第1章 第2話「六つの、序列」
翌朝、私たちは丘に登った。
河港から頂まで、一本の広い道がまっすぐ続いていた。
参道だ、と巡礼たちは呼んでいた。丘のいちばん高い神殿から川の港まで、都を南北に貫いている。緩やかに上り、緩やかに曲がりながら、頂を目指す。
道幅は広かった。馬車が三台並んで通れそうだった。石が丁寧に敷き詰められ、長い年月の無数の足に磨かれて艶を帯びていた。祭りの日には、ここを大勢で練り歩くのだろう。普段の朝でも、巡礼の流れは絶えなかった。
杖を突いた老人、子を背負った女、神学生らしい若者。皆、同じ方向へ登っていく。私たちも、その流れに混じった。坂は見た目より長かった。登るほどに、港の喧騒が後ろへ遠ざかり、鐘の音が頭の上へ近づいてきた。
巡礼たちは登りながら、低く祈りの詩を口ずさんでいた。同じ節を何度も。意味は分からなかったが、繰り返されるその響きは、足の運びと合っていた。一歩ごとに一節。坂を登ること自体が、祈りになっているらしかった。
道のところどころに、小さな水盤が据えられていた。巡礼はそこで足を止め、指を水に浸して額に当てた。流れの神の水だ。昨日宿で老女に直された、あの額の前で手を組む所作を、私は今日は間違えなかった。指を水に浸し、額に当て、緩やかに頭を垂れる。ファルも見よう見まねで続いた。アスリさんは軽く頭を下げるに留めた。
水は冷たかった。額に当てると、登りで火照った肌に心地よかった。理屈で言えばただの水だ。けれどその冷たさは、なぜか気持ちを静めた。作法には、作法の効き目があるのかもしれなかった。
「この道を」
ファルがすれ違った巡礼の言葉を切れ切れに拾って訳した。
「循環の道、と呼ぶそうです。流れの神が巡って、また戻る。その巡りを道で表しているんだとか」
水は港から丘へは流れない。けれど人は流れる。港から丘へ登り、祈って、また港へ降りる。それを神の巡りになぞらえているのだ。理屈ではなく、信心のなぞらえ方だった。私にはまだ馴染まない考え方だった。けれど、その馴染まなさが面白くもあった。世界には私の知らない、世界の捉え方がいくつもある。それを知るために、私は旅に出たのだ。
二つ目の輪を抜け、いちばん奥の門をくぐった。
丘の頂は、聖域だった。
そこで私は、足を止めた。
金の屋根が、近くで見るとひとつではなかった。いくつもあった。広い円い広場を囲むように、神殿が立ち並んでいた。
数えると、六つあった。
六つの神。私の故郷でも、北の地でも、砂の都でも、人々が祀る神は同じ六柱だった。賢者の神、戦の神、契約の神、大地の神、創造の神、そして流れの神。世界じゅうで同じ六柱が祀られている。それはどこへ旅しても変わらない、はずだった。
けれど、ここの六つの神殿は、横に並んではいなかった。
ひとつだけ、真ん中にあった。
円い広場の中央に、いちばん大きな神殿が建っていた。金の屋根がほかの五つより一回り大きい。塔も高い。その神殿を囲むように、残りの五つの神殿が外側に並んでいた。一段、低く。
中央の大きな神殿が、流れの神——循環の神のものだった。
広場には巡礼が満ちていた。けれど、その流れはまず中央の大きな神殿へ向かっていた。外周の五つの神殿は、参る者がまばらだった。賢者の神殿の前など、私たちのほかには数えるほどしか人がいなかった。人々の足は自然と、真ん中の流れの神へ吸い寄せられていく。誰に命じられたわけでもなさそうだった。ただ、そういうものだという顔で、皆、中央へ登っていった。
私は、それを見て奇妙な感じがした。
故郷の大神殿では、六柱の神像は六角に対等に並んでいた。どの神も同じ高さ、同じ大きさ。賢者神が上でも下でもなかった。あの儀の日に、私が賢者の声を聞いたあの場所でも、六柱は肩を並べていた。神々に上下はない。それが私の知っている六柱の形だった。
ここでは違った。ひとつの神が真ん中にいて、高く、大きく。ほかの五柱がそれを囲んで、低く。同じ六柱のはずなのに。
なぜ、だろう。
私は外周の神殿を順に見て回った。
賢者の神殿は北にあった。白い壁。書を抱えた立像。けれど、像に刻まれた星の紋様が薄れて、ほとんど見えなくなっていた。隣には神学を学ぶ者の建物があるらしく、若い神官たちが書物を抱えて出入りしていた。
