第九十四話 ボクシングジムでサンドバックを叩いている君を見つけた
第九十四話 ボクシングジムでサンドバックを叩いている君を見つけた
自宅で陽菜たちと一緒に鍋を楽しんでいたら、えらいことになってしまった。
今度のテストで、俺が平均点九十を上回れば、妹会長にお兄ちゃんと呼んでもらえるようになり、さらにほっぺにキスのおまけ付き。逆に下回れば、妹会長からグーパンチ。勝っても負けてもしょうもない結果にしかならない賭けが成立してしまったのだ。
それだけでも厄介なのに、テスト前日から期間中の間、俺の家で合宿しようということになってしまった。母さんに何と説明すればいいのだ。知り合いの女子数人を家に連れ込んで勉強会をやると正直に言えというのか。年頃の男子として、かなり恥ずかしい。勝手に決めた早智に対して、怒りしか沸かない。
そんなこんなで、テスト中の合宿の件について、どう母親に説明しようか頭を悩ませていたら、朝食の席で、二週間ほど出張になるから家を留守にすると言われた。渡りに船というか、タイミングが良すぎるというか……。まあ、面倒くさい説明が省けたので良しとするか。
合宿地の問題は幸運なことに解決されたが、肝心のテストの方はどうしようもなかった。
観念して勉強しようにも、日頃から勉強していない人間にとっては、苦痛でしかなく、何時間やっても身が入ることはなかった。
それなのに、周りからのプレッシャーはすごい。
休憩時間に陽菜と当たり障りのない話をしていても、いつの間にかテストの話になってしまう。
「勉強の方は大丈夫なの?」
妹会長との賭けのことを言っているというのがすぐに分かる。
「まあ……、ぼちぼちかな」
「それじゃ困るわ。優司くんと真奈美の距離が近くなるチャンスなんだから、しっかりとモノにしてよね!」
いつになく強い態度で言われた。お兄ちゃんとキスだけで、そんなに変わると思えない(下手をすると悪化する危険すらある)のだが、陽菜はすっかりその気だ。
これでは堪らんと、逃げるように教室を後にして、学校中をブラブラと歩き回るようになっていた。
自販機で買ったコーラを飲みながら歩いていると、バシンという音が聞こえた。今はテスト期間中だから、部活は休みの筈だが?
不思議に思って窓からそっと覗いてみると、誰もいないボクシングジムで、妹会長が一人、サンドバックに向かってパンチを何発も打ち込んでいる。学校中がテスト勉強でひいひい言っている時にご苦労なことだ。皮肉も兼ねて、ジムに入って妹会長に声をかけてみることにした。
「何をしているんだ?」
聞かなくても分かることを一応聞いてみる。
俺の登場に一瞬驚いたようだったが、すぐに落ち着いた顔になると、もう一発サンドバックにパンチを打ち込んだ。
「練習だよ」
俺をぶちのめす練習か。小さい体のどこにそんなパワーを秘めているのか。結構いい音を立てていた。
「そんなに俺のことが嫌いなのか?」
「大っ嫌いだよ!」
そりゃそうか。こいつからすれば、俺はダメ彼氏だからな。嫌うのも分かる。
「何なら、今殴っても良いぞ」
けじめという訳ではないが、女に対してだらしない姉の彼氏に憤るのは、妹として当然な感情だ。それで気が済むというのなら、甘んじて受けるつもりだ。だが、妹会長はあっさりと拒否した。
「駄目だよ! 優司を殴るのは賭けに勝った時! 負けて悔しがる優司じゃないと、殴っても面白くないよ!」
その時、何となく分かった。こいつは自分で言うほど、俺に対して恨みを持っていない。本当に腸が煮えくり返るほど怒っているのなら、提案を受け入れて、今頃俺の顔面を殴っている筈だ。でも、こいつは拒否した。ただ純粋に賭けを楽しんでいるだけだからだ。
そういう結論に至ると、猛烈に怒りが沸いてきた。気晴らしのために、無条件で殴らせてやるという提案をしたことが馬鹿馬鹿しく感じられる。
「そっちがその気なら、俺も意地でも平均点九十を超えてやる。負けた時に備えて、お兄ちゃんって呼ぶ準備を忘れるなよ!」
