お茶会での惨事
薬の入った小瓶をジネットに手渡して数日が過ぎた。今朝もいつも通り光聖堂へと向かう。最初の講義は詩歌だ。1年の終わりにやっと慣れてきたけれど、2年になって更に難しくなってしまい、結局苦戦している授業でもある。
講義室に入るとあたしはいつも座っている辺りの席へと向かった。周囲でおしゃべりをしている子女たちの声が今朝はいつもより大きい。聞き耳を立てなくても聞こえる。昨日の事件についてだ。
貴族子女にとってのお茶会とはただの趣味ではない。それは友人であることを確認する場であり、結束を固める儀式であり、人脈を広げるための機会である。そのため、お茶会に呼ばれる呼ばれない、出席するしないには重要な意味があった。些細なことで人間関係に致命的な罅が入ることも珍しくない。
そんなお茶会は学園内で頻繁に行われていた。賢静館の自室や敷地の北側にある庭園、他にも食堂である健体堂でも子女の集まりはよく見かける。たとえどんなに仲の悪い子女が参加しているお茶会が気にくわなくても、邪魔することはご法度だ。
アドリーヌ様の派閥でもこのお茶会はよく開かれている。アドリーヌ様ご本人が参加される最上のお茶会から個人が開く小さなものまで多数い。集団の結束を固めるためや情報交換、それに単純に人とおしゃべりしたいからなど理由は様々だ。
そして昨日の夕方、賢静館の北側にある庭園でエロディ様がお茶会を主催された。定期的に開く自分の傘下を集めたものではなく、派閥全体から広く参加を募ったものだ。不定期ではあるものの、たまに開催されているので珍しくもないお茶会である。
このお茶会で参加者の大半が不調を訴え、次々と倒れた。多くの子女が嘔吐や下痢に見舞われたらしい。それはもう阿鼻叫喚の地獄絵図だったらしく、周辺で同じようにお茶会を開いていた子女たちが騒ぎに騒いだそうだ。
派閥内でお茶会に呼ばれたことがないあたしはもちろん、アドリーヌ様もこのお茶会には参加されていなかった。けれど、割と多くの子女が派閥内から参加していたから学園中でそれはもう大変な噂になる。何しろ、主催者以外が全員倒れてしまったのだから。
何食わぬ顔をして周囲の話を聞いていたあたしは内心で真っ青になっていた。思い描いていた内容と実際の結果がまったく異なるからだ。予定ではエロディ様にだけ薬を盛ってもらうはずだったのに、現実はエロディ様以外の子女が被害に遭われている。
どうしてこうなったのかあたしにはさっぱりわからなかった。使用人のジネットにはエロディ様に仕返しをすると伝えていたはず。それがなぜこんなことに。
翌日の夕方、あたしは再びジネットと倉庫の裏側で会った。何とも言えない表情をしていたあたしだったが、青い顔をしてやって来たジネットを見て何かあったことを悟る。
「ジネット、顔色が随分と悪いけれど、原因は例のお茶会ね?」
「はい」
「あたしはエロディ様のお茶に薬を入れると思っていたけれど、どうしてエロディ様以外のお茶に入れたの?」
「エロディ様のカップに淹れるお茶だけに薬を入れるつもりだったんですが、当日になってエロディ様のお茶は侍女の方が仕切ることになったから入れられなくなったんです」
「その理由だけだと、他の方々のお茶にあの薬が入る理由が抜けているわね?」
「それが、あの日お茶の準備をする前に突然身体検査をすると伝えられて、とっさに近くの作業台に小瓶を置いたんです。それで、検査が終わってその場所を見たら小瓶がなくなっていて、すぐに作業をしなくちゃいけなかったから探せなかったんです」
理由を聞いたあたしは目眩がした。無理に頼んだあたしにジネットを責める資格はない。しかも抜き打ちの身体検査があったとなると尚更だ。完全に事故としか言いようがない。
大きなため息をついたあたしはジネットに尋ねる。
「結局、小瓶は見つからなかったの?」
「あのお茶会の後、準備に使われた厨房や部屋が調べられたんですけど、そのときに不審な小瓶が見つかったという話を聞きました。恐らくそれがあれだと思います」
「一体どこに紛れていたのかしら?」
「どうもお茶の香り付けに使う小瓶類に紛れていたらしいです。本来当日に使うはずだった小瓶とそっくりだって聞きました」
「ああ、それで」
膝から崩れ落ちそうになったあたしは何とか踏ん張って耐えた。予想もしていなかった事態に何を言って良いのかわからない。
しばらく2人して倉庫の裏側で立ち尽くした。しかし、聞かなければならないことをひとつだけ頭に浮かんだ。すぐにあたしはジネットに尋ねる。
「念のために確認するけれど、あなたがその小瓶を持ち込んだことは気付かれていないのよね?」
「大丈夫だと思います。最初は真っ先にあたしが疑われましたけど、あれはとりあえず仲間はずれにしているあたしを犯人にしたかっただけですから。その後、証拠が見つからなかったんで平気です」
「そんな状態でよく無罪放免になったわね」
「身体検査で引っかからなかったからですよ。検査した人があたしをよくいじめている人だったんで、あたしが犯人だったらその人も罪を問われかねなかったから深く追求されなかったんです」
