37 灯火の行方
1万PVありがとうございます! ちょっとネタ切れかなと思っていましたが……もう少しあがきます
新薬の正式な認可が下りたのは、騒動から2週間後のことだった。
王宮からの書状を手にしたリディアは、しばらくの間、その紙面を見つめて動かなかった。
泣くかと思ったが、涙は出なかった。
ただ、胸の奥がじわりと温かくなる感覚だけがあった。
「……届けに行かないと」
独り言が調合室にこだまする。
リディアは書状を丁寧にたたみ、薬の入った小箱を手に取った。
診療所に着いたのは、昼過ぎのことだった。
顔なじみの医師が出迎えてくれる。
いつもと変わらない廊下。
いつもと変わらない薬草の匂い。
ただ、その奥から聞こえてくる声が、少しだけ違った。
「カイム」
扉を開けると、少年はベッドの上に起き上がっていた。
顔色が、いつもとまるで違う。
青白かった頬に、うっすらと赤みが戻っている。
「姉ちゃん!」
その声が、廊下まで響いた。
「持って来たよ」
小箱をカイムに見せると、少年は目を丸くした。
「それが……例の薬?」
「そう。本物よ」
リディアがカイムの隣に腰を下ろす。
小箱を開くと、中には丁寧に包まれた薬が並んでいた。
あの夜、夜明けまでかけて仕上げた処方が、今ここにある。
「絶対に自力で治すって言ってたくせに」
リディアがくすりと笑った。
「うるさいな」
カイムが照れたように顔をそらす。
「いいだろ別に。負けは負けだって、認めているんだから」
その横顔を、リディアはしばらく眺めた。
ここにいる。
ちゃんと、ここにいる。
胸の中に、7年分の夜が一枚ずつ溶けていくような感覚があった。
「ありがとう、カイム」
「何が?」
カイムが不思議そうに振り返る。
「諦めないでいてくれて」
カイムがぷいとそっぽを向いた。
「……姉ちゃんが先に諦めなかったんだろ」
その一言が、胸に深く刺さった。
リディアは笑いながら、目の奥が熱くなるのを感じた。
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診療所をあとにしたリディアは、しばらく王都の通りを歩いた。
空は高く晴れている。
秋の風が頬をなでた。
特に急ぐ用はない。
それがひどく新鮮な感覚だった。
いつも何かを急いでいた。
いつも、まだ終わっていないことがあった。
それなのに今日は、ただ歩いていていい。
「リディアさん」
不意に、後ろから声がかかった。
振り返る。
王宮付きの若い薬師が、こちらに向かって歩いて来るところだった。
発表会場で最初に手を挙げた、あの青年だ。
飾り気のない服装に、ぼさぼさとした髪。
白衣姿でなければ、とても医師には見えない風貌だが、その目だけはあの日と変わらず真剣だった。
「少しよろしいですか」
青年は立ち止まり、リディアと視線を合わせた。
「あの欠陥を仕込んだとき、薬師としては相当の覚悟だったと思います」
問いではなかった。
確認だった。
「……あなたこそ」
リディアが少し驚いた表情のまま、口を開く。
「発表の場で最初に手を挙げてくれた。あの質問がなければ、私の計画は成立しなかった」
「それは……ただ、道楽気分で研究をやっていそうな侯爵の、鼻っ柱を明かしてやりたかっただけです」
青年が首の後ろを掻きながら、ばつが悪そうに答えた。
その仕草が、なんとなくおかしくて、リディアの口元がほぐれる。
「そうですか。……ありがとうございます」
「お礼を言われるようなことは……」
青年が言いかけて、止まった。
リディアがまっすぐに自分を見ていることに、気づいたのだろう。
咳払い。
今度は少し改まったように青年は言った。
「難病の子どもに薬が届いたというのは、本当ですか?」
その目に、純粋な期待があった。
医師として、ただそれだけを確かめたいという目だった。
「ええ、今日届けてきました」
リディアが答えると、青年は少しだけ息を吐いた。
安堵の、深い息だった。
「……そうですか」
独り言のように小さな声だった。
それからしばらく、2人の間に静かな時間が流れた。
通りを往来する人の声と、風の音だけが聞こえる。
「また、話を聞かせてもらえますか」
青年が、ためらいがちに言った。
「あの薬の仕組みを、もっと詳しく知りたいのです。医師として、正しく使えるようになりたい」
リディアは少しだけ考えてから、うなずいた。
だれでも使えるようにしたつもりなので、聞きたいのはそういった表層の部分にはないのだろう。
「構いません。ただし、私の説明は少々長いですよ。なにせ7年ぶんがありますから」
「大丈夫です。僕もくどいとよく言われますから」
青年が笑った。
飾り気のない、素直な笑顔だった。
リディアも釣られるようにして笑う。
自分でも気づかないうちに、力の抜けた笑みがこぼれていた。
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その様子を、少し離れた場所からキャサリンが見ていた。
エマと2人で、通りの端に立っている。
特に隠れているわけでもないが、リディアたちには気づかれていないようだった。
「……」
リディアが笑っている。
あの調合室で机に向かっていた顔でも、王宮の発表会場で静かな怒りをたたえていた顔でも、処罰の場で毅然と立っていた顔でもない。
ただの22歳かそこらの娘の顔だった。
――だから言ったじゃない。
キャサリンは胸の中で静かにそう思った。
侍女のほうを一瞥したキャサリンが、呆れたように言う。
「あなたって、こういうお節介が好きよね」
「ええ、メイドの本質は余計なことにまで気を遣うことですから」
「……」
キャサリンはうまく言葉を返せない。
「次はどちらへ参りましょう?」
もうここに、キャサリンたちの出番はない。
キャサリンは踵を返す。
「王都はまだまだ広いわ」
口元が、ほんの少しだけ緩む。
エマが静かについてくる。
2人の足音が、秋の石畳に響いた。
空は高く、よく晴れていた。
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