34 殿下との取引
ルシアン殿下への連絡を取ったのは、その翌日のことだった。
文を送れば、思いのほか早く返事が来た。
午後に時間を取れるとのことで、キャサリンは王宮の一室へと向かう。
通されたのは、執務棟の端にある小さな応接室だ。
公式な場ではない。
それがルシアン殿下の配慮だということは、キャサリンにも伝わった。
「久しぶりだな、キャサリン嬢」
先に部屋に入っていたルシアン殿下が、立ち上がることもなく穏やかに言った。
第一王子ジェームズとは対照的な、落ち着いた物腰。
だが、その目は鋭く、相手の真意を測ることに長けている。
以前の件で、それはよくわかっていた。
「お時間をいただき、ありがとうございます」
キャサリンが一礼する。
「座れ。堅苦しいのは、互いに向いていないだろう」
促されるまま、キャサリンは向かいの椅子に腰を下ろした。
エマは扉の前に控え、部屋には実質2人だけの空気が生まれる。
ルシアン殿下が口を開く。
「今度は何を企んでいる?」
警戒ではない。
口元に薄い笑みがあるため、純粋な興味として聞いているのだろう。
「お戯れを。企みだなんて、人聞きが悪いですわ」
ルシアン殿下がかすかに笑う。
キャサリンは姿勢を正して、率直に話しはじめた。
「今回は、1人の薬師についてです」
リディアの件を、順を追って説明する。
薬の開発の経緯。
ヴィクターの申請。
セリーヌの動き。
そして、副作用を軽視した処方で薬がすでに使われはじめているという事実。
「……」
ルシアン殿下は途中で口を挟まなかった。
ただ静かに、最後まで聞いていた。
説明が終わる。
少しの間、沈黙が部屋に満ちた。
「なるほどな……」
ルシアン殿下がゆっくりと足を組む。
「それで、私に何を頼みたい?」
「リディア嬢が完成させた、本物の処方を預かっていただきたいのです。発表の当日まで」
「証人になれということか」
「殿下が証人であれば、だれも覆せません」
ルシアン殿下がキャサリンをまっすぐに見た。
その目は、値踏みというよりも確認に近い。
「患者への被害は、本当に出ているのか?」
「エマの調べでは、侯爵家からの申請ということだけあって、承認前から使われているようですわ」
ルシアン殿下の目が、わずかに細くなる。
「強い副作用が出るのを知りながら申請を通したとなれば、手柄の横取りだけでは済ませないな」
「ですから、ご無礼を承知で急いでいます」
また沈黙が落ちた。
ルシアン殿下が窓の外に視線を向ける。
王都の空は今日も高く晴れていた。
「いいだろう。薬を預かる」
「ありがとうございます。……その条件は?」
キャサリンが問い返す。
ルシアン殿下はただの慈善で動く人間ではないはずだった。
「……。特にはないな。強いて言うなら、患者への被害が確認されたときには、発表の場を問わず動く」
キャサリンは少し考えてから、うなずいた。
「もちろんです」
ルシアン殿下が立ち上がる。それは会話の終わりを意味していたはずだが、キャサリンの予想に反して、ルシアン殿下はなおもつづける。
「……ああ、いや。待て、条件を1つつけよう」
キャサリンに緊張が走った。
「なんでしょう?」
「次に私をそなたの企みに混ぜてくれるときは、もっと前に話を持って来てくれ」
「承知しました」
――無理でしょうね。2回もこの人に接触したら、確実に何かを気取られるわ。
「それから、これは忠告だが……この件がおわったら、しばらくは派手に動かないほうがいい」
「脅しでしょうか?」
「いいや、婚約者としての親切心だ」
「……」
にこりと微笑んでキャサリンは応じる。
いつから婚約者になったのかという問いが口元まで出かかったが、声に出すことはできない。
――ダメね。……この方にはまだ逆らえない。
ジェームズ殿下が廃嫡された今、実質的にルシアン殿下が第一王子だ。
その妻という地位は魅力的だが、今のままでは単に取り込まれるだけ。キャサリンという自我を滅さなければいけなくなるだろう。
扉を開け、キャサリンは退室する。
廊下を十分に進んだところで、エマがキャサリンの顔を覗きこんだ。
「大丈夫ですか、お嬢様」
「ええ、平気よ。どうして?」
「ルシアン様のおそばは、いつも息が詰まりそうになりますので……」
――あなたでも、そう感じるのね……。
「ええ……そうね」
――きっとあの人は、誰のことも心の底からは信じていないんだわ。
もしも、その初めての人間になれたならば、すべてはいい方向に変わるのかもしれない。
そんなありえない未来を描きながら、キャサリンは先を急いだ。
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