表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
59/104

第4章 第1話「砂を渡る」

海沿いの、街道は、ひとつの、町で、尽きた。


水の、匂いが、薄れ、代わりに、乾いた、風が、吹き始める、境の、町だった。


ここから、先は、砂だ、と、誰もが、言った。


ガロンたちは、その、町で、足を、止めた。


「俺たちは、ここまでだ、坊主」


ガロンは、酒場の、軒先で、水で、薄めた、酒を、あおりながら、言った。


「海の、ある、ところで、戦うのが、俺たちの、仕事でな。砂の、中じゃ、剣も、なまる。風も、読めん」


「ここから、先は、俺たちの、縄張りじゃ、ねえ」


私は、頭を、下げた。


「ここまで、ありがとう、ございました」


ガロンは、片方の、眉を、上げ、それから、笑った。


「礼は、いい。お前の、おかげで、剣の、ことを、一つ、知れた」


彼は、腰の、剣を、軽く、叩いた。


斬るほどに、温まり、潮風でも、なまらない、あの、剣だった。


「砂の、国へ、行くんだろう。だったら、砂の、商人に、ついていけ。あいつらは、砂の、上で、生きて、帰る、目を、持ってる」


「お前に、足りないのは、そういう、目だ。……まあ、もう、分かってるみたいだが、な」


私は、もう一度、頭を、下げた。


ガロンは、それきり、振り返らなかった。


軒先の、影に、座ったまま、片手を、軽く、上げただけだった。


それが、別れだった。


砂を、越える、隊商は、その、町の、外れで、荷を、整えていた。


らくだに、似た、背の、高い、獣。革の、水袋。布で、覆われた、荷。


隊商頭は、ハムディ、という、名の、老人だった。


日に、焼けた、皺の、深い、顔。布を、頭に、巻き、目だけを、出していた。


私が、紹介状を、見せ、砂の、国へ、行きたいと、言うと、彼は、しばらく、私を、見た。


「子供が、一人でか」


「はい」


「水は、持っているか」


私は、革袋を、見せた。


ハムディは、首を、振った。


「足りん。砂は、海と、逆だ。海は、水が、ありすぎて、人を、溺れさせる。砂は、水が、なさすぎて、人を、枯らす」


彼は、自分の、隊の、水袋を、一つ、私の、足元に、置いた。


「分けてやる。代わりに、夜は、火の、番を、しろ。それで、貸し借りは、なしだ」


そうして、私は、砂を、渡る、列に、加わった。


隊商は、夜明け前に、発ち、陽の、高い、時刻には、止まった。


灼ける、昼を、避け、涼しい、うちに、進むのだ、と、ハムディは、言った。


獣の、背に、荷を、積み、人は、その、傍らを、歩いた。


歩く、速さは、ゆっくりと、していた。けれど、列は、決して、止まらなかった。


水は、決まった、時刻に、決まった、量だけ、配られた。


飲みたい、ときに、飲む、ことは、許されなかった。


「砂では、水を、惜しむ者が、生き、惜しまぬ者が、死ぬ」と、ハムディは、言った。


私は、その、言葉を、書き留めたい、と、思った。


けれど、ここには、机も、紙も、なかった。ただ、頭の、中に、刻んだ。


砂漠は、私が、書物で、読んだ、どの、言葉とも、違っていた。


見渡す、限り、砂だった。


風が、その、表を、撫でると、砂が、流れ、形が、ゆっくりと、変わっていった。


目印に、なる、ものが、何も、なかった。


木も、家も、丘の、形さえ、昨日と、同じ、ものは、なかった。


それなのに、ハムディたちは、迷わなかった。


自分が、どれほど、小さいかを、私は、思い知った。


海の、上でも、空の、広さに、圧されたが、砂の、広さは、それとも、また、違った。


海には、波が、あった。砂には、ただ、静けさが、あった。


その、静けさの、中を、列は、点のように、進んでいった。


空気が、乾いていた。


海辺では、肌に、まとわりついた、湿りが、ここには、なかった。


唇が、すぐに、乾き、喉の、奥が、ひりついた。


昼は、灼けるように、暑かった。


陽が、容赦なく、砂を、焼き、空気が、揺らいで、遠くが、歪んで、見えた。


それなのに、日が、沈むと、砂は、急に、冷えた。


夜には、震えるほど、寒かった。


私は、約束どおり、夜の、火の、番を、した。


枯れた、低い、草と、獣の、糞を、集め、火を、熾す。


その、とき、私は、気づいた。


火が、おとなしかった。


海辺で、煙幕を、試みた、あの、とき、火は、たちまち、水の、気配を、巻き込んで、白く、ふくれ上がった。


けれど、ここでは、火は、ただ、静かに、燃えた。


赤く、まっすぐに、立ち上り、暴れる、気配が、なかった。


同じ、初級の、火だった。


