後日譚:追憶の調べ(15)
室内で攻撃魔術を使用するのは基本的に御法度とされている。理由は当然、器物破損や崩落、火災などの事故が容易に発生するからだが、他にも懸念すべき稀有な事例はある。
例えば、魔術酔いと呼ばれる現象。
魔術士は体内の魔力を魔具(に付随した魔石)によって変換することで魔術を生み出すが、この際に微量ながら魔石に魔力が残存する。そして魔術を放つと同時にその残存魔力は体内へと引き戻されるが、この流れの中で微かに魔力が外へと漏れ出る。これが魔力の霧散現象と呼ばれるもので、魔術士はこの微量な魔力を感じ取ることで魔術士の存在や魔術が使用された事実を知ることができる。
魔力酔いはこの霧散現象によってもたらされるアレルギーの一種。室内で何度も魔術を使用していると、魔力が室内にこもってしまう。それに対し大半の人間は特に何も感じないが、稀にアレルギー反応を起こす体質の者がいる。
どれだけ実力があっても霧散現象は起こる為、そういった性質を持っている者は封術や解術を含む魔術全般が常に身近にある魔術士ギルドにおいて、少なからず苦労を強いられることになる。
主な症状は目眩、吐き気、偏頭痛、発疹など。人によって症状は千差万別で、酷い場合は呼吸困難や意識障害まで引き起こしたケースもあるという。
とはいえ、密室で魔術を連発する事態などそうそう起こるものではないし、仮に起きてもその場から離れれば問題はない。霧散した魔力はそれほど時間を置かず薄れ消えていくので、一時避難するだけで対応できる。
ただ、その場に居続けた場合は必然的に症状が悪化し続ける。
「貴方……やるじゃない。当方にここまで食らいつくなんてね……!」
ホールに戻ったラディが目撃したのは、先程よりも半分ほど距離を縮めた状態で目から大量の涙を流しているジェリードゥの姿だった。
その目は血走り、鼻水も垂れ流した状態で、それでも笑顔。余りに異様な彼の姿に、ラディは思わずロストに何をしたのと問い詰めたい気持ちになったが――――
「相変わらず酷い魔力酔いだな、ジェリードゥの奴」
「アレがなきゃ間違いなくウチの看板魔術士なんだがな。あの姿見せられたら、ちょっと表には出せねぇわな……」
「魔力酔いって外じゃ起きないんだろ? なんで中で勝負するって言ったんだよアイツ。馬鹿じゃねえの?」
「なんでも『それだと逃げたみたいになるじゃない。当方、この体質と常に戦わなきゃいけない身なの』だとさ」
「意味がわからねえな……」
遠巻きに見物しているギルド員が解説してくれたことで状況を理解し、溜息を一つ落とす。同時にあの顔がもたらす迫力でロストをギブアップさせる作戦ではないかという新たな疑惑を持った。
キャンセルゲームは『魔術が直撃する恐怖に対する我慢比べ』という精神的な要素が主軸だが、一方で『魔術のキャンセルを如何に相手の身体ギリギリの所で行えるか』という技術的な要素もある。そして実力者であればあるほど後者に重きを置く。
そして、この勝負においては如何に相手を怯ませるかが重要だ。それには恐怖心を煽るだけでなく、意外性や緩急で相手を揺さぶることも大事。極端な話、相手に『もうこれ以上勝負に付き合いたくない』と思わせることができれば勝利は確実となる。
メイクが溶け顔中が紫に染まった現在のジェリードゥは、まさにその境地に達していた。
「まだ続けるのか……?」
「モチロンよ。何? 怖じ気づいたの?」
「いや……本人が良いんだったら問題ない」
それでもロストは勝負を下りようとはしない。かなり接近しているジェリードゥに対し、黄魔術【雷霆】を放つ。轟音と共に前方へ向かって迸った雷は、今まさにジェリードゥの顔面を飲み込もうとしたその瞬間、跡形もなく消失した。
だがジェリードゥの足は一歩たりとも動かない。顔を背けることなく表情一つ変えずに。顔色は変貌の限りを尽くしているが。
