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ロスト=ストーリーは斯く綴れり  作者: 馬面
ウェンブリー編
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第5章:乖離(11)

 少年は、戦った。

 自分に意思などない。

 名前も誕生日も、夢も希望も何もない。

 ただ生きる為、戦った。

 外に出る事は自由を得る事――――そしてそれが、夢であると信じて疑わなかったあの日の少年は、もういない。

 現実は容赦なく少年から光を奪った。

 代わりに得たものもある。

 それは、少年をいたぶり尽くした魔術――――それが自分の手で綴られるようになった事。

 戦闘要員として認められた少年は、魔術を綴る為に必要な武器を得た。

 魔具と言う武器だ。

 少年は、それを右手の人差し指に嵌めた。

 力を得たような気分にはなれなかったが、自分が何者であると言う定義を失った少年にとって、それは心の拠り所となった。

 自分は戦えるのだ――――少年はそう自覚する事で、世界からその存在を認められた気がした。

 生きても良いと言われた気がした。

 声はもう聞こえない。

 夢はもう見えない。

 少年は、自分がそこに在る事だけを糧に、戦いに身を委ねた。


「元奴隷は誰の為の命でもなく、武器に過ぎぬ」


 戦場ではそう言われた。

 折れてしまえば、そこで手放され、錆びてしまえば、そこで破棄される。

 国の為に死ねとすら言われない。

 少年は奴隷から解放され、使い捨ての武器となった。

 人ですらないのであろう。

 つまりは、退化だ。

 それでも尚、生を全うする事に果たして意味などあるのか――――武器はそれを考える事すら許されない。

 少年は、戦った。

 魔術の基礎は、牢獄の中で友の声が教えてくれていた。


『あのな、あのな、【こーりのだんう】って言うんだぜ、これ。つめたくていたいんだぞ。おまえもいつか、ためしてみろよな!』


 知識は少年を救った。

 捨てられた魔具を拾い、それを用い、見よう見まねのルーリングで不器用に綴られた文字は、確かに氷の弾丸を産み、敵国の戦士を襲った。

 思いの外、利用価値のある上にコスト要らずの武器が手に入った事に気を良くした周りの人間は、壊れる事を覚悟で無理難題を幾度となく要求した。

 まだ年端も行かぬ子供を最前線に据え、敵を混乱させた。

 元々少年は頑丈とは言えず、更に奴隷時代に負った傷も手伝って、未発達のか細い身体は直ぐに異常を来たした。

 五体満足な時間など全くない。

 悲鳴を上げれば非難され、蹲ろうものなら容赦なく蹴飛ばされる。

 それでも、少年は戦った。


「良くやったな」


 一つの仕事が終わると支給される、その一言の為だった。

 そこに親愛はなく、僅かな罪悪感を拭う為の一言。

 少年も小さい心でそれを理解していた。

 しかし、それでも、少年は嬉しかった。

 必要とされる事が嬉しかった。

 だから。

 戦って。

 戦って。

 そして、戦った。

 外に出て幾度目かの夜を迎えた、ある日。

 その日も、少年は最前線にいた。

 その場所は――――頻闇の大地。

 まるで影法師の群れのように、幾つもの人体が横たわっていた。

 それは、宵の炎に魅了され、金の音に酔いしれ、日常に弓を引いた未来の残骸。

 或いは、日常を犯され、果実を潰され、時代に勾引かされた静寂の果て。

 世界がうねり、人が人でなくなり、身体も心も繋がりさえもその意味を失う――――それが戦争なのだと、少年は瞼の奥で感じていた。

 人は死ぬと、死と言う概念を周辺に散布し、どんな色にでもそれを問う。

 しかしながら、この場所に色はなく、ただ枯渇しただけの風景が騒然と広がっている。

 乾いた断末魔の声も、水より価値の薄い飛沫も、酸素を伝う腐臭の群れも。

 何も見えない。

