↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Fleur Ange〜使い魔に転生して最推しを甘やかしていたら、ヤンデレ魔法少年に目の敵にされました〜  作者: 柊原 ゆず


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
9/11

第九話 日常と非日常


「こっちだよ、牡丹ちゃん! 急いで!」


 ルルが小さな黒い羽を懸命に羽ばたかせながら、空中で道を示すように先を急ぐ。

 その後を追うのは、『魔法少女』へと変身を遂げた牡丹だった。普段の制服姿とは打って変わり、ダリアの花を思わせる華やかな装束に身を包んだ彼女は、しなやかな足取りで地面を蹴る。向かっているのは、学校からほど近い、普段なら子供たちの声で賑わうはずの公園だ。

 しかし、今の公園に微かな人影すらなく、代わりに肌を粟立たせるような淀んだ空気が周囲をどろりと覆い尽くしていた。

 公園の入り口を抜けた先。


「……っ!?」


 牡丹は公園の中央に陣取る『それ』を視界に捉え、思わず息を呑んだ。

 本来なら広々とした砂場があるはずの場所に、巨大な異形が蠢いていたのだ。元の形が何であったのかすら分からないほどに膨れ上がった肉塊のような姿。その表面はドロドロに溶けた泥のように波打ち、黒黒とした負の感情を纏いながら、ズズ……ズズ……と不気味な音を立てて身をよじらせている。


「牡丹ちゃん! 武器を構えて!」

「ええ!」


 ルルの切羽詰まった声にハッと我に返り、牡丹は自身の武器である真紅のリボンを構えた。新体操で使い慣れたそれによく似たリボンが、持ち手からしなやかに弧を描き、牡丹の周囲に美しい光の軌跡を描く。

 その光に呼応したのか、異形がぬちゃりと振り向いた。

 顔とも呼べないような部位に空いた虚ろな穴が、牡丹の存在をはっきりと認識する。次の瞬間、異形の体の一部が急激に膨張し、どろどろに溶けた巨大な腕となって牡丹へと振り下ろされた。


「危ないっ!」


 空から叫ぶルルの声を背に受けるより早く、牡丹はひらりと身をかわした。

 新体操で鍛え上げられた彼女の体幹は、魔法少女の力を得てさらに研ぎ澄まされていた。重々しい轟音とともに腕が地面を叩き割り、アスファルトの破片が飛び散る。しかし牡丹は、舞踏を思わせる軽やかなステップで宙を舞い、一切の破片を浴びることなく安全な位置へと着地していた。


「いくわよ……!」


 着地と同時、牡丹は手首をしならせ、真紅のリボンを空へと放つ。

 柔らかな布きれに見えるそれは、牡丹の意志と魔力を帯びることで、鋭く、そして優雅な鞭へと変貌する。

 ピシャァンッ!

 空気を裂く甲高い音と共に、リボンが異形の腕を深々と打ち据えた。


「ギ……ヂィ……ッ!」


 リボンが触れた箇所から、浄化の光がバチバチと弾ける。

 異形は苦悶に身をよじり、今度は無数の泥の触手を鞭のように振るって四方八方から牡丹を襲った。しかし、牡丹の瞳に焦りはない。彼女は流れるような動きで身を翻し、時にはリボンを螺旋状に回転させて盾とし、時には触手の隙間を縫うように鋭い一撃を見舞っていく。

 ダリアの花びらが舞うかのような、美しくも苛烈な攻防。


「――ッ!」


 やがて、牡丹の渾身の一撃が異形の核とおぼしき中心部を捉えた。

 異形は声にならない絶叫を上げると、ずるずると後退し、その巨体を大きく崩す。


「そこよッ!」


 その僅かな隙を、牡丹が逃すはずがなかった。

 彼女は高く跳躍すると、全身の魔力をリボンへと注ぎ込む。ルビーのように輝きを増したリボンが、天から降り注ぐ一条の光となって異形を真上から真っ二つに薙ぎ払った。

 激しい閃光が公園を包み込む。

 直後、どろどろと渦巻いていた負のオーラは嘘のように霧散し、巨大な異形は温かで優しい光の粒子となって空へと溶けていった。

 その粒子の中心に、ぽつんと一つ、小さな火の玉がふわりと浮かび上がる。

 浄化された異形が元の姿へと還るための、穢れなき魂だった。


「お疲れ様、牡丹ちゃん!」


 傍で牡丹の勇姿を見守っていたルルは、小さな黒い前足で器用に、ガラス細工のように可愛らしい小瓶を取り出した。コルクの栓を抜いて差し出すと、火の玉は導かれるようにふわりと小瓶の中へと収まっていく。ルルがしっかりと栓を閉めると、瓶の中では小さな火の玉が安心したように揺れていた。

