117 過ぎ去りし日々(2)
応接室に通された私は、入り口の脇で立ったまま、しばらく待っていた。
絨毯の上に、私の靴跡が水でにじんでいる。
屋敷の品位を汚してしまったことに、なんとも申し訳ない気持ちになった。
扉が開く。
入って来たのは、若い令嬢だった。
「あら……また、ずいぶんな格好なのね」
私を見るなり、彼女は驚いた顔をした。
まだ10代の前半だろうか。
波打つ金髪を上品に整え、薄手のドレスを身につけている。
絵に描いたような、貴族の令嬢だった。
「ずぶ濡れじゃないの」
「突然のことで、黒い傘を用意しておりませんでしたので……」
特に理由はなかったのだが、口を突いて出たのはそんな言葉だった。
どうして、わざわざ色を指定したのかは自分でも不透明だ。
頭を下げつつ自分の装いを確かめれば、靴もドレスも全部が黒色だった。
私に過度なゴシックの嗜好はない。どうやら、派手にならないことを意識しすぎて、かえって変な格好をしてしまったようだ。
私の発言を訝しんでか、少女の足が止まる。一瞬、顔に悲痛の色が浮かんだので、大人のくせに残念な人間だと思われてしまったのかもしれない。
「……そうね。もう少し落ち着いてからにするべきだったわ。ごめんなさい」
少女が侍女に何か小声で指示をした。
すぐに乾いた布が運ばれて来る。
受け取ろうとした私の手を制して、少女が手ずから私の頬を拭く。
「あの……」
予想外の出来事に、呆気に取られつつも口を開けば、少女は首を横に振った。
「動かないで。こういうときは、自分が1人じゃないことを改めて知ったほうがいいわ」
雨に濡れることは、そんな大層なことじゃないだろう。それとも、この少女に私は天然な女性だと勘違いさせてしまったのだろうか。主人と長く一緒にいるのだから、配偶者と性格が似て来ることもあるのだろうが、あの人ほどではないはずだ。
「……」
どちらにせよ、私は黙るしかない。
静寂を維持したまま少女に体を委ねていれば、まもなく少女の視線が私の胸元に向いた。
「あら? もしかして、それは旦那様から?」
ペンダントのことを指しているのだろう。私は首肯していた。
「ええ、はい。主人からのもらい物です」
「話は聞いているわ。素敵な作品を作る方だったのね……。言い忘れていたわね、ご愁傷様」
変わった言葉づかいをする方だと思った。怪我をしたくらいで大げさだ。
それに夫が時計職人であることは、先方にも伝わっているはずなのに、どうして少女が誤解したのかはわからない。
指摘して、藪蛇になるのはよくないだろうと、私は口をつぐんだ。
「では、そろそろ面接をいたしましょうか」
少女に促されて私は向かいの席に座る。
ドレスの裾からはまだ水が滴っていた。床に小さな水たまりができてしまいそうで、私は足の位置をわずかに整える。
「ふふ、そんなに気にしなくても大丈夫よ。私だって、湯浴みしたまま寝転がることもあるんだから」
侍女候補と雇用主では、全然境遇が違うだろうと思ったのだが、それが少女なりの冗談であると考えなおした私は、どうにか口元に愛想笑いを浮かべることができていた。
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