第3章 第3話「穴」
翌日、私たちはまた、ナタリの私室に集まった。
残りの三柱のことだった。
世界には六つの神がいる。私たちが声を聞いたのはそのうちの三つ。賢者の神。契約の神。戦の神。残りは三つ。力の神。導きの神。造りの神。その三柱の点をナタリの記録から、探すことに、なった。
けれど、ナタリは首を振った。
「これがね、穴なのよ」
彼女は帳面の後ろのほうの頁を、開いた。さっきまでのびっしりと書き込まれた、頁とは、違った。空白が目立った。書きかけで、止まっている、記録。
「残りの三柱はわたしの記録でも、すかすか、なの。集めたくても、点が集まらない」
「なぜ、ですか」
私が訊くとナタリは肩をすくめた。
「ここがどこか、忘れた? ——聖都ヴェスナヤ。流れの神のお膝元よ」
私ははっとした。
聖都に着いたときから、引っかかって、いたこと。丘の上の総本山。六つの神殿のまんなかにただ一柱、流れの神だけが据えられて、いた。ほかの五柱はその外側に低く。同じ、六柱なのに序列がある。なぜ、と私は帳面に点を打った。
聖都へ登る、参道でも、そうだった。巡礼たちは流れの神の話ばかりをしていた。ほかの五柱の名はほとんど、口に上らなかった。あのときも、私はなぜ、と書いた。
その二つの点がいま、ナタリの口から、線になった。
「この国は流れの神の国なの」
ナタリは、言った。
「みんな、流れの神をいちばん、熱心に祀る。流れの神の声の記録は山ほど、ある。でも、ほかの神様の観測例は偏ってて、少ないの。力の神なんて、この国じゃほとんど、祀られてない。だから、わたしの手元にはその三柱の点が足りない」
観測が、偏っている。一つの神に、人が集まれば、その神の記録ばかりが増える。ほかの神の点は薄くなる。聖都の序列も、参道の偏りも、ぜんぶ同じ一つのことの現れだったのだ。流れの神に偏った、国。だから、ここでは残りの三柱の姿が見えにくい。
「点は、打つ場所が偏ると線を見誤る」
私は思わず、呟いた。前の世で、何度も、味わったことだった。都合のいいところでしか、測らなければ世界は歪んで、見える。データは嘘をつかない。けれど、データを集める場所が偏っていれば嘘をつかないまま、人を欺く。ナタリが私を見て、にやりとした。
「そういうこと。さすが、向こうの人ね」
ファルが首を傾げて、私を見た。
「テオ兄。それって——聖都に着いた、ときに帳面に書いてた、やつですか。神殿のまんなかにひとつの神様だけ、いるのはなぜ、って」
私は頷いた。ファルは私の帳面をいつも、横から、覗いている。あのときの点を覚えていたのだ。
「そうだ。あの序列も。街道で、巡礼が流れの神の話ばかり、していたのも。——ぜんぶ、繋がっていた。この国がひとつの神に偏っているという、一つのことに」
アスリさんが低く、言った。
「北ではこうはならん。氏族ごとに祀る神が違う。戦の神も、いれば海の神も、いる。——ひとつの神にみなが集まるというのは私には奇妙に見える」
土地が違えば、神の祀られ方も、違う。アスリさんのその一言はそれ自体がひとつの点だった。北は偏って、いない。ルシアは偏っている。ならば、残りの三柱を見るにはルシアの外へ出るしか、ない。話は自然とそこへ向かった。
「だから、外に出たいの」
ナタリの声が少し、変わった。軽さの奥から、本気が覗いた。
「わたしはずっとここで、神様を観察してきた。でも、この国にいる限り流れの神の点しか、集まらない。残りの五柱をちゃんと見るには——いろんな、土地を回らなきゃ、ならない。いろんな、神のお膝元を」
彼女は帳面の上に手を、置いた。
「それにね。わたしの報告は上には届かなかった。神殿の偉い人たちに何度も、出したわ。神々の観測例がおかしい、調べさせてほしい、って。——黙殺よ。神を量るのは信仰じゃ、ない。兄さんと同じことを言われて、おしまい」
壁際で、イーゴリがわずかに目を伏せた。
「だから、あなたたちが来たとき、嬉しかった。あなたたちは旅をしてる。いろんな、土地のいろんな、神のお膝元を通る。——あなたたちと行けば、わたしは観察を実地で、できる。机の上じゃ、なくて」
それは合流の申し出だった。けれど、運命のような、言い方ではなかった。実利だった。あなたたちと行けば、わたしの観察が進む。それだけ。だからこそ、私には信じられた。神が結びつけた縁です、と言われるより、ずっと。
「神殿は、お前を手放さんぞ」
イーゴリが低く、言った。
「循環の家の娘が異教の旅団と神を量る旅に、出る。上が許すものか」
「許させるわ。手は、あるもの」
ナタリは軽く、言った。それが何の手なのかは言わなかった。けれど、その自信には何か、裏づけがあるように見えた。兄はそれ以上、言わなかった。妹のその顔をよく、知っているという、退き方だった。
私はその兄妹を見て、思った。イーゴリは妹のやり方を認めて、いない。神を量るのは信仰ではない、と信じている。それでも、彼は妹を止めきれずにいる。止めたくない、のかも、しれなかった。神を試練と読む、兄と異変と読む、妹。どちらが正しいのか、まだ誰にも、分からない。だからこそ、兄は妹を完全には否定できない。否定する、根拠も、またないからだ。
それは私たちにとっても、同じだった。三つの声は揃った。けれど、それを神々の異変だと断じる証拠はまだ、ない。試練だ、という、読み方を覆すものも。私たちはまだ、誰も、断定できない夜のただなかにいた。
「ねえ、テオ」
ナタリが私を呼んだ。
「あなたも、感じてるんでしょ。三つだけじゃ、足りないって。——気持ち悪いわよね。半分しか、見えてないのに答えだけ、先に欲しくなる」
図星だった。私は頷くしか、なかった。半分のデータで、結論に飛びつきたくなる。その誘惑をこらえるのがいちばん、難しい。観察する者のいちばんの敵は早く答えが欲しい、という、自分の心だ。
その夜、私は宿で、帳面を開いた。
今日までのことを書きつけた。
賢者の神。痩せていく、声。契約の神。分裂する、声。戦の神。短くなった、声。三つの神の点がナタリの記録と私たちの体感で、繋がった。これは確かな、線だった。
けれど、その横に私は書いた。
——残りの三柱は穴。
力の神。導きの神。造りの神。この三柱の点がない。ナタリの記録でも、私たちの体感でも。聖都が流れの神に偏っているから。
三つは揃った。三つは足りない。世界の半分しか、私たちは見て、いない。半分だけ、見て、神々はこうだと決めるのは——点の打ち方が偏った者の見誤りと同じだ。イーゴリの言う、試練という読み方を覆すにも覆せないにもまず残りの半分を見なければ、ならない。
筆を止めて、私は暗い、天井を見上げた。
突合できたのは三柱。
残りの三柱はデータに穴がある。
その穴は——どこで、埋まるのだろう。




