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第2話 悪役令嬢の作り方

第2話 悪役令嬢の作り方


学院の春学期が始まると、シャルロットは王太子の近くへ座る機会を増やした。


 午前の講義が終わる頃を見計らって廊下へ出る。王太子が資料を抱えて現れると、彼女は落とした手袋を拾うふりをして立ち止まった。


「殿下、先日の歴史の課題、難しかったですね」


「そうかな。私は最後の設問が少し苦手だったけど」


「殿下でも苦手なことがあるのですね。なんだか安心します」


 笑顔を向けられ、王太子は照れくさそうに笑った。『恋して♡プリンセス!』のアルベール編で覚えた、相手が親しみを覚える会話に似ていた。実際の言葉は少し変えても、反応は期待どおりだった。


 シャルロットは胸の内で、正しい選択肢に印をつけた。


 昼休み、王太子はヴィヴィエンヌに講義の資料を見せた。2人は幼い頃からの知り合いで、セレディアの学校でも同級生だった。


「歴史の課題、最後の設問までできましたか」


「それが、また資料の引用を間違えたらしい。君はよく気づいたね」


「提出前に確かめておいてよかったですね」


 ヴィヴィエンヌは微笑んだ。王太子は資料を押さえた。シャルロットは遠くから、その気兼ねのないやり取りを眺めていた。


 婚約者がいる限り、攻略の最後の場面は始まらない。


 最初にシャルロットが訴えたのは、名前もないほど小さな嫌がらせだった。


「私がご挨拶しても、公爵令嬢様はお顔をそらされるんです」


 王太子の前で、彼女は目を伏せた。


「ヴィヴィが?」


「きっと、私のような子爵家の娘が近づくのは迷惑なのでしょう」


「そんなことはないと思うよ。彼女は忙しいだけじゃないかな」


「私が気にしすぎなんですね。申し訳ありません」


 責める言葉を使わずに、自分を責める。それだけで、王太子は彼女を慰めなければならない気持ちになった。


 実際のヴィヴィエンヌは、その日、授業を終えると図書室で外国語の文献を探していた。シャルロットが廊下にいたことすら覚えていない。


 翌週、シャルロットは自分の小さな装飾品がなくなったと訴えた。


「いつも同じ箱へ入れているんです。なくすはずがないのに」


 付き添いの女生徒は一緒に箱を探した。見つからなかった。教員は紛失物として記録を残した。


 数日後、別の教室の収納からその品が出てきた。届け出を聞いて、教員は首をかしげた。


「ここに置き忘れたのでは?」


「その教室は、私は使いません。ヴィヴィエンヌ様なら、講義で使っておられますけれど……」


 シャルロットはそこで口を押さえた。


「あっ、ごめんなさい。疑っているわけじゃないんです」


 彼女は、その部屋へ自分で品を入れていた。誰かに盗ませる必要はない。見つけた者が報告するのを待てばよかった。


 同じことが繰り返された。違う品が、違う部屋から出る。学院には多くの部屋があり、使う授業も生徒も異なる。それでも、発見場所となった4つの部屋をすべて利用していたのはヴィヴィエンヌだった。


 教員の机へ報告が積まれる頃には、女生徒たちは品そのものよりも、誰が部屋を使っているかを話すようになった。


「おかしくない? 毎回あの方が使っているところでしょう」


「でも、見た人はいないわよ」


「そういう方こそ、誰にも見られないようにされるのかも」


 最後の言葉を口にした生徒は、実際に何を見たわけでもなかった。


 ヴィヴィエンヌが教師に呼ばれたのは、その翌日だった。


「紛失物が見つかった4か所、すべてあなたが出入りしていると聞きました」


「授業と調べ物で使っています。他の方もご利用になる部屋です」


「何か気づいたことはありませんか」


「品がなくなったこと自体、昨日まで知りませんでした。各部屋の利用記録を確認していただけますか」


 教師は答えに窮した。利用記録がすべて揃っているわけではない。ヴィヴィエンヌは手帳を開き、自分がその部屋を使った日を確かめた。


「該当する時間は、先生の講義を受けていた日もあります。必要でしたら、ほかの授業の記録も提出いたします」


 教師は彼女の手帳を見て頷いた。それでも、噂までその場で消すことはできなかった。



 シャルロットが次に取り出したのは、港町から持ってきた小さな包みだった。


 ガブリエルが使うのをやめさせたくて、隠しておいた薬である。自分には関係のない薬だと、シャルロットは思っていた。けれども、所持が禁じられていることと、見つかった人間がどう扱われるかは知っていた。


