91 遡行する幻影(9)
食事が始まると、場は一気に賑やかになる。
話し上手な若者が場を引っ張り、笑い声が上がる。エマは盛り下げないよう、適切に相槌を打っていたが、内心では退屈さを感じていた。
はす向かいのダライアスは、全く輪に入れていない。
出席した手前、どうにか参加しようと心がけているのだろうが、タイミングがつかめないらしく、声を出しかけては引っこめている。
不器用な男だ。
そもそも、こんな場に出席すること自体が向いていない。
自分と同じで仕方なく参加したのだろうかと、ぼんやりと考えごとをした直後だった。
ダライアスがグラスに手を伸ばして引っかけ、中身を盛大にテーブルの上にこぼした。
「おわっ!」
広がっていく水。
隣の者が驚いて椅子を引く。ダライアスは真っ赤になって立ち上がった。
「た、大変失礼しました。ただ今、布巾を」
エマはすでに動いていた。
卓上の布巾を手に取り、こぼれた水を手際よく拭き取る。追加の布巾を店の者に頼んで、グラスを元の位置に戻した。一連の作業をたった十数秒の間にこなしている。
「……ありがとうございます」
呆気に取られるようにして、ダライアスが小声で言った。
顔がまだ赤い。
「お怪我はありませんか?」
「ないです。本当に、すみません」
「構いません」
エマは短く答えて、前を向いた。
場はすでに次の話題に移っている。
ダライアスが小さくため息をついた。
「あなたは、慣れているのですか? こういう、とっさのことに……」
「仕事柄、そうなっているだけです」
そっけなく返してから、エマは続きを待った。
気まずさを埋めようとするなら、次に何か言うはずだ。
「……あの。仕事は、今も商家で帳簿を?」
「ええ、まだそちらに」
「そうですか。僕はガラス細工を。工房で修行中なのですが……」
ダライアスが少しだけ声のトーンを落とした。
修行中という言葉に、なんとなく気まずさが滲んでいる。この席には、独立した職人や商家の子息が多い。いまだに修行中の身というのは、引け目になるのだろう。
「吹きガラスですか、それとも別の技法を?」
エマは少しだけ身を向けた。すでによく知った事情だったが、この程度のリップサービスであれば、誰が相手であってもする。
「吹きガラスが主です。あとは彫刻を少しばかり」
「難しそうな技術ですね」
「はい、本当に難度が高くて……。なかなか思うようにいってくれません」
苦笑するダライアスの顔が、少しだけほぐれた。
仕事の話になると、先ほどまでとは声の張りが違うことに気づく。特段、会話を続けるつもりはなかったのだが、ものはついでだと尋ねてみる。
「どのあたりが一番難しいですか?」
エマが問い返すと、ダライアスはわずかに目を輝かせた。
「息の加減ですかね。強すぎると形が崩れてしまいますが、弱すぎても膨らまない。その日の気候や、ガラスの状態によっても変わるので、教本のようなわかりやすい正解がないんです。毎回、炉の前でゼロから向き合う感じでして」
「だから毎日、同じことをくり返しているんですね」
言ってしまってから、エマは口をつぐんだ。ダライアスが少し驚いた顔をしている。
「工房の前を通ったことがありまして……失礼しました」
エマが短く詫びると、ダライアスはつかの間、沈黙してから、困ったように笑った。
「見られていたんですね」
「通り道でしたので」
「……そうだとすると、僕が親方に怒鳴られているのも知っているんじゃありませんか?」
「ええ……まあ」
ダライアスが天井を仰いだ。
「これは恥ずかしいな……。鼻息荒く語ってしまったのに、実態を知られていたんじゃ格好がつきませんね」
呟いてから、それでもダライアスは口元に笑みを浮かべる。羞恥よりも、どこか清々しさのある表情だった。
「でも、やめようとは思わないんです。うまくいかないのは悔しいけれど……炉の前に立つたびに、今日こそはと奮い立ちます。その繰り返しで、少しずつ変わって来るものもあって」
仕事の話をするダライアスは、別人のようだった。
先ほどまでの頼りない様子が消えて、言葉に芯が通っている。
エマはそのとき初めて、真剣にダライアスの顔を見た。
すごく整った顔立ちではない。不細工ではないが、良くも悪くも普通の範疇を抜け出さないのだ。
食事会はそれからも続き、エマとダライアスの間には、ぽつりぽつりと言葉が行き交った。話しかけるのは、どちらかといえばダライアスのほうが多かった。そこには、少なからずエマ側の遠慮と照れがあったのだが、無論、そんなことに気がつくダライアスではない。
コメントまでは望みませんので、お手数ですが、評価をいただけますと幸いです。この後書きは各話で共通しておりますので、以降はお読みにならなくても大丈夫です(臨時の連絡は前書きで行います)。
次回作へのモチベーションアップにもつながりますので、なにとぞよろしくお願いいたします。(*・ω・)*_ _)ペコリ




