第5章:乖離(12)
何時の間にか、雨は止んでいた。
学生達の登校する時間になり、一階は雨音の代わりに彼らの声による喧騒で満ち溢れている。
それは、二階にいるアウロスの耳にも届いていた。
「暗殺者の名簿を探す過程で、思い出したのよ。かつて私が家から持ち出した書類の中に、奴隷売買の名簿も含まれていた事を」
ルインは言葉を一旦止め、黒いハンカチーフで汗を拭いながら、実験室の壁に寄り掛かった。
「最終的には取り返されたけれど、中身は一通り確認していたの」
壁の冷たさが火照った身体に心地良いのか、それとも他に理由があるのか、その表情にはどこか安らかな色が滲み出ている。
そして、そのままの顔で言葉を紡ぎ続ける。
「そこに、アウロス=エルガーデンと言う名前は確かにあった」
アウロスは――――ルインの話を黙って聞きながら、自身の心がどこか落ち付いて来ている事を自覚していた。
明らかに動揺すべき事態であるにも拘らず、ここ最近ずっと活性化していた黒いもやが、徐々に薄くなっている。
奇妙な心境の中、再び聴覚に神経を委ねた。
「けれど、それは貴方ではなかった。貴方の被験者番号は18。アウロス=エルガーデンは19だった」
ルインはアウロスと目を合わさず、暗記した事を一つ一つ思い出すような物言いで言葉を紡いで行く。
咀嚼するかのように、緩やかに。
その横顔は、次に発する言葉に対しての不安を覗かせていた。
「貴方はアウロス=エルガーデンと言う『別人』の名前を残したかったのね」
――――沈黙。
曇り空の下、まるで時が行き場をなくした風のように、旋毛を巻く。
が、それも長くは続かなかった。
前髪を指で梳きながら、ルインが再び口を開く。
「今の研究は、その為のものなのでしょう?」
「ああ、そうだよ」
間髪を入れず、アウロスは首肯した。
嘘を付く理由も、黙秘する理由もない。
ただ、素直に。
「俺はアウロス=エルガーデンじゃない。彼は俺の友達だった」
そして、切々と――――自身の過去を切り取った。
離れていく、作り上げた自分。
しかし、そこへ視線を送る事はなかった。
「俺の隣の独房に配置された『彼』は、直ぐに俺に話し掛けてくれた。友達になってくれた。嬉しかったよ。友達なんて概念すら知らなかったけど、生まれて初めて、他人と話すのが楽しい事だって知った」
今行うべきは、支えを失った抜け殻のような今を繋ぎ止める事。
それは決して難しくはない筈だった。
過去を見つめ直すだけ。
自分――――本来の自分を再認識するだけの事。
しかし、その作業は困難を極めた。
どう言う顔でその過去を話せば良いのか、まるでわからない。
アウロスは、困窮の中で綴り続ける。
自分の拙い物語を。
「彼は色々話してくれた。夢も語ってくれた。いつかその独房を出て、魔術士になるんだ! ってな」
在りのままを曝け出す。
アウロスは、自分が今どんな顔をしているのかさえわからない。
「その御友達は、亡くなったのね」
だが、ルインの指摘がそれを把握させた。
悲しく、切なく――――そんな表情のままに続きを綴る。
「俺の目の前で」
「……貴方、が?」
それは、鋭くも鈍くもない、自然な声だった。
アウロスは少し救われた心持ちで、それに応える。
「いや。俺の後ろにいた弓兵が……やった」
記憶が揺れる。
狂酔したかのように、それでいて鮮明に。
「でも、俺がやっていても何らおかしくはなかった。俺は彼の敵として戦場にいたんだから。もし彼に気が付いてなかったら……」
「貴方はそれに責任を感じているの?」
「……」
「呆れたものね。人にはあれだけ偉そうに言っておいて、自分も似たような事でウジウジと……」
アウロスの沈黙を肯定と取ったルインは、言葉に棘のある蔦を巻いた。
それは自分自身をも傷付ける、辛い言葉。
「貴方が私に言った言葉は、全て自分自身に向けてのものだったの? 自分自身の境遇を置き換えて、自分に責任がないと、そう言いたかったの?」
アウロスは答えない。
ただ眉間に皺を寄せ、沈黙を守る。
「私に生きて欲しいと言ったのも、自分が生きている事の正当性を主張したかったから?」
沈黙は続き、棘は刺さり続ける。
苦痛。
鎮痛。
その連続が、微少な時間に延々と続いていく。
先に根を上げたのは――――
「……違うって言わなかったら髪の毛全部燃やし尽くす」