 ヴィヴィエンヌの匂い袋は、登校中には決まった場所へ置かれていた。シャルロットは人が少ない時間を選んで、その中へ包みを入れた。


 その日の夕方、保管棚を片付けていた学院の係員が、棚から滑り落ちた匂い袋を拾い上げた。緩んだ口から、小さな紙包みが床へ転がった。


「これは……。どなたの匂い袋でしょうか」


 居合わせた教員が持ち主を確かめ、ヴィヴィエンヌが呼ばれた。


「私の匂い袋です。ですが、その紙包みは存じません」


「ご自分で入れた覚えもありませんか」


「はい。香料のほかには入れておりません」


 教員は紙包みに触れようとした係員を止め、学院長を呼んだ。学院長は机に置かれた匂い袋と包みを見て、すぐに教員全員へ指示を出した。


「この部屋への出入りを止めてください。発見した方と、最初に立ち会った方には残っていただきます。役所の担当官を呼びます」


「明日の授業はどういたしましょうか」と教員が尋ねた。


「この部屋は使用を止めてください。禁制の薬物である可能性があります。役所の確認が終わるまで、学院内の出入りも記録しましょう」


 学院長は発見時刻と、包みに触れた者の名前を書記に記録させた。封をした箱を用意し、官憲が来るまで誰にも持ち出させなかった。保管棚には鍵が掛けられ、翌日の授業予定が変更された。


「ヴィヴィエンヌ様。お迎えが来るまでは、学院内でお待ちいただけますか」


「分かりました。私のものは匂い袋だけです。包みについては調べてください」


「その点も、発見されたときのお話として記録します」


 翌朝、学院の門に官憲の馬車が3台止まった。制服姿の役人のほか、司法官と薬種に詳しい検査官、押収品を管理する書記が校舎に入った。学院長は届いていた令状を確かめ、保管棚の鍵を渡した。


「包みの成分は、禁制薬物に該当します。保管場所と出入りの状況を調べます」


 検査官の言葉に、学院長は唇を引き結んだ。


「対象となる教室は、すべて封鎖いたしましょうか」


「まず発見場所と関係する部屋です。帳簿も確認します。授業の再開は、確認が済んでからお願いします」


 書記と立会人が並ぶ前で、匂い袋、紙包み、保管棚の鍵、鍵の貸出記録、教室利用簿、清掃記録が押収された。薬物の出所を調べるため、紙包みの形状や包装材についても記録が取られた。ヴィヴィエンヌの私物の一部も、確認対象として箱に収められた。


