崩れゆく派閥
お茶会の事件の後、月の末にエロディ様は実家へと帰られた。噂によると休学扱いらしいけれど、学園に復帰できるかどうかは怪しい。被害を受けた子女は全学年に及んでいるから完全にほとぼりを冷まそうとすると2年半は必要だ。けれど、それくらい待つのならばもう退学するのではと噂されている。
あたしとしてはジネットとの別れが残念だった。本当によく話しよく働いてくれた子だからだ。最後は思わぬ結果をもたらしてくれたけれども、頑張って動いてくれたことには変わりない。この先少しでも良いことがあることを祈るばかりだった。
一方のあたしはというと、実は今までになく快適に学園生活を送れていたりする。それまでは何かにつけていじめられていたのにあの事件以後はそれがほぼなくなったから。それはそうだろうと思う。エロディ様が学園を去られた後も派閥内では混乱が続いているので、あたしに構っている暇など他の方々にはない。孤立しているのは相変わらずだけれど、いじめられなくなったのは本当に心が安らぐ。
今から振り返ってみると、これがアドリーヌ様の派閥が崩壊する始まりだった。エロディ様は犯人扱いされているが疑問が残る状態で、だからといって真犯人を見つけられるような証拠もない。事件は終わって被害者の方々も復帰されたけれど、結局事の真相は不明なままなので派閥内に不信感が強く残った。
派閥の結束が揺らぐその様をあたしは逐一シャンタル様に報告し続けている。あの事件の起こりようには驚かれた様子だったけれど、その後の経過は望むものだったようなので近頃は機嫌が良い。
けれど、あたしにはひとつだけ気になることがどうしてもあった。これをはっきりとさせないと不安が残るのであるとき尋ねてみる。
「シャンタル様、もうあの小瓶を使うようなことはしなくても良いんですよね?」
「そうねぇ、たぶんしなくてもいいと思うわよ」
「たぶんですか」
「この先何が起きるかわからないじゃない。でも、薬を盛るようなことは頼まないんじゃないかなぁ。だって、今の派閥の中の様子だとお茶会なんて開けないでしょう?」
確かにその通りだった。何しろあれ以来派閥内ではお茶会が開かれていないからだ。そのため、お茶に薬を盛る機会そのものがない。その点は本当に嬉しかった。
相変わらず笑顔でいらっしゃるシャンタル様が更に話をされる。
「それにしても、嫌がらせなしで生活できるのって快適よねぇ!」
「シャンタル様へのいじめもなくなったんですか?」
「なくなったわよぉ。今はそれどころではないみたいね」
「今の生活がずっと続くと良いのですが」
「わたしもそう思うわ。でも、それも相手次第だから何とも言えないのが残念よねぇ」
困った表情を顔に浮かべたままシャンタル様が首を横に振られた。それを見たあたしは小さくため息をつく。いじめのなくなった生活を喜んでいるものの、いつ再開されるかわからない不安は常にある。本当に厄介だった。
秋から冬にかけてあたしは比較的安定した学園生活を送れていた。派閥内では息を潜めながら動き、使用人たちから話を集め、シャンタル様に内情を報告する。これの繰り返し。もしかしたらこのまま春まで終わるのではと期待していた。
けれど、派閥内では小さな出来事が起きるようになる。舞踏用の靴がなくなる、小物に傷が付けられる、壁に名前が落書きされるなどだ。
不思議に思いつつもあたしが派閥内の様子を窺っていると、その後も何か起きてある程度落ち着いてきたらまた何かが起きるということが繰り返される。初回の食中毒事件ほどではないにしろ、嫌なことがぽつりぽつりと続いた。
もちろんあたしはやっていない。シャンタル様からそんな指示を受けていないし、自発的にしようとすら思っていなかった。
誰がやったのかまったくわからず、証拠も一切残っていない。だから派閥内は再び混乱に陥った。いつの間にかお互いを疑い合い、派閥内の雰囲気が悪くなる。
あたしも誰がやったのかまったく確証はなかったけれど、こんなことができる人物がいるのかと考えると1人だけ思い当たった。でも、それを当人に確認する勇気はなかったのでついに問えずじまいに終わる。聞いたところでどうなるわけでもないし、何より怖かったから。助けてあげる。この言葉を信じてあたしは自分の役割に徹した。
派閥内の結束が綻びるのに合わせて今度は噂が流れてくる。誰が誰の悪口を言った、誰が誰を嫌っている、お茶会の犯人は実のところあの人ではないか、という話が方々で飛び交うようになった。これがまたお互いの疑心暗鬼を強くする。こうなるともう後は悪化するばかりだ。
