36 薬師リディア
「補足いたします」
リディアの声が、会場全体に静かに届いた。
壇上ではない。
席から立ったままだ。
だが、その声には、だれもが耳を傾けずにはいられない力があった。
ヴィクターが振り返る。
その顔に、初めて動揺の色が浮かんだ。
「リディア……?」
「先ほど発表された処方には、意図的な欠陥が含まれております」
静寂。
「毒になってしまう薬草のことですね?」
「そうです。日輪花の根と月見花の根はどちらも強力な薬効を持っていますが、2つを同時に使うのは御法度。ただし、これは璃瑠石を少量加えることで無害な成分に誘導できます」
医師たちが一斉に手元の資料を見返しはじめた。
「そこまでは僕もわかっていました。わからないのは、その先です。それだと本来の薬効まで効果が失われてしまう」
「ええ、そのとおりです。私は、これが薬として機能しなくなるようにしました。」
「……なるほど。ずっとおかしいと思っていました。ヴィクター殿の説明は素晴らしいものでしたが、専門家としては違和感を覚えずにはいられなかった。まるで暗記して来た台本を聞かされているような、そんな気がしたのです。だからこそ、挙手をしました。その甲斐はあったようですね……ようやくはっきりしました。この研究はヴィクター殿のものではない。新薬はあなたが開発したんだ」
「……」
リディアは何も答えない。
ただ、少しだけ驚いたように青年のことを見返していた。
「そして、できているんですね? あの難病を治せる夢の薬が」
医師の青年が、純粋に期待する目でリディアを見ていた。
「……はい。本物の処方は、別に存在します。それぞれの薬効が体内に染み出る時間を調節し、副作用の働きを極限まで弱めました」
「すごい……。そうか、これまでは投薬のタイミングを医師に委ねていた。そこに原因があった……。繊細な技術が必要な部分を、あなたはだれも間違えないものに変えたんだ!」
興奮した様子で青年が語るも、周りにいる医師たちの反応は冷ややかだ。
「嘆かわしい! これがいかに画期的であるかがわからない者たちだらけだなんて……。今まで難しいとされて来たものの多くを、彼女は今、僕らの目の前で変えたんですよ。歴史的瞬間だ! ヴィクター殿といい、リディアさんの実績をまともに評価できないアホが多すぎる」
「しかし……現物を見せてもらわなければ……」
その言葉を合図に、会場の扉が静かに開く。
だれもが振り返る。
そこに立っていたのは、ルシアン殿下だった。
会場が水を打ったように静まり返る。
第二王子の突然の登場に、だれも声を発せない。
鼻息を荒くしていた青年でさえ、つかの間、呼吸を忘れていた。
「私だ――薬はこの私が預かっていた。何か問題があるか?」
絶対的な一言だった。
王位継承権第1位の証言を覆せる者は、この場にいない。
いるわけがない。
ルシアン殿下が一歩前に出る。
「さらに言えば、副作用の問題を認識しながら申請を強行したことで、すでに複数の患者に健康被害が出ている。リディア嬢によって速やかに無害化した薬品にすり替えられたので、幸いにも重篤な被害は出ていないものの、これは王宮として看過できない問題だ。……許しがたい」
ヴィクターの顔が、みるみると青ざめていく。
「そ、それは……俺は副作用など……」
「知らなかったとおっしゃるのですか?」
リディアがヴィクターをまっすぐに見た。
静かで、しかし揺るぎない目だった。
「私は確かに、申請を急がないでほしいとお伝えしました。副作用が残っていると。あなたは『わかった』と仰いました」
ヴィクターが口を開きかける。
しかし言葉が出ない。
「知らなかったのではありません。聞かなかったのです」
その一言が、会場に静かに落ちた。
悪意がなかったことは、情状酌量にはならない。
知らなかったではなく、聞かなかった。
その違いを、この場のだれもが理解した。
ヴィクターが力なく視線を落とす。
逃げようとしたセリーヌもすでに、衛兵に腕を取られていた。
――終わったわね。
キャサリンが静かに息を吐く。
会場のどこかで、まばらな拍手が起きた。
それがやがて、大きなものへと広がっていく。
リディアは拍手を受けながら、どこか遠くを見ていた。
キャサリンにはわかった。
きっと今、あの診療所の子供たちの顔が見えているのだろう。
✿✿✿❀✿✿✿
騒動が収束したあと、処罰の場は改めて設けられた。
王宮の一室。
関係者が居並ぶ中、ヴィクターとセリーヌは並んで立たされていた。
これはキャサリンが望んだことではない。
ルシアン殿下の采配だった。
――殿下らしいやり方ね。
2人を別々に裁かず、同じ場で向き合わせる。
その意図は、キャサリンにも察せられた。
「……」
リディアとキャサリンも、証人として同席している。