本当に言われたい訳ではないが、妹会長をぎゃふんと言わせてやりたいだけだ。……そうか。俺が勝ったら、「ぎゃふん!」と言うように約束させれば良かったのだ。「お兄ちゃん」なんかより百倍すっきりするぜ。今からでも変更聞かないか? ……無理か。
「望むところだよ! 吠え面をかかせてあげるから、覚悟しな!」
俺の心の底からの宣戦布告を、妹会長は楽しそうに受けて立った。
しかし、知らず知らずのうちに大きい声を出していたらしい。生徒の何人かが、物珍しそうな顔でこちらを見ながら歩き去っていく。
その中で、一人だけジムに入ってきたものがいた。まゆだ。
「どうしたの、二人共。大きな声を出して。ボクシングでも始めるの?」
「まさか! 俺は痛いのはご免なんだ。こいつがサンドバックを叩きたいだけだよ」
「叩く? 会長が?」
鳩が豆鉄砲を食らったような顔で、まゆは会長を見つめた。その視線に気を悪くすることもなく、妹会長はサンドバックに強烈な一発を見舞って、得意げに言い放った。
「女の敵に正義の制裁を加えるんだよ」
「へ?」
「おいこら……」
女の敵と言うのは俺だろう。気持ちは分かるが、そこまで言われる筋合いはない。
「痴漢でもぶん殴るの?」
「ん~! ちょっと違うかな?」
「全然違うだろ……」
この間のテストの一件以来、廊下ですれ違ったら会話をする程度には仲良くなっているそうだ。
このままでは痴漢と同じカテゴリーに入れられてしまう可能性があったので、とりあえず妹会長との賭けの件をまゆに説明した。
「面白いことをしているね~♪」
なるべく興味を引かないように話したつもりだったが、聞き終えたまゆの目は輝いていた。
「じゃあ、私とも賭けをしようよ。私が今度のテストで満点を取ったら、私ともキスして!」
やはりそうきたか……。まゆなら全教科満点だろうが、なんなく取りそうな気がする。
「良い訳がないだろ」
妹会長の一件と、テスト合宿、好きでもない勉強。俺の頭はストレスで押しつぶされそうなのだ。これ以上、面倒事を増やさないでもらいたい。
「え~、良いじゃん。賭け事が多い方が楽しいよ」
「楽しいのはお前だけだ。俺は全然楽しくない……」
「いいよ! ドンと来いだよ!」
まゆの執拗なアタックを全力で断っていたら、俺の代わりに妹会長が勝手に決めやがった。姉の陽菜と言い、どうしてこの姉妹は勝手な発言を繰り返すのだ。
「良し!」
「良しじゃないよ。俺は絶対にまゆとの賭けには応じないからな!」
ここで場の雰囲気に流されれば、修羅場に発展すると経験上痛感しているので、大声を張り上げて、その気がない旨を主張した。
「何? 怖気づいたの?」
「そうじゃなくて、俺は彼女持ちだぞ。勝手に他の女子とキスする約束なんて決められる訳がないだろ!」
俺は正しいことをちゃんと言ったが、この二人には通用しなかった。特にまゆだ。
「そういうことなら彼女さんに聞きましょうか」
強気に言うまゆの右手には通話を終えたばかりの携帯電話が。俺が妹会長と話している間に、ここに来るように電話しておいたとのこと。
「すぐ来るってさ♪」
「何て事をしてくれたんだ……」
俺は頭痛のあまり、うな垂れたが、まゆは涼しい顔をしている。
「美咲さんからOKが出れば、賭けに乗ってくれるってことで、良いよね?」
不敵な笑みを浮かべながら、俺に確かめるようにまゆが話した。
これで修羅場突入はほぼ決定してしまった。俺は赤点さえ取らなければそれでいいのに、どうしてこう次々とややこしいことになってしまうのだ……。
ボクシングジムに置いてあるサンドバックを叩くと、ストレス解消に良さそうだと昔思っていたんですけど、実際に叩いてみると、あれって結構重いんですよね。予想していたほど、飛び跳ねないんですよ。ただ単に私のパンチ力がないだけかもしれませんが……。
引き続き感想をお待ちしております。




