第3章:臨戦者の道理(7)
「おい、何寝ぼけている! 早く前に来い!」
夢現の状態にあるアウロスは、遠くに聞こえる音が声であると言う事を認識するのに、かなりの時間を要した。
とは言え、声である事を理解するのと、現状を把握するのとでは、また別問題。
意識は未だ、現を捉えていない。
「何時までボーっと……」
「ここ何処だよ? 殺すぞ」
アウロスの寝起きは最低にして最悪だった。
「殺すって、お前な……良いからとっとと自己紹介しろ」
「誰だよ。殺すぞ」
まだ意識が曖昧なアウロスの隊長殺し予告に対し、集まっていたグレス隊四名全員の顔が引きつる。
「寝ぼけてるのか」
「寝ぼけてるんじゃなくて寝てるんだ。故殺するぞ」
証言通り、瞼は8割方閉じていた。
「じゃあ起きろ」
――――ゴッ!
およそ魔術士とは思えない鉄の拳が、アウロスの頭頂部を襲った。
「あがっ! ……ん?」
閉じかけていた視界が一瞬50cm程下に沈む。
痛覚の活発な働きによって、アウロスはようやく覚醒した。
「とっとと前に行け」
「あ、ああ」
起きて2秒で自己紹介を促されたアウロスだったが、混乱は一瞬。
直ぐに脳が動き出し、この状況を理解する。
何時――――到着2日目早朝。
何処――――グレス隊専用待機室。
誰が――――自分。
何を――――居眠り。
何故――――実験室の掃除に一晩かかった為。
要するに睡眠不足だった。
「この低血圧野郎は、大学から派遣されてきた者だ。名前は忘れた。暫くここに置いておくから、適当にあしらってくれ」
そんな事情を知る由もないグレスの適当過ぎる紹介に対し、アウロスは言いたい事は山程あったものの――――口には出さず黙っておく。
「さて、それでは今後の任務内容について話すとしよう」
グレス隊専用待機室内にはアウロスも含め6人いるが、その内アウロスと隊長を除く4人が長髪だ。
全員が受付嬢と同じような髪型で、前髪で目が隠れているので、全くと言って良い程区別がつかない。
性別も不明。
全員が同じような杖を所持しており、魔具による個性の判別も困難を極める。
しかし、アウロスに対しての個別の紹介は特になかった。
「知っての通り、明後日にサビオ=コルッカ氏主催のレアメタル展示会がある。会場はクワトロ・ホテルだ。期間中には総大司教様がお見えになるとの事だが、オレ等は会場周辺の警備を担当する。そこで――――だ」
グレスはそこまで言うと、部屋の隅に立て掛けてある丸めたボロ紙を手に取り、テーブルの上に広げた。
そこには、会場周辺の地図が手書きで記されている。
「配置は敷地出入り口の門前に2人、周辺の警備に2人、残り2人はホテル内で待機。4時間毎のローテンション制で行う。周辺の警備範囲はここまでだ」
地図に羽ペンでグリグリと円を書き込む。
その範囲は、会場を中心として半径50m程度との事らしい。
「隊長。質問があります」
「何だ、副隊長」
副隊長と呼ばれた男が席を立つ。
しかし、残りの3人との区別の仕方がアウロスには未だにわからない。
「複数人での警護はチームワークが重要です。部外者が入るのはマイナスになるのでは?」
助っ人故の疎外感が8つの線となってアウロスを襲う。
とは言え、日常が似たような状態なので大したダメージは受けない。
(ギルドも大学も似たようなもんだな)
寧ろ失笑を堪えるのに必死だった。
「先方が6人以上と指名して来ている。仕方のない事だ」
そんなアウロスへの皮肉めいた意見に対し、グレスの答えは単純にして明瞭だった。
「しかし……」
「オレがコイツと組めば済む話だ」
一喝。
決して語調は荒くないが、部下を大人しくさせるには十分な迫力だった。
それに恐怖を感じているのか、他に挙手する者は出てこない。
それを確認し、アウロスはグレスに視線を送った。
「俺も質問良いか?」
「……まっとうな質問ならな」
微妙に警戒されている。
昨日のやり取りと、それ以上に先程の無意識下における悪態が原因なのは明らかだったが、アウロスは気にせず続けた。
「内部及び要人の警護はどうなってる?」
「別の隊が行う。オレ達は外を護ればそれで良い」
「……」
それ以上踏み込むな、と目で訴えられたアウロスは、追跡を諦める。
それと同時に、嫌な予感を覚えた。
副隊長の言った通り、多人数での警護は連携面の重要性がかなり高い。
それが拙い所為で、個々の力があっても失敗してしまう――――と言うケースはかなり多い。
中と外。
その連携がもし――――
「では、これから今日と明日にかけ、一日中実戦訓練を行う。会場へ移動するぞ」
嫌な予感は違う方向で的中した。
