迫られた選択
つらい思いをしながらもあたしは学園での生活を続けていた。相変わらず所属する派閥内ではいじめられ、授業では他の学園生に頼れず、かといって現状を変えることもできない。けれど、悪口や陰口は我慢し、授業の不明点は教員に教えを請うことで何とかやり過ごしていた。つらいけれどまだ耐えることはできたから歯を食いしばる。
こうして春の間は悪いなりに安定していた。こんな状態がこれからも続くのかと思うと泣きそうになるけれど、卒園するまでの我慢だ。いえ、あたしを主にいじめているエロディ様やフェリシー様は学年がひとつ上だから3年生になれば解放される。そう信じて日々を生きていた。
そうして待望の夏期休暇を迎える。つらいばかりの学園から離れることができるから実家への帰省は本当に嬉しい。帰省するにあたってアドリーヌ様にご挨拶をするという苦行があったけれど、幸い他の方々に交じってごく短時間向き合っただけで済む。このときばかりはエロディ様とフェリシー様たちも帰省することに目を向けられていたからだ。アドリーヌ様の冷たい態度にももう慣れた。
馬車に乗ったあたしは意気揚々と実家に向かい、休暇の間久しぶりに両親と過ごす。ただ、ひとつだけやりにくいことがあった。それは両親に学園生活のことを問われたときの返答だ。派閥内でいじめに遭っていると言うわけにもいかず、あたしは何とかやっていると返答するしかない。寄親への批判に繋がるため、両親が苦しむことになるからだ。でも、それ以外については入園する前のことを思い出して思いきり羽を伸ばした。
とても楽しい日々だったけれど、夏期休暇には限りがある。夏が終わりに近づき、新学期が始まろうとしていた。月末までに学園へ戻る必要のあったあたしはその月末に到着するように実家を出発する。
学園に到着するとあたしはすぐにアドリーヌ様へとご挨拶に向かった。できるだけ顔を合わせたくないけれど、いじめられている身で挨拶をしないというのは致命的だ。身を守るためにも最低限の礼は尽くさないといけない。
相変わらずアドリーヌ様のあたしへの態度は冷たいものだった。それでも、このときは素っ気ないという程度だったのでまだましだ。アドリーヌ様の周囲でおしゃべりをされていた皆さんには嫌味を言われたけれど、それを耐えて部屋を辞した。この辺りはもう流れ作業のようなものだから呼び止められて暴言を吐かれない限りは受け流せば良い。
こうして再び学園生活が始まった。相変わらず立場も扱いも悪いけれど何とかやっていくことはできる。後はこれ以上悪くならないように祈るばかりだ。
何かおかしいとあたしが思ったのは学園での授業が始まって2週間が過ぎた頃だった。当初は夏期休暇前と同じようないじめだったのに9月の半ば辺りからその内容に変化が現れる。悪口や陰口以外にも、肩を押される、虫をけしかけられるなど、直接的な行動が増えてきた。最初はたまたまだと思っていたけれど、さすがに何度か繰り返されると今までと違うことに気付く。
あたしはこの変化にうろたえた。いじめられるにしろ、今後も同じやり方だと思っていたから。しかも、内容が変わっただけでなく、より直接的で悪化している。
どうしたものかとあたしは頭を抱えた。ここに来て更に圧迫されて苦しむ。なぜいじめが悪化したのかがわからない。
しばらく悩んでいたあたしだったけれど、あたしのいじめに間接的に関係のあるシャンタル様のいじめのことを思い出す。先日までは派閥の皆さんがあちらに力を注いでいたからこそあたしにあまり目を向けられることはなかった。けれど、もしかしたら何かあちら側に変化があったのかもしれない。
そう思ったあたしは周囲へ聞き耳を立ててシャンタル様の様子を探った。すると、どうやら最近のエロディ様やフェリシー様はシャンタル様へのいじめをあまりしなくなったらしいことがわかる。派閥内でも聞き耳を立ててみたが理由がわからない。
けれども、シャンタル様へのいじめが減った分だけあのお2人があたしに目を向けられたことは確からしい。人の不幸を願うなど最低だけれど、このような状況は本当に避けたかった。
いじめがより悪化したことであたしは更なる苦境に立たされる。悪いなりに安定していた心は再び乱れ、どうにか対応しようと苦労した。されることが変わっても耐えることに変わりはないけれど、耐え方というものがある。これを再び組み直すことがひたすらつらい。
たまにふと周囲に目を向けることがある。どの子女も楽しそうに日々を過ごしていた。その中であたし1人が苦労している。なぜあたしだけがこんな目に遭っているのか、どうしてあたしだけ楽しく過ごせないのか。最近は羨むよりも妬むようになってきた。
いっそ派閥を抜け出すことができたらとあたしはぼんやり思う。学園で生活している間は逃げ切れないので根本的な解決にはならないけれど、最低限の挨拶すらせずに済むのならその分だけ楽になれるのではないかと考えるようになってきたのだ。
