35 運命の分かれ道
発表当日の朝、リディアは診療所に寄った。
習慣だからという理由だけではない。
今日という日を前にして、もう一度、カイムの顔を見ておきたかった。
「……」
少年のベッドの前。
椅子を引いて、リディアはしゃがみこむ。
顔色は、先週より少しだけいい気がした。
「今日、発表があるの」
リディアが声をかけると、カイムは目を丸くした。
「もう完成したのか?」
「ええ、そうよ。すごいでしょう? お姉さんを褒めなさい」
今度は、はっきりとそう答えた。
カイムが一瞬だけ目を見開いて、それからにししと笑う。
「ちぇっ、自力で治してやるつもりだったんだけどな。負けちまったか……」
それが仲間たちに勇気を与えるための芝居であったことが、今ならばはっきりとわかる。
だからこそ、リディアはカイムの小さな体を抱きしめた。
「……今までよく頑張ったわね」
カイムの目に涙が浮かぶ。うれしさと照れ臭さで、またカイムはリディアを茶化す。
「やめろよ、姉ちゃん。青臭いぜ……」
それでも堪えきれずに涙がぽろぽろとこぼれた。
「ちょっとは俺も手伝えたのかな?」
「えっ……?」
「ヴィクターって姉ちゃんの旦那だろう? 一緒に姉ちゃんを驚かせてやろうって、ちょっと前から姉ちゃんに内緒で薬をもらっていたんだ。体調の変化が見たかったんだって。でも、薬が完成しているなら、意味なかったのかな」
激情に駆られそうになったリディアだが、どうにかそれを理性で抑えこんだ。
「カイムのおかげだよ。次からは、私が持って来るものを飲んでね。それから、ヴィクターは旦那じゃなくて……赤の他人だよ」
リディアの胸から、ヴィクターへの思いは綺麗さっぱりなくなっていた。
✿✿✿❀✿✿✿
王宮の発表会場は、前回と同じ熱気に包まれていた。
貴族、医師、王宮の関係者。
錚々たる顔ぶれが席につき、ざわめきが会場全体を包んでいる。
新薬の発表というだけあって現場の空気には、濃密な期待が含まれていた。
「思ったより人が多いですね」
「こんなものじゃないかしら? まあ、それだけ注目されているのかもしれないわね」
エマが尋ねれば、キャサリンは特に興味なさそうに答える。
壇上の近くにはヴィクターが座っていた。
前回と同じ、晴れやかな顔だ。
今日の主役は自分だという自信が、立ち振る舞いの一つひとつに表れている。
――何も知らないのね。
キャサリンは視線を動かす。
背筋を伸ばして座るリディアの横顔が見えた。
前回との違いは、一目でわかった。
緊張の色がない。
その目は静かで、どこまでも落ち着いている。
――準備が整っているのね。でも……何かあったのかしら。
心なしか、ヴィクターへの視線が軽蔑の色を帯びているように見えた。
「まあ、いいわ」
キャサリンは小さく息を吐いた。
ルシアン殿下への根回しは済んでいる。
エマが集めたセリーヌの証拠も、手元にある。
欠陥を仕込んだ処方は、ヴィクターの手に渡っている。
完璧だ。
あとは、始まるのを待つだけだった。
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発表が始まった。
ヴィクターが壇上に立ち、会場を見渡してから口を開く。
「本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます」
よく通る声だ。
堂々とした姿は、発表者の見栄えとして悪くない。
「このたびランドール家では、長年の研究の末、難病の治療に有効な新薬の開発に成功いたしました」
会場から、感嘆の拍手が起きる。
医師たちが手帳を取り出し、メモの準備をはじめる。
――せいぜい今だけの栄誉を手にするといいわ。
発表が進む。
薬の概要。
効能。
投与の方法。
流暢な説明が会場に響く。
そうして、質疑応答の時間へと移った。
最初に手を挙げたのは、王宮つきの若い医師だった。
飾り気のない服装に、真剣な目をした青年だ。
「一点だけ。この薬の副作用については、どのようにお考えでしょうか? 非常に強い成分も散見されますので、相応の症状が出ると思うのですが……」
ヴィクターは力強く答える。
「問題ありません。協力者によって十分に安全性を確認しております」
即答。
迷いのない声音。
キャサリンはリディアを流し見した。
リディアの顔は青ざめていない。
――そうね、リディア嬢。勝ちをつかみにいきましょう。
若い医師は追撃の手を休めない。
「具体的な根拠を示していただけますか」
「……。それは……資料にも記載したとおりで」
ヴィクターが書類に目を落とす。
その手が、前回と同じようにさまよった。
だが、以前にも増して言葉は出て来ない。
当然だろう。
欠陥の仕込まれた薬では、その問いに永遠に答えることは不可能だ。
「記載が見当たらないのですが……。それに、どうして毒を混ぜているのかも、教えていただきたい」
若い医師が淡々と言った。
会場がざわりと揺れる。
医師たちが互いに顔を見合わせはじめた。
「……毒?」
ヴィクターが呆けた表情で質問者を見返す。
「ええ、そうです。どちらも薬草として使われるものですが、一緒に混ぜてしまうと毒になる。あなたはそういうものを薬として使っているではありませんか。なぜ、そんなことを推奨しているのか、説明する責任があると僕は思いますが?」
――来る。
キャサリンが静かに体を起こした。
予定外の騒動に反応して、セリーヌが動くことは間違いない。
リディアに責任をなすりつけるつもりだろうが、そうはいかない。
小走りで近寄ったセリーヌが、王宮の関係者に近づいて書類を手渡す。
改竄された証拠が、様々な者の手に渡っていく。
「エマ」
「はい、お嬢様」
今回はエマを止めはしない。
「派手に行くわよ」
侍女が静かに立ち上がり、するりと人込みの中に溶け込んでいく。
会場の空気が変わり始める。
ヴィクターのもとにも関係者が近づき、何かを告げる。
困惑の色が広がっていく。
ただし、その動揺は前回よりも弱い。
「……少々よろしいですか」
キャサリンが立ち上がった。
静かな声だったが、会場のざわめきがすっと引いた。
エルフェルトという名前の持つ重さが、場の空気を変える。
全員の視線が集まる中、キャサリンは落ち着き払ったまま続けた。
「セリーヌ嬢がお配りになった書類、少し私にも確認させていただけますか?」
セリーヌの顔が、かすかに強張る。
だが、すぐに取り繕った笑みを浮かべた。
「もちろんですわ。何も隠すことはございませんもの」
その余裕が、今日で最後になるとは、まだ気づいていない。
「ありがとうございます」
キャサリンがエマに目配せをする。
エマが前に出て、手元の書類を静かに広げた。
「こちらは、セリーヌ嬢がお配りになった書類です。そしてこちらは、改竄前の原本です」
エマが淡々と、2枚の書類を並べる。
「日付の書き換え。署名の差し替え。記録の順序の入れ替え。照合すれば、違いは一目瞭然ですわ」
会場がしんと静まり返った。
みな、何が起こっているのかわからないといった様子だ。
キャサリンは言葉を止めない。
「この改竄が行われた経緯について、直接関与した者からの証言も取れております。エマ」
「はい」
エマがもう一束の書類を取り出した。
セリーヌの顔から、ゆっくりと血の気が引いていく。
「そんな……でたらめですわ!」
セリーヌが声を上げた。
しかしその声は、震えていた。
「でたらめかどうかは、王宮でご判断いただければよいかと」
キャサリンが静かに言い放つ。
――ひとまず、セリーヌ嬢の茶々は止めた。
これ以上は出しゃばらず、リディアにバトンを繋げよう。
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