ルインだった。
攻撃的な言葉の割に、追い詰められたかのような表情でアウロスを睨んでいる。
「こんな切羽詰ったところで脅迫するな」
アウロスは少し余白をくれた彼女に感謝しつつ、整理し終えた自分の言葉を表に出す事にした。
「生憎、そこまで自分自身を擁護したくはない」
それは――――とても悲しい答えだった。
口に出す事自体恥ずかしい、情けない事実。
自分自身を嫌悪していると言う、恥部。
しかし、ルインの余りに切なげな瞳を見て、アウロスは半ば観念したような心持ちで本心を告げる事にした。
「これまで散々、生まれた瞬間からずっと、色んな連中になじられて来た。見放されて来た。今更、自分を生きる価値のある人間だなんて思えやしない」
「そう言うイジけた事を言葉にすると言う事は、それを否定して欲しいの?」
「……まあ、ちょっとは」
告げ過ぎた感はあったが、少々場が和んだ。
「でもま、概ね本心だ。お前に生きて欲しいのもな」
「……」
ルインは窓の外に視線を移した。
が、まだ濡れているその窓に自分の顔が薄く映っている事に気付き、今度は廊下の奥の方に顔を向ける。
「お前の話に、何処か自分を重ねたのは確かだ。でもそれで自分を正当化しようなんて思う訳ない。似た者同士って気もしないしな。大体、俺はお前みたいに口が悪くない」
「……本気で言ってる?」
「当然だ」
アウロスは本心を告げている。
何一つ偽る事なく。
「俺のやってる事は自己満足なんだよ。魔術士になりたいと願った友達の名を騙って、その名前を魔術士としての偉業と共に歴史に残す。浅はかだし、何より本人の遺志じゃない。こんな事して誰が喜ぶかって言うと、そりゃ自分だけだ」
自虐気味な言葉だったが、アウロスは吐き棄てるでも嘆くでもなく、努めて穏やかに続ける。
「でも、俺に出来る事なんてそんなもんだ。死んだ人間にその感想を聞く事は出来ないけど、俺の中にある記憶の中の彼は『友情パワー合わせ技一本』って感じで喜んでくれるんじゃないか……と思う。それもまた自己満足だけど」
懐かしげに、そして寂しげに。
アウロスは過去を出し切った。
実際、それほどまでにアウロスの過去は小さく、薄い。
奴隷として過ごした日々に、語るべきエピソードなど多い筈もなく。
かと言って、研究の日々に劇的な何かがあるでもない。
ちっぽけなもの。
自覚はしていた。
だが――――それを信頼出来る誰かに知って欲しい、と言う欲求もあった。
「何か言え。感想でも何でも良いから」
「……」
ルインはアウロスを半眼で睨みつつ、少し乾いた唇を動かす。
「自分がいなければ、彼は死なずに済んだ」
一瞬、空気が張り詰める。
「――――そう思った事はある?」
射抜くようなルインの視線を、アウロスは正面から見据えて受け止めた。
「あるよ。俺がいなければ、あんな無茶な前進はなかっただろうし、俺のいた一群が彼のいた一群とやり合う事もなかったんだから。直接的な責任ではないにしろ、自分の存在と行動が大きく影響した。それは曲げようのない事実だ」
吐き出す言葉一つ一つが心を絞める。
窒息しそうな程に。
「なら、私達はどうすれば許して貰えるの?」
ルインの懇願にも似た問いに、アウロスは静かに首を振った。
「許されて楽になりたいのか? それは多分無理だろ」
「……そうね。殺される事を望んだのも、楽になりたいから……だったのかもしれない」
「いや、お前は立派だよ。自分自身で最後まで責任を全うしようとしてるんだから」
賛美の声に力がない事は自覚している。
それでも――――アウロスは構わずに続けた。
「俺は、アウロス=エルガーデンとして生きてる。自分じゃないんだ。自分は他人の見えない所に仕舞い込んでおく。そうする事で、自分ではない自分を客観的に見る事が出来るし、自分の弱点や劣等感は見えないようにする事が出来る。醜い生き方だ」
自嘲じみた色が混じった事も、そのままにして。
「でも、そうするしか、ここまで来る方法を見出せなかった」
他人にそんな姿を晒してはいけないと思いつつも、弱みを見せてしまう事が、人にはある。
それは、同情して貰いたいから。
柔らかくなくてもいい。
暖かい言葉を欲しい。
肯定じゃなくても、構って欲しい。
そんな、些細な欲求。
それ以外に理由はない。
(俺はルインにそれを求めている……?)