西には戦の神殿があった。磨かれた青鋼の立像。六柱の中でいちばん人間らしい表情をしていた。その傍に、武具を帯びた屈強な男たちの姿があった。街では見なかった武の人々だ。
「聖騎士団だろう」
アスリさんが低く言った。武具を商う店は街になかった。けれど武の人々はいた。丘の上の、戦の神の傍に。剣を負った人はその姿をしばらく見ていた。同じ剣を生きる者として、何かを感じているようだった。
契約の神殿には銀色の像があった。いくつもの輪が重なった意匠。その輪のひとつに、細い亀裂が走っていた。創造の神殿は黒い鉄と鈍い銀の渋い色で、台座に細かな歯車の細工が彫られていた。
東の大地の神殿は、いちばん古かった。苔の生えた灰色の座像。顔の輪郭が長い年月で削れて、のっぺりとしていた。誰の顔か、もう分からなかった。
「ファル。お前は、どう思う」
私は訊いた。隣で同じ広場を見回している少年に。
ファルは首を傾げた。
「うーん……どの神殿も立派です。でも」
シェフを抱え直して。
「真ん中の神殿の前だけ人がいっぱいで。賢者の神殿の前は僕たちだけでしたね。なんだか人気の差があるみたいで」
素朴な言い方だった。けれど私が序列と呼びかけたものを、ファルは人の集まり方で言い当てていた。
「賑わいの差だろう」
アスリさんが短く言った。
「北では戦の神に人が集まる。土地が変われば、篤く祀る神も変わる。それだけではないのか」
それも、ひとつの見方だった。土地ごとに篤く祀る神が違う。珍しいことではない。けれど、と私は思った。賑わいの差なら分かる。人がどの神に多く祈るか。それは土地の習いだ。だが、神殿の大きさそのものを変え、ひとつを中央に据えるのは、賑わいとは別のことだ。建てるとき、誰かがすでに六柱に順をつけていた。賑わいが序列を生んだのか。序列が賑わいを生んだのか。鶏と卵だ。けれどどちらにせよ、その順はいつか誰かが最初につけたはずだった。
故郷の神像も古かった。北の神殿の像も素朴で簡素だった。古いこと、それ自体は珍しくなかった。世界じゅうの神像が長い年月を経て古びている。それはただ、時のしわざだ。
私が引っかかったのは、古さではなかった。
序列だった。
同じ六柱を祀りながら、ひとつの神を中央に頂き、ほかを外に置く。なぜ、この国の人々は六柱を対等に並べないのか。なぜ流れの神だけが真ん中にいるのか。
私は帳面を開いて、一行書いた。
——同じ六柱。なのに、ここでは序列がある。なぜ。
点を打った。昨日宿で書こうとして書けなかった、最初の一点だ。
南へ下る街道で、巡礼たちが流れの神の話ばかりをしていた。あの偏りが、ここで目に見える形になっていた。都の真ん中に流れの神を据える。それは信心の形であると同時に、何かの答えのようにも見えた。誰かがいつか六柱に順をつけた。対等だったものに上と下をつけた。なぜそうしたのか。何が、それを必要とさせたのか。
けれど、その答えが何の答えなのかは、まだ分からなかった。確かなことは何もない。私はただ点を打った。深追いはしなかった。問いは書いておけば、いつか線になる。それが私のやり方だった。
「テオ兄は」
ファルが私の手元を覗いて言った。
「いつもそうやって書きますね。何か引っかかると」
「これしかできないからな」
私は帳面を閉じた。剣も振れない。獣も呼べない。私にできるのは、見て、考えて、書くことだけだ。それで世界の形を少しずつ写し取っていく。
参拝には、手続きが要った。
総本山に正式に参るには、神官団への取り次ぎが要るのだという。とりわけ私たちのような異国のよそ者は、誰かの口添えがなければ奥へは進めない。
巡礼宿の老女が教えてくれた。流れの神に仕える古い神官の家があって、その家の者に頼むのが筋だという。総本山にいちばん近い家。家系ごと流れの神に仕えてきた古い家。
「循環の家、と呼ばれているそうです」
ファルが訳した。
その家の若い書記が、取り次ぎの役をしているらしい。私たちはその書記に会いに行くことになった。
私はもう一度、中央の大きな神殿を見上げた。金の屋根が昼の光を跳ね返していた。一段高いところから五柱を見下ろすように、流れの神はそこにいた。
同じ六柱なのに、なぜ序列があるのか。その問いを抱えたまま、私は取り次ぎの書記のもとへ向かった。問いの答えに近いところに、その書記はいるような気が、なぜか、していた。