「先月の紛失届についても持ってきましょうか」


 教員が装飾品の記録を持ち出そうとすると、司法官はまず薬物の入った包みを指した。


「薬物がここへ運び込まれた経緯を優先します。以前の紛失事件との関係は、必要になれば改めて確認します」


 係員への聞き取りから始まり、保管棚へ近づいた生徒、鍵を扱った教員、前日に廊下で勤務していた職員が順に呼ばれた。


「その時間に棚の近くにいた方を覚えていますか」


「生徒が何人も通りました。名前までは……」


「棚を開けるとき、鍵を使うのですか」


「日中は職員が開けています。出入りのたびに閉めているわけではありません」


「誰でも近づける時間帯があったのですね」


「はい」


 官憲が校内を歩くたび、生徒の話し声が止まった。教室の扉には封印が貼られ、保護者からの問い合わせが学院長室へ次々に届いた。授業を中止して帰宅する生徒も出た。


 ヴィヴィエンヌは朝から、学院長室の隣の小部屋で話を聞かれていた。向かいには司法官と書記が座り、机には封印された紙包みの記録と利用簿が置かれている。


「ヴィヴィエンヌ様。匂い袋は確かにご自分のものですね」


「はい」


「薬物の包みは、いつから入っていたのでしょうか」


「分かりません。昨日見つかるまで、存在も知りませんでした」


「匂い袋をほかの方へ預けたことはありますか」


「ありません。ただし、保管棚にはほかの方も近づけます。利用した時刻は手帳に記録してあります」


 彼女は手帳を開いて差し出した。書記が時刻を転記し、司法官は教員に照会するための印を付けた。


「薬物をお使いになったことは?」


「ありません」


「売買や運搬に関わったことは?」


「ありません」


「この包みを持ち込んだ人に、心当たりは?」


「分かりません。鍵の管理記録と、あの時間に出入りした方を調べていただきたいのです」


 昼を過ぎても質問が続いた。いったん聞き取りを終えた担当者が交代し、別の官憲が包みを入手した経路について尋ねた。ヴィヴィエンヌは同じ答えを繰り返した。午後の授業が始まる鐘が鳴っても、教員が届けた昼食には手を付けられなかった。


 扉が開いたのは、数時間が過ぎた頃だった。公爵が学院長とともに入ってきた。


「ヴィヴィエンヌ」


「お父様」


 公爵は娘の前の調書と、冷えた昼食を見た。


「娘が事情を聞かれていると知らせを受けました。何時間になりますか」


「公爵閣下、禁制薬物の所持に関わる重大な事件です。確認すべき点が多くありまして」


「捜査を続けることは承知しています。娘をここへ留めておく根拠をお聞かせください」


「匂い袋から薬物が見つかっています」


「匂い袋の持ち主が娘であることと、娘が薬物を入れたことは別です。既に何度も答えたと聞きました」


「確認できていない点が残っています」


「その確認は、娘をこの部屋に置かなければできないのですか。身柄を留め置く法的な理由があるなら、書面をお示しください」


 司法官は書記の記録を確かめた。


「現時点では、任意の聞き取りです。追加でお尋ねすることがあれば、公爵家へ正式に連絡します」


「では、本日の娘への取り調べは終了してください。押収された品の一覧と、本人の供述の写しもお願いします」


「承知しました。捜査は続きますので、ご協力をお願いします」


「必要な協力はいたします。娘の名誉に関わることですから、結果も正式にお知らせください」


 公爵は娘へ向き直った。


「帰ろう」


 ヴィヴィエンヌは手帳を閉じ、父と並んで部屋を出た。廊下では、まだ別の生徒と教員への聞き取りが行われていた。


 馬車の中でヴィヴィエンヌが尋ねた。


「お父様。学校に戻れるでしょうか」


「調査の進み方によるだろう。まずは今日の記録を取り寄せる。こちらからも学院に確認することがある」


「私は、あの包みを入れていません」


「分かっている。調べるべきなのは、誰が入れたかだ」


 公爵家では帰宅後も使者が出入りした。学院へは書類の保存を求め、役所には押収品の目録と聞き取り記録の開示を請求した。翌朝には、学院からの返事より先に王宮の使者が訪れた。


「王妃候補として予定されていた今週の公式行事は、調査の結果が出るまで見合わせていただきます」


「それは誰の判断でしょうか」


 公爵が問うと、使者は差し出した書面を指した。


「王宮の儀典を担当する部署からの通達です」


「調査中の段階で娘の公務を止めるのなら、王家は疑いの内容についても正確に説明する責任があります。誤って犯罪者扱いされれば、娘の将来だけでなく公爵家全体の名誉に関わります」