いくら有力諸侯であるオスレム侯爵家のご令嬢が率いているとはいえ、いつ悲惨な目に遭うかわからない派閥になんて誰もいたくない。寄親寄子という関係が実家にあるにせよ、命とその身あっての物種だと思うのは当然だろう。
理由を付けて派閥の皆さんは互いに距離を置き始めた。最初の理由はちょっとした所用から始まり、授業での遅れを取り戻すため、あるいは体調不良などと主張して派閥の中心から離れてゆく。派閥の外に知り合いがいる場合はそちらに身を寄せる方も現れた。実家の都合があるので派閥を抜けることは難しくても、少しでも危険から遠ざかろうとする。
これに対して、アドリーヌ様もなんとかしようと硬軟合わせて子女たちに接せられていたけれど、効果は一時的でその求心力は衰えるばかりだった。こんな状況になると何でもいいからと掴みたくなるものだと思う。それであるいはあたしにも声がかかるかもしれないと緊張しながら様子を窺っていたところ、ついに呼ばれることはなかった。すっかり忘れ去られていたのか、それとも誇りが許さなかったのかはわからない。
ともかく、アドリーヌ様の派閥は日に日にその勢いを失っていった。これは冬期休暇に入る頃には誰の目にも明らかとなる。
だから、今でもアドリーヌ様の側に残っている子女は余程の事情がある方々だけだ。実家がオスレム侯爵家と近すぎるだとか、派閥に勢いがあった頃に調子に乗りすぎて周囲から嫌われすぎているとか、どうにもならない人たちばかりである。あのフェリシー様も残っている1人だ。
その点あたしも余程の事情がある側になるわけだけれど、心情としては一刻も早く離れたい。でも、シャンタル嬢との約束があるから残らざるを得なかった。相変わらず無視され続けていたけれど、見方を変えれば無視する以外の余裕などこの派閥にはない。自分のことで精一杯なのだ。
冬期休暇が終わると最後の学期が始まる。期間は約2ヵ月と3つの学期の中では最も短い。けれど、春先に催される卒園記念パーティーに向けての本格的な準備が始まるため、季節に反して子女たちが最も熱くなる時期でもあった。
在園生もこのパーティに参加できるので卒園生ほどではないにしろ、熱心に準備を進めるのが一般的だ。これを1年生と2年生で繰り返すことで卒園するときにその集大成を花開かせることができる。
もちろんあたしも去年のパーティに参加したけれど、誰に頼ることもできなかったので恥ずかしい結果となった。あのときに周囲の子女の様子を見て今年に活かすつもりではいるものの、2ヵ月後はそれどころではないかもしれない。この調子では卒園のときも期待できないかもしれないと内心でため息をつく。
普通に学園生活を過ごせている人を羨ましく思いながら、あたしは今日も周囲に聞き耳を立てた。最近は派閥外でも話を聞く必要に迫られている。
学園内の子女は噂好きなので常に何かしらの噂を話していた。ただし、噂である以上は自分の身に危険が及ばないものばかりだ。余計なことを話していると聞きつけられて身を滅ぼすほど子女も愚かではない。
見方を変えると、子女が一般的に話をしている内容はどれも安全で、話をしていない事柄は危険だということになる。絶対ではないが、基本的には大体そうだ。つまり、今現在子女が話題にしているということは、それを話しても安全であるということになる。
この頃になると派閥の外ではアドリーヌ様に関する真偽不明の噂が多数出回っていた。下世話な話、ありそうでない話、それに事実が混じっている話など色々だ。講義室や廊下で子女たちの雑談に聞き耳を立てるとたまにそんな話が聞こえてきた。
そんな噂話のひとつに荒唐無稽なものがあった。アドリーヌ様とその派閥の皆さんは呪われているというものだ。呪いをかける相手は、オスレム侯爵家に陥れられた貴族家の子女だったり敵対貴族が召喚した悪魔だったりと様々である。
例のお茶会の事件より前だったらこんな話はたとえ噂であっても絶対に出回らなかった。知られたら話をしているというだけで制裁を受けかねなかったからだ。けれど、今や大っぴらにそんな噂話をあちこちで耳にする。
これはつまり、アドリーヌ様の派閥の勢力が相当弱まってきている証拠だった。現にアドリーヌ様もその取り巻きの皆さんもまったく動く気配がない。あの盛んにあたしをいじめていたフェリシー様も近頃はおとなしくしていらっしゃる。
往時の勢いがあった頃に比べると何とも寂しい姿だ。いじめられていたあたしにとっては派閥の力が衰えてくれてむしろ嬉しいけれど、アドリーヌ様たちは相当悔しい思いをされている。
そんなことを考えているうちに卒園記念パーティーが開催される日が近づいて来た。