 その穏やかな光に、牡丹は小さく息を吐き、構えていたリボンを下ろした。

 張り詰めていた空気がふっと緩む。激しい戦闘を終えたばかりだというのに、彼女の立ち姿はどこまでも優雅で凛としていた。


「牡丹ちゃんすごい! もうすっかり板についてきたね!」


 ルルは空中でぴょんぴょんと飛び跳ねながら、もふもふの黒い前足を器用に打ち鳴らして喝采を送った。ぱたぱたと小さな悪魔の羽を揺らし、全身で勝利を喜ぶ姿は、完全にただの熱狂的なファンである。

 直球すぎる称賛の言葉を真正面から浴びた牡丹は、ふいっと顔を逸らした。しかし、その白い耳の先から頬にかけて、みるみるうちに分かりやすい朱色が広がっていくのを、隠しきれずにいた。


「あ、当たり前じゃない。リボンなら、絶対に負けないわ」


 照れ隠しのようにスッと通った鼻筋を少しだけツンと上に向かせ、誤魔化すように眉を上げて強気な声色を取り繕う。

 周囲からは高飛車でキツい性格だと誤解されがちな態度。けれど、ルルは知っている。これが牡丹の不器用さゆえの反応であり、本質はひどく照れ屋で繊細な少女なのだということを。

 ツンデレのお手本のような愛らしい振る舞いに、ルルはたまらなく愛おしさを募らせ、つい口元を緩めてにまにまとだらしない笑みを浮かべてしまった。黒猫の姿だからギリギリごまかせるものの、中身のオタクとしての顔面は完全に崩壊している。


「も、もうっ! 何を笑っているの?」


 自身の反応を楽しんでいるかのようなルルの視線に気づき、牡丹が恥ずかしさを誤魔化すようにきっと目を吊り上げる。


「ふふふっ! だって、牡丹ちゃんがすっごく可愛いなって思って!」

「……っ、もう……」


 一切の裏表がない、真っ直ぐすぎる世辞――いや、ルルにとっては揺るぎない本心――を叩きつけられ、牡丹は完全に返す言葉を失ってしまった。いつも周囲と壁を作り、厳しい言葉で自分を武装してきた彼女は、こんな風に底抜けの好意や愛情をストレートにぶつけられることに全く慣れていないのだ。真っ赤になった顔を隠すように俯いていた牡丹だったが、ふと、ある重大な事実に気づいて弾かれたように顔を上げた。


「って、私、部活の途中だったわ! 急がないと!」


 つい先程まで、体育館で新体操の練習に打ち込んでいたはずなのだ。抜け出してきた時間が長引けば、怪しまれてしまう。

 途端に慌てた様子を見せた牡丹は、胸元を飾る真紅のブローチにそっと指先で触れた。

 光の粒子がダリアの花を模した魔法少女の装束を包み込み、瞬く間に元通りの部活用の練習着へと姿を戻していく。


「急ぐわよ、ルル!」

「あっ、待って牡丹ちゃーん!」


 焦った様子で駆け出した最推しの背中を追いかけながら、ルルはふよふよと空を飛び、大急ぎで学校の体育館へと引き返していった。






 二人が息を切らして体育館に滑り込んだ頃には、窓の外の空は燃えるような夕暮れを過ぎ、深い紺色と妖艶な紫が混じり合う夜の帳へと様相を変え始めていた。

 部活はすでに終了間近。ふいに抜け出していた牡丹は、当然のごとく顧問の教師から鋭い小言を食らってしまった。それでも、「すみません、少し貧血気味で休んでいました」と巧みに言い訳をし、なんとか部活の時間内に戻り切るという体裁を保つことができた。

 小言を言われながらも、牡丹の胸の内には、あの異形との非日常な死闘から『平和な日常』へと帰ってこられた安堵がじんわりと広がっていた。牡丹は張り詰めていた肩の力を抜き、他の部員たちに混ざってフロアマットの片付けやモップ掛けを始める。その様子を、ルルは跳び箱の陰からじっと見守っていた。『静かに見学していること』という牡丹の言いつけを忠実に守り、息を潜めている。だが、その赤い瞳だけは、推しのジャージ姿と健気に掃除をする姿を拝める喜びに、らんらんと星のようにキラキラ輝いていた。

 不意に、体育館の入り口付近から、黄色い歓声と、浮き足立ったようなざわめきが波のように広がった。

 キャアキャアとはしゃぐ女子生徒たちの声。牡丹にとってはいつもの光景であり、小さくため息を吐いてモップを動かし続けたが、ルルは「ヒィッ、見つかった!?」と大慌てでさらに奥の暗がりへと身を隠した。

 周囲の女子たちの熱視線と黄色い声の中心にいたのは、幼馴染の月舘樹だった。長身に整った甘い顔立ち、誰に対しても爽やかな態度は、学校中の女子の憧れの的である。彼は自身の部活動を終え、牡丹を迎えに来たのだ。「わざわざ迎えになんて来なくていい」と何度も伝えているのだが、樹にとって彼女の帰りを待つことは、絶対に譲らない毎日の日課となっていた。

