルを目指す。勿論戦闘空域には出来るだけ近づかないようにして、崩落したセントラルシティの地を這うようにしてビルに近づいていく。時折攻撃を免れ形を残している屋根の上を走り、空間への干渉を休止させながら飛んだ。

 頭上では激しい戦闘がなされている。降ってくるプログラムの断片は攻撃用のものだ。いつか見たことのあるナナシさんの組んだ魔法陣の欠片。弾き出されたその欠片をひとかけら掴み、ぎゅっと胸に抱く。

 降ってくるのは攻撃プログラムの残骸だけじゃない。

「ぎゃあああっ」

「!」

 人間が。アバターが落ちてくる。朽ち果てた体を見るに、データを吸収されて残りカスになってしまったのだ。作り物の体ではあるが、人間の形をしているものにブツブツと穴が開いてノイズを走らせているところを見るのは気分が良いものじゃない。見た目もそうだが、この人の中身が〝奪われてしまった〟こともこみ上げてくる吐き気の原因だろう。

「……ッ。早く、早く……!」

 口元を押さえ、可能な限り最速のスピードを出す。


早く。早く早く。あの化け物の元へ。一刻も早く。


 ビルの元へ辿り着いた。本が世界中から膨大な量の情報を吸収して、その振動や衝撃は計り知れないというのに建物としてまだ建っている本社ビルを見上げる。屋上には殆ど人が残っていないように思えた。かろうじて光る青と赤の陣に、ナナシさんとイレブンさんがそこにいることが分かる。

 私は迫っている自分の役目の時に、無意識にポケットに手を突っ込んでいた。指先に触れた紙切れにはっとして、強張っている自分の頬をぶっ叩く。

「いきますっ」

 今までの移動でユグドラシルには気付かれていないはず。このまま本に接近して破壊、それで全てが終わる。


(本当に破壊するの?)

腰に付けたナイフホルダーがずっしりと重たかった。それでもやるしかない。

(カミサマの大切な、大切なものを)

 迷っちゃダメだ。彼は言った。頼むって、私達にそう言ったんだ。


「――――コ、エ……コ」

 ぶつ切りになった声が耳に響く。上空に向かって飛びながら私は耳に手を当てた。

「どうかしたんですか!?」

「……るな」

 画面に表示された通信相手はナナシさんだ。しかし音声だけで状況が分からない。

「ナナシさん? どうかしたんです? 怪我ですか!?」

 もうすぐそっちに着くから、それまで持ち堪えて。

 私の応答に、声が一層焦りを滲ませて叫ぶ。ノイズを越えて、それは一瞬鮮明になった。

「……るな、エイコ。――――くるな!」

「え、」

 それは奇しくも、私が屋上へ辿りついた瞬間だった。

「エイコ、逃げろ!」

 直後ナナシさんの強い命令が飛ぶ。声の方向へ体を捻ると、体中傷だらけだがかろうじてプログラムが保っているナナシさんとイレブンさんが立っていた。

「二人とも! 酷い怪我!」

「俺達にかまうなっ」

だって、と反抗した時だ。ビュンッと風を切ってチャクラムが私の耳元を掠めていく。息を呑んでその場から動けなかったが、背後に忍び寄る気配に無理やり体を曲げて振り返った。そこには、どこか見たことのある青年がゆらりと影のように立っていた。

 闇よりも深い黒の髪。透き通るような白の肌。夜空色の瞳に私は目を奪われた。青年は前髪を掻きあげ、けだるそうに流し目をして口を開く。


「やあ。僕は神様。ヨロシクね。それにしても、君が生きているなんて驚きだ」


to be continue...



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