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タイムリープするお嬢様――二度目の婚約破棄はもう遅い。あなたが破滅する始まりです  作者: 御咲花 すゆ花
8話(上) 逆行のキャサリン

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104 青くほころぶ(8)

 それから数日が経った。

 キャサリンはエマの部屋から一歩も動こうとしなかった。

 侍女の部屋には、浅い呼吸の音だけが満ちている。季節が変わっても、この部屋だけは冬の名残を閉じこめているように冷えていた。


 ベッドの上で、エマは眠ったように目を閉じている。

 呼吸もある。

 だが、キャサリンにはこれが就眠ではないとわかっていた。大切な侍女はどこかへ行ってしまったのだ。


「……エマ」


 小さく名前を呼ぶも、当然のように返事はない。

 キャサリンは椅子に座ったまま、エマの手を両手で包みこんでいた。いつもなら冷静に差し出される手が、今は力なくシーツの上に置かれている。


 こんなに弱々しかっただろうかと、キャサリンは思った。

 書類を出し、紅茶を淹れ、必要なものをぴったりの瞬間にそっと置いていく手だ。キャサリンの背後に控えながら、何よりも雄弁に仕事をこなしてきた侍女の体。


「キャサリン様……」


 背後から声がした。

 振り返らなくても、リディアだとわかった。


「少しお休みになられては?」

「平気よ」


 いつもの調子で答えたつもりだったが、自分でも驚くくらいに声からは生気が抜けていた。

 侍女たちが、部屋の入り口で立ち止まった気配がする。

 遠慮しているのだろう。

 ここ数日は同じやり取りのくり返しだ。

 いろんな人間が協力して、エマを治そうと努めてくれたが、ほとんど何もわからなかった。それでも、時々は、こうしてエマの様子を見に来てくれている。


 エマのそばでかがんでいたリディアが、首を横に振って退室する。

 それからまもなく、おずおずと侍女のオリアーナがキャサリンに声をかけた。


「リディア様がお嬢様に、少しでも口に入れられるものをと。胃に負担の少ないものだそうです」

「そこに置いておいて」

「お嬢様……」


 その声に責める響きはなかった。

 リディアも心配してくれていることは、キャサリンとて承知の上だ。

 だが、食事など取れるはずがない。

 目を離した瞬間に、エマが戻れないところまで行ってしまうのではないか。そんな根拠のない不安が、キャサリンの胸に貼りついて離れなかったのだ。


「私なら、本当に平気よ」


 ようやく返した言葉は、自分でも空々しく聞こえた。


 オリアーナはすぐには何も言わなかった。少しして、意を決したような足音が近づいて来る。


「メイド長はお嬢様の無茶を望んでいないと思います」

「……。そうでしょうね」


 キャサリンは、薄く笑った。


「エマなら、きっと言うわ。お嬢様、鏡をご覧になってください。そんな顔で人前に出るおつもりですかってね」


 言いながら、胸の奥が痛んだ。

 エマであれば容赦なく、淡々と自分の不備を指摘したはずだ。

 だが、今は何も言わない。

 自分が最も信頼を寄せている侍女は、どれだけキャサリンが自堕落な生活を送ろうとも叱ってくれさえしないのだ。


「だから私が、ここにいないといけないでしょう?」


 返事はない。

 しばらくオリアーナは黙っていたが、やがて静かに頭を下げた。

 さすがに、エマに鍛えられているだけあって、完璧なお辞儀だ。


「何かありましたら、すぐにお呼びください」

「ええ……」


 扉が閉まる。

 部屋にはまた呼吸音だけが残った。

 キャサリンがエマの顔を見る。

 まつげがわずかに震えた気がした。


「エマ?」


 身を乗り出す。

 エマの唇がゆっくりと動いた。


「……。……」


 声にならない声を拾おうと、キャサリンはエマの口元に耳を近づけた。


「ダミ……アン……様……」


 体の奥が冷えた。

 また、その名前だ。

 眠ったままのエマが、うっすらと微笑んでいる。

 その微笑が、キャサリンには耐えがたかった。

 苦しんでいる顔ならば、怒ることができた。泣くこともできた。助けなければならないと、ただそれだけを思えた。


 しかし、エマが幸せそうにしているのだ。


「違うでしょう、エマ……」


 そこで呼ばなければならないのは、ダライアスのはずだ。出会ったばかりの男ではない。エマが人生の途中で見つけ、共に歩んで来た人の名前でなければならない。


 それなのに、どうして別の名を呼んでしまうのか。


 ――私が外に出してしまったから……?


 あの日、エマが窓の外を見ていた。

 ダライアスの命日だ。

 春の緑を見ながら、亡き夫を思い出しているのだろうと思った。

 だからこそ、1人の時間を作った。気を利かせたつもりだったのだ。

 まさか、こんなことになるなんて思ってもみなかった。


 ――エマの悲しみをわかったつもりになって、勝手に私が心の隙間を作ってしまった。


 きっと、その隙間に何かが入りこんだのだ。悪意ある何かが。

 それがダミアンであるとは、まだ思いたくない。

 エマがあまりにもかわいそうではないか。


「……ごめんなさい」


 誰にも聞こえないほどの声で、キャサリンは謝る。

 エマからの返事はない。それでも、キャサリンは何度も謝罪の言葉を口にした。

 コメントまでは望みませんので、お手数ですが、評価をいただけますと幸いです。この後書きは各話で共通しておりますので、以降はお読みにならなくても大丈夫です(臨時の連絡は前書きで行います)。

 次回作へのモチベーションアップにもつながりますので、なにとぞよろしくお願いいたします。(*・ω・)*_ _)ペコリ

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