105 青くほころぶ(9)
ギルバートが屋敷に戻って来たのは、その日の夕刻だった。
扉のところで一礼してから、執事はベッドに横たわるエマへ視線を向ける。一瞬だけ目を細めるように表情を変えた執事だが、それ以上の反応は示さなかった。
ギルバートが懐から数枚の書類を取り出す。エマの書類とは癖が違うが、十分に見やすいものだった。キャサリンは受け取らずに目だけで続きを促した。
「ダミアンと名乗る人物について、確認できる範囲を洗いました。時計修理師。王都の外れに工房を持つ。南方の町から出て来て、十五の頃に親方へ弟子入りした――エマ様が聞いたという経歴を中心に探っています」
「それで?」
ギルバートが意図的に間を置いたのが、キャサリンにもわかった。
もはや、それが答えであろう。
確定させるように、ギルバートが口を開く。
「該当する人物は、見つかりませんでした」
薄々、予感していたこととはいえ、実際に耳にしてしまうと吐き気がした。
「……続けて」
「時計職人の組合にも、ダミアンという名で登録された修理師はおりません。王都外れにそれらしい工房も確認できませんでした。南方の町にも照会を出しましたが、少なくとも職人として王都へ出た記録はないとのことです」
「正直に名乗っていないだけの線は?」
駄々をこねるようなキャサリンの返事に、ギルバートが目を伏せた。
「……もちろん、ございます。ただ、その場合にも不自然な点が多すぎます。腕のある時計修理師なら、部品の仕入れ先、客筋、修理記録、どこかしらに痕跡が残るはずです。しかし、手前が調べた限りですと、何も見つかりません」
「全く……?」
「はい。まるで、ダミアンという人物など最初から存在していないかのようです」
部屋が静まり返る。
「……。それなのに、エマは会っているわ」
「はい。そして、そのことをベルクリフ様しかり、周りの人たちも目撃しています」
伯父にまで頼って聞いてくれたのだから、それは間違いないことだった。
「……ということは姿もわかっているのね?」
ギルバートが少しだけ言いよどむ。
それはキャサリンの心配が的中したことを暗示していた。
「証言の多くは一致しています。30代後半で、穏やかな目元の人物。人のよさそうな顔立ちと、やや頼りない印象が特徴です。背格好も声の調子も、ある人に酷似しています」
わかりきった答えだが、それでも聞かなければならないだろう。
キャサリンは震えそうになる唇で、執事に疑問の言葉をぶつけた。
「誰に?」
「エマ様の配偶者であった、ダライアス様です」
「……。見間違いではないのね」
「確認のために、ダライアス様についても可能な限り調べました。証言だけなら、ほぼ同一人物と言ってもいいほどです」
「でも、その方は……」
「はい、亡くなっています。埋葬記録もあります。疑いの余地なく、ダライアス様は死亡しています」
死者が歩いているわけではない。
そんなことはキャサリンもわかっている。
だが、エマは見てしまったのだ。
ダライアスに似た、この世に存在しない男を。
「ダミアン様は今どこに」
ぞっとするほど冷たい声が出た。
ギルバートでさえ、話者は本当にキャサリンなのかと確かめるように、辺りに視線をめぐらせていた。
「全く足取りがつかめておりません」
「そう……。ありがとう、もういいわ」
これ以上、エマをこのままにしておくわけにはいかない。このタイムラインでダミアンを探せないというのなら、確定している過去に会いに行けばよい。
あの日、エマの身に何が起こったのか、自分の目で確かめるのだ。
ギルバートは何も言わなかった。
きっと慰めの言葉を飲みこんだのだろう。賢明な判断だ。
キャサリンが椅子から立ちあがる。
長らく座っていたせいで、足元がふらついた。
横から伸びて来た執事の手を、キャサリンは目線だけで制した。
――きっと大丈夫……。
タイムリープすることに不安がないわけではない。
アンネを助けようとしたときのことを思えば、正常なルートに戻れない場所まで落ちる可能性だって、決してゼロではないのだ。
だが、キャサリンにためらいはなかった。
「ギルバート。あなたはこのまま調査は続けて。あとで頼むことができるかもしれないわ」
「承知しました」
その従順さに、キャサリンは少しだけ救われた気がした。
エマなら、もっと鋭くこちらを見返しただろう。問いたださずとも、何かを察したはずだ。
キャサリンはエマの枕元に立つ。
その顔を、しっかりと目に焼きつけた。
――待っていてね。すぐに行くから。
次の瞬間、キャサリンの足元がふっと消えた。
コメントまでは望みませんので、お手数ですが、評価をいただけますと幸いです。この後書きは各話で共通しておりますので、以降はお読みにならなくても大丈夫です(臨時の連絡は前書きで行います)。
次回作へのモチベーションアップにもつながりますので、なにとぞよろしくお願いいたします。(*・ω・)*_ _)ペコリ