何故なのかはわからず、アウロスは心中で狼狽し、やはり心の中で頭を振った。
「それは、私の……」
「お前の家は関係ない。と言うか、お前の家が奴隷として俺を買わなけりゃ、俺はここにいないし、彼にも出会っていない」
それを悟られまいと、ルインの言葉を瞬時に遮り、予測による否定で打ち消す。
幸いにもそれは正解だったらしく、ルインの反論はなかった。
「利害関係のない所で繋がる……あれは、その友達の事だったのね。何故そこまで固執するの?」
その代わりに、抜本的な質問が来た。
それに対する回答は明確。
「固執とはちょっと違う。彼は、俺にとって最初で唯一の友達なんだ。俺を対等な人間として、何の意図も計算もなしに話掛けてくれたんだ。それを大事にしたいんだよ」
「……純情?」
「更に違う気がするが……」
ルインの奇妙な感想に、アウロスは思わず苦笑を漏らした。
「貴方は、絆を護る為に利害関係や合理性を追求しているのね」
「悪いか?」
「奇妙な生き方」
「……殺される為に生きてた奴に言われたくないんだが」
ルインも苦笑する。
滑稽ながら、どこか清涼とした空気が二人の間を漂っていた。
「私達は、周りから見たら相当歪なんでしょうね」
「お前ほど極端じゃないから。俺は」
「似たようなものでしょう?」
お互いの笑みから、ようやく苦味が取れた。
ルインは何気に、そう言う流れを作るのが信じられないほど上手い。
或いは、それは亡くなったメイドの影響なのかもしれない――――アウロスはそんな分析をしている自分に、自分らしさが戻っている事を感じていた。
自分らしさが、果たして何処にあるのかはわからないものの。
「確認したい事があるの」
「何だ?」
ここに至るまで。
互いを取り巻く環境は劇的に変動し、それに伴って二人の関係も変わって行った。
「私達は、御互いに大事な人を亡くしてしまった者同士」
「ああ」
初めは『奴隷』と『領主の娘』。
「私達は、御互いに御互いの生き方を理解出来る者同士」
「ああ」
次は『新人研究員』と『魔女』。
「私達は、御互いに生きて欲しいと願う者同士」
「ああ」
そして、今――――
「……協力、しない? 改めて」
新たな関係を、ルインは望んだ。
条件も目的も掲げない、唯の呼び掛け。
アウロスは一瞬だけ考え、それを止めた。
「先に言っておくけど、俺は基本、他人は信じない。利害関係と合理性を重んじる」
「知っているけれど」
「良いのか?」
アウロスは正面からルインを見つめた。
それすら、本来は怖い。
名を馳せた剣士と戦場で対峙するよりも。
それでも、目は据わった。
「貴方には、目的の為に身内を切り捨てる程の度胸はないでしょう。私はそう判断する」
「……そんな事は、ない」
「あるのよ。でなければ、そんな歪な生き方しないもの」
ルインは鼻で笑いながら断定する。
アウロスにとっては何とも微妙な認識のされ方だったが、ムキになって否定するつもりもなかった。
「私には、貴方への負い目がある。幾ら貴方がそれを否定しても、私の中では決して消えない。だから貴方を裏切る事はない」
それはアウロスの拘りを満たす、合理性が含まれた言葉。
要は、甘甘な意見だった。
合理的見解による相互扶助。
アウロスとしても、そこまでされては断れない。
「わかったよ。んじゃ、俺らはこれから仲良しこよしって事で行こう」
「……その表現どうにかならない?」
ルインはジト目でアウロスを睨む。
ただ、耳をやたら赤くしていた。
「ま、良いけど。ところで、私は貴方をどう呼べば良いの?」
「これまで通りアウロスで良いよ。この名前を歴史に残すまで、俺はアウロス=エルガーデンだから」
「……辛い生き方ね」
「卑怯なだけだ」
自分自身のない生き方は、何事にも客観的で居られるのと引き換えに、何事も満たされない。
アウロスは自己顕示欲に起因する全ての快楽を捨て、目的までの様々なリスクを極力減らす選択をした。
それは合理的なのか、そうではないのか――――誰にもわからない。
「呼び方に関しては少し考えさせて。私は仕事に戻る。夜の実験には付き合うから」
話は終わった。
だから、ルインが去るのは必然だった。
「ルイン」
しかし、アウロスはそれを引き止めた。
そして、自分の感情を告げた。
「話を聞いてくれてありがとう。これからも宜しくな」
答えは返って来なかった。
そして、それは当然の事だった。
仲間とは、そう言うものなのだから。




