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第11章 第2話「古い、剣の歌」

その夜、大広間に、火が、満ちた。


中央の炉に、薪が、惜しげもなく、くべられ、炎が、屋根の穴へ、立ち上っていた。


長い卓に、干した鱈と、麦のパンと、湯気の立つ鍋が、並んだ。角杯に、蜜の酒が、注がれていった。


一族が、揃っていた。


アストリッドさんは、いつもの、戦士服では、なかった。


青と、銀の、儀礼用のローブを、まとっていた。胸に、氏族の紋。肩には、母の手になるらしい、ルーンの刺繍の布が、掛かっていた。火に、銀の糸が、低く、光った。剣を、帯びていない彼女を、私は、初めて、見た。


炉の、上座に、一人の、男が、座っていた。


大きな男だった。


エイリークさんよりも、なお、肩幅が広く、白いものの混じった髪を、後ろで、束ねていた。何も、語らず、ただ、火を、見ていた。けれど、その場の、重心が、明らかに、その男の、ところに、あった。


「父だ。シグルド・ハーヴィン」


アストリッドさんが、言った。


シグルドさんは、ゆっくりと、私のほうへ、顔を、向けた。


その目が、私を、上から下まで、ひと撫でした。娘と、同じ、量り方だった。


「倉を、動かした、客人か」


低く、短い、声だった。


牧の一件は、もう、耳に、入っているらしい。それきり、彼は、また、火に、目を、戻した。言葉は、それだけだった。


座が、少し、ほぐれた。


「親父、いきなり、そりゃ、ないだろ」


エイリークさんが、笑いながら、角杯を、傾けた。


トルヴェが、卓の下から、シェフを、覗き込んでいた。


「テオ兄ちゃん、この猫、肉、食べる?」


シェフが、その視線に、気づいて、ファルの、外套の襟へ、もぐり込んだ。ファルが、慌てて、襟ごと、抱え直した。シェフの片耳だけが、つんと、出た。


トルヴェが、声を、上げて、笑った。


食事が、半ばを、過ぎた頃、アストリッドさんが、私のほうを、見た。


「父に、話せ。——私に、話した、通りに」


私は、姿勢を、正した。


シグルドさんが、火から、目を、上げた。


「祖父たちが、半世紀前に、書きかけた、問いを、追っています。世界には、六つの、異なる知が、ある。それが、揃わねば、見えないものがある、と」


「私が、持っているのは、その、ひとつだけです。残りを、訪ねて、歩いています」


シグルドさんは、黙って、聞いていた。


「その、ひとつが、ここに、あると、思いました。剣で、神に、近づく知。——ハーヴィン氏族には、古い、剣歌が、伝わっていると、聞きました」


私は、息を、ついで、続けた。


「魔剣士は、均衡を、保つ者。——そういう、古い、言い回しの、源を、知りたいのです」


剣で、人を、斬る、その業が、なぜ、均衡という、静かな、言葉と、結びつくのか。私は、それを、ずっと、解けずに、いた。剣を、振れない、私には、その、入り口さえ、見えなかった。


