73 二つの準備(4)
待ち合わせに指定された場所は、音楽院から少し離れた喫茶店だった。
暖炉のそばの小さなテーブルに、アンネは先に来て座っていた。
ドアが開いた瞬間、アンネが顔を上げる。
キャサリンと目が合うと、すぐに立ち上がろうとしたが、椅子に上着の端を引っかけてそのままよろめいた。
「あっ、すみません。大丈夫です、ちょっと待ってください」
独り言なのか、こちらへの声かけなのか。
判断のつきにくい言葉を小さく発しながら、アンネが上着を椅子から外す。
その間、キャサリンは表情を変えずに待った。
――こういう抜けている部分に、ヒューゴ様は支え甲斐を覚えたのかしらね?
詮のないことをキャサリンは考える。隣ではエマが小さくため息をついた気配がした。
「お待たせしてしまいましたか?」
キャサリンが向かいの席に腰をおろせば、アンネが首を横に振る。
「いえいえ、私のほうが早すぎてしまって。その……ご連絡をいただいたとき、あの……少し緊張してしまって。エルフェルト家の方とお会いするなんて思っていなかったので、何度か時計を確認しているうちに」
「早くいらっしゃったのね」
「そうです、そうです」
アンネが少し恥ずかしそうに笑った。
「今日はお時間をいただきまして、ありがとうございます。フィリップ様からお名前を伺って以来、是非ともお話ししてみたいと思っていましたの」
「こちらこそ……あの、フィリップ様に親切にしてもらっているのは知っているんですが、本当にエルフェルト家の方にお声がけいただけるとは思っていなかったので、えっと……うれしいです」
「先日院の小ホールで、み歌を拝聴しましたわ」
アンネの目が、ぱっと輝く。
「本当ですか! あれは非公式の発表で……。どうでしたか?」
「素晴らしかったわ。まるで天使の歌声ね。天使が人の体を使うことはないでしょうから、アンネ嬢が本物の天使なのかしら?」
言いたかったはずの発言をキャサリンに封じられ、アンネは眉根を下げて困ったように笑う。
「えと……どうですかね」
荒療治で自信をつけさせようと思ったのだが、そう簡単にはうまくいかない。もちろん、これはわかっていたことなので、キャサリンも落ちこむことはない。
「来月の演奏会もお聴きしたいと思っています」
「ありがとうございます」
アンネが少しだけ嬉しそうに言う。
「あの……本当に、来てくれますか?」
「ええ、もちろん」
キャサリンが微笑めば、アンネも納得したようにうなずいた。
そこからはしばらく、音楽の話が続いた。
演奏会で歌う予定の曲のこと。
最近、熱心に練習している技法のこと。
目標にしている声楽家のこと。
アンネは話しながら次第に身を乗り出していく。テーブルの上に肘をついている自分に気がついて、はっとして姿勢を直すという動作を2回くり返した。
――以前よりも気を許していないのは、私のせいね。
だが、ある程度は打ち解けて来ただろうと、キャサリンは話題を変える。
「最近の調子はいかがですか? 先日の慈善舞踏会では、あまりお声の調子がよくなかったように思えたのですが……」
アンネが眉を寄せる。
「……そうなんです。喉が荒れていたわけじゃないんですけど、あの日はうまく力が出て来なくて……。フィリップ様からもご忠告をいただいていたのですが、違う薬草が混じっていたのかもしれません。ちょっと私の管理が雑でした、反省です」
しょんぼりとアンネが肩を落とす。
調合師が寝返っている以上、アンネがどれだけ注意を払っていようとも意味はない。深く悩ませないことが重要だろうと、キャサリンはすかさずフォローをする。
「ケアレスミスは誰にでもあることですわ。気をつけるなら、くり返すこともないでしょう」
「そうですよね」
しばらく、2人の間に沈黙が流れる。
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