「さっきからこの魔術ばっかりね。少し退屈しちゃう。他の中級魔術が使えない訳じゃないでしょう?」
「同じ魔術を繰り返して、刷り込ませた上で変化を付ける。それも一つの戦略だろ?」
「……中々愉快な性格してるのね、貴方」
呆れ気味にそう呟きつつ、ジェリードゥは更に一歩前に出る。それにロストも続き、両者の距離は更に縮まった。
距離が近いほど魔術のキャンセルはタイミングが難しくなる。これ以上接近すれば、それこそ魔術を出力した瞬間にキャンセル作業に入らなければ間に合わない。
それは当然、直撃してしまうリスクがより高まることを意味する。
「当方がこの勝負を好んでいるのはね、相手への信頼が必要だから。敵対する魔術士が必ずキャンセルをしてくれるって信頼があれば、怖がる必要もないんだもの。博愛主義者の当方にはピッタリだと思わない?」
ジェリードゥが口にしたように、この決闘は少なからず相手への信頼も必要となる。わざとキャンセルせず直撃させることが容易に行えるのだから当然だ。
ただし今回の場合、お互いに性格や立場を知る相手ではない為、その信頼はあくまで『状況』に依存する。
もしこの場でジェリードゥが故意にキャンセルを放棄した場合、たとえロストに深傷を負わせたとしても敗北どころか試合放棄となり、ラディがそれを目撃した時点でギルドの恥晒しとなるのは確実。逆にロストがそれをやった場合は周囲のギルド員から袋叩きに遭うのは必須。両者とも『わざとキャンセルしない』という選択にデメリットしかない。こういった条件下だからこそ成立する決闘方法でもある。
「悪いがそちらさんの主義主張に興味はない」
「でも傾向と対策を考える上で、敵の調査と洞察は必須。見たところ貴方はそういうタイプでしょ?」
「……否定はしない」
そう答えたロストは、ジェリードゥの放った【黒点破】で前髪を軽く炙られながらも不動。
間髪入れずにロストの放った雷霆に対してもジェリードゥは微動だにしない。
更に一歩ずつ近付く。
お互いまるで動じないその姿に、血気盛んなことで知られるキャルディナのギルド員たちが食い入るように見守っている。
いつの間にか、ギルド内はロストの存在感を認めてしまっていた。
この状況は偶然だったのか?
それとも、ロストは想定していたのか?
なんとなくラディは後者じゃないかと予想した。何故なら、ロストは自分と真逆の人間だと感じていたからだ。
ラディ自身は情報屋でありながら行き当たりばったりの人生を歩んでいる。自分が現在抱えている諸問題に関しても何一つ悲観はしない。だから入念な下調べも必要ない。出たとこ勝負で今までも乗り切ってきた。これからもそうするつもりでいる。
もし、それが上手くいかずに自分を蝕んでいるモノ――――生物兵器が身体を侵食し始めたとしても、後悔はない。
ラディは今、生物兵器を引きはがす方法の模索を中断している。自分を優先してしまうと仕事に支障が出るからだ。
マラカナンを出て以降も、ラディは生計を立てる為に情報屋の仕事を続けている。
ウエストから離れフリーでの活動を行っている以上、仕事は自分で得るしかない。既にその道で圧倒的な実績を残している情報屋に紹介料を渡して新規案件を増やして行くという手法もあるが、ラディはそれを選ばずひたすら自らの足で人脈を広げ、売り込みを続けた。
隣国のエチェベリアに身を置き、そこで様々な情報を仕入れた時期もあった。
デ・ラ・ペーニャにとって、エチェベリアは戦争に敗れた憎き国。だが同時に、戦争で勝利しておきながら領土を一切奪おうとしない不可解なこの国に対し強い関心を抱く者も多い。
あのガーナッツ戦争とは一体何だったのか。
両国の間でどのような取引が交わされたのか。
ラディはその真相を探ろうと、エチェベリアの各地域を転々としながら情報収集を行い、気付けばかなりの人脈を手に入れていた。