私の、唱える、言葉も、込める、力も、何も、変えていない。


それなのに、火は、土地が、違うだけで、別の、ふるまいを、する。


水が、ありすぎる、ところと、水が、なさすぎる、ところ。


その、違いを、火は、正直に、映した。


私は、それを、ただ、見ていた。


うまく、言葉には、ならなかった。


ただ、海辺で、肌で、読めなかった、あの、感覚が、ここにも、横たわっている、と、思った。


書物は、火の、燃え方を、教えてくれる。けれど、この、土地で、火が、どう、ふるまうかは、ここに、来て、火を、熾してみるまで、分からなかった。


ハムディたちは、火の、向こうで、星を、見ていた。


「あの、星が、低くなれば、川が、近い」


老人は、低く、言った。


「砂の、形でも、分かる。風が、いつも、同じ、向きから、来る、ところは、砂の、背が、同じ、向きに、寝ている」


私は、つい、尋ねた。


「水は、どこに、あるか、星で、分かるのですか」


ハムディは、私を、見もせずに、言った。


「星では、分からん。砂が、知っている。……お前は、まだ、知らんがな」


最後の、一言が、妙に、おかしかった。


からかわれたのか、慰められたのか、私には、判じかねた。


ただ、悪い、気は、しなかった。


知らない、ことを、知らない、と、言える、相手と、いるのは、久しぶりだった。


彼らは、砂の、上の、すべてを、読んでいた。


砂の、寝方。星の、高さ。風の、匂い。


それは、ガロンが、戦場の、風を、読んだ、あの、目と、同じ、種類の、ものだった。


書物の、中には、ない、目。


その、土地で、生きて、帰る、者だけが、持つ、目だった。


私には、まだ、その、目が、なかった。


この、目を、持たないまま、私は、知らない、都へ、入ろうとしている。


そこで、私は、何を、頼りに、すればいいのだろう。


幾日目の、夜だった、だろうか。


星が、ハムディの、言ったとおり、低く、なっていた。


「川が、近い」


老人は、星を、見上げて、そう、言った。


その、翌朝、砂の、果てに、緑が、見えた。


初めは、目の、迷いか、と、思った。


けれど、近づくほどに、それは、はっきりとした。


棗椰子の、木立。畑へ、水を、引く、細い、水路。そして、ゆったりと、流れる、大きな、川。


水の、匂いが、した。


海とは、違う、土を、含んだ、川の、匂いだった。


「アル・ナイラだ」


ハムディが、言った。


「この、川が、砂の、国を、生かしてる。川の、ある、ところにだけ、人が、住める」


緑地帯に、入ると、暑さが、和らいだ。


木立の、影が、道に、落ち、水路の、せせらぎが、聞こえた。


砂の、海を、渡りきった、ことを、私は、ようやく、実感した。


川に、沿って、しばらく、進んだ、とき。


地平の、向こうに、それが、見えた。


石の、山だった。


四角い、底から、上へ、向かって、すぼまり、天に、向かって、聳える、巨大な、石の、構築物。


それが、いくつも、川沿いの、高台に、並んでいた。


私は、足を、止めた。


フランディアの、学院には、塔が、あった。


問いを、立てるように、空へ、伸びる、細い、塔。


レヴァンタの、市場は、混じり合う、喧騒だった。


幾つもの、言葉と、品物が、ぶつかり合う、ところ。


けれど、これは、そのどちらとも、違った。


問いも、しない。喧騒も、ない。


ただ、沈黙して、聳えていた。


何百年、いや、何千年、そこに、あった、かのように、石は、ただ、静かに、空を、背負っていた。


私は、その、威容に、言葉を、失った。


これを、築いた、人々が、いる。


私の、知らない、神を、私の、知らない、やり方で、祀る、人々が。


私の、知らない、別の、形で、世界と、向き合ってきた、人々が、たしかに、ここに、いた。


世界は、私が、思っていたより、ずっと、広い。


その、ことを、私は、その、石の、山を、見上げながら、思った。


「シャールハル」


ハムディが、川の、先を、指して、言った。


「砂の、国の、古い、都だ。お前の、行き先は、あそこか」


「はい」


私は、頷いた。


あの、石の、都に。


曽祖父が、かつて、辿った、道の、先が、ある。


懐の、紹介状を、私は、そっと、押さえた。


封蝋は、まだ、無事だった。


川の、流れに、沿って、都は、少しずつ、近づいてくる。


私は、足を、速めた。


あの、石の、都で、私を、待っているものが、何なのか。


その、ときの、私は、まだ、知らなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