けれど、実際は考えるだけで実行するなんてとてもできない。実家に迷惑がかかるから。パスキエ男爵家は吹けば飛ぶような家だ。オスレム侯爵家に対抗するなど無理すぎる。
あたしはため息をつきながらひたすら耐えるしかなかった。
新しい学期が始まって1ヵ月が過ぎた。あたしへのいじめは相変わらず続いていたけれど、それに少し慣れてくる。まったく嬉しくない耐性にため息をついた。
どうにか日々の生活と折り合いを付けようとしていたあたしは、ある日の放課後にエロディ様から呼び出される。今まであたしをいじめるとき以外は周囲に近づけさせもしなかったのに、わざわざ呼び出すなんておかしい。
でも、行かないという選択肢はなかった。もし行かないと後が怖い。いじめが更に悪化するのは確実だし、それ以上に何かあることも考えられた。わからないだけに想像だけが膨らんでゆく。
まるで鉛でできた靴を履いているかのような重い足取りであたしは光聖堂から賢静館へと戻った。エロディ様のお部屋は2階、今まで行ったことはないけれど場所は知っている。何かあったときに足を運ぶためだけれど、まさかこんなこんな形で役立つとは思わなかった。
入室を許可されたあたしはエロディ様のお部屋に入る。アドリーヌ様のお部屋ほどではないものの伯爵令嬢にふさわしい広さで、贅をこらした調度品に囲まれている。少なくともあたしの部屋とは段違いだ。
けれど、今のあたしは部屋の素晴らしさに感動する余裕はまったくない。奥で椅子に座っていらっしゃるエロディ様とその周囲の方々の笑顔を見て震え上がるばかり。一体何を言われるのだろう。
「エロディ様、ご機嫌麗しうございます」
「よく来たわね、デジレ。待っていたわよ」
処刑台に上がるときの気持ちはこんな感じなのだろうかとあたしは思った。エロディ様の前で立ち止まった後、足がかすかに震える。
「今日はね、あなたにとても良いお話をしようと思って呼んだのよ」
「良いお話、ですか?」
「そうなの。あなた、春にここへ来て以来、何かと不遇でしたでしょう? その立場を改善して差し上げようかと思うの。例えば、お勉強を教え合ったり、お茶会に誘ったり、ね」
話を聞いたあたしは呆然とした。春以来望んでいたことだ。つまり、仲間として認めてもらえるということ。
思わず口を開きそうになったあたしだったけれど、エロディ様と周囲の方の顔を見て思いとどまった。その笑顔は仲間に迎え入れようという温かいものではない。人を陥れようとしている悪い笑みだ。
立ちすくんでいるあたしから目を離したエロディ様が横に顔を向けられた。すると、側に立っていらっしゃったフェリシー様が言葉を引き継がれる。
「デジレ、あんたを仲間に迎えてあげるにあたって、やってほしいことがあるの。光聖堂の3階にシャンタルを呼び出して、階段の上から突き落とすのよ」
「え、突き落とす?」
「そうよ。あいつ、あたしたちのやることなすこと全部躱すから、思い切ったことをしないといけないのよね」
「でも、階段から突き落としたらシャンタル様は」
「だから何? あたしたちアドリーヌ様の集まりを散々コケにしたやつなんて、どうなろうが知ったことではないわ。大切なのは、あたしたちを今までバカにした報いを受けさせるということよ」
「フェリシー、言葉遣いが乱れていますわよ」
「申し訳ありません、エロディ様」
横から指摘を受けたフェリシー様が口元を押さえてエロディ様に頭を下げた。けれど、あたしはそれどころではない。恐ろしい要求を突き付けられて頭が真っ白になった。
階段から落ちるというのは大変なことだ。負傷するだけでなく、下手をすると死にかねない。普段何気なく使っている場所だが、事故が起きると大変危ない。
その危ないことをエロディ様とフェリシー様はあたしに求められた。周囲の方々も楽しそうに笑っている。自分たちに逆らう者の死を当たり前のように望んでいらっしゃった。
なぜこんな簡単に人の死を願えるのかあたしにはわからなかい。この半年ほどで妬むようなことは増えたけれど、死んでほしいとまで願ったことはなかった。
明らかにいじめの範囲を超えている。普通なら即座に断るべきことだ。でも、もしこれを断ったらどうなるだろうと考えてしまう。いじめがよりひどくならないかと不安になった。いえ、きっとひどくなる。
あたしはシャンタル様ではない。度々しかけられるいじめをことごとく躱すことなんでとても無理だ。しかも、いじめられても平気でいることもできない。
でも、だからといって階段から人を突き落として良いのか。悪いに決まっている。でも、それでも。
お部屋の中であたし以外の方々が楽しげにされる中、エロディ様が問いかけてこられる。
「引き受けてくれるわよね?」
震えるあたしはそのまま立ち尽くすばかりだった。




