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Fleur Ange〜使い魔に転生して最推しを甘やかしていたら、ヤンデレ魔法少年に目の敵にされました〜  作者: 柊原 ゆず


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第六話 垣間見える狂気


 声にならない嗚咽を漏らし、小刻みに震え続けていた牡丹の華奢な肩が、ゆっくりと静寂を取り戻していく。荒立っていた呼吸が次第に規則正しいものへと変わり、恐怖や悲しみで張り詰めていた心が少しずつ解けゆくのが分かった。

 そんな彼女にぴたりと寄り添い、慈しむようにずっと頭を撫で続けていたのは、もふもふとした温かいルルの前足だった。まるで壊れ物を扱うかのようなその柔らかな感触と、一定のリズムで繰り返される体温が、牡丹の心の奥底にまでじんわりと染み込んでいく。

 安心感に包まれた牡丹は、自分の頭上にあるルルの前足へ、そっと自分の手を重ねた。ルルのふかふかとした毛並みをきつく、けれど愛おしむように握りしめる。


「ありがとう……ルル」


 鼻声で微かに掠れた、しかし確かな安堵の響きを持った声。

 その小さな声を受け取ったルルは、太陽のようにぱっと明るく、すべてを肯定するような満面の笑みを浮かべた。


「牡丹ちゃん、また辛くなったら泣いていいからね。私が全部受け止めるから!」


 何の打算もない、純粋で力強い励ましの言葉。その真っ直ぐな優しさに触れ、牡丹の瞳の奥から再び熱いものが込み上げそうになる。けれど、今度の涙は決して悲しみから来るものではなかった。牡丹は溢れそうになった雫を手の甲で拭うと、まだ少し赤く腫れた瞳でルルを見つめ返し、小さく、しかしはっきりと、こくりと頷いた。その柔らかな表情には、ほんの僅かながらも確かな、前を向くための光が宿っていた。






 ——そして、翌朝。

 昨夜の重い空気が嘘のように、窓の外からは爽やかな朝日が差し込んでいた。たっぷりと泣いて心をデトックスしたおかげか、牡丹の表情はどこか晴れやかで、鏡の前で身だしなみを整える手つきも昨日よりずっと軽い。

 鞄を持ち、さあ出かけようと玄関へ向かいかけた、まさにその時だった。


『ピンポーン』


 静かな室内に、チャイムの音が響く。牡丹がリビングのモニターでインターホンの映像を確認すると、そこには見慣れた幼馴染——樹が、端正な顔立ちに柔らかい微笑みを浮かべて立っていた。一緒にインターホンを覗いたルルが声を上げる。


「あわわっ、樹くんが来た! 私、見つからないようにするね!」

「あ、うん。お願い」


 自分以外の人間には姿を見られてはいけないルルが、もふもふの体を慌てて宙に浮かせ、サッと下駄箱の死角へと身を潜めるのを確認してから、牡丹はガチャリと玄関のドアを開けた。

 外の心地よい朝の空気が流れ込むのと同時に、制服を隙なく着こなした樹が、ふわりと花の咲くような笑顔を向けた。

 牡丹は彼に向かって、いつものように口を開いた。


「おはよう」

「牡丹ちゃん、おはよう」


 甘く、どこか庇護欲をそそるような声音。学校では『王子様』とすら呼ばれ、誰に対しても完璧な笑顔とスマートな振る舞いを崩さない彼だが、牡丹の前にいる時だけはその空気が少し違う。

 毎朝のように続くこのやり取りに、牡丹は小さく息を吐いた。


「……樹、いつも迎えに来なくてもいいのに」


 家が隣とはいえ、わざわざ自分のペースに合わせて待機してくれている彼に、少しだけ申し訳なさと照れくささが入り交じる。少しだけそっぽを向くようにしてそう告げた牡丹に対し、樹は一歩だけ距離を詰めてきた。


「僕が一緒に登校したいの。……だめ?」


 すらりとした長身をわざわざ屈め、前髪の隙間から牡丹の顔を下から覗き込むように——いわゆる『上目遣い』で見つめてくる。

 少しだけ首を傾げ、まるで捨て犬のように潤んだ瞳で訴えかけてくるその破壊力は凄まじい。普段の大人びた姿とのギャップも相まって、この『幼馴染にしか見せない年相応に甘える姿』を見せられると、牡丹はどうしても強く出られなくなってしまうのだ。

 案の定、牡丹の心臓がトクリと跳ねる。


「う……」


 ずるい、と言葉を詰まらせ、牡丹は逃げ場を探すように視線を泳がせた。しかし、目の前で嬉しそうに尻尾を振る犬のような、その熱い視線から逃れられるはずもなく、やがて観念したように、ふうっと小さく溜め息を吐いた。


「……好きになさい」

「ふふっ、ありがとう」


 牡丹のその言葉を聞いた瞬間、樹の顔がパァッと明るく輝いた。それは学校で見せる作られた笑顔ではなく、心の底から嬉しそうな、無邪気な少年のそれだった。

 ご機嫌な足取りで隣に並んだ樹と共に、牡丹はゆっくりと歩き出す。朝の通学路、肩が触れ合いそうなほどの距離で、二人は他愛のない会話を交わしながら学校へと向かっていく。

 そんな二人の背後。

 バレないように、一定の距離を保ちながらふよふよと宙を飛んでついてくるルルは、もふもふの両手(前足)で口元を覆い、興奮で目をキラキラと輝かせていた。

 ——すごいっ!  幼馴染二人の登校スチルだわ!!

