80 運命の発表会(4)
ヒューゴがレイチェルを一瞥し、すぐに手元の書類に視線を落とした。
「グリーンフィールド家との縁談に際して、ソーントン家から提示されていた資産状況です」
レイチェルの顔色が変わる。
それに構わず、あくまでもヒューゴは自分のペースで話しつづける。決して感情的にはなっていない。事実だけを、一つひとつ丁寧に積み上げていっているようだった。
「少し確認させていただきたい。数年にわたる出費の流れと、家の実態に大きな乖離が見られます。提示された内容は、正確なものではありませんでした」
「それは……家の事情で」
「承知しています。縁談に際して正確な情報を開示しないことが、いかなる問題を生じさせるのか。それはあなたも、よくご存じのはずでしょう」
レイチェルが視線を忙しなく動かした。言い返す言葉を探していたらしく、まもなくその口から言葉が飛んだ。
「グリーンフィールド家の後継ぎとはいえ……元々は次男でございましたでしょう? 家格の差を考えるならば、手前どもが一方的に責められる問題ではないはずですわ」
半ば開き直りだ。
ヒューゴは次男で襲爵しないのだから、貴族であるソーントン家の虚偽申告は大事ではないという論理だった。
しかし、それは同時に、レイチェル自身の本音を公衆の前に晒す発言でもある。ヒューゴの目が、ほんのわずかだけ細められた。
「ええ、私は次男でした。だが、縁談の申し込みがあったのは、私が正式な後継ぎとなってから。申告のあった時期とは違います」
会場がざわりと揺れた。
身分の差を言い訳にできるのは、ヒューゴが次男であったときまでだ。縁談のあった時期では、すでにその口実は使えない。それは言外に、家格の問題ではなく、別の何かのためだったということを認めてしまっていた。ほかでもなく、グリーンフィールド家の資産である。
貴族として、伴侶にも相応の身分を求めた夫人。そして、グリーンフィールド家の財産を狙ったレイチェルの共謀こそが、こたびの原因で間違いない。そのことが会場中に知れ渡る。
「くっ……」
レイチェルの顔が歪む。
「この世界ならば、財産を目的とした縁談など、よくあること。素直におっしゃれば、それでも構わないとする者もおりましょう。新興の貴族などは箔が足りておりませんから……。もっとも、私は断ったでしょうが」
ヒューゴの声が会場に落ちる。
レイチェルはもう何も言えなかった。
自分の欲が、あばかなくてよいものまでをも明らかにしてしまったのだ。
ヒューゴが紙を折り畳み、アンネを見やる。次いで、夫人のほうに向きなおった。震える口元がやがて力強い声となって夫人に飛んでいく。
「私はアンネ・マクブラインを愛している! グリーンフィールド家を継ぐのは、この私だ。どう生きるかは自分で決めさせてもらおう!」
今までは場の混乱で実感がわかなかったのだろう。ようやく、アンネの目にも涙が浮かんでいた。こくりとうなずいた歌姫の姿は、ヒューゴにはわからないはずだ。それでも何度も噛みしめるように、アンネは首を縦に動かしていた。
関係者が静かにレイチェルの腕に手を添えた。その手を振り払おうとしたレイチェルだったが、力が入らないようで、そのまま連れられていく。
夫人が衛兵に付き添われてホールを出ていった。
2人の退場を見送ってから、キャサリンは静かに息をついた。
――これで全部ね。
残ったのは、どこかしんとした空気だ。
それがよいことなのか悪いことなのか判断しかねて、会場全体が静かに次の言葉を待っていた。
ピアニストが、誰にも促されることなく、静かに鍵盤に指を乗せた。
音が流れ出す。
涙ぐんでいても歌姫は動じない。
まもなく、アンネが歌いはじめた。
圧巻の美声。
「――ッ」
キャサリンが息を飲む。
アンネの背後に、3対の羽と浮いた輪を持つ存在が見えたような気がしたからだ。目を閉じ、こすってからもう一度視線を向ければ、すでにそこには何の姿もない。
「お嬢様……今のは?」
エマが驚いたように声をかけて来るが、キャサリンとしてはにわかには信じられなかった。
――あれが天使……?
悪い冗談だろうと、キャサリンは額に冷や汗をかく。
まもなく、曲が終わった。
無音の中、ヒューゴが1人で拍手を打ち始める。それに釣られて、周囲からもぽつぽつと手を鳴らす音が聞こえて来た。それはやがて、会場全体に響き渡る大音声となる。
アンネは驚いた顔をしてから、小さく笑って頭を下げた。
キャサリンもまた拍手をしながら、小声でエマに耳打ちをした。
「帰りましょうか」
「よろしいのですか? ヒューゴ様とアンネ様に、ひと言もなくて」
「必要ないわ」
キャサリンが静かに立ち上がる。
エマも小さくうなずいた。
2人はそっと会場を後にした。
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