隊員が兵隊の対応で部屋を出て行く中、部外者のアウロスは行動の自由を主張すべく聞こえなかった振りをして、実験室のある地下へ向かおうとする。
「お前もだ、少年」
だが、にゅーっと伸びて来た槌の先端に首元を引っ掛けられ、足止めされた。
「な、何だよコレ」
「オレの魔具だ。文句あるか?」
軽量化と言う時代の流れに全力で逆らった魔具に、アウロスは返す言葉もなく、別の文句にシフトする。
「人数合わせに訓練なんて必要な――――」
「良いから来い!」
しかし有無を言わせない強制回れ右に抗う事もできず、そのまま連行された。
夜――――瞼の裏。
黒い筈のそこに、閃光のような白が鼓動と同じ進度で浮かび、主観と諦念を主張する。
それを一つ一つ丁寧に剥がし、黒に染め直す作業――――
それが思惟だ。
アウロスは眠りながら考える。
夢ではなく、思考を見る。
その日に見た思考は、ウォルトから受け取った論文の内容についてだった。
題名は【知られざる可搬型記憶媒体】。
ルーン配列情報を記憶するメカニズムや、その為に必要な金属の性質について綴った論文で、想像以上にアウロスの脳を刺激した。
厳密に言えば、記憶の原理は余りにも独創的な理論だったので、把握する事は出来ても理解までは出来なかった。
しかしながら、その性質が既存の金属以外にも付属されている可能性は否定されておらず、『情報を保存する性質』と『不変のまま保存し続ける性質』と『保存した情報を再生する性質』の3つを有していれば、理論的にはルーン配列情報の記録が可能であると言う、わかり易い結論が証明されていた。
抱えている案件を解決する糸口としては、十分な内容だったと言える。
が、しかし。
現実にそう言う性質を全て有した金属は、例の2種以外には発見されていない。
であれば、探すしかないのだが。
推測される金属に目星を付け、一つ一つ調査すると言う方法だと、何年掛かるか知れたものではない。
費用も嵩み、とても現実的な話とは言えないだろう。
しかし、それ以外の方法はないと言うのが現状だ。
と、なると。
取るべき方法は一つ。
ないのなら、作れば良い。
尤も、錬金術師でもなければ鉱山の所有者でもないアウロスに、未知の金属を生み出したり掘り当てたりする能力はない。
そもそも、錬金術や採掘が有効な手段であるとも限らない。
しかし、他に方法がないのであれば、作ると言う選択肢を選ぶしかない。
ただ、無から有は無理なので、別の方向性を探る。
例えば、有から有。
無からではなく、組み合わせて別の物を作る――――つまり、3つの性質の内、1つないし2つ有した金属を合成し、必要な性質を持ち合わせた合金を作れば良い。
これならば、技術者にお金を払うだけで十分可能だ。
無論、合成が可能な金属である事が最低条件だし、合成後もそれらの性質を問題なく付属していなければならない。
しかし、試す価値は十分ある。
と、なれば。
3つの性質のいずれかを有した金属を探し、その金属が合成可能かどうかを調べる――――それが今、最優先ですべき事。
都合の良い事に、現在地は鉱山地帯。
金属に関する文献はウェンブリーよりも遥かに充実している。
自由に動ける時間は、警備の仕事が終わるまでは皆無だと推測される。
よって、仕事が片付き次第、この地域で最も金属に詳しい人間がいる研究所や、その手の書物が沢山ある施設を訪れ、該当金属を探すと言う方法が、最も効率的な行動となる。
――――と、言う事を。
アウロスは眠りながら考えていた。
起きている間には、瞬間的に起きる事についての事を考える。
瞬発力を要するその思考は、常に脳を稼動させていなければ精度が落ちる。
だが、ある程度の筋道は予め準備しておかなければならない。
だから、眠りの際にそれを考える。
無限にある選択肢を、睡眠前の時間を使って有限にし、覚醒時にそれを選ぶ。
判断を早くする為の、一つの方法論だ。
これならば、どれだけ見切りが早かろうと、文句はない筈。
悩みに悩んで出した答えと、精度の上ではそう差はない筈。
しかし――――それは言い訳だった。
誰に対してのものでもない、敢えて言うなら――――真理に対しての言い訳。
本当の所は、悪夢を見ない為の防衛手段だった。
目を瞑り、無意識に呼吸している『彼』は、決して年齢以上には強くは、ない。
心の奥底で小刻みに震えながら俯いている自分。
夜の作る暗澹に怯える自分。
孤独を有効と知り、孤独に屈する自分。
弱い――――自分。
誰も知らないその自分に、記憶はいつも優しい声をくれる。
アウロス=エルガーデンは、静かに微笑む。
それが――――何よりも辛かった。