第十三話 家庭崩壊の時
少し長いですが、お楽しみください。深刻そうなタイトルですが、中身はいつも通りのドタバタものです。
第十三話 家庭崩壊の時
インターホンを押して、ドアの前に待っていると、すぐに初老の女性が出てきた。あまり似てないけど、ホイケルの母親だと思った。七海が礼儀正しく挨拶をした後、自分たちの自己紹介と見舞いに来た胸を話した。
最初、俺たちをいぶかしそうに見ていた女性も、息子のクラスメートだということを知り、警戒を緩めてくれた。
「ごめんなさいね~。うちの馬鹿息子のためにわざわざ来てもらっちゃって」
女性がホイケルの母親だという俺の推測は当たっていた。
「それでね……。聞きづらいんだけど、息子が登校拒否になった理由を知っていたら、教えてもらえないかしら。私が何を聞いても教えてくれないのよ。まさかとは思うけど、苛めを受けたんじゃないかって心配なのよ」
言葉に詰まった。女子にフラれたショックで、登校拒否になりましたと、正直に打ち明けられればどんなに楽か。でもそれは出来ない。そんなもの母親に知られた日には、ショックのあまり、自殺してしまうかもしれない。少なくとも、俺ならそうする。
「安心してください。保池君は苛めなんて受けていません。今回のことについては、詳しいことは存じ上げませんが、微力ながら手助けをしたいと思っております」
俺の代わりに七海が答えてくれた。学級委員だけあって、無難な回答だ。
「そうよね。うちの息子が苛めなんて受けるわけがないわね」
七海の言葉を聞いて、母親もだいぶ安心したようだ。俺が答えていたら、ここまで安心させることは出来なかっただろう。
「それにしても、あの子も隅に置けないわね。こんなかわいいガールフレンドが二人もいるなんて!」
どうやら母親は凄絶な勘違いをしているようだ。この人の頭の中では、早智と七海はホイケルの彼女ということになっているらしい。早智も七海も苦笑いしているが、内心は徹底的に抗議をしているに違いない。
「引きこもりの原因も、二人の中から、どちらかを選ぶのが嫌になって現実逃避しているだけだったりして」
引きこもりの原因が、恋愛関係なのは合っているが、惜しい! そういうことじゃないんだよな。
早智と七海を見ると、だいぶ笑顔が引き攣ってきている。作り笑いも限界らしい。何かの拍子に爆発しなければいいが。
母親に案内されるまま、ホイケルの自室の前に到着した。何の変哲もないドアだった。
「ホイケルや~い。出てこいよ~」
試しに呼びかけるも返事はない。聞こえていないはずはないのだが。
どうしたものかと思案していると、ホイケルの母親が怪訝な視線を俺に向けている。まずいことを言ったのだろうか?