 やがて用具の片付けを終えた牡丹は、体育館の隅に置いていた鞄を手に取ると、体育館の入り口付近に陣取る彼らを一瞥した。周囲のざわめきや熱視線など気にも留めない様子を装い、凛と背筋を伸ばしてスタスタとその横を通り過ぎようとする。目立たず、関わらず、ただ足早に帰路につくつもりだった。

 だが、樹の視線は無数の女子たちを向いてなどいなかった。彼は初めから、ただ一人だけを真っ直ぐに捉えていたのだ。


「あ、牡丹ちゃん!」


 樹がふわりと柔らかな微笑みを浮かべ、彼を囲んでいた人の輪からあっさりと抜け出して牡丹に声をかけてきた。唐突に置いてきぼりにされた女子たちの不満げな視線が一斉に牡丹へと突き刺さるが、樹はそんな空気など全く意に介していない。


「お疲れ様。鞄、持つよ」


 甘く、耳に心地よい声で労いながら、樹は牡丹の横にピタリと並んだ。


「大丈夫よ。自分で持てるわ」


 牡丹は周囲から向けられる痛い視線を肌で感じながら、ツンとした態度で素っ気なく返す。


「いいの。僕が持ちたいんだから」

「もう……」


 少し困ったように眉を下げる樹の瞳には、有無を言わせない静かな熱がこもっていた。牡丹がそれ以上抗議する間もなく、樹は流れるような自然な動作で、牡丹の手から指定のスクールバッグを掬い取ってしまった。その動きには一切の無駄がなく、指先が触れ合うかすかな瞬間にすら、牡丹が抵抗する隙を全く与えなかった。

 幼馴染とはいえ、高校生にもなって鞄を持ってもらうなど、傍から見れば過保護すぎる振る舞いだ。すっかり奪い取られてしまった自分の鞄と、それを自分のもののように嬉しそうに提げる樹の整った横顔を見比べ、牡丹はやれやれと呆れたようなため息を深く吐き出した。

 しかし、その二人の親しげで甘いやり取りは、周囲の女子部員たちにとって面白いはずがなかった。


「……なにあれ。樹くんが持ってくれてるのに、お礼もないの?」

「本当、何様って感じ。毎日お迎えにも来てくれてるのにね」


 ひそひそと、意図的に聞こえるように落とされた悪意のある言葉の棘が、冷たい風のように牡丹の耳を突く。

 いつもツンとしていて周囲に壁を作っている牡丹だが、その心はひどく繊細で傷つきやすい。ささいな悪意の言葉に心臓をチクリと刺され、牡丹は微かに、けれど痛ましげに眉を下げた。

 次の瞬間、牡丹は樹の手からひったくるように乱暴に自分の鞄を奪い返した。


「牡丹ちゃん?」


 突然の明確な拒絶に、樹は不思議そうに目を丸くした。いつもなら呆れながらも最終的には折れてくれる幼馴染が、ここまで強硬に自分を撥ね付けたことに驚いたのだろう。ぱちりと瞬きをした彼の端正な顔には、純粋な疑問が浮かんでいる。

 だが、牡丹はきゅっと唇を噛み締め、彼にそれ以上話しかけることはしなかった。何か言葉を返せば、それが抗議であれ弁明であれ『親しげなやり取り』と見なされ、背後に控える取り巻きの女子たちをさらに刺激してしまうのは火を見るよりも明らかだったからだ。

 肌をジリジリと刺すような、嫉妬と悪意にまみれた周囲の冷ややかな視線。そして、わざと鼓膜を打つように落とされた棘のある言葉の数々。それらは、普段強がって分厚い壁を作っている牡丹の、不器用で繊細な心を確実に削り、すり減らしていく。

 ――これ以上、ここにいたくない……。

 その痛みを伴う息苦しい空間から一刻も早く逃れるように。牡丹は奪い返したスクールバッグの持ち手をぎゅっと握り締めると、不思議そうにこちらを見つめる樹の顔を一切見ることなく、顔を背けた。

 そして、ワックスの効いた床に彼女の焦燥を代弁するかのような規則的で鋭い足音を響かせながら、スタスタと足早に体育館の出口へと歩き始めた。


「あ、待ってよ」


 樹は手首に残った感触を確かめるように一瞬だけ目を伏せると、すぐにいつもの爽やかな微笑みを浮かべ、周囲の女子たちを置き去りにして小走りで彼女の隣へと並んでいく。

 跳び箱の陰に取り残されたルルは、その一連の痛々しいやり取りを、ハラハラとした思いで見つめていることしかできなかった。


つづく

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。