 何も聞こえない。

 何も――――感じない。

 少年は、闇を薙ぐ硬質の物体に恐怖を感じなくなっていた。

 そこは最前線。

 既に死骸は一つや二つではない。

 誰もそれに目を向けず、ただ眼前を駆ける敵意に向けて、各々の武器を振るうのみ。

 命の尊さから最も遠く、そして命を尊ぶ想いから最も近い場所。

 それすら意味を成さない境地に一人、腰を掛けていた。

 息切れと共に走る。

 軽やかさなど何処にもない。

 奴隷として生きた少年に筋肉は殆どなく、既に足は力を失っている。

 走っているのは、筋肉でも意思でもなく『無』故の力。

 少年の火花のような戦は、ここに来て完成の域に達していた。

 敵はいつも混乱した。

 年端もない子供が戦に参加する事自体は、稀有とまでは行かない。

 しかし最前線、しかも戦闘で特攻すると言うのは、戦略的にも道徳的にも、まずあり得ない。

 戦争に道徳などないと言うのは皮肉や空論に過ぎず、戦う者は信念と通念を重んじる傾向が強い。

 それにすがらなければ、正気を保てないからだ。

 だからこそ、有効な『戦略』となる。

 後は、少年の技量次第。

 そして――――大勢が決したこの戦場においても、同じ戦略が用いられていた。

 つまりは、そう言う事だった。

 少年は少ない魔力で人を沈黙させる術を覚え、処世術とした。

 少年の魔術は、多数の敵を瞬時に無力化させる。

 それはアカデミーで習う事のない、実戦の地ならではの魔術だった。

 誰から教えられた訳でもない。

 自力で盗み、工夫を施し、手に入れた。

 少年の視界に、敵が映る。

 入れ違いで何度も何度も並ぶ顔に、最早"人"と言う認識はない。

 唯の敵。

 綴って、当てる。

 その繰り返し。

 走りながらの行動に疲労すら感じる事なく、黙々と表現するには余りに禍々しいその作業は続いて行く。

 幾つもの金属が大地を叩く中、何も感じずに同じ事を繰り返した。


『がんばろうな!』


 少年は走った。

 言葉を胸に、走って走って走り抜いた。

 その先に何があるかなど知る由もなく、走り続け、綴り続け、当て続けた。

 そして、闇の終わりを空が告げたその時――――少年の視界に、人が映った。

 それは初めて人だと思えた。

 理由はなかった。

 ただ、そう思った事実がそこに在るのみ。

 少年は戸惑う。

 瞬間、人である為の感覚が全て戻る。

 その途端――――死への恐怖と腐臭への拒絶が込み上げて来る。

「……っ」

 少年は止まった。

 そして、目の前で蠢く人影を注視した。

 それは、自分と同じくらいの、或いは少しだけ年上の、子供――――

「う……うああああああっ!」

 錯乱状態なのは、叫び声以上にその目が物語っていた。

 徐々に光を取り戻す世界が教えてくれる、人間である事の証明。

 それが、疲労を自覚し動けなくなった少年に迫って来た。

 少年は気が付いていた。

 絶叫の中に潜む、耳に馴染んだその声に。

 聞き覚えのある、その声に。

 いつも励ましてくれた、その声に。

「あ――――」

 少年は、気が付いていた。

 そして、その事実をどう行動に結び付けるかを考えた次の瞬間、音が鳴った。

 音は、目の前から聞こえた。

 何かを貫く音。

 或いは、何かを砕く音。

 判別は出来なかった。

 こめかみの隣には、残像がまだくっきり残っている。

 それが何なのか、何を意味するのか――――もわからずに、少年は『虚空』を眺めていた。

 子供は倒れていた。

 動かなくなっていた。

 その周りには、他の残骸と同じように、赤い液体が黒く染みていた。

 その翌日、戦争は終わった。

 少年は――――アウロス=エルガーデンと離別した。

 


 そこに、別れの言葉など、ある筈もないままに。

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