「そのお言葉もお預かりします」


 公爵は書面を受け取り、王宮へ正式な回答を求める書状を書かせた。


 王太子には、学院長から官憲の調査内容が報告されていた。机に載っていたのは検査官の確認書、押収品の目録、関係者の聞き取りの途中経過だった。


「ヴィヴィの匂い袋から、禁制薬物が出たのですか」


「はい、殿下。薬物そのものは確認されました。持ち込んだ人物は、まだ判明していません」


「公爵が迎えに来たというのは?」


「数時間の聞き取りの後、ご帰宅になりました。公爵閣下は捜査への協力を申し出ておられます」


「婚約者の持ち物から薬物が出たことは、王家にも影響するでしょう」


「重大な問題です。ですから、薬物の持ち主と入れた人物を取り違えないよう、司法官が調べております」


 王太子は書類に視線を落とした。


「彼女が使ったとも、売ったとも分かっていないのですね」


「はい。今はその段階です」


 学院長は退室した。王太子は呼び鈴を鳴らし、王宮の書記官を呼んだ。


「ヴィヴィエンヌとの婚約について、王家の手続きはどうなっていますか」


「王家と公爵家の正式な約定です。変更には書面での手続きが必要です」


「調査が続けば、王妃候補の行事にも出られませんね」


「現在、そのようになっております」


「では、書類を用意してください。私の意向も王家へ伝えます」


「調査が終わったという報告は、まだ届いておりませんが」


「承知しています。婚約については私自身の意思です」


 書記官は返事を保留したまま、用件を記録して退室した。


 その後、シャルロットは、自分の命が狙われたと訴えた。


「いつ、どこで何がありましたか」


 学院長から通報を受けた司法官が尋ねると、シャルロットは目に涙をためた。


「ヴィヴィエンヌ様は、私をずっと嫌っておいでです。あの方さえいなければ、きっと私は……」


「危害を加えられた日時を教えてください。現場を確認します」


「怖くて、よく覚えていないんです」


「怪我はされていますか。診察を受けた記録は?」


「ありません。でも、本当に怖かったのです」


 司法官は供述を記録した。翌日も調べられたが、シャルロットが示した場所で襲撃を見た者は見つからなかった。


 王太子は、王宮を訪れたシャルロットからその話を聞いた。


「命まで狙われたと訴えたそうだね」


「はい。調べていただいているそうですが、私にはあの方が恐ろしくて……」


「官憲からは、まだ確認できないと言われている」


「殿下も、私の言葉を疑うのですか」


 王太子は返答に詰まった。


「私は、殿下のおそばにいたいだけなのに」


 彼女は王太子の腕にすがった。彼は彼女の手を取った。


 学院には、授業を再開した教室と、まだ官憲の出入りする部屋が残っていた。生徒たちの間には、薬物事件の捜査とシャルロットの訴えが広まり、ヴィヴィエンヌの名が繰り返し口にされた。


 王太子はヴィヴィエンヌを呼び、官憲の捜査について尋ねた。


「匂い袋の件で、学院へ役人が入った。君の名前が噂になっている」


「承知しています。お父様が記録の写しを求めてくださっています」


「王家の行事も見合わせになったね」


「はい。調査が終わるのを待っています」


「シャルロットは、君に命を狙われたと訴えている」


「私がその方に危害を加えたことはありません。官憲の方にもお伝えしました」


「彼女は君を怖がっている」


「そのお気持ちを確かめることはできません。ですが、私は何もしていません」


 王太子は机に置いた手を握った。


「これだけ騒ぎになれば、婚約を続けるのは難しいと思わないか」


「婚約は王家と公爵家の約定です。犯罪の事実が確かめられる前に、私の名誉を損なう説明はなさらないでください」


「私自身にも、望む結婚があります」


 ヴィヴィエンヌはしばらく王太子を見た。


「そのお話でしたら、婚約と犯罪の疑惑は分けて扱ってください」


 王太子は返事をしなかった。


 数日後、王太子からヴィヴィエンヌへ、王宮の広間へ来るよう使いが送られた。理由は告げられなかった。


 シャルロットは自室の鏡を見ながら、『恋して♡プリンセス!』で何度も見た婚約解消の場面を思い出していた。ゲームでは小さな嫌がらせの積み重ねだけで、悪役令嬢は広間から退場した。現実には官憲が何日も学院へ出入りし、王家と公爵家の使者が行き来している。そこまで騒ぎが大きくなっても、シャルロットの望みは変わらなかった。


「これで次の攻略段階ね」


 鏡の中の自分に微笑むと、シャルロットは王宮へ向かった。


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