交わした密約
エロディ様に呼び出されたあたしがお部屋に入るとフェリシー様たち派閥の皆さんに待ち受けられていた。悪い予感しかしない中で話を聞くとシャンタル様を階段から突き落とすように求められる。
あんまりな要求にあたしは呆然とした。事が成功した暁には仲間に加えてくださるということだけれど、そのための条件があまりにもひどすぎる。
けれど、あたしが拒否することはできなかった。断ればその後のいじめが更にひどくなることが明白だったから。けれど、シャンタル様を突き落としてその罪を問われた場合、エロディ様たちが庇ってくださる保証はどこにもない。あの皆さんの様子では知らぬ存ぜぬと言い張って切り捨てられるだろう。
呆然としながらあたしは自室へと戻った。あれから自分の体がまるで他人のもののように実感がない。先程何を言われたのかよくわからなくなってきているというのに、これから何をしなければならないのかだけはやたらとはっきりと覚えている。
いつも講義の内容を復習している机の前に座ったあたしはぼんやりとその台を眺めた。すると、涙が溢れてくる。何も悪いことをしていないのになぜこのような目に遭うのかと思うと、もう止まらなかった。進退窮まったあたしは自室で一人泣く。
我慢していればそのうち何とかなると思っていたけれど、実際にはより追い詰められただけだった。現実は非常でひたすらあたしを打ち付けてくる。もうどうして良いのかわからない。
いつの間にか泣き止んでいたあたしはふと窓の外へと顔を向けた。空はすっかり朱く染まっている。日が暮れるまでもうそんなにないだろう。だからどうしたというわけではないけれど。
夕暮れの様子を眺めていたあたしは椅子から立ち上がった。どうにもならないのならば、すべてを終わらせたら良いのかもしれないと思い付く。
自室を出たあたしは実感のない体を操って階下へと降りた。階段から落ちても良いかなと思ったけれど、体は意外といつもの習慣を覚えているようで1階まで降りきる。
そのまま足が動くに任せてあたしは賢静館を出た。屋根付きの廊下からすぐに外れて建物の南側へと回る。建物の北側にある庭園から戻ってこられる子女たちを避けるためだ。まっすぐ歩くと倉庫の前に着いたので北西へと向きを変える。すぐに林の中へと入った。
この林は学園の敷地の端にある場所で特に使われていないからやって来る人もいない。日没が近い今だとひときわ暗かった。
ある程度歩くとあたしは立ち止まる。そこでどうやって死のうかと思ったところで、何も準備をしていないことに気付く。縄も刃物も持っていない。
そこであたしは小さく笑った。最後の最後まで抜けている。どうすればいいのかも思い浮かばない。
「パスキエ男爵家のデジレさんですよねぇ?」
背後から声をかけられたあたしは目を見開いて振り向いた。同時に思わず一歩下がる。目を向けた先には薄暗いながら桃色の髪の毛の小柄な子女が笑顔で立っているのが見えた。シャンタル様だ。確かにかわいらしい。男の人はこういう女の子が好きなのかなという考えがぼんやりと頭の中に浮かぶ。。
それとは別に、なぜここにいるのかという疑問があたしの頭に浮かんだ。自室からここまでやって来るときに何人もの子女とすれ違ったけれど追いかけてきた人は他にいなかった。たまたまどこかで見かけて好奇心に駆られたという可能性もあるものの、それならその場で声をかければ良い。それなのに、どうしてここまで追いかけてきて話しかけてきたのだろう。
同時に、一緒にいるところを人に見られるのはまずいとあたしは思った。特にアドリーヌ様やあの派閥の人たちには。
驚きつつもその場を去ろうとするあたしはシャンタル様に声をかけられる。
「そんなに思い詰めた顔をしてどうしたのかなぁ? わたしを階段の上から突き落とす決心がまだつかないとか?」
背中に冷たいものを突き刺さされたかのように感じたあたしは足を止めた。あのことは誰にもしゃべっていないし、エロディ様たちだって他人に話すはずがない。
震えるあたしはゆっくりと振り返ってシャンタル様に返答してしまう。
「何のことです?」
「明日、あなたが書いた手紙で光聖堂の3階に私を呼び出して、わたしが立ち去ろうとするとあなたが後ろから階段へ突き落とそうとする計画でしょう」
エロディ様たちが楽しそうに話していた計画をそのまま伝えられたあたしは愕然とした。一体どうやってそれを知ったというのか。
驚きを超えて恐ろしさを感じたあたしは更に一歩下がった。でも、シャンタル様が二歩前に出てきたせいで距離を詰められる。
「やめておいた方がいいわよ。実行したら、私を突き飛ばし損ねたあなたが階段から落ちることになるんだからねぇ」
「え?」
「大怪我を負ったあなたがその後どうなるかはわたしも知らないけど、やらない方があなたのためだと思うの」
「でも、あたしは」
「アドリーヌ様の仲良しグループの中でいじめられているよね。あの人に初めて挨拶をしたときにつまらない理由で機嫌を損ねたんでしたっけ」
「ど、どこまで知っているんですか」
「さぁね。ところで、あなたってもう後がないのよねぇ? 計画を実行したら大怪我をして、実行しなかったらお友達に更にいじめられちゃう」