ロストにはあえて話していないが、現在抱えている依頼は一つや二つではない。どれも健全なお仕事の範疇であり、国家機密などの極めて重大な情報こそ扱ってはいないが、顧客を満足させる為には相応の情報量が必要。自分を優先していてはとてもこなしきれない。
そんな多忙を極めているラディだが、それでも半ば押し売りに近い形でロストを顧客にしたことに後悔はない。
彼には何かがある。
傍にいれば、一人では到底経験できないような途方もない事態に巻き込まれる――――そんな予感がしている。
それは情報屋としての勘だとラディは自己分析していた。
情報屋にとって、未踏の地はたとえ泥沼であっても大歓迎。そこで見聞きした全てのことは、情報という形の武器になる。どれだけ調べても、格上の情報屋に聞いてもわからないようなことが、ロストといれば知ることができる。
その期待は既に現実になりつつある。
魔術士ギルド【キャルディナ】は、その凶暴さから取材はまずできない。教会も基本的には秘密主義。だがその二大勢力に早くも足を踏み入れている。
加えて、ギルド有数の実力者を相手に勝負に興じるその姿は、更にその先まで踏み込もうとしているようにラディには見えていた。
この偶発的に始まったようにしか思えない勝負にも、何か意味がある。自分たちの安全を保証して貰うだけが目的ではない。他に何らかの意図があるに違いない。
――――そんなことを考えている間に、事態はまた一つ動く。
「どうやらお時間のようね☆」
拍子抜けした声でジェリードゥが呟いた通り、ガルフェロイがホールに到着したことで強制終了となった。
「キャンセルゲームですか。随分と盛り上がったようですな。大したものです。ウチの連中をここまで惹き付ける勝負は中々珍しい」
一目で現状を見抜いたガルフェロイに、ロストはジェリードゥへ視線を向け素直に敬意を示す。
「怖がる必要がなかったからですよ。彼の魔術操作が優れていたから、誤爆の心配もなく突っ立ってただけです」
オートルーリングが普及した今、魔術操作の重要度は確実に低下した。そんな時代にあってジェリードゥの魔術キャンセルは全てが完璧だった。
「光栄ね☆ でも決着がついた訳じゃない。いつかまた、いずれ」
「必要に迫られたらな。あの時みたいに」
ロストのその返答に、握手しようと近付いたジェリードゥの足が止まる。
「……何のこと?」
「惚けても無駄だ。霧散現象で拾える魔力の量が全く同じだからな」
事もなげに告げるロストに、ジェリードゥは思わず手で顔を覆い俯く。魔術が目前に迫っても眉一つ動かさなかった男が。
「そんな察知の仕方アリぃ? 声色も変えて、厚底の靴まで履いてもバレるなんてね……」
「別にバレたところで何も不都合はないだろ。誰でも殺し屋やってそうなギルドなんだから」
「失敬ね。当方のプライドの問題よ」
首を左右に振って無念を露わにしたジェリードゥは、手を被せたまま顔を上げ――――指の隙間から獰猛な目を覗かせた。
「あの夜の続きも兼ねて……また会いましょ★」
そして、足音も立てずそのまま離れていく。
「ね、ねえ。今のやり取りって何?」
入れ替わるようにラディはロストに近付き、呑み込めない状況の説明を求めた。
「さっきのあの男、酒場で俺たちを襲った二人組の中の一人だ」
「……え」
異彩を放つその後姿に、あの夜の襲撃者の面影など微塵もない。
それでもロストは確信を得て、本人もそうだと認めた。
「もう一人の方は女だったよね? あの派手な奴より格上っぽかったけど、まさか……」
「ルインじゃない。あいつだったら俺が気付かない訳ないからな」
「気持ち悪!」
「ただの事実だ」
暴言を意にも介さない様子でラディをあしらったロストは、本来の標的であるガルフェロイの方に顔を向ける。
妙な勝負で消耗を強いられたが――――ここへ来た目的を果たすのはこれからだ。
「では、用件を聞くとしましょう。先日よりは有意義な時間を過ごせそうですし……ね」
笑顔など一切見せず、涼しい表情でガルフェロイは歓迎の意を示した。