 朝の光に包まれて歩く、美男美女の幼馴染。それはルルの目から見れば、まるで乙女ゲームのハッピーエンドルートで解放される、最高に美しい一枚のスチルそのものだった。

 楽しそうに微笑み合う二人の後ろ姿を特等席で見つめながら、ルルは密かに「尊い……!」と心の中で叫び、朝から大興奮で空中を漂い続ける。

 ルルの脳裏には、前世でやり込んだ魔法少女系のソーシャルゲーム『Fleur Ange』での彼らの姿が浮かんでいる。ゲーム内での樹も、今の二人と同じように牡丹とは非常に仲が良く、彼らが変身して敵と戦う際には、息の合った抜群のコンビネーションで『浄化』を行っていた。背中を預け合い、視線を交わすだけで互いの意図を完璧に理解し合うその戦いぶりは、プレイヤーたちを熱狂させたものだ。

 ただ、その『浄化』において、一つだけ恐ろしい事実があった。

 樹の放つ力は、およそ『浄化』という清らかな言葉の響きからはかけ離れた、一切の容赦がない代物だったのだ。ただ敵を無力化するにとどまらず、周囲一帯を徹底的に殲滅するかのような圧倒的な破壊力。手加減や慈悲といった概念がすっぽりと抜け落ちたその過剰なまでの蹂躙っぷりに、ゲーム内の牡丹が呆れ顔で「貴方がやるとめちゃくちゃになるじゃない」と苦言を呈するシーンがあったほどだ。

 ルルはふらふらと宙に浮きながら、少し前を歩く樹の横顔を見つめた。牡丹の他愛ない話に嬉しそうに目を細める、年相応の柔らかい表情。朝の陽射しに包まれたその爽やかな姿は、どう考えてもゲーム内で周囲を焦土と化していた恐ろしい姿とは重ならない。

 ——もしかして……彼が魔法の力を得る契約には、ゲームの本編では語られなかった何か特別な裏シナリオがあるのかしら?

 そんな推測を頭の片隅で巡らせていた、まさにその時だった。

 ——ゾクッ。

 唐突に、ルルの全身の毛が逆立つほどの強烈な悪寒が走った。まるで、鋭い氷の刃を喉元に突きつけられたかのような、圧倒的で濃密な殺気。

 危険を知らせる動物的な本能に従い、ルルは声も出せずに弾かれたように近くのブロック塀の陰へと飛び込んだ。バクバクと痛いほどに早鐘を打つ心臓を抑えながら、ルルは震える体を丸め、恐る恐る通学路の先を覗き込む。

 視線の先には、静かに背後を振り返っている樹の姿があった。前を歩く牡丹の軽やかな足音に紛れ、彼女には決して気づかれないよう、歩みはそのままに首だけを後ろへ向けたその青年の表情からは、先程までの春風のようなふんわりとした甘さは完全に消え失せていた。

 隙間から覗き見た横顔は無機質で、冷徹。まるで別人のように感情が削ぎ落とされたその顔のなかで、一切の光を吸い込むような絶対零度の瞳だけが、じっと細められている。それは間違いなく、ゲームの中で立ち塞がる敵をゴミでも見るかのような冷たさで、容赦なくすり潰していた『無慈悲な樹』そのものの目だった。

 彼は視覚ではなく、肌に触れる空気の僅かな揺らぎから『何か』の気配を正確に探り当てようとしている。研ぎ澄まされた刃物のような冷酷な視線が、隠れているルルのすぐ傍の空間を、音もなくねっとりと撫でていく。

 ——嘘、まさか、気づかれてる……!?

 心臓がドクンと嫌な音を立てた。

 一般人にはルルの姿は視認できない。しかし、作中屈指の規格外な魔力を誇る彼であれば、この姿をはっきりと捉えることができるだろう。ルルは樹の恐ろしさを知っているからこそ、絶対に視界に入らないよう、細心の注意を払って遠くから距離を取っていたのだ。

 それなのに、隠れていたはずの自分の小さな存在が、今にもその見えない力によって根こそぎ暴き出され、引きずり出されそうに感じた。もしここで見つかれば、『敵』だと見なされて、跡形もなく消し炭にされるかもしれない。

 底知れぬ深海のような暗闇を湛えたその瞳に射すくめられ、ルルはゾクゾクと背筋に氷を這わせたような強烈な悪寒を覚えた。恐怖で全身の毛が逆立ち、悲鳴を上げそうになるのを必死に堪える。

 もふもふの小さな両手で己の口を強く塞ぎ、激しく打つ心臓の音すら悟られないよう、ルルはただ物陰で息を潜め、ガタガタと震えることしかできなかった。


つづく

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