116 過ぎ去りし日々(1)
雨の音がずっと続いていた。
私は王都の通りを歩いている。
いつから歩いているのかは、うまく思い出せない。
気がついたときにはもう、石畳の上を進んでいた。
傘は持っていない。
出かけるとき、誰かに「持って行きなさい」と言われたような気もするが、相手の顔は、はっきりとは浮かんで来なかった。
仕方なく、外套のフードを目深に被っている。
だが、その布も水気を吸ってとっくに重たくなっていた。
「……」
最近、夫が怪我をしてしまった。
それなりに大きな負傷だ。
主人はおっちょこちょいな人だが、わかりやすい事件や事故には巻きこまれて来なかったので、私はひどく驚いた。作った作品が少しずつ王都でも評判になって来たところだったので、主人としても悔しいだろう。だが、順風満帆で行かないのは、あの人らしいのかもしれない。
気がかりなのは、ガラス職人でもないのに、どうして夫は腕を怪我してしまったのだろうか。
そこだけは引っかかる部分だが、私は主人に代わって家計を支えるべく、住み込みで働く腹づもりだった。
通りの先に立派な屋敷の門が見える。
エルフェルト公爵家――この国に数えるほどしかいない最上位の名家だ。
公爵家が新たに一般からも侍女を応募すると知ったときは腰を抜かした。書類審査に自分が合格したときには、驚きを通り越して呆れてしまった。
いったい私のどこをエルフェルト家が評価してくれたのかはわからない。
経歴に元子爵だということは書いていないので、下世話な興味があるとも思えない。ドミスター子爵の爵位は、血が繋がっているのかどうかも怪しい遠縁が引き継いだと風の噂に聞いているので、その辺りから私のことが漏れたとも考えにくかった。
雨が顔を流れていく。
軽く水を払ってから、私は門に近づいた。
胸元のペンダントが、ずぶ濡れになりながらも、外套の合わせ目から覗いている。小さなガラスの花だ。薄桃色の花弁に、透明な葉が添えられている。
夫からの贈り物だ。
交際を申しこまれたときにもらったものだが、あの人にこんな繊細な趣味があったなんて、少しおかしく感じられる。金属と細々とした部品にしか興味がないものとばかり思っていた。
主人のことを思うと、頬が自然とほころぶ。
雨の中で笑ったことに気がついて、私は軽く咳払いをした。
今は仕事のことを考えなければならない。
門番に名乗ると、私の格好を訝しみながらも、無言で奥へと通された。
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