60 義賊という不快(1)
冬の王都に、雪が降り積もっていた。
石畳の上に白く重なった雪は、馬車の轍によって無残にえぐられている。それでも夜のうちにまた降り積もって、翌朝には綺麗な白に戻っているのだから、雪というのは存外しぶといものだとキャサリンは思う。
午後の応接室。
紅茶のカップを手に、キャサリンは机の上の書類を眺めていた。
「お嬢様」
エマが部屋に入って来る。
手には薄い書類を数枚持っていた。
「ビオラ様の追加調査の結果がまとまりました」
「……。ああ、そのことね」
キャサリンは書類に目を通したままエマの言葉を待つ。
ビオラは没落貴族の出だ。エドワードから財産を横取りしたことは記憶に新しい。それ以前にも複数の男性から、同様の手口で財産を引き出していたということもすでに知っている。
新しいことは何もないだろうと思いつつも、少しばかりはキャサリンも意識を耳に傾けていた。
だが、いつまで経ってもエマが口を開こうとしない。
「……エマ?」
名前を呼びながら振り返れば、エマは目を閉じたまま眉をひそめていた。
「これはお伝えするべきか悩むのですが……」
「構わないわ、話しなさい」
珍しく前置きをして来る侍女に、キャサリンは少しだけむっとしながら応じる。
そこまで言えばエマも観念したようで、ようやく口を開いた。
「気にはなっていたのです。ビオラ様が横取りした財産をどのように隠ぺいしているのか」
「……そうね」
「少々手荒な方法も使いましたが、その一部については足取りを確かめることができました」
キャサリンは軽く動かして、エマに話のつづきを促す。キャサリンは、どうして侍女が迂遠な口ぶりをしているのかがまるでわからなかった。
「孤児院です」
意味が理解できなかった。
より正しくは、身構えていた内容とあまりに違う言葉が聞こえて来たために、頭が理解を拒んだ。
「……。……ごめんなさい、なんですって?」
目をしばたたかせたキャサリンが、口元に柔和な笑みを浮かべてキャサリンに聞き返す。自分の聞き間違いか、エマの冗談だろうと思ったのだ。
だが、今度はエマもしっかりと否定できない文脈でキャサリンに告げる。
「ビオラ様は横取りした財産のうち、およそ3割ほどをそうとはわからぬ複雑なルートを経て、孤児院に寄付されています。全容をまだ把握できておりませんが、しばしばダメンズ名義でも寄付を行っているため、恐らくは交際の期間中から少しずつ――」
それ以上、続けさせるわけにはいかない。
キャサリンはエマの話を、悲鳴のような怒声で遮っていた。
「エマ! いくらあなただからって、言って良い冗談と悪い冗談があるわよ!」
だが、エマは動じない。
淡々と事実のみを、いつものように指摘していく。
「ただの浪費であれば、すぐに調べはつきます。ビオラ様の家が依然として傾いたままであるのは――」
「聞きたくないわ!」
キャサリンがエマに対して、指を扉のほうに向ける。
「お嬢様……」
それでも自分を諫めようとする侍女の姿を見て、ついにキャサリンも直接的な言葉を使っていた。
「出て行って」
「……。失礼しました」
エマはなおも口を開こうとしたが、やがては頭を下げて退室していた。
1人だけになった自室で、キャサリンは落ち着きなく辺りを見回す。
「……」
頭ではわかっていた。
きっとエマの言うことが正しい。
だけど、そんなことは認められるわけがなかった。
――私と同じだって言うの?
もしも、ビオラの動機に少しでも「他人のため」という要素があったとしたら、根っこの部分にはキャサリンと共通しているものがあることになってしまう。
いくら婚約者がダメンズだからといって、それを奪うような形で関係を結ぶことは、あってはならないはずだ。奪われるほうからすれば、それは捨てられたことにほかならない。離れることは同じであっても、自分が相手を捨てたいのだ。相手から捨てられるのでは、まるで意味が違う。
――繊細なベアトリス嬢なら、たとえエドワード様のようなろくでなしでも絶対に傷ついてしまう。
そのことを承知でベアトリスは、エドワードを奪ったのだ。自分の財産を増やすために。
認められるわけがない。
彼女を義賊だなんて決して思いたくはない。
「いいわ、別にもう……」
終わったことだ。
ベアトリスはちゃんと救えた。ビオラとの関係は、この前で終了した。もはや今さら彼女の人間性がどのようなものであろうとも、問題ではない。二度と関わらなければいいだけだ。
だが、どれだけそうやって自分に言い聞かせてみても、頭の中に生まれてしまった靄は、とても晴らせそうにない。
キャサリンの脳裏に、目元を潤ませたビオラの顔が浮かぶ。
「不愉快だわ……。何が義賊よ、あの馬鹿女」
キャサリンは紅茶のカップを手に取り、一口飲んだ。とっくの昔に冷めていた。
頭を切り替えようとしても、うまくできない。
結局、その日はろくに作業を進められなかった。
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