「危なかったわね。でもそうなると、今はどうなっているの?」
「犯人捜しは今も続いていますが、まだ見つかっていません。作業台の上にあった小瓶を片付けた人が名乗り出ていないから、たぶんこのまま有耶無耶になると思います」
「こんな状態で名乗り出たら犯人扱いされるでしょうからね」
とりあえず最悪の事態は避けられたことにあたしは胸をなで下ろした。それはジネットも同じで少しふらついている。これ以上ここで話を続けると倒れそうに見えたので、あたしはこの日の会合を早めに打ち切った。
あたしがジネットとお茶会で起きた事件の話をした前後のアドリーヌ様の派閥は大混乱に陥っていた。何しろ派閥内で有力なご令嬢であるエロディ様のお茶会で大惨事が起きたからだ。倒れた方々は10人以上、大半がエロディ様に従う子女ばかりだったけれど、中には派閥内の別の小集団の子女も何人かいらっしゃった。
被害を受けた方々は数日が過ぎた現在も部屋で寝込んでいらっしゃる。これはジネット以外の使用人から聞いた話だ。薬の影響はもうないそうだけれど、心の方に問題があってまだ外に出られないらしい。中にはカップに入ったお茶を飲むのを怖がる方もいるとか。
話を聞いたあたしは胸が痛む。本来狙った方々ではないからだ。けれど、よく考えてみればそこまで申し訳なく思う必要もないのではないかと考え直した。手違いで被害に遭われた方たちもあたしをいじめていたのだから何かしらの報いを受けてもおかしくはないと思う。
ただ、ジネットについては本当に申し訳ないと強く感じた。エロディ様の使用人なので他のご令嬢とは無関係だ。それなのに結果的に雇い主以外の方々を害させてしまった。ある意味あたし以上に傷付いているはずなので、今後は特に慰めないといけない。
更に数日が過ぎると学園全体でこの話は徐々に消え始めた。結構な大事件ではあったけれど、事件に無関係な子弟子女にとっては他人事でしかない。新しい話題があればそちらに目が向くのは当然だ。
ところが、アドリーヌ様の派閥の中ではそうもいかなかった。有力な取り巻きであるエロディ様のお茶会で毒を盛られた子女たちが倒れた事件の影響は今も強い。何しろ内々のお茶会で起きたので迂闊にお茶会に参加できなくなったからだ。
しかもこれにはひとつの噂話がつきまとうことになる。エロディ様がアドリーヌ様の他の取り巻きに毒を盛ろうとしたという噂だ。自分以外の子女を蹴落として派閥内での立場を固めようとしたと囁かれているのである。何しろエロディ様ご本人は無事だったから。
当然エロディ様は噂を否定された。あれは単に親睦を深めるお茶会だったと。その主張はあたしとジネットなら事実だと知っているので信じられる。けれど、他の方々はそうではなかった。薬の入った小瓶を既に処分してしまっていたことも更に疑われる一因となる。
仲間から信用してもらえなくなったエロディ様は塞ぎ込まれてしまった。事件の起きた数日後に一時期授業に出られたけれど周囲の目に耐えられず、すぐに部屋に引きこもられてしまう。
それと、これが最も重要なことだけれど、あたしに疑いの目が向けられないようにかなり気を配った。こういうときはとりあえず犯人を見つけて安心したいという心理になるため、ジネットが真っ先に疑われたように派閥内でいじめられているあたしが疑われる可能性は充分にあるからだ。実際に犯人なのだからその疑いは正しいんだけれど、だからといって疑われるわけにはいかない。
派閥内の様子を窺っていたあたしはしばらくして大丈夫そうだと一安心した。派閥内が大混乱に陥ってあたしにまで目を向ける余裕がなさそうだからだ。また、去年の階段の一件であたしは愚鈍な子女扱いされていたため、このような大それたことができるとは思われていないことも疑われずに済んだ一因となる。
こうしてアドリーヌ様の派閥は大きく揺らぐことになった。その表向きの中心となったエロディ様は自室にこもり続けられていたけれど、ついにその月の末に実家へと戻られることになる。一旦領地に帰して療養させるべきとご両親が判断されたらしい。
あたしはこれをジネットから聞かされた。いつものように倉庫の裏側で会ったときにである。そして、もうひとつ重要なことを伝えられた。それは会話の最後に告げられる。
「お話できることはこれくらいですね。あ、それと、デジレ様とお目にかかるのはこれで最後になると思います」
「エロディ様が実家に帰られるから仕方ないわよね」
「最初は休学後に備えて賢静館のお部屋に残る案もあったそうですが、その居残り組の同僚に嫌がられてその案は消えてなくなっちゃったんです」
「それはまぁ」
「ですから、これでお別れです」
「今まで色々とお話を聞かせてくれてありがとう。そして、あの件は本当にごめんなさい」
「もういいです。それでは」
お礼と謝罪をしたあたしに少し困った顔を向けたジネットは一礼すると倉庫の裏側から立ち去った。これがこの使用人を見た最後のときとなる。
数日後、エロディ様は実家であるバロー伯爵領へと帰られた。