「あ、ホイケルと言うのは正志君のあだ名なんです。この子、馬鹿だから無意識に呼んじゃったんです」
ああ、そうか。ホイケルって呼ばれていることを母親は知らないのか。そりゃ知るわけないよな。ホイケルにしたって、「俺、学校でホイケルって呼ばれているんだぜ!」などと、母親に話すとも思えない。大体、この年頃の人間なら、学校での交友関係について、親に黙っているというケースも珍しくないだろう。
「中から鍵がかかっているわね」
早智がドアノブを回すが、鍵がかかっているせいで、完全には回らない。
「どうしよう。大声で呼びかけてみましょうか」
「こういうのは無理に出そうとしても駄目よ。ちゃんと保池君の気持ちを考えて説得してあげなくちゃ」
確かに。落ち込んでいる相手を励ますのは逆効果になる場合もあるっていうしな! ……少し違うかな。
「分かったよ。童話の北風と太陽と同じ理屈だな」
「少し違う気もするけど、それでいいわ」
七海に少し違っていると指摘された。連続で、少し違うと精神的にダメージを食らうね。落ち込みそうになるのをグッと堪えて、気を取り直し、発言する。
「そういうことなら、俺に任せろ。良い考えがある」
その場に居合わせた俺以外の誰もが不安そうな目を向けている。少しは信用してくれてもいいものなのに。まあ、いいや。論より結果だ。
ドアの前に立つと、大きく深呼吸した後で、大声で中にいるホイケルに呼びかけた。
「ホイケルや~い。今出てきたら、早智が胸を揉ませてやると言っているぞ~。出てこいよ~」
「あほかあああああああ!!!!!!!」
早智に蹴りをもらった。かなり本気だった。蹴られた後もなかなか痛みが引かない。本気で痛い。
その時、中から物音がした。引きこもっていても、胸という単語に反応することを忘れないとは。あいつの性への執念に、少し感動してしまった。このままドアが開くかと思われたが、弱々しい声が一言漏れてきたに留まった。
「あいつの胸、揉むところないじゃん……。いや、あれを胸と呼んでいいのか……」
物哀しそうな声だった。今にも泣きだしそうなくらい切ない声だった。聞いている俺まで切なくなってくる。
「ホイケル……」
「……確かにね」
七海も冷めた目をしながらも、ホイケルに同情的だった。早智はというと……。全身をワナワナと震わせていた。そして……。
「誰が貧乳だ。この野郎おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおうううううううううううううううううううううううううううう」
獣のような雄叫びを上げると、どこに隠し持っていたのか、巨大なハンマーを振るって、壁に叩きつけた。渾身の一撃を喰らった壁は呆気なく粉砕された。壁があったところには、ポッカリと大きな穴が開けられた。
「……何やってんだ、お前」
「……馬鹿内ぃ」
俺と七海はひたすら呆然とした。いつも滅茶苦茶やっている俺でさえ、ドン引きした。
一番呆然としているのは、ホイケルの母親だろう。「ローンが……。ローンがあと十年残っているのに……」などとうわ言のように繰り返している。今にも口から魂が抜け出てしまいそうだ。
さて、諸悪の根源たる早智は猛然と部屋の中に押し入り、ホイケルの胸ぐらを掴んで、「誰の胸が貧乳だって? ああぁ? 言ってみろよ、こらあ!」と締め上げている。
「止めさないよ! あなたが壊したこの壁を誰が弁償するの?」
一匹の猛獣と化した早智の頭をスリッパで思い切りはたいて、凶行を強制中断させた七海には、素直に恐れ入る。
「大丈夫か?」
早智から解放され、むせているホイケルに近づくと、声をかけた。
「げほっ! ごほっ! あまり大丈夫じゃないな。ていうか、お前ら、何しに来たんだよ?」
「いや、お見舞いに」
「お見舞いに来て、いきなり胸ぐらを掴むのかよ。ずいぶん手荒い挨拶だな、おい」
お前の言う通りだよ。一般的なお見舞いのテンプレに従って、お菓子を渡して、元気出せよって言って帰るつもりだったんだけどな。予定が狂って、こんな事態になってしまった。
早智を見ると、まだ暴れている。それを七海が強引に引き留めている。
「早智のやつ、まだ暴れてやがる……。俺も行って七海に加勢してくるよ。ちょっと待っててくれ」
そう言って立ち上がろうとしたが、ホイケルに止められた。
「それより早く逃げるべきなんじゃないか。警察が来る前によ」