セリーヌはまだ、どこかに活路を見出そうと必死に頭を巡らせているようだった。唇を引き結び、毅然とした表情を保っている。
一方のヴィクターは、隣にセリーヌが立っていることを確認した瞬間、初めて何かに気づいたような顔をしていた。
「ヴィクター・ランドール」
読み上げが始まる。
「嫡男としての襲爵権の剥奪。患者への個人賠償。王宮への虚偽申請に対する罰金。以上を申し渡す」
ヴィクターの顔が蒼白になっていく。
「待ってください……俺は、ただリディアの薬を早く届けたかっただけで……」
だが、ルシアン殿下には通じない。
一瞥くれただけで、それ以上の言葉を遮った。
打ちのめされたように肩を落としたヴィクターが、リディアへと視線を向ける。
「リディア……」
「ヴィクター様、私からも一点お話があります」
「リディア!」
にこやかに語りかけるリディアに、何を勘違いしたのかヴィクターが自信を取り戻す。
「そうだよな。侯爵でなくとも、君の実績があれば――」
「あなたとの婚約は解消させてもらいます。当然でしょう?」
その顔は一瞬にて絶望の色へと変わる。
隣に立つセリーヌにすがるような視線を向けた。
「セリーヌ……お前も何か言ってくれ。俺はただ、君のことを……」
「存じませんわ」
セリーヌはヴィクターを見ようともしなかった。
「なっ……」
「私はランドール家の力が必要だっただけです。あなた自身に、格別の関心があったわけではありません」
セリーヌは感情を乗せずに言い切った。
自分が生き残るためならば、共犯者でさえ切り捨てる。
それがセリーヌという人間の本質だった。
ヴィクターがよろめくように後退する。
もうヴィクターには何も残されてはいない。
「俺のことを……好きだと」
「社交辞令ですわ。婚約者のいる人を好きになるわけがないでしょう?」
ヴィクターの顔から、すべての表情が消えた。
打算で利用されていたことを、今になって理解した顔だった。
セリーヌの言葉は止まらない。
「殿下! 私はヴィクターに脅されて、仕方なく協力していたんです!」
自分だけでも罪を減らそうという魂胆に違いなかった。
――そんなこと、させるわけないでしょう?
ルシアン殿下が口を開くよりも前に、キャサリンがセリーヌに声をかける。
「セリーヌ嬢、一点だけよろしいですか?」
部屋の全員が振り返る。
「なんですの?」
「あなたは家のために動いたとお聞きしています」
「なんのことだかわかりませんわね。私はただ、ヴィクター様に脅されて……」
白を切るというつもりならば、冷静でいられなくすればいい。
「家のためにと言いながら、あなたの行いは家を滅ぼしましたわね。ご愁傷さまです」
キャサリンはことさら馬鹿にするように、セリーヌを鼻で笑った。
セリーヌの顔が、今度こそ明確に歪んだ。
恥辱で真っ赤に染まった顔で、セリーヌがキャサリンを睨みつける。
「覚えていなさい、キャサリン・エルフェルト! あなたには必ず――」
「セリーヌ嬢!」
タイミングを計ったかのように、読み上げがつづけられる。
「そなたには証拠書類の改竄、虚偽証言、詐欺行為。これらが認定された。社交界からの永久追放、並びに相応の罰金を申し渡す」
侯爵家との縁談は消えた。
賠償と罰金で、セリーヌの実家は財政をさらに悪化させる。
セリーヌが守ろうとした家は、結果的にセリーヌの悪事と運命をともにしたのだ。
冷静でいられなくなったセリーヌには、もはや抗弁するような余裕はなかった。
「行きましょう」
リディアに声をかけ、王宮をともに後にする。
外に出ると、秋の風が穏やかに吹いていた。
隣を歩くリディアは、少しだけ放心したような顔をしている。
「大丈夫ですか?」
「……ええ」
しばらく間があった。
「……これで全部が終わったんですね」
リディアが空を見上げる。
キャサリンは黙ったままリディアの言葉を待った。
「不思議なものですね。もっと大きな気持ちになると思っていたのですが……」
「そういうものですわ」
キャサリンが静かに答える。
「大事なことは、これからですもの」
リディアの瞳にキャサリンが映る。
「……そうですね。カイムに薬を届けないと」
「カイムくんは診療所の子供かしら?」
キャサリンはリディアに尋ねる。
目を丸くしながらも、リディアは首肯していた。
「ええ、そうです。お会いになったことが?」
「いいえ、ないわ……。元気なのかしら……」
「ヴィクターの実験台にされていたようですが、途中で私がヴィクターの薬を変えたので、平気だと思います」
「そう……」
――間に合ったのね。
「本当によかったわ」
「……?」
キャサリンをリディアが不思議そうに見ていたが、まもなく気にしないことに決めたようだった。
2人は並んで歩き出した。
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