115 過去を正す者、過去を汚す者(4)
いつまでもいなくなった相手に思いを馳せるべきではない。
はっとしたキャサリンが、再びエマに駆け寄る。ちょうどそこへ、ギルバートが馬車を連れて戻って来た。
「お嬢様!」
うわごとのようにダミアンの名前をつぶやくエマを見て、さすがのギルバートも眉をひそめた。意識はあるのだろうが、すでに焦点が合っていない。布の包みがエマの手から滑り落ちる。仕立て屋から受け取った布地が、地面に転がった。
通りすがりの人々が何事かと、自分たちのほうに視線を向けて来るが、キャサリンには構う余裕がなかった。
「馬車を回しております。急ぎ屋敷へエマ様を――」
キャサリンは首を横に振る。
「いいえ……たぶん、そんな時間はないわ」
明らかにエマの様子はおかしい。
とてもダミアンに出会ったばかりの状態とは思えない。
これでは未来のときと同じではないか。
――もしも、タイムリープで記憶の侵食が止まらないのだとすれば……。
現状にも説明がつく。
時間の逆行によって回避したのは、面影の有無の部分。その度合いまでは覆せなかったと考えるのが妥当だ。エマの内部では、依然として記憶の侵食が進んでいたのだろう。だからこそ、ラグーシアにあった途端に、ダミアンを自分の夫だとキャサリンに紹介した。
――でも、全く希望がないわけじゃない。
ビオラに発破をかけられたからだろうか。自分でも不思議なくらい、キャサリンは落ち着いて物事を分析できていた。
――聞いた限りだけれど、ハインリッヒ様のケースとエマでは全く事態が違っている。
あのビオラが、ハインリッヒの異常に気がつかないなんてありえないだろう。ハインリッヒの面影は極めてスムーズにいったはずだ。それはダライアスとは違ってビオラが生きていたからかもしれない。どのみち確かなのは、書き換えるべき記憶の量がハインリッヒのときよりも、エマのほうが断然多いのだ。
――それはつまり、エマがラグーシアの能力に抵抗している証しでもある。
エマ本来の記憶を取り戻すことができたならば、それはきっと面影を破るきっかけとなるだろう。
外套を抜いて、キャサリンは敷布の代わりに自分の衣服を地面に広げた。エマを横たえ、侍女の頭を自分の膝の上に乗せる。
「エマ……」
キャサリンは慈しむように侍女の頭をさすった。うつろな瞳を開けたままのエマが、やがて眠るように目を閉じていく。
「お嬢様。しかし、ここでは――」
ギルバートが周囲を気にする。
通行人たちがざわめき始めていた。
「囲いなさい」
キャサリンは短く命じる。
「人を呼んで、私たちの周りに人垣を作るの。野次馬を近づけさせないで。あなた自身も、距離を取りなさい。これは私とエマだけの話よ!」
ギルバートは、やや憮然とした面持ちでキャサリンを見つめていたが、やがては深く一礼した。
「ただ今」
執事が動くのを、キャサリンは横目だけで確認した。
エマの顔に視線を戻す。
目を閉じたまま、エマは小さな呼吸をくり返している。口元には、まだ淡い微笑みが残っていた。
ラグーシアが去っても、ダミアンが生きているのだ。
「エマ、思い出すのよ」
キャサリンが侍女の頬に、そっと手を伸ばす。
タイムリープから戻ったとき、エマの背中に伸ばしかけてやめた手を、今度こそ本当にエマの体に近づけた。
「ねえ、私がどうしてあなたを選んだのか、忘れちゃったの?」
偽りの世界で幸せに過ごしているだろうエマを、それでもキャサリンは自分の侍女として戻すことを選んだ。
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次回作へのモチベーションアップにもつながりますので、なにとぞよろしくお願いいたします。(*・ω・)*_ _)ペコリ