笑顔を浮かべたシャンタル嬢があたしに話し続けた。震えるあたしは何も言えなくなってしまう。
「それなら、私に協力してくれない? そうしたら、助けてあげるわよ」
「え?」
「破滅する未来を押しつけてくる人なんて友達じゃないわ。そんな人たちに遠慮なんてすることはないと思うの。ああ、わかっているわよ。寄親と寄子の関係でアドリーヌ様のところにいるんでしょう? だから、計画を実行しないわけにはいかないって。だったら、計画を実行するふりをすればいいのよ。そうすれば、あなたは大怪我を負わないし、言いつけもちゃんと守ったことになるじゃない。ねぇ?」
「でもそれじゃ、結局何も変わらないじゃないのよ」
「だから、私に協力して今の環境を変えればいいの。お願いしたいことは難しいことじゃないわ。ただ、あなたの派閥内で聞いた話をわたしに伝えてくれるだけでいいの」
「それだけでいいの?」
「ええ。これからアドリーヌ様とあの仲良しさんたちは忙しくなってあなたに構っている暇はなくなるわ。言い方は悪いけど、役に立たない子に構う余裕がなくなるの。だから、多少の不名誉とわずかないじめに耐え続けて、仲間内で何を話していたのか教えてくれたら、助けてあげるわよ」
昼間見ればさぞ可愛らしい口調と態度のシャンタル様の今の姿はひたすら不気味だった。それは、林の中で日没を迎えようとしているからだけではない。得体の知れない人への恐怖だ。
あまりにも都合の良い話にあたしは顔を引きつらせながら黙り込む。本来考える余地もないことだけど、今の境遇と近い将来の破滅を考えると迷わざるを得ない。
けれど、このままだとどうやっても終わってしまう私の未来を考えると最初から選択肢はなかった。幸せになりたい、不幸になりたくないのはあたしだって同じだから。
あたしはあまり間を置かずにシャンタル嬢との取り引きに応じた。
翌日の夕方、あたしはエロディ様たちの言いつけ通り自分で書いた呼び出しの手紙をシャンタル様の部屋に届けた。そうして光聖堂の3階に上がって階段近くで待つ。その少し奥にはフェリシー様と3名の子女の方が控えていた。あたしの仲間としてではなく、予定通りに動くかを監視するためにいらっしゃるのだ。
あたしはフェリシー様たちと話をすることはないので窓の外を見る。この時期になると夏の気配はすっかり消えて気候も景色も秋の色が濃くなっていた。そうしたせいもあり、空の色が青から朱へと変わっていく姿はなんだかもの悲しく思えてくる。
油断すると高ぶりそうな気持ちを抑えながらあたしが待っていると階下から足音が聞こえてきた。しばらくすると桃色の髪の毛が視界に入る。シャンタル様だ。
3階まで登り切ったシャンタル様はあたしを無視してフェリシー様の前に立たれる。
「こんにちは、フェリシーさん。今日はどんなご用ですかぁ?」
「はぁ、あんたまたそんな呼び方をして。いい加減に、ああもういいわ。助言を聞く頭もないんでしたわね」
「ひどーい! それにちゃんと敬称は付けているじゃないですかぁ」
「今日はそんなことを話すために呼んだんじゃないの。警告してあげるためよ。いい加減にアドリーヌ様に楯突くのはやめなさい」
「わたし、アドリーヌ様に何かしたことなんてありませんよぉ」
「あたしたち派閥の淑女に好き放題している時点で、アドリーヌ様に楯突いているのよ!」
そこからフェリシー様のお説教が始まった。予定では軽く話をするだけだったはずなのに、シャンタル様が反論される度に感情的になられて話が長引く。
けれど、それもついに終わった。肩で息をしたフェリシー様が叫ばれる。
「これだけ言ってあげてもわからないなんて本当にバカね! もういいわ、行きなさい!」
「フェリシーさん、ひどいことばっかり言うのね。わたしはもう帰りますぅ」
話が決裂するとシャンタル様は体を反転されて階段に向かわれた。このとき、フェリシー様から目を向けられる。ついにこのときが来た。
生唾を飲み込んだあたしはゆっくりとシャンタル様に近づいた。斜め後ろからなのであたしの姿は見えないだろう。だから、足音を忍ばせずに進む。
次第に近づく桃色の髪の毛を見ながらあたしはふと疑問に思った。ほぼ後ろから迫るあたしが真後ろに立つ瞬間をシャンタル様はどうやって知るつもりなのだろう。そんな肝心なことを知らないまま計画を進めたことに今更気付いた。けれど、もう止まれない。
シャンタル様が階段に差しかかったところであたしはその真後ろまで近づいた。そうして中途半端に背中を押そうとする。その瞬間、シャンタル様がごく自然に右横へと体を逸らされた。何もない場所を押そうとしたあたしは慌てる。何とか階段の手前でぎりぎり立ち止まることができた。
階下に落ちずに済んだあたしは振り向いたシャンタル様の顔を見て凍り付く。
「落ちなくて良かったわねぇ」
愛らしい笑顔で一言告げられたシャンタル様はそのまま階段を降りて行かれた。
残されたあたしとフェリシー様たちはそのまま声も出せずに立ち尽くす。動けるようになったのは階段から足音が聞こえなくなってからだった。