火が、爆ぜた。


シグルドさんは、何も、言わなかった。ただ、その沈黙は、拒む沈黙では、なかった。聞いた言葉を、内で、量っている、沈黙だった。


代わりに、口を、開いたのは、炉の、傍の、イングリッドさんだった。


「古い、歌なら、ある」


声が、低く、節のように、流れた。


「わたしの、母の、そのまた母から。——誰も、意味を、問わずに、ただ、歌い継いできた、歌だよ」


イングリッドさんは、立って、奥へ、行き、古い、写しを、抱えて、戻ってきた。


革の、表紙は、擦り切れていた。彼女は、それを、膝の上で、開いて、火の、明かりに、かざした。


そして、低く、歌い始めた。


大広間の、ざわめきが、静まった。


エイリークさんも、トルヴェも、口を、つぐんだ。古い、節だった。聞き慣れない、古語が、いくつも、混じっていた。


戦と均衡の神に、仕えし、六なる者


六なる者の、手によりて、剣もまた、研がれよ


海の彼方より、来たる魂と、東の山より、来たる魂


私の、息は、最初の、一節で、止まっていた。


歌は、ゆっくりと、流れていった。


火の、爆ぜる音だけが、その節の、合間に、混じった。


けれど、私の、耳は、もう、節を、追っていなかった。


六なる者。その、四文字が、頭の、奥で、響いていた。


故郷の、書庫だった。


古い、書物の、片隅で、その言葉を、初めて、見た。意味は、分からなかった。ただ、なぜか、目が、留まった。


それから、南の、海の、ほとり。


薄暗い、文書館で、白い衣の、老婦人が、机の上に、ひとつの、石の欠片を、置いた。風化して、ほとんど、消えかけた、刻みの中に、辛うじて、読める、連なりが、あった。


六なる者の、手によりて……


そして、いま。北の、果ての、長家で、同じ、言葉が、歌に、なって、流れている。


同じ、言葉が、三たび。


——いや。言葉だけでは、ない。


書物と、石と、歌は、同じ、言葉。そして、砂の、都の、井戸の、下で、祖父たちの、残した、問いは、同じ、数。六つの、知が、揃わねば、と。


それぞれは、ばらばらの、点だった。


別の、国で。別の、年に。別の、人の、口から、聞いた。だから、私は、それを、別々の、ものとして、帳面に、書き留めてきた。


私は、帳面を、開いた。


そして、聞こえたままの、節を、書き取ろうとした。


けれど、手が、震えて、文字が、乱れた。


歌が、終わった。


イングリッドさんが、写しを、静かに、閉じた。


しばらく、誰も、口を、開かなかった。


「この歌は——いまも、祭祀で、歌われるのですか」


私は、ようやく、声を、絞り出した。


イングリッドさんは、火を、見ながら、少しのあいだ、黙った。


「年に、一度。神に、剣を、捧げる、祭りで。——けれど」


彼女の、声が、一度、途切れた。


「近頃、その、祭りの、最中に。——ハーヴィンの、女たちが、口々に、言うのだよ。神の、声が、遠い、と。前は、もっと、近くで、聞こえた、気がする、と」


屋根の穴を、抜ける、風の音が、やけに、近く、聞こえた。


けれど、イングリッドさんは、すぐに、首を、振った。


「いや。——古い、人間の、感覚の、話だよ。年を、取れば、耳も、遠くなる。それだけの、ことだろう」


彼女は、自分の、言葉を、自分で、畳んだ。


私は、ただ、頷いた。けれど、帳面の、上で、指が、止まっていた。


アストリッドさんの、手が、膝の上で、一度、動いた。


剣を、帯びていない、その手は、柄の、代わりを、探すように、開いて、閉じた。けれど、言葉は、出てこなかった。


それを、見ていたのは、ヒルダさんだった。


「言え、アストリッド」


老女は、肩を、揺らして、笑った。けれど、その目は、笑っていなかった。


「お前の、夢の、話だ。——客人は、笑わぬ。わしが、保証する」


アストリッドさんが、火を、見つめたまま、動かなかった。


それから、低い声で、口を、開いた。


「この、三年——夢の中で、誰かが、私を、呼ぶ」


私は、息を、詰めた。


「剣を、握れ、と。——声は、途切れがちで、何を、言いたいのかは、分からない。目が、覚めると、いつも、半分しか、覚えていない」


彼女は、一度、言葉を、切った。


「氏族の、年寄りは、言う。——夢の声は、先祖の声だと。剣に、宿った、祖先の、魂が、お前を、呼んでいるのだと。私も、そう、思ってきた」


それは、彼女の、信じてきた、ことだった。


私には、それを、否む言葉も、肯う言葉も、なかった。


「姉ちゃん——こわい、夢?」


トルヴェが、不安げに、姉を、見上げた。


アストリッドさんが、わずかに、目元を、緩めた。


「いや。怖くは、ない。——ただ、遠い、夢だ」


トルヴェが、ほっと、したように、シェフのほうへ、向き直った。座が、ひと息、ゆるんだ。


アストリッドさんも、肩から、わずかに、力を、抜いた。長く、抱えていたものを、ようやく、卓の上に、置いた——そんな、息の、吐き方だった。


私は、しばらく、言葉を、探していた。


軽々しく、結びつけてはいけない。彼女の、信じてきたものを、外から、訂正する権利も、私には、ない。


「アストリッドさん」


私は、慎重に、口を、開いた。


「あなたの、夢と、私が、旅で、聞いてきたものが、——同じ、何かの、別の、側面なのか。私には、まだ、分かりません」


火が、低く、燃えた。


「ただ、私も、同じ、問いを、追って、ここまで、来ました。それだけは、確かです」


アストリッドさんは、答えなかった。


ただ、火を、見ていた。長いあいだ、見ていた。


「……剣を、振るう、場所は」


ほとんど、独り言のような、声だった。


「氏族の、中だけでは、ないのかも、しれん」


それは、誰にも、向けていない、言葉だった。


火に、向かって、こぼれた、半分の、つぶやきだった。誰も、それに、答えなかった。答える、ものでも、なかった。


ただ、一人。


シグルドさんが、火から、目を、上げて、初めて、私を、正面から、見た。


「賢者の、小僧」


低い声が、卓を、渡ってきた。


「剣を、持たぬ者の、言葉を、俺は、初めて、信じてみる」


それだけ、言って、彼は、角杯を、干した。


値踏みの、目では、もう、なかった。


夜が、更けて、人が、散った。


私は、炉の、傍に、残った。


熾が、赤く、息をしていた。屋根の穴から、北の、星が、ひとつ、覗いていた。


帳面を、開いた。


故郷の、書庫の、一文。南の、海の、石の、欠片。砂の、都の、問い。そして、いま、北の、果ての、剣歌。


三つの、言葉と、一つの、問い。四つの、場所が、同じ、ひとつのことを、指していた。


ばらばらの、点として、書き留めてきた。けれど、いま、それらは、もう、ばらばらでは、なかった。


言葉が、海を、越えて、重なっている。


私は、帳面の、上で、四つの、点を、結んだ。


点が、線に、なった。

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