訳が分からず、ホイケルが指差す先を見ると、母親が震える手で、どこかに電話していた。どこに電話しているかなど、考えなくても分かることか。
「本当だ。やばい……」
急いで早智と七海にこの旨を話すと、二人とも顔面蒼白になった。
「……逃げるぞ」
状況がいかにまずいか理解してくれたらしい。俺の提案に、早智と七海は素直に同意してくれた。そのまま、俺たちは帰りの挨拶もそこそこに、逃げるようにホイケル宅を後にした。
ホイケルを見舞った帰り道、日が沈みかけて、オレンジ色に綺麗に染まった街中を、俺たちは歩いていた。
三人とも無言だ。
ぽつりと一言。
「……立ち直ってくれるかな」
「無理に決まってるでしょ! 傷口に塩を塗りつけて、何をいけしゃあしゃあと!」
何気なく言った一言に七海は激高した。学級委員は明らかに怒っていた。災難に巻き込まれたわけだから、怒るのも無理はない。
壁を破壊するという暴挙に出てしまった早智も、反省しているのか、いつになく大人しい。
「心配するな。壁の一つ、どうにでもなるさ」
「なるわけないでしょ! 今晩辺りにでも、家に電話が来るんじゃないの?」
「あうう……。お母さんに怒られる。バイト代全部持って行かれる……」
親に怒られることよりも、自分の懐が心配らしい。
とりあえず早智の胸を貧乳呼ばわりするのはタブーということは分かった。
「あなた。今、早智に貧乳呼ばわりするのはタブーだって思ったでしょ」
「どうして分かった?」
考えていることをぴたりと当てられたので、俺はビックリしてしまった。
「念のために言っておくけど、胸のない全ての女子に対してタブーだから」
「そういうものなのか」
「そういうものよ」と言い、七海はため息をついた。
(七海の言う通りだ。女子にしてみれば胸のことをけなされるのは屈辱だろう。陽菜くらいボリュームがあるのなら、まだしも。ということは七海に対しても貧乳の二文字は……)
「そこから先を考えたら殺す」
結論を出そうというところで、七海に強制的にシャットダウンさせられた。口にも態度にも出していないのに、なぜわかった。もはや心を読んでいるとしか思えない。こいつ、エスパーか?
「エスパーじゃないから。ちょっと頭を捻れば、あなたの考えそうなことくらい簡単に予想出来るだけだから」
また読んでいるじゃないか。もうエスパーで決定だろ。すごいよ、七海。
「もう! あまり壁のことでうるさいようだったら、私と優司の部屋の間にある壁を突き付けてやればいいじゃない」
何の慰めにもならないことを早智は言う。
「そうしたら私と優司の部屋の間に境はなくなるわね。私の生着替えとか見・れ・ちゃ・う・ぞ❤」
「はがああああぁぁぁぁ!!!!」
思い切りむせた。やばい! 全身が寒くて震えが止まらない。
「ちょっと! 何よ、その反応は。そこは私の生着替えシーンを妄想して、顔を赤らめるところでしょう?」
無茶だ。お前の生着替えなんて、想像しただけで……。またむせた。咳が止まらない。
「だからむせないでよ! 一応学校では美少女で通っているんだからね!」
「まあ、一部の男子に人気があるのは本当よ」
早智が自分で言っているだけならまだしも、仲の悪い七海も言うくらいだから、美少女で通っていることは本当なのだろう。
「でも、安心したわ。あなたが女子なら誰でもいいって鬼畜じゃないことが分かったから。少なくとも女性関係のトラブルで、陽菜が泣くことはなさそうね」
何でこのタイミングで陽菜の名前が出てくるんだよ……。
「そういえば、お土産を渡してなかったな……」
「今更渡しに戻れないし、食べてもいいわよ」
「でも、これ、お前が買ったものじゃないのか」
そう言って、七海に渡そうとしたが、彼女は前を向いて歩くだけで、振り返ろうとはしなかった。
仕方がない。これはホイケルが学校に出てきたときにでも、快気祝いで渡すか。少しの間なら痛まないだろ。
このまま不登校かと思われたホイケルだが、翌日には何とか学校にやってきた。ちゃんと食べていないのか、明らかにやつれていたが、やつなら問題ないだろう。
快気祝いに声をかけたら、そっぽを向かれてしまった。俺へのホイケルのつれない態度は続行中とみた。以前のように悪友として打ち解けるのはいつになることやら。
加えて、早智を明らかに避けていたが、これは仕方のないことだ。不幸な事故と諦めるしかない。




