71 二つの準備(2)
リディアの調合室を訪ねたのは、午後のことだった。
薬草の青い香りに満ちた小さな部屋で、リディアはキャサリンの言葉に耳を傾けながら、メモを取っていく。
「声が出せなくなって、胸を掻きむしるような仕草をする……」
「無理やり声を出すことも可能だけれど、強烈な嗄声になるわ」
慈善舞踏会のアンネに、そういった症状は見られない。いったいどこで情報を手に入れたのかと、エマが訝しげに見て来るが、当然のようにキャサリンはこれを無視した。
リディアの指が、すさまじい速度で手帳のページをめくっていく。
「解毒作用も見つかっているものとなると、ダフネ草の新芽かな。乾燥させると無臭になるから、混入しても気がつきにくい。声楽家の喉には致命的なものだと思う。ただ、この新芽にやられて声を出せた人は聞いたことがないんだけど……その人、本当に人間?」
「最も天使に近い歌声を持つ女性よ」
芸術分野にはさほど関心がないようで、リディアにアンネだと気がついたそぶりはない。
「ともかくダフネ草の新芽なら、似た形のハーブがいくつか知られているわ。素人が外見で区別することは不可能だと思う」
「それを教えてもらえるかしら? それから、解毒に使われるものを買い占めてほしいの。お金に糸目はつけないわ。ダフネ草も少しね」
「流通ルートが限られているから、独占すること自体は可能だと思うけれど……正気なの?」
「ええ、もちろん」
力強くうなずくキャサリンに、リディアは困惑と呆れの混じった苦笑いを浮かべた。
「わかったわ。いつまでに揃えればいいかしら?」
「次の王立音楽院の演奏発表会には間に合わせて」
「……。まるで予言者ね。そこで何かが起きるって、知っているみたい」
エマは少しだけ驚いた様子でリディアを見た。自分があえて尋ねて来なかったものを、平然とキャサリンに聞いていたからだ。
「未来を見通せるなら、きっとジェームズ様とは婚約をしなかったでしょうね」
涼しい顔で答えるキャサリンに、リディアは納得するしかない。
だが、エマは違う。キャサリンの態度が変わった時期を知っているためだ。無論、彼女は侍女の務めとして、そこを追及することはない。
しばらくキャサリンを見つめていたリディアであったが、やがては諦めたように紙を取り出してペンを走らせた。
「無害で、外見がよく似ているものを3種、書いておくわ。どれも普通の薬草店で買えるものだから、何かしらは手に入るはずよ。それこそうちであってもね。……あなたなら変な使い道もしないんでしょうけれど、くれぐれも気をつけてよね。ダフネ草の新芽は予後が芳しくないの。ちょっとの刺激でも再発するから、根気強い治療が必要になるわ」
「……。ありがとう、リディア嬢。おかげで決心がついたわ」
そんなものを夫人は歌姫に飲ませたのかと、キャサリンははらわたが煮えくり返りそうだった。
完成した紙を受け取りながら、エマはリディアに問いかけた。
「保管の観点からすると、どこにあると思われますか?」
「乾燥させたものであれば、直射日光を避けた涼しい場所に置いておくのが普通ね。調合室か、あるいは寝室に近い戸棚あたりかしら? まとめて保管するなら、ほかの薬草と並んでいるはずよ」
「十分です。ありがとうございます」
キャサリンもリディアにお礼を言って調合室を去る。
「忙しくなりますね、お嬢様」
「まだまだこれからよ。そう言えば、あなたにはヒューゴ様の調査も依頼していたわよね?」
エマが手帳を開いて視線を落とす。
「どうやらヒューゴ様は、単身で夫人とレイチェル様の動きを調べているようですね」
「……やっぱりか」
相思相愛の気配はあったのだ、何も不思議なことはない。
キャサリンは黙って窓の外を見た。
灰色の空から、また雪がちらついている。
――ヒューゴ様は気がついていた。
だけれど、間に合わなかった。
どれほど苦しかったのかは、アンネを見送るヒューゴの歪んだ横顔を思い出せば、余りある。
「会いに行きましょうか」
キャサリンのつぶやきに、エマは恭しく頭を下げた。
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